不沈戦艦レイテ沖にて没す
さて大変遅れてすいません。
最終話です。
輸送船が赤い炎を吐き出して燃えている。頭上には15センチ弾や20センチ弾が降ってくる。レイテ湾は赤々と燃えていた。
地上が炎に包まれている。46センチ弾や40センチ弾が叩き込まれる。レイテ島も同じく赤々と燃えていた。
猪口艦隊/志摩艦隊の両艦隊は10時ごろにレイテ湾に突入を果たした。もはやレイテ湾には魚雷艇と輸送船のみだ。そしてその輸送船を叩き潰すのが今回の
任務であり、これを破壊すればアメリカ軍も今後の作戦の遂行が難しくなる。やがて白旗をなびかせ米軍輸送船は近づいてきた。すると日本軍の作戦が開始された。
なんとカッターで給油艦、タンカーなどに入り込んだ。タンカーなどの石油目的で拿捕するのだ。しかし人員が少ないため、輸送船は米軍をゴムボートにのさせると駆逐艦によって処分させた。ゴムボートに乗った兵士は武器をすべて押収させられ、日本船に詰め込まれた。そのため喫水が深くなったがそんなのはどうでもいい。もう少しで沈むんじゃないかと思ったほどだ。敵側の兵士なので監視が必要となった。
「捕虜が邪魔だないっそのこと殺してしまおうか」と血の気の多い連中が言ったが、何事もなかった。
「しかしすごかったなあの輸送船の数」と俺が言うと「ああ、まあ数があっても沈んじゃあ意味がない。こっちは不沈艦だぞ」と竹浜が勝ち誇ったように言う。
艦橋じゃあどんな光景が広がってるのかが気になる。
3式弾をひっきりなしに輸送船にレイテ島に放つ。その度に土が噴き上げられる。米軍もボロボロに引き裂かれ肉片が空中を舞う。シャーマン戦車は砲塔を吹き飛ばされ、弾薬は誘爆をし兵器はスクラップとなった。レイテ湾ではいまだ抵抗する輸送船があったが浮かべる城に守られず、浮かべる城に攻撃されてる
のでは勝ち目がない。その輸送船は浮かべる廃墟となった。
「ジャップの砲弾が飛んでくるぞ。こっちの海軍は何してんだ」「ジャップの艦隊が海からよみがえってきたんだ。それでもって味方が腰抜かして
逃げ出したんだ」とレイテ島の米軍は口々に言った。しかしいくら悪口を叫んでも味方の砲弾が海に叫び日本艦隊を打ちのめすことはなかった。
やがて海岸は鉄屑の集合場所になり、陸地ではアメリカ軍の死骸とその死臭が鼻をついた。マッカーサーは火に焼かれ死亡した。残りの兵士もまともに武器など
もってない。島の日本兵に投降したが、怒り狂った日本兵に銃剣で刺し殺されることさえもあった。
やがて栗田艦隊もやってきた。猪口艦長はすでに砲撃を停止させていた。「輸送船を砲撃するとは非道なことをしてしまった」と言ったがこれはいささか
仕方がない。
「米軍の偵察機を発見」と偵察員が言った。「ここに長居は不要だ、すぐさま海域をさろう」と栗田艦長の言葉により俺たちは退却を始めた。
アメリカ軍は輸送船団が全滅に近い被害をこうむり、上陸させた10万以上の兵力が水の泡となったことを知った。しかし時速10ノットにも満たないタンカーなどを
連れて高速で移動するのは不可能だ。
仕方がなく栗田艦長はその輸送船に合わせて動き出した。武蔵は不安そうに進みだした。
やがてレイテ島から離れたとき、ついに米軍機が襲来してきた。その数は100機だ。米軍はは怒り狂っていた。それをあらわすかのように突っ込んできた。
主砲弾はもう少ない。対空砲の弾数も満足とはいえないが、そんな場合ではない。
この攻撃では被害は受けなかったが、このままでは全滅さえしかねない。ここで栗田艦長が下した判断は「武蔵は当海域に残り、敵機を引きつけよ」との
ことだった。ようするに生贄だ。
猪口艦長以下武蔵の乗員は驚愕したがこれを皆認めた。武蔵の最後の時へのカウントダウンが始まった。栗田艦長率いる艦隊は見えなくなった。
