天地炎上、白夜の呉
100話ですね。今まで本当にありがとうございます。
今回で・・・最終回になりませんでしたので引き続きよろしくお願いいたします。
8月25日「国力の現状」が御前会議に提出要書類として用意されたのは「世界情勢判断」がまとめられていたのと同時であった。
戦争指導大綱を新たに決定しなくてはならない。陸軍側の意見としては満州に置いてある師団をいくつか引き抜き来るべき決戦に備えるというものであった。この時期には国内では物資が不足していた。石油をはじめとするゴムやボーキサイト、鉄鋼そして食料などだ。フィリピンの戦いで勝利を収めたために空襲は今現在行われていない。たまに偵察として来たB-29が国民に不安を煽らせるためのビラをばら撒いていたが憲兵隊が回収してまわり国民も空襲がやみ大本営の発表を聞き軍をある程度信用していた。
御前会議に主席したのは東郷外相、米内海相、梅津総長、豊田貞次郎軍需相、陸軍省務軍務長の吉積正雄、さらに内閣書記や海軍省軍務長などが集まっていた。また豊田副武軍令部総長が出席していた。
大きく分けて二つの意見の対立がそこにあった。単刀直入に言えば抗戦か講和である。抗戦派はフィリピンの戦いで米軍に多大な損害を与えたのを機にもう一打撃受けさせて優位な立場となった上で講話するべきだというわけだ。しかしながらその一打撃を与える力があるかどうかという意見と米国の工業力から考えるとそれは難しいというのが即刻和平会談を連合国と行うべきという講和派の言い分である。
確かにここでサイパン島やグアム島でも奪還できようものなら優位な立場で講和もできよう。しかしながら100や200名の兵士を減らしたくらいでは米軍は「もう駄目だ」とは言わない。その部隊の兵士が気を落とす程度である。
肉を切らせて骨を断つ━━━━。それほどの覚悟がなければ今の現状を打ち破るのは無理であった。それどころか自らの骨を断たせても連合国の脅威を取り払わなくてはならない。一億火の玉となって米英軍を蹴散らさねばならない。それが抗戦派の意気込みである。
そして関東軍にとある指示をしたのもこの日であった。
8月28日 米軍は次第に近づく作戦決行日が近づいてくるのを複雑な気持ちで過ごしていた。複雑というより殆どは不安であるに違いはないだろう。しかし戦闘機パイロットは模擬戦しかしていないため早く実践で使ってみたかたろうに違いない、最新鋭機の戦闘機を。ここで一旦ソ連で停泊した。
8月31日 正午より米艦隊はソ連の湾より出港して、そのまま日本海へと進む航路へと移った。
25日に命令がくだされていた関東軍の斥候隊は中国内地に侵入し遂に重慶にまで足を運んだ。
9月1日深夜 「方位23度方向からスクリュー音・・・隻数は中型の船が10隻・・・いや20隻以上」「距離はわかるか?」「1万1000mかと思われます」「とにかく本部へ報告だ」その命令から20秒後に舵をきらせて攻撃態勢に移った。
休養している兵士が多数いる中で爆発音が轟いた。
「うわぁっ何事だ!」たった今起きましたと紹介するかのように寝起きの声で騒いだ兵士が載っていた船に魚雷は直撃していた。ドタドタと兵士が群れとなり慌てて船内を駆け回った。それと連動するように駆逐艦が当たりを驀進して爆雷を落下した。海面に波紋を残し沈んでいったかのように見える爆雷は幾分か遅れて先ほどの魚雷にも負けぬような音を出して水面を盛り上がらせたが・・・手応えはない。
魚雷を受けたカサブランカ級空母は爆発とランプの点滅により異様な色を上げ新聞が読めるほど明るく甲板場を照らした。メラメラと燃えるそれは紙製のものかのように勢いよく燃え上がっている。時に連鎖的に起こる爆発音と共に鋼色の破片が炎に包まれながら天高く放り出され再び船内に舞い戻る。鋭い破片は兵員を切り裂き血糊を艦内に塗り染めた。阿鼻叫喚の喚き声が響くのも遂に爆発音と共に消えた。
