レイテ湾突入成功
西村艦隊は西村艦長死亡のため、武蔵の猪口艦長が指揮を取ることとなった。
西村改め猪口艦隊と追随してきていた志摩艦隊がレイテ湾へと進んでいった。しかしその前に何故、夜が明けたのに敵機は来なかったのか?
時計の針を戻す…小沢艦隊。
ハルゼーは航空機こそが現在の戦いの主流であることを信じていた。しかし今回の日本艦隊には戦闘機がついていないという。が…数分後に偵察機が遂に発見した。そう小沢艦隊を。
25日〇七一二 「上空に偵察機を発見!」見張り員が上空の第38任務部隊の偵察機を発見した。すると小沢は、錬度不十分なため戦力とならない艦載機を直衛用の戦闘機18機+新鋭戦闘機を除き残存機を陸上へ退避させ(爆装零戦5機、彗星1機、天山4機)、さらに囮任務を果たすため北上した。
小沢艦隊は、空母「瑞鶴」、軽空母「瑞鳳」、戦艦「伊勢」、軽巡洋艦「大淀」、駆逐艦4隻の第1群と、軽空母「千歳」、軽空母「千代田」、戦艦「日向」、軽巡洋艦「多摩」、軽巡洋艦「五十鈴」、駆逐艦4隻からなる第2群に分かれていた
〇八一五 この時第1次攻撃隊180機が小沢艦隊に来襲した。護衛戦闘機が飛び立った。この戦闘機は艦上戦闘機烈風だった。
ちなみにこれ異常に航続距離が短い。30分くらいで燃料が切れてしまう。局地型戦闘機のようなものだった。今回の小沢艦隊は囮のため、攻撃よりも防御が優先された。なにしろ載せる戦闘機が少なくても、空母4隻をむざむざ捨てるわけにはいかないからだ。この烈風は出撃前に完成したのがわずか12機だった。
発動機「誉」2200馬力 最大速度623キロ 巡航速度234キロ
武装 20ミリ機銃×6 大きさ自体は零戦を一回り大きくしたような感じである。ちなみに防弾は
後部に8ミリの防弾装甲を設けて、風防も射程距離100メートルなら7,7ミリ機銃を耐えれるようになっている。また防弾燃料タンクである。さらに翼とコックピットに集中的な防弾を施していた。そのため素人が乗っていてもやすやすと撃墜できない。おまけに自動空戦フラップを使用しているため格闘戦も零戦に引けをとらない。そしてパイロットは空母フランクリン撃沈の援護をしたエースであり、烈風の操縦を身に着けていた。
戦闘機には見向きもせずアベンチャーなどに向かっていった。この20ミリ機銃は装弾数が200発と多いだけでなく、弾道性能も向上させてある。このため滞空時間が短くなってしまった。アベンチャーはもちろんアメリカの機体は乱暴に扱っても壊れない信頼性の高い防弾をもっているが、20ミリ機銃の前では無力だった。もちろん栗丘がいた。栗丘に烈風を渡すのは鬼に金棒というのがふさわしい。
20ミリ機銃は2発でも当たれば戦車のような防弾をしない限り吹っ飛ぶ。グラマンに攻撃されたら降下して離脱したり、良好な運動性で交わした。しかし多勢に無勢。烈風は撃墜こそされなかったが、空母千歳と駆逐艦秋月が被爆沈没。軽巡洋艦多摩は4式弾の効果むなしく魚雷1本が命中、大破して速力18ノットにまで低下した。しかし180機に襲われながらこれですんだのは幸運といえよう。逆にアベンチャー雷撃機を25機撃墜確実8機不確実(米軍側では23機損失となっている。)
米軍は次に36機を繰り出してきた。これは烈風に蹴散らされた。
そのころ栗田艦隊はアメリカ軍第38任務部隊による妨害を受けずに、6時30分、索敵隊形の左翼先頭にいた矢矧が水平線上のマストを発見し、大和に通報した。ただし各艦戦闘詳報や艦橋勤務員の手記に記録なし。6時45-48分、大和が35km先にマストを確認した。それはサマール島沖で上陸部隊支援を行っていたクリフトン・スプレイグ少将指揮の第77任務部隊第4群第3集団の護衛空母群(コードネーム"タフィ3")であった。栗田艦隊はこれを正規空母6隻、すなわちアメリカ軍の主力機動部隊と誤認、6時57分攻撃を開始した。栗田は巡洋艦部隊である第五、七戦隊に突撃を命じ、水雷戦隊には後続を命じた。なお、第一戦隊(大和、長門)の戦闘指揮は栗田ではなく宇垣がとった。