レイテ島より航空隊が発進した。ハルゼーの航空隊から日本艦隊を守るためだ。また、リンガ泊地からも零戦43型の各種あわせて36機ばかりが舞い上がった。
そして退却し始めていた小沢機動部隊からも優秀なパイロットのみ零戦に燃料を満載し発進させた。かくしてここに1大航空戦が行われた。
夏の日差しが照る中、先に栗田艦隊に着いたのは零戦部隊だった。43型が上空を旋回している。烈風は航続距離が短いのがなんともいえない。
そしてF6F/F4UとSB2C艦上爆撃機が襲い掛かったのだ。迎撃を始めた零戦部隊だが、烈風と違い被弾に弱い。烈風の開発が早ければ小沢艦隊が敵機動部隊の
航空兵力を大規模に減らせたであろう。
武蔵に再び話を戻すが、いっそのこと空母に向かっていこうという話になった。そこで敵機が襲撃してきた。艦上爆撃機がそそくさに爆弾を落としてくる。
「左舷に至近弾です。わずかながらゆがみが発生」そして遂に、甲板装甲にも爆弾が命中し始めた。その中でひたすら弾薬を配るのだ。
ここの所ずっとこの作業だ。主砲・副砲は弾薬がもうないのに等しく、機銃弾、高角砲などももう少ない。そのとき船が大きくぐら付いた。
「後部に至近弾。主陀が損傷により動きません。10度以上の回避行動は無理です」
零戦43型の迎撃によりアメリカ軍は戦闘機損失が42機、艦上爆撃機8機(対空砲火も含める)の損失をだし、引いていった。ことらは8機が撃墜/タンカーが
1隻爆沈/駆逐艦1隻が沈み、その他にも多数の損傷が出たが、さしたる損害ではない。むしろ50機撃墜とはたいした戦果だ。実はこの内20人以上がが実に
エースパイロットだ。
そしてそれ以来攻撃はなくなった。武蔵に攻撃が集中したのだ。
回避行動がほぼ不可能となり対空砲も米軍機により破壊されていく。やがて雷撃機が襲来してきた。4式弾はもう無い。
白い泡を吐いて武蔵に魚雷が1本2本と突き刺さった。もともと破れていたところに鉄板を貼り付けただけだ、もうグチャグチャだ。米軍捕虜は武蔵から他の艦に
移していたのを知っているかのように平気で攻撃してくる。
アメリカ航空隊は大損害をおっていたが、質量を誇る米軍にはたいしたことは無い。
レイテ島の航空隊は栗田艦隊の護衛を終了した後、武蔵を探そうとしたが、燃料の問題ともう暗くなりかけていたので諦めた。
武蔵の甲板上は赤い血で覆われて対空砲はほぼ火を噴いていなかった。俺は皆がこんなに死んでるのに生きてるのが不思議だった。目の前には数時間前まで
生きていた、兵士の屍が横たわっていた。いたるところで火災が起きてる。船が傾斜している。
時刻は一八〇〇 魚雷がすでに20本が命中していた。爆弾は…もう分からない。
タタタタタ…対空砲の音がかすかに聞こえる。いや敵のかもしれない。そして水柱が左舷に立った。武蔵は20度も傾斜した。「総員退艦だ」艦長がいった。
「皆ご苦労だったな」と艦橋の兵士に敬礼をするなり、部屋に入り鍵を内側から閉めた。
一八三〇 俺は力なく武蔵から滑り落ちた。武蔵はもう40度傾斜していた。艦橋があんなに低く見える。竹浜と弾薬運びをしていたので一緒に滑り落ちた。
近くにあった木片にしがみついた。「…まさか武蔵が沈むとわな」と竹浜が遠くでしゃべっているように聞こえた。
しがみついた木片は小さく上下している。鼻までつかり、口が出るほどまで浮きそして鼻までつかるという動きが繰り返し行われた。
一八四〇 武蔵はスクリューが全て水面から出てきた。そしていく分が経ち武蔵は赤い火を吐き出し爆発した。それは腹に響く音だった。眠い…
重油は眠気を誘う。近くで歌が聞こえた。恐らく寝ないために歌っているのだろう。俺はフンドシで自身の体を木片に縛ると一緒に歌たった。
