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不沈戦艦武蔵 沈み行く戦友  作者: 賀来麻奥
The end of Would
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海の砲声鳴り止まず

 最後の最後で疾風作戦については省略させてもらいました。

  11月10日 この日疾風1号作戦と称する作戦が立案された。この頃になると国内物資は不足し尽くしており正規軍はともかく一般市民はまともな食事にありつくことなどできなかった。

 約2ヶ月前の呉奇襲事件でアメリカ側に多量の被害を与えた日本側であったがとにかく物資が不足していた。

 そのような状況下の中日本が立案した作成はもてる海上兵力・航空兵力を最大に活かしマリアナ諸島周辺の敵主力部隊を撃滅するという輪郭さえはっきりしない漠然とした作戦であった。確かにそのマリアナ諸島周辺の主戦力部隊とやらを撃滅できれば日本本土に迫るアメリカの驚異を大幅に取り除くこともできよう。そしてこの作戦に参加する機体が下記のとおりである。

 

 戦闘機:零戦43型20機,烈風11型(現在のもの)60機,紫電改100機

 攻撃機:流星40機,銀河40機        

 搭乗員:必要搭乗員380名及び補充員として20名

 燃料量:本土航空用残燃料全体の2%を要する 

 

 この内新たに編入された流星はコードB7Aとして開発されていた機体で、艦上爆撃機でありながら2人乗りだった。通常は操縦員と爆撃・雷撃手と偵察兼後部機銃手の3人乗りである。しかしこれは2人乗りである。操縦員と爆(雷)撃手兼偵察であり後部機銃が無いのである。これは物資不足の影響もあるが新たな取り組みに着手したものである。

 みなさんご存知のとおり後部機銃はまず後方から接近してくる航空機などには当たらない。まぐれであたって撃墜ができる者などそうそういるものではない。だったら廃止して速度や防御に回したほうが良いのではないかという案が出た。そのためだろう烈風では翼内機銃でさえ右側に13mmが1挺あるだけなのだ。これにより当初の計画よりも70キロもの減量に成功していた。 流星は後部機銃破棄のため戦闘時の搭乗員が3人から2人に減り3桁の減量に成功していることになる。ただこの計画練り直しがあったため当初より4ヶ月完成が遅れたという。搭載エンジンは烈風と同じ誉エンジンで2000馬力級であった。

 防弾設備も各所に施されており速力は高度6000mで570キロmと戦闘機並みの速力を出すことが可能であった。


 海上兵力は4ヶ月訓練を続けていたリンガ泊地に停泊している艦隊を使用するらしい。本土にも戦艦長門と能代などがいるがこれを南方にまで送る燃料は無かった。

 

 学校の教育は通常の学習から空襲から身を守る方法を始めとし中には毒ガスの中を走る訓練等が実行されていた。

 「日本は神に守られており絶対に敗北することはないのだ」などという決まり文句のような精神論に偏ったことを言い放つなり毒ガスが漂う空間を生徒たちは走らされた。走るという行為自体はなんともないが毒ガスの効果により生徒はやがて苦しみ始めた。口や鼻にワタを詰められたように息が思うようにできず、目は赤くなり息苦しさも手伝い涙が止めどなく流れ始めた。30分耐えれば楽になるなどと教員は言うが30分も息苦しさを抱え込むのは重犯罪者に対する拷問のようなものである。


 サイパン、グアム、テニアン、ペリリュー、アンガウルなどの島にはアメリカ陸軍総勢8万と海兵隊2万が居座っている。それもただ銃を持って満足して椅子にのうのうと座ってたまに射撃訓練をして、毎日午後からはテニスや野球で遊んでいる訳でない。 彼らは敵が上陸してきそうな地点には有刺鉄線や土嚢を何重にも張り巡らし深々と堀を作っており近くには105ミリ砲が海原に顔を突き出している。おまけに飛行場には幾百の戦闘機や爆撃機、はたまた超空の要塞B-29さえもそこにはある。これでは1個連隊が上陸用舟艇で攻め込んできてもまともな抵抗もできず島に着く前にほとんどの兵士が海中に投げ込まれ、残りの者も浜で波と日光と銃弾の雨にうたれ亡きものとなるだろう。

 星条旗をかざしている駆逐艦がたくましく海上を航行している。 


 11月15日

「おいレーダーに変なのがうつってるぞ」1人がレーダー上に点滅しながら近づいてくるものを発見した。

「ジャップかもしれんなぁ・・・。おいグループ2に迎撃の要請を出せ」その場にいたもう1人の男の応答に

「了解、ジャップも暇そうだ」と彼は面倒くさそうに答えた。

 サイパン島の陸軍は今も訓練が行われている中ここの見張り室の兵員はやる気がないかのようである。だがそれは空軍も同じだった。面倒そうに報告を受けた航空隊は数分で面倒そうに愛機に乗り込み面倒そうに離陸し、面倒そうに編隊を組んで指示された場所に飛んでいった。しかし数分間で発進から編成を組む事までできるので技量はそれなりにある事は確かである。

 日本側の偵察目的でわざわざフィリピンからマリアナ諸島まで侵入してきた彩雲であった。零戦43型の優先順位案の定踏み倒されてフィリピンに僅か7機しかない機体であり整備問題や先の戦闘で4機が破損し、飛べるのは2機だけという有様であった。本土には100機程度あるがフィリピンにわざわざ偵察機を送る余裕はない。有効活用ではなく徹底的に活用せよという状態である。その3機中の1機が飛来し現在レーダーに補足された訳である。


 


