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【星間戦争SF小説】星よ、敵を照らせ ――盟約は恩讐を越えて――  作者: 藍埜佑


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第五章 遭遇

 テラ・プリマ防衛戦の指揮を執ったのは、ガイウス・スピカ提督だった。


 スキピオ家の当主。五十七歳。灰色の瞳は娘と同じ色で、しかし娘よりずっと冷たい光を宿していた。

 旗艦〈インペリウム〉の艦橋は、かつてない混乱に包まれていた。


「敵艦数、測定不能! 六十……いや七十! 増え続けています!」


 戦術士官が悲鳴を上げた。

 スクリーンには、無数の光点が乱舞していた。それらは物理法則を無視した軌道を描き、消え、また別の場所に現れる。帝国の首都防衛艦隊六十隻を取り囲むように、光の渦が巻いていた。


「バカな……辺境軍にこれほどの大艦隊があるはずがない!」


 副官が叫んだ。


「奴らは量子トンネルを使ってきたのです。主力すべてを投入したに違いありません!」


 ガイウスは司令官席で、じっとスクリーンを見つめていた。

 六十隻? 七十隻?

 違う。

 彼は目を細めた。長年の戦場経験が、彼の脳内で警鐘を鳴らしていた。光点の動きが速すぎる。そして、あまりにも()()()()()()()


 七十隻の艦隊が、これほど完璧に同期して動けるはずがない。帝国の精鋭部隊でさえ、艦隊運動には〇・五秒のタイムラグが生じる。だが、この敵にはそれがない。まるで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()——。


()()だ」


 ガイウスの声は低かったが、艦橋の狂騒を切り裂く響きがあった。


「提督?」

「よく見ろ。光点の七割はゴーストだ。量子ノイズによる残像にすぎん」


 ガイウスは指を突き出した。

「実体は、そこだ」


 彼は戦術マップ上の、わずかな光の揺らぎを指摘した。


「一、二、三……十六」


 ガイウスは断言した。

「敵は()()()()()()()だ」


 艦橋が静まり返った。

「じゅ、十六隻? たったそれだけで、我々六十隻を包囲していると言うのですか?」

「そうだ。だが……」


 ガイウスの額に、脂汗が滲んだ。


「……恐ろしいのは数ではない。その統率だ。十六隻が、まるで一匹の獣のように動いている。……この司令官は、()()()()



 アニカの旗艦〈アドニス〉の艦橋は、静寂と熱気に支配されていた。

 アニカは司令官席に深く沈み込み、頭部に無数の電極ケーブルを接続していた。

 十六隻の全制御権を、彼女の脳に直結させている。

 脳が焼けるようだった。

 視神経には十六隻分のカメラ映像が多重露光のように重なり、聴覚には三千人の乗員の生体反応がノイズとなって流れ込む。

 通常、人間の脳が処理できる情報量を遥かに超えていた。シナプスが悲鳴を上げ、鼻から一筋の血が流れた。


「くっ……!」


 アニカは歯を食いしばった。

 痛い。熱い。

 だが、この痛みは、虚空に消えた四隻の苦しみに比べれば何でもない。


 〈タニト〉。

 〈メルカルト〉。

 〈モロク〉。

 〈レシェフ〉。


 消えた六百人の魂が、今もアニカの背中に張り付いている気がした。


 (お前たちはまだ、ここにいる。私が連れて行く。十六隻じゃない、二十隻で戦うんだ)


