【ifエンド】龍を呑む、やがて呑まれて、君を
いいものを見せてあげる、と今日は言われていた。ルーノに手を引かれて、彼の寮の個室へと向かう。
ついこの前にも似たようなくだりがあって、その時は試作段階の魔法を見せてくれた。
目の前で実演してくれた。失敗したけれど。本人曰くあれは失敗ではあるけれど研究に大きな飛躍をもたらす大切なものらしい。必死に身振り手振りをしながら言い訳しているのもどこか可愛いと思ってしまえた。
部屋に入った途端ルーノは僕と手を離して、部屋の中を漁り始めた。汚いとまではいかないがかなりの生活感があふれるこの部屋は、住んでいる主の性格を色濃く反映しているように感じられる。いつきても、温かい。
ルーノは何やらお菓子の空き缶を取り出した。学校の下の街ですぐに買えるようなよくあるたくさんクッキーの入ったそれだ。
散策してそこら辺で拾ってきたものでも入っているのかと問いかけたが、それは半分正解で半分違うらしい。
缶の中は見た目のポップな雰囲気に似つかわしくなく、厳重に布やら綿やらが敷かれていた。ルーノがそれをそっとめくる。
「これはね、龍の牙だよ!」
えっへん、と得意そうに見せてくるルーノ。
瞬間、僕の血が凍りついた。
ずくん、と心臓が嫌なふうに跳ねる。止まらない。口の中に唾液がなみなみと溢れていく。
どうしてからわからないのに、どうしても…
目の前のそれを、食べたくて食べたくて仕方がない。
そこで気がつく。龍が、暴れ出していた。普段は気だるげにとぐろを巻いて僕の腹の底でじっとしているのに、なぜか急に暴れ出していた。
角が片方欠けた頭を振り回して、抜けた牙のある口を大きく開いて、のたうち回るかのように僕の体の中を余すことなく駆け巡っている。
あぁ、これは本当にこの龍の牙なのだと、気がつく。油断していた。僕はもうこうなってしまった龍の首根っこを掴む術を知らない。これまで龍に手加減されていたことを、知る。
腕が動いて、ゆっくりと指先がクッキー缶の方へと向かっていく。体の力は酷く抜けてしまっているのに、その手だけは動いていた。まるで別の生き物みたいに。手が、震えている。
がぶり、と龍に噛まれた。
どこかはわからない。けれど全身に嫌な汗が吹き出す。それで今噛まれたところは、僕の一番大切なところなのだと判断する。
一番大切で、僕が僕であるためになくてはならないもの。それを龍に鉤爪で鷲掴みにされてがつがつと毟られていく。
噛まれるごとに激痛が走り、全身が強張る。
僕は最後の意識の糸に縋り付く。抵抗する術は持ってない。龍の意志一つで、もう僕の命は消えてしまう。
なんで、どうして、と頭の中で色々な考えが混ざり合って溶け出して絡まっていく。それらはまるで、新しい僕の意識の糸を作り出そうとしているみたいに一生懸命だった。でも彼らの頑張りとは裏腹に、その糸の先端は一向に見えてこない。
あぁ詰んだな、と妙に諦めてしまえる自分がいた。
「リユ…?」
薄れゆく視界の中で、ルーノの僕を見つめる瞳と目があった。あぁ、悪くない。
あまりはっきりとは考えたことはなかったが、僕がもし死ぬ時君に看取ってもらえることができたのなら、きっと僕の人生はあらかたハッピーエンドと言える気がする。
その後のこの世界のことなんて、僕の預かり知らぬ所だから…
龍が指先でそうっと僕の糸をつまみ上げた。それは慈しむようで愛しむようで、その実冷え冷えとした愉悦に満ちていた。
そして鋭い爪を突き立てた。
刹那、ぶつり、と音がして、視界が、暗転した。
ー・ー・ー
「リユ…?」
おれ、ルーノは戸惑っていた。
リユがさっきから動かない。指先は震えているのに、中途半端に伸びた手は前進も後退もせず、リユはどこかに視点を合わせているのか合わせていないのか。瞬きが異常に早かった。
気分が優れないなら部屋に戻った方がいい、とおれは言いかけた。
突然、リユの体が跳ねた。
まるで、背中のへその裏あたりから背骨に何か思いっきり突き刺されたみたいに。
リユは目を見開いていて、力なく後ろへ倒れる首。ちらりと一瞬、部屋の明かりに紛れるように小さな涙の粒がりゆの目から離れた。
おれには見えていた。だから悟った。今、唇の端をつり上げてこちらに振り返ったリユは、おれの知るリユではないと言うことを。
リユは迷いない動作でクッキー缶の中の牙に手を伸ばした。そしてそれを毟り取るようにして掴むと、それを口元にあてがう。
やけにゆったりとして見えたのは、おれが瞬きを忘れていたからなのだろうか。ほんの少しだけの流し目も何もかも、おれは彼の全てを見ていたい気持ちに駆られた。
何をするつもり、とおれは動こうとした。リユの見た目をしたリユじゃない何かはまだ何も喋っても、おれに何かしたわけでもないのに、冷や汗が止まらない。でもなぜか動けない。どうして、どうして…
彼が牙を口へ放り込んだ。それこそクッキーのように齧って噛み砕くのではなく、丸呑みにした。決して小さいものではなかったから、それがリユの喉を通り抜けていく様子がわかるぐらいだった。