20日の上陸以来、第77任務部隊の護衛空母群は計画通り支援任務に徹し、まともな敵の攻撃を受けてこなかったが、24日になると多数の日本軍機がレイテ湾に飛来してきた。また3つの日本艦隊が報告されており、25日は敵艦隊への攻撃で多忙を極めることは予想されていた。深夜には西村艦隊の接近が報じられたが、栗田艦隊の動静について音沙汰は無かった。6時半、第3集団の艦船は警戒を解除し、第3種警戒(通常配置)に移ってよいとの指示を受けた。栗田艦隊の発見は米側記録によるとその直後の6時41分の航空機によるものであり、数分後には総員戦闘配置が発令されている。やがて各艦のレーダースコープにも大艦隊が映し出された。第3集団の各艦は混乱しながらも、砲撃を回避しつつ待機していた搭載全機の発艦に成功した。なお、第3集団は初動の30分あまりで既に発艦していたものを合わせ100機弱の航空機を発艦させている。これら艦載機は栗田艦隊攻撃の後、主に米軍占領下のタクロバン飛行場に着陸、一部は反転避退する栗田艦隊を再攻撃に回った。宇垣の『戦藻録』には「30機あまり発進したと見え」とあり、都竹も同様の感想を抱いていた。都竹は戦後に記録を見て本当の機数を知り、驚いたと言う。
〇七一〇 水柱が高く立ち上る。大和の射撃により海が燃えていた。なんと大和は3式弾を使用していた。これは大火災を起こさせるのが狙いで、後は駆逐艦の雷撃で沈めればいいとされていたからだ。
そして遂に夾叉され続けていた護衛空母カリニン・ベイが、最初の直撃弾を受けた。一方、砲撃を受けていたスプレイグ少将は救援を求めたが、第3艦隊も第7艦隊の他の部隊もすぐに救援にいける状態ではなかった。ハルゼー大将は休養と補給中の第38任務部隊第1群を救援に向かわせ、自らは北方の小沢機動部隊へ攻撃を続けた。
そして火柱を上げた。3式弾は対空用の砲弾だったが、陸上への効果が非常に大きかった。では甲板はどうだったのだろうか?商船改造の空母では大火災が起こった。そして落伍していく。駆逐艦が必死で弾幕を張るしかしキトカン・ベイに狙いを定めた大和は初弾2発命中という神業を見せた。もうもうと燃え上がった。しかし煙のためやや見えにくくなったため砲弾を鉄鋼弾に変えようとしたとき「零式偵察機を使ってみますか」との案が出た。
〇七二五 零式偵察機から改造空母との連絡があった。栗田以下は愕然とした。いままで正規空母と思っていたのが実は商船空母だったのだ。しかし護衛だろうがなんだろうが空母だ。砲弾は鉄鋼弾では突き抜けてしまう可能性がある(装甲が皆無のため信管が作動しない)ため榴弾を使用した。
カリニン・ベイとキトカン・ベイは10分後に沈められた。そして長門の射撃も正確さを増してきた。
カダシャン・ベイと マニラ・ベイに至近弾が多数。しかし米駆逐艦の雷撃はすさまじく進路は妨害されまくりだった。危なく矢矧などは命中すると
ころを4式弾の使用で交わした。
〇七五〇 カリニン・ベイとキトカン・ベイは遂に撃沈され、矢矧も水雷戦隊を率いてオマニー・ベイをはじめとし、駆逐艦2隻を沈めた。が、ここで大和からの集合命令だ。実は。鳥海は爆弾が1発命中し航行不能となり、筑摩も魚雷が1本命中して舵を損傷、航行不能に陥った。熊野は駆逐艦ジョンストンの雷撃により落伍していたのだ。「もう少し時間をくれれば全部沈めれていたのにな」と言った。
一〇〇〇 レイテ湾に猪口艦隊・志摩艦隊の突入が成功したとの電信が来た。栗田はこれを読み空母の再度攻撃を図った。またオルデンドルフが全滅したのをしった:トーマス・L・スプレイグ少将は完全に我を失い発狂しそうになった。その時再び飛んできた零式偵察機に発見された。最もその時栗田艦隊は再度発見をしていた。16隻の護衛空母はいまや11隻になっていた。又矢矧に撃沈されたのも含め駆逐艦は21隻中8隻が沈められていたのだ。大和の砲弾が突如飛んできた。距離は30キロだった。レーダーできずいていたが艦長に報告しようにも完璧に錯乱状態だったため耳に入らなかった。艦長は我を戻し外を見た。その10秒後金剛の実戦初のレーダー射撃により艦橋は破壊され死亡した。
結果的にハルゼーは2回目以降の連絡が来なかったため小沢艦隊を追い続けていた。もはや射撃や雷撃に追われ動いていた護衛空母部隊は絶望していた。
一〇五五 最後の護衛空母が沈み、駆逐艦がぼろぼろになったとき猪口艦隊と志摩艦隊がきて駆逐艦隊は降伏した。そして水雷戦隊の雷撃に沈められたいた。あ、そうそう小沢艦隊から作戦成功との伝聞も幾分か前きていた。
小沢艦隊 レイテ湾への突入を開始するとの電信を13時に受け取った小沢艦隊は引き返すときに180機の攻撃機に襲われた。烈風は3機が撃墜された。13時過ぎ、ミッチャー中将に指揮が移った2個群から発進した第3次攻撃隊約200機が来襲、空母瑞鳳が被爆したが、最大速力で戦場を離脱し始めた。
ハルゼーはレイテ湾へ本腰を入れようとしたときすでにレイテ湾の輸送船団への攻撃は始まっていた。
皆さん愛読感謝です。次号が恐らく最終話になります。