外伝 第2次レイテ沖海戦2
レイテ島をクリスマスプレゼントとし大爆撃を企だてた米軍。
サイパン島のB-29及び機動部隊の力でレイテ島及びフィリピンを爆撃・無力化してしまうこの作戦に日本軍は直ちに手をうつ必要性があった。
ようやく錬度が開戦当初までに上がってきた航空隊パイロットは日々練習に励んでいた。そして烈風の機体は他の航空機の材料を全てやりくりして、量産していた。と、いっても1日1機が限界だった。現在は100機ほどが作成されている。できれば後20機ほど今年中にほしいのが本音であった。しかし何故2ヶ月でこれほど作成できたのか。
まさか陸軍飛行場で作成をしていようなど誰が開戦当初に想像したか?恐らく誰もいなかっただろう。陸軍に防空戦闘機を多数引き渡したことにより許可された。陸軍にはオリジナルの呂式戦闘機が作成され始めていたが、まだ数がそろっていなかったため許可がおりたのだ。
送られたのは雷電が60機ほどだった。また烈風の図面もこの時渡した。これはいずれ陸軍が独自に改造して新型戦闘機を作るのだが、それはさておき、これにより戦闘機烈風21型が量産されていった。
一方アメリカでは戦艦や空母をボコボコ沈められ、挙句の果て駆逐艦などの護衛艦艇をほぼ失ってしまったが、この時空母を2隻 戦艦を1隻建造していた。恐ろしい工業力だ。
今回の大作戦に参加するアメリカの兵力は空母5隻、搭載機は(F6F 100機 F4U48機 SB2C艦上爆撃機80機 TBMアベンチャー雷撃機120機 その他20機前後)の約370機。戦艦は意外と少ない3隻で巡洋艦以下護衛艦は20隻だった。いささか数が足りないように見えるのは第1次レイテ沖開戦のせえだろう。
そのころ日本軍はレイテ島にしきりに現れる偵察を爆撃などによるレイテ島及びフィリピン守備隊の攻撃力の無力化をするためと無ぬいていた。さすがにこれほどの兵力が来るとは思わなかっただろう。ちなみに捕虜はフィリピン方面に送られた。輸送船の残骸などで艦艇を作るとは日本兵もたいしたものである。
大至急海軍の会議が行われ結果は、戦艦と戦闘機を中心とした艦隊で行くことにした。サイパンから陸上爆撃機が来た場合は現場の航空兵力及び、機動部隊の戦闘機で撃墜し戦艦で護衛し、機動部隊の攻撃であれば戦艦が敵空母を攻撃し、戦闘機は艦隊の上空の制空を果たす。
以上の作戦を実行するため、戦艦は大和と長門そして空母のエスコートとして榛名。空母は瑞鶴 千代田 瑞鳳であり、さらに信濃が加わった。信濃は大和型戦艦を空母として建造したため速力が27ノットしかない。レイテ沖開戦に間に合わせようとしたが、アメリカ潜水艦の魚雷を2発受けそれどころではなくなった。あわてて修復した。信濃は突貫工事で作られたがもう急ぐ必要性が消えたので、ゆっくり作られた。そして魚雷を10発受けても大丈夫であろう不沈空母として建造された。
これに偵察機彩雲などをを除く烈風120機を乗せまた零戦43型が乗せられることとなった。
この日は12月19日。
本編で終わらせればよかったのに何故書いたのかといわれたらいいわけのしようが無い外伝ですがどうでしょう。
まあ外伝などにせずそのまま書けばよかったのかも知れませんけどね。
後、都合のほどがよければhttp://ncode.syosetu.com/n8081v/もよろしくです。