出撃の夜
1月29日 日本軍は次の米軍の侵攻場所はガダルカナルと認識していた。ガダルカナルはミッドウェー海戦の2ヶ月後にガダルカナル飛行場が完成した。
戦闘機60機 攻撃機・爆撃機60機とラバウル航空隊がここにいた。さらに湾には海防艦4隻と駆逐艦2隻と水雷艇が6隻がいた。
そして潜水艦の基地がありその潜水艦は8隻もガダルカナル周辺のソロモン海に配置されていた。守備兵は陸軍第2師団18000名と戦車50輌、火砲200門と大体こんなところで決して守りが薄いというわけではない。
ただし輸送のほうはガダルカナルの海軍では護衛が足らず1式輸送機が運んでいた。零戦が24機ほど護衛として燃料や食料を運んでいた。
そして俺はそんな搭乗員が空から見ている船にいた。俺は只一だ。前回までの小説を読んだ人は分かるだろう。
日の丸が翼に描かれている航空機を見上げながらデッキを磨き上げていた。
このたび武蔵と空母2隻及び巡洋艦1隻、駆逐艦4隻を引きつれ夜中出撃するのだが、長官から言われたのは敵をただ発見しだい撃沈もしくは撃墜せよとのことだった。
目的場所も知らせてくれないとは変な作戦だ。
そのころ大本営では議論が分かれたいた。何を?今後の作戦だ。
米内を初めとして山口多門は空母を量産して航空機で守るときは守り、攻めるときは攻めて敵の進撃を止めさせたところで講和を図るべきとのことだった。
対して豊田副武を初めとした方は、戦艦などを作り向こうにに可能な限りの損失を出させ有利な状況をつくろうとの考えだった。いままで山本五十六のおかげで若干のバランスが保たれていたが、暗殺された時から攻勢派が一気に発言を強めたのだ。
現在日本にある戦艦は12隻だ。大和、武蔵、長門、陸奥、伊勢、日向、扶桑、山城、金剛、比叡、榛名、霧島である。このうち金剛級の4隻は老朽戦艦でありながら30ノットを超える速度を出せるため空母のエスコート用として使われていた。伊勢級と扶桑級は防御力、速力、攻撃力から言って旧式戦艦だった。いや実際旧式戦艦だ。長門級と大和級は速度こそ金剛より遅いが攻撃力と防御力は世界でもトップクラスだ。
そんなことは知らず俺たちは午前2時ごろ日付が変わっていて1月30日オーストラリア周辺まで近づいていた。
しかしまったくなんの作戦なんだ?その時だった下士官クラスの人間が来た。なるほど今回はオーストラリアの砲撃、敵艦を見つけたら撃沈する作戦だったか。
そして遂にオーストラリア海軍がいてもおかしくない海域に侵入した。
「敵艦影見ゆる 距離3万」遂に見つかった。
「主砲射撃用意、甲板上の兵士は中に入れ」俺たちはすばやく艦内に入った。
「距離再測定 2万7000メートル 12時の方向 甲巡(重巡洋艦)と思われるもの3隻」
次の瞬間武蔵は身震いした。主砲が発射されたようだ。46センチ主砲だ。重さ1,5トンもあるのが空中を飛行して敵艦にぶち当たるのだ。
水雷戦隊が前進していく。武蔵の射撃は外れた。「遠弾1000メートル 仰角修正 撃てぇー」船が再び身震いする。
夜の海に武蔵の主砲の音が鳴り響いた。一方の水雷戦隊は距離2万のところで一斉に魚雷を発射した。
オーストラリア海軍の陣容は実は重巡洋艦は3隻も無かった。重巡1隻 軽巡1隻 駆逐艦4隻だった。 哨戒中だった船のレーダーに武蔵以下の艦艇が移りこの6隻が向かったのだ。しかしなんとも相手が悪い。
オーストラリア海軍も夜中戦うとは思っていなかっただろう。しかし日本海軍は代々自慢の水雷隊の訓練の成果を見せた。突然オーストラリア軍の重巡キャンドラーが左舷中央部に航跡をみせない酸素魚雷を食らわされた。キャンドラーは速力31,5ノットの速力で多種多様な兵装を持っていた。多種多様な兵装だが数は少なかった。その分快適な移住能力を持っている。