「何してるっさっさと逃げんか」壁にもたれかかりぐったりしている兵士を士官が罵倒した。しかしそれでも兵士は呆然と立ち尽くしていた。堪忍袋をの緒が切れた士官は肩を鷲掴みにし揺さぶった・・・そして気づいた。
「狂ってやがる」士官は呪文のようにそれを何度も唱えながら艦内から脱出用のボートで海へ出た。兵士は背中に傷はなかったが腹部などはボロ雑巾のように裂けて腸がダラリとたれていた。
紅の炎の中伊400型潜水艦は遠くで聞こえる爆雷の音を聞きながら逃亡した。潜望鏡を上げればソナーに捉えられたちまち爆雷や40ミリ速射砲の嵐を受けていただろう。
しかし伊400型潜水艦が日本に帰ることはなかった。かれらは数日かけて長崎の佐世保に帰港する間際であったが湾口に仕掛けられていた機雷に気付かなかった。偵察に来ていた米軍機はとんでもないものを落としていったという事を日本軍は戦後の文章でようやく知ることができた。
話は9月1日の深夜に戻る。報告を受け取った海軍は慌てて漁船改造型巡視船を派遣することを決定し日本海側の航空隊に警戒態勢をとらせた。
「恐らく長崎の佐世保かと思われます」海図が広々と広げられた作戦室に敵の艦隊を示す駒が置かれた。
「呉という可能性もあるな」そう言えばそうとも考えられる。内陸側とはいえ艦載機で十分往復できるばかりか暴れまわることもできる場所である。
だが少ししてB-29が九州地方の上空に姿を現した。これにより最大警戒区域は呉で無くなった。
9月2日 夕刻 日本の漁船改造船がアメリカ艦隊と接触した。すぐさま無理やり付けられた高性能アンテナから電波を発し本国に位置を伝えた。
「敵機が来るぞ!撃て撃て撃てっ」と1挺しかない機銃の前に立つ男に怒鳴りつけた。たかが1挺で何ができるのだろうかと本当は理解できているが今はこれにすがるしかない。速力9ノット、装甲版もない。ネットや網そしてモリくらいはあるが航空戦で使えるのは機銃だけだ。口径7,7ミリの・・・。
小柄なF8Fに機銃やロケットを一方的に船体に叩きつけて、攻撃を始めてからものの1分で船内を紅蓮地獄に変え轟沈させてしまった。いささかあっけないものである。米軍は乗員を捜索したが遂に見つからなかった。まあ捜索とはいったもの海面を漠然と見ていただけである。
捨て駒のような扱いをされて死亡した乗員の行動により敵の位置がつかめた。
「明日の早朝攻撃隊を出しましょう」豊田副武はそう決断をした。それから航空参謀を予備編成や作戦の内容などを決める会談を大急ぎで行った。
9月2日 もうすぐで3日となるという時に中国の日本軍部隊から重爆撃機が数十機も発信したという報告が届いた。もちろんこれは重慶にいたB-29の編成隊である。爆弾は二種類あり徹甲爆弾を積んでいる機体と天井を貫き紙や木が燃えやすい焼夷弾を搭載している編成隊がいた。前者は戦艦でもなければたちどころに破壊される。後者は日本住宅専用爆弾とでもいったところである。
時刻が一時となった本州の島根県に突如おびただしいブザー音と爆音が響き始めた。
「空襲だぁ」布団から飛び起きた村人が叫んだ。その声は連鎖的に周辺の家々に伝染していった。まるで昼間の賑やかさを取り戻したかのように騒然となった村の上空に村民をあざ笑うかのようにB-29の大編成隊と米空母から発艦したF8Fが付き添っていた。元々小さいF8FがB-29と共に飛行しているため余計に小さく見える。現在の敵の高度は6000mだった。高射砲が打ち込まれたが戦果は1機中破にとどまった。
海軍の零戦四三型や陸軍の三式戦闘機飛燕があわただしく迎撃に上がった。異常なほどの防御機銃と新鋭機F8Fの喜ばしくない歓迎を受けるはそれから少ししたことである。
〇一一五 慌ただしくなった島根県に呼応するかのように四国の松山の三四三航空隊でも少し騒がしくなり始めていた。また九州の方でも陸軍の大刀洗飛行場も警戒態勢に入った。
