陸海軍新兵器作成その一
陸軍は空襲対策として新兵器を作成した。そして海軍の艦艇の主砲にも目をつけた。
7月8日「我々陸軍将兵一同は敵アメリカ軍を恨まずして日本海軍を永遠に恨みつつ玉砕する」これはサイパン島の斉藤中将が打電したものだ。これを受信したのはなんと海軍で、そこから陸軍側に取り次がれたわけだ。「海軍は何をやっているんだ」との声が上層部の方から聞こえた。
そのころ日本軍が玉砕した後は住民が崖から飛び降りる光景を米軍は驚きながら「アメリカグンハギャクタイナドハ ゼッタイシナイ」「シンンジテ デテキテクダサイ」と呼びかけていた。下士官クラスの人間が教えていたのだが、なまりがひどいところは「ハレハレハ ギャクタイナゾ シバセン
シンジデ デイテコゥイ」みたいなことを言ってるところもあった。しかしそんなものは住民の耳に入らず、ほとんどが自殺したのであった。
さてサイパン島に米軍が上陸したころの九州地方では中国基地から出撃したB-29から空襲を受け、対空砲の強化が必要とされた。ここで陸軍は長砲身口径の機銃の開発に取り組んだ。
そして新しく考案されたのが92砲身口径30ミリ機銃。ここまで長いと化け物のようである。射撃可能距離は3千メートルを軽く上回るとの事だった。そして8月3日 仮設4式90砲身30ミリ機銃が作成された。いったいどうしたらこんなに早く開発が進むのか?日本人が器用でなければこんな事は出来なかっただろう。そして530発/分 有効射程距離 約3600メートルであった。これは正式に4式長砲身対空気銃。これをチハ97式戦車に乗せて動かすことは出来ないだろうかと陸軍は考えた。しかしこれはコストが高すぎるため中止になった。
また陸軍は海軍の主砲にも目をつけていた。そして海軍に依頼して作った8メートル近くに及ぶに50口径砲身155ミリ方が完成した。重量が重く手動で装填が出来ず、自動化しなくてはならないが、最大俯角55度で1万2000メートルの射程距離をだすにいたった。弾は3式弾を使用することになった。陸海軍は中は悪いもののお互いのいいところをまねしあっていたのも事実である。
そのころ大和 と武蔵はリンガ泊地より就航した。正直なんでこんな事をしなくてはならないのかと思っていた。俺、只一はうんざりしながら武蔵にのっていた。なんと俺達は石油などを運んでいるのだ。輸送船が米軍の潜水艦によって沈められると国内はなにかと原料不足になるのだ。そのため代用艦として石油ぐらいの戦艦が何故しなくてはならないのだろう。その装甲が今回の決め手だった。魚雷の1回程度ではビクトもしない、その装甲が。
ちなみに先ほど大和が雷撃を受け何とかかわして1隻を撃沈したところである。あ、そうそう武蔵は石油を運んでいるが、大和は鉄材を運んでいるらしい。
そのころ海軍は陸軍の長砲身対空機銃を駆逐艦に装備させてはどうだと考えていた。また新作の2000馬力級エンジンを作成し、艦上戦闘機も考案していた。
その艦上戦闘機は"烈風"とつけられそうだ。