そのためやや防御力は高いがさすがに魚雷を受けて意気揚々としてられる訳がない。
戦闘能力を失ったキャンドラーは速力10ノットまで下がった。そのキャンドラーを無視して水雷戦隊は駆逐艦と戦闘を開始した。
一方の軽巡洋艦シドニーは主砲を撃っていたのだが武蔵の前には悲しく水柱をあげていた。武蔵は相手が巡洋艦と分かるや、距離を2万1000メートルまでに近づけた。ここまでくれは命中率は飛躍的に上がる。恐らく30パーセント近くだろう。
艦上で火薬が光りその爆風で1,5トンの主砲がシドニーに向かっていった。
それは水雷戦隊の度肝を抜かすほどの威力だったという。シドニーの船体は真っ二つに折れもうもうと煙を吐きながら沈んでいった。
オーストラリア駆逐艦アレックスが救助に当たろうとしたときは時は既に遅かった。
オーストラリア駆逐艦はその後も戦闘を続け駆逐艦清水が魚雷を受け静かにゆっくり黒い海に引きずり込まれていった。
しかしオーストラリア海軍もそこまでだった。武蔵の副砲や雷撃に襲われ遂にソロモン海に没した。
キャンドラーは武蔵より停止を求められ軽巡神通と共にラバウルまで航行していった。また途中で連絡をしてトラックより駆逐艦2隻が駆けつけ無事にたどり着いたようだ。
そしてこっちは砲撃戦が終わり甲板に上がった。主砲の近くのガードレールが曲がり木工板がめくれあがっていた。それほど強力な爆風なのだ。
〇三四〇 戦闘のせえで余計な時間を使いすぎた。オーストラア海軍が報告しているから敵の迎撃があるだろう。進むかどうか有馬馨艦長は考えた。「退いて残るなら散って大勝利を収めるか」参謀とも話し遂に武蔵は向かいだした。
〇四〇〇 オーストラリアの領海内に入った。速力22ノットで武蔵以下5隻は進んでいった。空母は何もしていないで不服そうに走ってるように見えた。
俺を含め全員は眠さも忘れ敵の了解に侵攻していった。
オーストラアの陸地を遂に測距儀が捕らえたらしくまた俺らは甲板下に移動した。46センチ主砲の射程距離は4万1000メートルを超える。
こんな距離では敵艦に当たらないが艦砲射撃では関係ない。この砲撃のため武蔵は3式弾を用意してきた。3式弾とは対空砲に開発されたのだが、皮肉にも陸地に対しての効果のほうが大きかった。
3式弾は角度10度に焼夷弾子をばら撒いた。砲撃したのはダーウィンである。そして時間は5時ごろになった。
武蔵は射撃を停止した。そして空母より攻撃隊が発進した。夜も暗いのにご苦労なことだ。
出撃したのが零戦三二型や新鋭爆撃機彗星や九九艦爆など計100機がとびだった。しかし盲目爆撃といっても過言ではない。
しかしこの爆撃でオーストラリアが受けた被害は甚大だった。飛行場を3ヶ所炎上させ40機を灰にした。さらにドッグにあった輸送船3隻撃沈もしくは大破し他の艦艇も7隻が沈んだ、対空陣地3ヶ所、娯楽施設7軒、民家を1軒破壊した。
そして石油タンクを大爆撃した。ようやくオーストラリア軍の対空砲が唸ったが遅かった。
ここで日本軍が落としたのは爆弾だけではない。闇夜に白い花がパッと開きヒュルヒュルと降下していく。その数30。
果たしてなんだったのか。
帰ってきた攻撃隊は97機だった。3機の内1機から「我、母艦を発見できず敵軍事施設と思わしき場所に突入す、天皇陛下万歳」とのものだった。他2機は九九艦爆だ。武蔵以下艦艇は無事に帰還トラックに帰還した。
俺たちはその日宴会が開かれ大いに楽しんだ。そこで竹浜と健太ともであった。
どうでしたか?
あ、そうそう実史ならキャンドラーやシドニーはとっくに沈んでます。
オーストラリアに大損害を与え凱歌を上げた連合艦隊。キャンドラー拿捕、5隻の軍艦を撃沈、他の艦艇10隻撃沈もしくは大破。飛行場炎上させ軍用機を破壊。
白き花はいったいなんだったのか?次回に続く。