「呉だったか」と報告を受け取った豊田は不服そうに首を曲げた。しかし一番の原因は敵が攻撃をしてくる時間を読みきれなかったことである。
〇一二五 一部のB-29から焼夷弾が落とされ始めた。ヒューンと音を立てながら落下する無数の棒状の爆弾からさらに何本ものの爆弾が出てきた。これは親子焼夷弾といいこれにより一発の爆弾の威力を散布できるのである。何百本という焼夷弾が街に降り注ぐその音は言葉にできない恐怖が迫り来ることを示していた。
地上では瓦が割れた音ともに畳に爆弾が突き刺さるとそれは巨大な火を発して部屋の中を業火にさらした。それが何百軒に襲い掛かったためまたたくまに大混乱が起こった。それをさらに煽るように大火災が起こった。街は昼の明るさを超える閃光にさらされながら無数に立ち上る火柱や燃える大八車,逃げまとう人々、逃げれず黒焦げになった家畜や橋下の川に詰まっている人間をまざまざと映し出した。川には油が流れていた。それに火が引火し川の水よりも多い火が風のごとく流れた。その業火によって集っていた村民は息ができず死亡した。事実、火傷を負っていない死体がゴロゴロ転がっていた。地獄のような村の上空は砂埃や黒煙に覆われた。住宅を爆撃したB-29は帰投したが他の編成隊は広島の上空に姿を現した。
「鼻がもげそうだ。人が焼けると嫌な臭いがするぜ」まるで赤の他人がやったかの如く米兵はそんなセリフを吐き捨てた。
「編隊の高度を二〇〇〇mまでに下げろ」もうすぐ本当の爆撃ポイントがある。指揮官のルメイがこの場にいたら騒ぎ立てていただろう。サーチライトの束がB-29の編隊を捉えた。砲声が次々と轟いた。
「クソもうすぐだっていうのに」B-29の乗員は恐怖した。なにしろさきほどとは違い、高度が低いため105ミリなどでなく二桁台の高射砲でも届く位置である。近くで炸裂音が散発的に聞こえた。
「小癪なやつらだ」少し遅れて発艦した機動部隊とは別の編隊がいた。戦闘機15機とF4Uの後継機として開発された新鋭艦上戦闘爆撃機F7UコルセアⅡの8機である。
「ジャップのやつらめ、フィリピンの屈辱をここで晴らさせてもらうぜ」惨劇の場所となり焦土化し始めているこの県を抜ければ目当ての呉湾がある広島にたどり着く。
呉湾では騒ぎを聞きたていたため艦隊は湾外に出て航行していた。訓練がまだ足りないが防空駆逐艦もそこにいた。四国からは駆けつけてくる烈風40機が確認できた。
呉航空戦の初戦は夜戦であった。
〇一三五 呉でも航空隊がいたがフィリピン戦に引き抜かれて零戦43型とその他の機体が200機ほどあった。が、夜中飛べるパイロットや整備の問題もありこの夜飛べたのは僅か20機であった。343航空隊より先にゴールにたどり着いた米軍に日本機が襲いかかったが性能差があり同数のF8Fに追い回された。周辺からおびただしい対空砲火が吹き上がったがここでF7Uがピンポイントでお返しを行い沈黙させた。排気ガスと風に運ばれて来た爆撃の煙は漆黒の上空に浮かぶ月を隠しあらゆる物を溶かしつくすような熱を発する炎により照らされた。
「離れた場所の火災によって生じた照明がここまでくるとはな・・・」どこに退避すればいいか分からないため呆然と立ち尽くしていた一般の民間人がそう呟いた。惨劇の炎による照明は数十キロ離れた場所でも読書ができた。最もこんな状況下で読むのは般若心経などのお経であろう。
「アタックポイントだ!」そこに巨大なクレーンがありあきらかに湾岸設備と思われるものが立ち並ぶものがそこにあった。船舶が遠方に見える。
「船も基礎も何もかもジャップと一緒に消し飛ばしちまえ!」敵意どころか憎悪の塊を相手にするかのような言い分を言い放つ。
「第3中隊目標はデカイあの船舶だ」一部のF7Uは急速に速度を上げて船舶に向かっていった。狙いは軽巡洋艦である。確かに駆逐艦と比べれば幾分か大きい。発砲による閃光がF7Uの乗員の目に映った。
