玉砕の島々
指有能な揮官の死亡。水上部隊・航空部隊の損害を被った米軍だったが上陸作戦は続けられた。潜水艦より上陸した挺身隊は拳銃程度しかもっていなかった。大した活躍が出来るかどうかなどわかったものではない。
日本軍は攻撃を終了させた。
3月1日 この日までに米軍は6万名の兵力を上陸させた。水際作戦である程度の損害を被った。だが圧倒的な質量や兵力を誇る米軍に対し日本軍は北へ追い込まれた。
北と南の中間地点で強力な防衛網を引いていた日本軍は反撃を開始した。珊瑚などの土壌で強力な陣地を作成し洞窟で持久戦戦法を使用した。また倒壊した家屋などに潜みゲリラ戦法を多用し、この防衛拠点で米軍は5日間足止めを受けた。これを受けて第27師団長ラルフ・スミス少将が更迭された。
3月5日 洞窟に迫りくる戦車に爆薬を抱いて戦車の下にもぐりこみ爆発が起きる。穴に潜み通り過ぎていった米軍に対し九九式歩兵銃で発砲した。さらにあらゆる角度から攻撃できるように陣地を構築していた。1時間に野戦砲800発、機銃1万発という米軍の圧倒的火力によりほぼ陣地は崩壊し防衛線は破壊され日本軍は北へと向かった。
3月6日 日本軍は戦車第9連隊(44輌)含む約8000名が北方で陣地を構築した。1000名が死に物狂いの足止めを行っていた。しかし制空権を取られている日本軍に勝ち目など無かった。
3月7日 深夜。挺身部隊が闇夜に紛れて米軍陣地へと接触した。そして拳銃の他に持っていた火炎瓶
を宿営基地へと投げた。紅蓮の炎が立ち昇りそれに仰天した見張りの兵士があたりに機銃を打ち込み続ける。米軍陣地より照明弾が打ち上げられあたりが昼間のように明るくなった。自分達の姿は丸見えだ。
数人の歩兵がこちらに気づき撃ってくる。2人が死亡したが全滅するような甘い訓練など受けていない。拳銃を撃ちひるんだすきに米軍陣地へと舞い込んだ。戦車が2輌在った。陣地にあった大砲の砲弾を
砲門に詰め込んだ。
後ろから忍び寄り格闘技で敵兵士を殺し弾薬をあたりに積むと奪った手榴弾を投げつけ大爆発を起こさせた。1時間後挺身部隊は3人を除きすべて射殺された。3人はその後逃亡中発見された。そこで例の戦車により砲撃された。戦車は塔内爆破を起こし3人はなんとか逃げ延びた。
そして時間はたち4月1日。戦車部隊も壊滅しいまや残存兵士2000名となった。そして深夜に敵陣へ万歳突撃を仕掛けた。勇猛な攻撃だが自殺行為に等しいため1時間足らずで全滅した。ここにサイパンは陥落した。
米軍死者は約4000名、負傷者は約1万8000名であった。日本軍は約3万2000名中ほとんどが玉砕した。
この占領によりソロモン諸島は全く意味を持たなくなってしまった。