表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【星間戦争SF小説】星よ、敵を照らせ ――盟約は恩讐を越えて――  作者: 藍埜佑


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/9

第九章 裏切り

 戦争が長引くほど、カルタージュ連合の社会は疲弊し、人々の心は荒んだ。


 七つの独立商業国家は、もともと自由な交易と流通によって繁栄を享受してきた星々だ。長引く戦争——この時点では開戦から十一年目——は、彼らの生命線である貿易路を尽く断ち切った。物価は高騰し、工場は資材不足で停まり、市民の食卓から豊かさが消えていった。


 旗艦〈アドニス〉の自室で、アニカはカルタージュ本星から届く暗号化されたニュースフィードを無表情で眺めていた。


 画面には、ナバル市の市民広場が映し出されている。


 十一年前、〈アルプス作戦〉を成功させ、拿捕されていた三十四人の民間人を取り戻したとき、その広場は歓喜の渦に包まれていた。「アニカ・バール万歳!」「自由の守護者!」「カルタージュの剣!」——数万人の市民が涙を流して彼女の名を讃え、星間ネットワークは彼女を救世主として崇め立てた。二年後のカンナエの勝利の際にも、その熱狂は頂点に達していた。


 だが、今の広場を埋め尽くしているのは、怒りに満ちたデモ隊だった。

 彼らが掲げるホログラムの横断幕には、赤い文字でスローガンが明滅している。


『アニカの戦争を終わらせろ』

『パンを返せ、平和を返せ』

『無謀な将軍を解任せよ』


 ニュースのインタビューに答える市民たちの声が、スピーカーから生々しく響く。


「帝国と戦争なんかするから、交易路が塞がれて商売あがったりだ。もう三年も赤字だよ」

「バール司令官は天才かもしれないけど、あれは彼女の個人的な意地だろう? どうして私たちが犠牲にならなきゃいけないんだ」

「帝国に謝罪して講和すればいいんだ。自治権を少し制限されるくらい、毎日のご飯が食べられないよりマシだ」

「税金が全部軍事費に消えていく。辺境でドンパチやってる将軍様には、庶民の苦しみなんか分からないんだ!」


 アニカはそっと画面を消した。


 暗転したモニターに、疲れ果てた一人の女の顔が映った。


 三十七歳。戦場という過酷な環境と、常に極限の演算を脳に強いる指揮のストレスは、彼女の容色から若さを完全に奪い去っていた。右目の上の傷は古い銀色の線として残り、きつく編み込んだ黒髪には白いものが目立つようになっている。褐色の肌は艶を失い、頬はこけていた。


 端末が短い電子音を鳴らした。

 カルタージュ評議会からの、公式な決議通知だった。

 二八五八年。戦争開始から十一年目。


 評議会はアニカの第一艦隊に対する補給を、前年度比で三十パーセント削減する決議を採択した。増援艦艇の建造も凍結、人員の補充も見送る。


 文面には「財政再建のためのやむを得ない措置」と美辞麗句が並べられていたが、実質的には「これ以上戦うな」「前線で緩やかに全滅するか、降伏しろ」という通告に他ならなかった。事実上の見殺しである。


 文面を二度読んだ。三度。

 アニカは端末を机の上に伏せた。


 深い、泥の底に沈み込むような絶望が彼女を襲った。

 死の恐怖よりも、敗北の屈辱よりも重い、強烈な孤独感。

 

(私は、誰のために戦っているのか?)


 前線の兵士たちは、今日食べるレーションの味の薄さに文句を言いながらも、故郷の家族を守るために命を懸けている。だが、その後方の故郷は、すでに戦う意志を放棄していた。


 彼らは理解していないのだ。帝国に屈するということが、単なる「自治権の制限」で済むはずがないことを。あの完璧な白い無菌室のような壁の色に、言葉も、文化も、尊厳も、すべて塗りつぶされてしまうということを。帝国の「平和」とは、すなわち「完全なる同化と服従」なのだ。それを知っているからこそ、アニカは戦い続けてきた。


 だが、守るべき民衆自身が、首輪をつけられることを望んでいるのなら?

 「()()()()()()」。

 彼らの言う通り、これはすでに私個人のエゴなのかもしれない。


 アニカの視線が、机の上に置かれた小さな金属の筒に落ちた。

 父が病死したとき——アニカが二十一歳のとき——形見として受け取った、義手の指の第一関節。微細な歯車が組み込まれたその部品を、彼女はずっと持ち歩いていた。

 アニカは手を伸ばし、指でその部品を転がした。金属が机の表面を滑る音。かちり。かちり。

 冷たい。

 九歳のあの日、艦橋の通路で頬に触れた父の義手と同じ温度だった。


『約束できるか。()()()()()()()()()()()


 父の低い声が、幻聴となって耳の奥に蘇る。

「……約束したじゃないか」

 アニカは掠れた声で呟いた。誰もいない自室の空気に吸い込まれるような、弱々しい声だった。

「私は、帝国に屈していない。あなたとの誓いを守るために、血を吐く思いでここまで……」


 かちり。

 義手の部品を強く握りしめた。金属の角が掌に食い込み、鋭い痛みが走る。

 

 窓の外を見た。分厚い防弾ガラスの向こうには、冷ややかな星の海が広がっている。

 カルタージュ本星の方角は、航法士に確認してあった。何百光年も離れており、肉眼で見えるはずもない。だが、彼女は祈るようにその漆黒の空間を見つめた。

 かつて彼女を熱狂的に愛し、今、彼女を憎悪し見捨てようとしている、美しくも愚かな故郷の星。


「私は……祖国のために戦っている」


 絞り出すように言った。自分自身に言い聞かせるように。

 返事はなかった。

 宇宙の静寂と、冷たい金属の感触だけが、裏切られた英雄の孤独を冷ややかに包み込んでいた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