 「で?あれはなんなんだい」双眼鏡を覗き込んでいた海兵がそう言った。双眼鏡に覗き込んだ双眸の視界にはたしかにゴマ粒のようなものが写りこんでいた。それもだんだん肥大してきた。見ることに気を配っていたせいで隣の同期兵が「俺にも見せてくれという」言葉が聞こえなかった。よほど見たかったのかその海兵は双眼鏡をワシ掴みにして奪い取り目に当ててみた。すると機体らしきものがあった。「ミートボール!!」朝食の話では無く翼に描かれているマークを言っているのだ。それを確認した時だった、突如獣のような唸り声を上げるとその機体は2人が乗った駆逐艦の上をまたいで飛び去っていった。

「さっさと報告だぁ」艦橋付近にいただれかがそう言った。てっきりみな味方機だと思い込んでいたようだ。「レーダーに映らない低空飛行とは相変わらず卑劣なやつらだ」と警戒態勢に入った甲板で2人はそう言った。



 

 「囮役は大変だな・・・ほら見ろ全部で10機くらいも来たぞ」囮役に抜擢されていた彩雲の搭乗員の視界には明らかな殺意を持った機体が約10機自分に襲いかかってくるのを確認した。眠りそうなほど静かだったエンジンが急にけたたましい爆音を発すると機体はグルリと機首を曲げ最高速度でその空域より脱出をはかった。



 「村井・本田・酒井の彩雲は脱出出来たと思うか?」駆逐艦の上空をすり抜けもうすぐ敵が来るだろうと察知しているこの搭乗員らは人の心配をしていた。「敵さんのことだ100倍返するだろうから100機くらい飛ばしたろうさ」位置関係的に1人寂しい後部機銃員が「そりゃ同士討ちになって全滅するだろうさ」と言うと少しの笑いとともに「さあピクニックは終了だ」と聞こえた。すると一斉にサイパン島から歓迎の対空砲火が狂ったように打ち上げられた。

「地上なんて見えやしねーよ」四方八方が黒煙に覆われときたまオレンジ色の閃光が見えるだけで島の様子は見えず彩雲はただグワングワンとやや激しく上下に揺れていた。

「退散だァ」の声がかかる前に彩雲は脱出を開始した。そのとき洋上で航空母艦や巡洋艦を確認した


 

 

 11月16日

 フィリピンのとある場所に2機の彩雲と所々に穴があいた黒い彩雲があった。整備兵はその彩雲の黒い汚れをこすりおとしていた。


 11月17日

 「サイパンはもはや要塞化されているという事だな」不服そうに豊田大将が腕を組んで椅子に座っているのを見ながら「はいフィリピンからの報告と諜報部や巡航潜水艦などの報告から推測すると間違いなく敵はあの爆撃機をサイパンにも配備するでしょう」と召集された航空参謀は答えた。


 さらに偵察機は空母郡も見たと言っているから比島戦の残りと同等以上の戦力があるという事だろう。


 11月20日

 日は決して高くない。もう少ししたらすぐに宵が近づくであろう。その中新戦力の流星爆擊機は優雅に上空を飛来していた。そして日が真っ赤に燃え始め空がオレンジ色に染まった。夕方だ。


 赤オレンジの空で機体は一度だけエンジンを全開にして飛ぶと搭乗員も気が済んだのか速度を落とすとゆっくりと陸地に前輪と後輪をつけて着陸した。ずるずると少しの間走行した後動きが止まった。整備兵などが駆け寄る中にっこりとした搭乗員が中から降りてきた。

「何度も乗りますがいい機体ですね」と良い機体を後にした。


 

 11月23日

 最終決戦を挑むべく日本は航空機と海上兵力をすべて上手く使おうと決心し、図演を何度も何度も行った。気が遠くなるような作業だった。何枚もの地図を使用してコマを何百と使っていた。審判といい図演を行っている者が頭を抱え込むのではないだろうかという多大な時間をかけて行った。

 図演の結果はどっちつかずで運がいい時と悪い時で日本が勝ったり負けたりという結果だった。



 12月1日 

 この日が作戦開始日だった。5日前から航空隊は何隊にも別れ硫黄島などを経由してフィリピンやリンガ泊地へと向かった。断固たる決意を持って。戦艦大和をはじめとする戦艦群や航空母艦や巡洋艦、駆逐艦が士気を上げながら戦闘を開始する所存だった。




 


 

 1945年2月日本はアメリカとの会談の結果講和への道を取った。

「お互いここまでする必要性があったのか」と。




 

「━━━━そうか航空隊は全滅したか。それで戦果は?」

「敵の爆撃隊の攻撃で大和が大破か。他の艦艇も・・・8隻が中大破?そうか」

「そうか!作戦は成功したか!」




 

 1944年の12月から1月までかけて行われた疾風一号・二号・三号作戦は敵軍二万もの多大な死傷者と膨大な資材の破壊により終結した。




 そして無意味な戦闘は終了したはずだった。



 1963年7月

 もし本当に終結したならば俺は今こんなところにいるはずがない。只一はそう思いながら人間の理解し合えない心を悲しんだ。

 

 もちろんこう思っているのは俺だけではないだろうと思いつつ。正直俺はただ国防といって人類が滅亡へと向かっているのをただ助けているだけなのだろう。


 

 結局あの戦争を終えても砲声は鳴り止まないままじゃないか。どっちも自分が正しいと思ってる。俺が言える立場じゃないが。


 直後遠くの方から雷のような爆音が鳴り響いた。只一はそれが何を意味するか分かった。


「何やってんのかな俺達」その後砲声は数を増やしただただ無造作に咆吼した。

 1年半を超える連載になりました。まあ最初の2ヶ月は少し違う作品をやっていたわけですが。

 


 長々と語るのはもういいですね。ありがとうございました。

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