「無駄な攻撃だ」といったときその閃光により後方よりとあるシルエットがくっきりと写された。閃光を交えたオレンジ色の巨弾と共にオレンジ色の槍が無数に迫ってきた。F7Uの1番機は握りつぶされたようにして壊れ、炎をまとった照明弾となり海面に落下した。「来たかジャップめ!」上空で退屈そうに旋回していたF8Fベアキャットが日本機に襲いかかった。
「鼻をのばしきった奴らを烈風で叩き落せ」エース集団の三四三航空隊の烈風隊と米陸海軍混成飛行隊の空戦がここに開始された。
「瓦礫の山となっているようですよ。三四三航空隊も白夜のように光る呉で交戦中です」正確に言うと白夜とは天候現象で起こるものである。が、多様な光に包まれ薄白く光るそれは白夜ともいえた。
島根の空襲は混乱をつくっている。ここで呉が荒地に変われば、上手く抑えていた国民の厭戦気分は頂点に達する。
「海軍はだらし無いなど行って国民と一緒に陸軍まで攻撃してきたらどうする」と米内が神重徳に聞いた。「南方から戦艦帰らせて主砲を撃ち込むまでですよ」と神は返した。危ないことを言う男である。しかしこれで徹底抗戦派も静かになるだろう。士気の低下もそれを手伝うだろう。
望みもしない光により起こされて疲れきった国民が空を見上げた。無数の火線が交わっていた。ちょうど砂を掴み、投げ付け合うのが空で行われているようだった。
「ざまあみろ!うわっ」この声を発した呉の湾にならぶ兵舎を吹き飛ばして喜びの文句を言った瞬間に烈風の機銃が真上から降ってきた。いとも簡単にB-29は破壊されれ驚きの声を発して運命を機体と共にした。一部のパイロットは対重爆撃機使用として新式の40ミリ機銃を2挺装備した烈風で空を駆けていた。20ミリ4挺の装備から変更したその結果はわずか数発でB-29を撃墜させるものだった。
対重爆撃仕様の烈風はB-29を驚異のどん底に追い込んだ。攻撃方法は直情報攻撃だった。知っている方はいるだろうか。これは対向姿勢から機体を旋転させて背面降下をしつつ急降下体制から射撃するというものだった。照準を合わせやすく防御機銃に補足されにくかった。ただ攻撃時間が少ない。そのため1発辺り威力の大きい40ミリ機銃を使用したのである。低高度で編成を組んで飛行するB-29にこの攻撃は行いやすかった。なんせこの時B-29の速度は300キロ程度である。いくら最高速度が550キロを超えるとはいえ最高速度で編成が組めるものなど無いだろう。やっているならばそれは自殺行為である。
F7Uは速度がF4Uと変わるぬ上運動性能をいくらか向上させたものであった。しかし烈風と巴戦に入りによりあっけなく低空に追い込まれた。さらに攻撃能力はF4Fワイルドキャットと同じ12,7ミリ4挺だった。零戦43型と交戦していたF8Fは一応の勝利を収めるも弾薬を使い果たしていた。F8Fはお互い譲らぬ勝負をした。
船舶を攻撃したF7Uは結局6機だった。おまけに防空駆逐艦の弾幕攻撃に邪魔され全て至近弾か大外れであったためターゲットにされた軽巡洋艦は小破で済んだのだった。
この攻撃はF8F30機,F7U20機、B-29(呉湾爆撃した機体)38機でこなわれたが、呉湾は7%の被害で済んだ。しかし人的被害はおびただしいものであった。
一段落着いたと思うと後から来ていた攻撃隊がいた。これらは少数だったがターゲットが飛行場だというのがまずかった。この編成のF7Uは7機であっあたがF8Fも15機ついていた。燃料が抜かれていたが滑走路に機体が15機並べられていた。それらはことごとく破壊され尽くされ滑走路もボロボロにされてしまった。
夜の呉で行われた航空戦はこれで終わった。しかし早朝からも米軍の攻撃は続いた。
〇七三〇 瓦礫の街の上空で因縁の対決が行われた。
次回呉大航空戦最終話。