彼は嚥下する間、目を閉じていた。そして、またその目を開いた。その目にふとどろりとした赤が混ざる。緩く弧を描いて、唇には恍惚とした笑みが広がる。
見たことのない表情だった。おれの心臓が鋭く跳ねた。
リユは元から表情豊かな方ではなかったし、あんな何かに興奮しきった顔は尚更しない。あの怪しい艶やかさを纏った瞳に見据えられるだけで、おれはそのまま全てを明け渡してしまうような気がした。
「っ、ゲホッ」
突然、口から血が溢れた。息をするたびに隙間風のような音がなって、むしろ息なんてどうやってしていたかわからなくなってしまう。
膝から崩れ落ちていた。苦しい、苦しい。生理的な涙がこみ上げて、吐いた血とともに床を濡らす。
どうしてかわからない。けれど段々と、指先の力が抜けていく。体の端から熱が消えていき、じわりじわりとそれはおれの心臓へと迫り来る。
心臓は懸命に拍動する。また自らの体を動かすために。けれどそれは叶わない。悲しくも心臓は一人きり。どんなに働きかけても他の器官が答えてくれることはない。
あぁ、なんで。
最近、頭痛をよく覚えるようになっていた。ちょうど、リユと出会ってから。
初めは勘違いかと思っていた。初めて会った時、魔法の威力がいつもより上がってしまったことも、僕の中の腹の底にあるような何かが絶えず何か言葉ではない何かを叫んでいることも。
どくどくと心臓が早鐘を打つ。けれど最早その拍動すらおれの体のためのものではなかった。
おれの腹の底の何かが喜んでいる。随分と小さい時からいるであろうそれは、今までそんなに存在を主張することがなかった。それは波立つように激しく、おれを追いやるように凄まじかった。喜んでいる、のかもしれない。
「リ、ュ…」
滲んで霞んだ視界の中でリユを探す。変わらず彼はあの浮世離れした微笑みを浮かべていた。
彼がおれを抱きしめた。その腕の力はとても強くて、普段のリユからは想像もできないくらい大胆だった。
でもその行動に愛やら慈しみの心はなくて。回された腕のその先に、まるで鋭い爪があるみたいで。彼がさらに力を込めたら、そのまま俺の心臓を貫けそうだと感じるくらいだった。
リユが好きだった。おれの話を、ちゃんと聞いてくれる人だった。本人がその優しさを自覚していない部類の、優しい人だった。
おれは親切なだけだ。それはただの行動で、心に染み付いたものではない。リユは違った。…でも、リユの優しさは錆びついてしまっていた。
これまでに何があったのか、おれは知らない。だけどリユの優しさは本物だった。その裏に隠された絶大な才能とも言えるのような何かも、本物だった。
時折その優しさが顔を覗かせるたび、おれは嬉しくなった。少しずつ少しずつ、心を開いてくれているようで。少しずつ少しずつ、おれに心を砕いてくれるようになって。
あぁわかった。リユの皮を被った何かは、おれではなく俺の中にある何かを求めている。そしてそれにリユは邪魔で、おれも邪魔だった。たぶん、それだけ。
それだけのことでリユを殺して、おそらくこれからおれを殺す。…リユは、死んでしまったのだろうか。眠っているような状態にさせられているだけなのだろうか。
おれにはわからない。リユの身を案じているそのすぐ隣で我が身を愛しく思ってしまう自分が恨めしい。
…リユのようには、なれない。
彼がおれの顎を掴んだ。よくある話の恋愛描写のような甘たるいものではなかった。手のひらをおれの顎の下にあてがって、そのまま五本の手で鷲掴みにしてぐいと上げた。それだけ。
彼が見ているのはおれじゃない。おれの剥き出しになった喉元だ。呼吸をすれば貧相に動く喉元だ。
目を閉じる。
血を吐いて口の中は変な味がするし、呼吸はしづらいままでずっと苦しい。
それに喘ぐように息を求めるには、おれはもう生きたいだなんて思えなくなってしまっていた。
喰らいつけばいい。
その鋭い牙で、おれの喉元を喰いちぎればいい。その伸びた爪で、おれの皮膚を切り裂けばいい。そしておれの血も肉も魂さえも喰い散らかして、なりたいようになればいい。
その頃にはおれは紛れもなく死んでいるし、多分リユもこの世界に戻ってくることはない。
いつの間にか、目の前の彼はリユではなくなっていた。リユの皮が歪んでいた。…少しだけ、伝説上の生き物の龍に、似ている気がした。
おそらくおれを殺したそのあと、彼は完全なる元の姿をこの世界に露わにするだろう。
リユだった何かの顔が近づいてくる気配がする。妙にぬらりとした唾液を纏った歯が首にそっと当てられた。
確かめるようにそれはそっと優しくおれの皮膚に沈んでいく。
皮膚がゆるく裂けて痛みが走る。きっと血も流れている。その血液すらも、きっと彼は後で貪るのだろう。
好きにすればいい。
あぁ、視界が薄れていく。白く白く包まれていって、突然切れても、もうわからないぐらいに。
瞬間、首に激痛が走った。それと同時に視界が白く飛んだ。
そういえば龍は嗜虐的な動物であったと、思い出した。