「なあ只一」と竹浜が言った。「このままじゃお前も死ゴハッ」と途中で水を飲み咳き込んだ。「今みたいに水を飲んで死ぬぞ」何が言いたいのか俺にはわかった。「おい早まるな。その内助けがくるはずだ」俺は上を向いていった。軽く笑って様な声で竹浜は「俺たちは見捨てられたんだ。そりゃその内
くるだろうが、そのときはもう俺たちは沈んでるよ」と言った。「じゃあな」と竹浜が言った。「おい…」その時木片がグッと浮いた。視界から竹浜が消えた。
武蔵の火で波の割れ目に手が見えた。それが俺が見た竹浜の最後だった。その日から竹浜を見たやつはいない。歌は続き海ゆかばが海に流れた。
海行かば 水漬く屍
山行かば 草生す屍
大君の 辺にこそ死なめ
長閑には死なじ
俺たちはやがて駆逐艦より救出された。
1945年1月8日 「臨時にニュースをお伝えします。臨時ニュースをお伝えします」
大本営の発表によりこの日、日本は米英軍と一時停戦し、ドイツ軍との同盟を破棄した。
戦前の領土にし、軍備を大幅に縮小し捕虜を全て解放し中国より兵士を全て撤収し満州北部を破棄。これにより一応太平洋戦争は終結した。
米軍の機動部隊は陸軍が開発したロケット攻撃機でそれなりの損害を受け、新鋭戦闘機 烈風21型(航続距離を増やした)またロケット戦闘機秋水が迫りくるb-29以下の爆撃機などを2ヶ月で1000機を撃墜された。またレイテ沖で消えた輸送船が1番の痛手だった。あれが全部ではないが、それを操縦する兵士の損失がきつく、レイテ島攻略の頓挫、マッカーサーの死亡による国民の戦争反対運動などが米軍の戦争継続を邪魔した。
日本海軍は対空砲を大量に装備させた。もちろん米軍から得たものだ。艦隊行動が半年可能なほどの燃料も得たし、レイテ島の防衛成功しマレーからの物資輸送が可能だったからだ。俺は大和の弾薬補給員として働いた。
最後の出撃が第2次レイテ沖海戦だった。
空母「瑞鶴」 軽空母「瑞鳳」新鋭空母「信濃」「千代田」(ちなみに実史では信濃は何もせず沈没) 艦載機 戦闘機 烈風120機 零戦43型 12機 零戦の量産をやめ烈風に力を注いだ結果この機数を得られた)
戦艦「大和」「長門」「榛名」 (金剛はレイテ沖海戦から戻るとき雷撃により大破)
重巡洋艦 摩耶 鳥海 高雄
軽巡洋艦 矢矧
駆逐艦(省略) 10隻
巡洋艦が少ないが水上打撃が重要な任務だった。
対して米軍が空母5隻(空母ホーネット ワスプ ハンコック 軽空母カウペンス モンテレー)
戦艦3隻(ワシントン マサチューセッツ アラバマ)
巡洋艦以下 20隻
これは米軍がレイテ島を大爆撃しようとしたの防ごうとして行われた海戦だ
日本空母部隊は烈風でアメリカ機を壊滅させた。攻撃機を載せず全て戦闘機にしたのがよかった。
その後砲戦で戦艦2隻撃沈 1隻大破 空母ワスプを皮切りにハンコックが巡洋艦/駆逐艦に襲われ沈められた。
こちらは長門は艦橋に直撃を受け、艦長が死亡するが無事戻った。また駆逐艦が多数損傷
ここで米軍に停戦の話を打ち出した。
その後会議で日本はまだ戦うべきとの声が聞こえたが、天皇が望まず、植民地の解放、石油などの貿易再開などの条件があったため戦争を終結させた。
俺はその後は教師となった。正しき教育の必要性を感じたのだ。幸い年齢がそこまでいってなかった。
竹浜…彼を含めこの対戦で犠牲になった兵士のおかげで今の平和な世の中があるのだ。俺をそう信じている。
空は青々とし、明るく光っていた。
えーとこれで不沈戦艦武蔵沈み行く戦友は終わります。
いままでご愛読して下された皆様ありがとうございます。
次回からはまた新しい話を書こうと思っています。
それでは皆さん。お元気で!