「演算領域、前頭葉から視覚野へ再配分。同期率九九・八パーセント」


 アニカはうわ言のように数値を呟いた。


「敵艦隊の回頭速度、秒速三・二度。遅い。ふ、止まって見えるぞ」


 彼女の脳内では、戦場が数式に変換されていた。

 帝国艦隊六十隻の質量、ベクトル、推力。それらすべてを変数として、最適解を導き出す。


「右翼第四戦速、左翼マイナス一二度回頭。重力カタパルト起動」


 アニカの思考と同時に、十六隻が動いた。

 帝国艦隊が密集陣形をとった瞬間、アニカの艦隊はその周囲を光速に近い速度で旋回し、量子妨害フィールドを展開した。



 帝国の通信が遮断された。

 六十隻の巨大な軍団は、目と耳を塞がれた巨人と化した。


「今だ。撃て」


 アニカの十六隻が一斉に火を噴いた。

 一点集中。

 バラバラに動く帝国艦の隙間を縫い、正確無比に急所を穿つ。


 一隻、また一隻。帝国の巨艦が爆発の光に変わる。


 友軍を見失った帝国艦同士が衝突し、同士討ちを始める。

 アニカは冷徹に数を数えた。


「撃沈十二……二十……三十……」


 脳の血管が切れそうだった。視界が赤く染まる。それでも彼女は指揮をやめない。


「まだだ。まだ足りない。あの子たちのために、もっと——」


 四十八隻。

 戦闘開始からわずか四十分で、帝国の首都防衛艦隊六十隻のうち、四十八隻がスクラップと化した。


 これは一方的な殺戮……()()()()()



 ガイウスの旗艦〈インペリウム〉もまた、死に体だった。

 機関部被弾。通信途絶。周囲は味方の残骸だらけ。

 ガイウスは揺れる艦橋で、自分の死を悟った。


「見事だ……」

 彼は血を吐きながら笑った。

「これが、新しい時代の戦争か」


 その時、〈インペリウム〉の格納庫から一隻の小型艇が射出された。

 命令違反。

 独断発進。

 パイロットはセリア・スピカ。十七歳。見習い士官。

 

 小型艇は地獄のような戦場へ飛び出した。


 四方八方から飛び交うビームと、爆発する艦の破片。その中を、セリアの機体は信じられない軌道で抜けていった。

 彼女は戦っていたのではない。

 ()()()()()()

 アニカが展開した量子妨害フィールド。その完璧に見える波形の中に、()()()()()()を探していた。


 (あるはず。どんなに完璧な理論でも、実行するのは物理的な機械。必ず誤差がある)


 セリアの瞳が、モニター上の波形データを高速でスキャンする。

 アニカの十六隻の同期タイミング。そのズレ。

 〇・〇一秒……まだ粗い。

 〇・〇〇五秒……見えない。

 〇・〇〇三秒。

 (——そこ!)


 十六隻の艦隊がデータリンクを更新する、わずか〇・〇〇三秒の空白。

 瞬きよりも短いその一瞬に、セリアは通信ブースターの全出力を叩き込んだ。


 それは針の穴に糸を通すような単純な行為ではなかった。

 嵐の中で舞う木の葉の一枚を、目隠しをして撃ち抜くような無謀な奇跡。


「こちらスピカ少尉! 全存存艦、周波数シフト・アルファへ移行せよ! 同調タイミング、今!」


 ノイズの壁に風穴が開いた。

 死に絶えていた帝国艦隊の通信網に、光が戻った。



 〈アドニス〉の艦橋で、アニカは悲鳴を上げた。

 脳に逆流したデータが、激痛となって大脳新皮質を焼いたのだ。


「フィールドが……破られた?」


 信じられなかった。

 自分の完全な支配下に置かれた量子空間に、外部から強制介入された。

 誰だ? ガイウスか? いや、あの老将にこの芸当は無理だ。


 アニカは血走った目でスクリーンを凝視した。

 妨害の発生源。

 それは、たった一隻の非武装の小型艇だった。


「……あいつか」


 戦場の真ん中を、傷一つ負わずに飛ぶ小さな光点。

 アニカの計算を、アニカの支配を、たった一人で覆した存在。

 脳の痛みすら忘れた。

 アニカは、その光点に釘付けになった。


「名前は……セリア・スピカ」


 識別信号を読み取り、アニカは震える唇でその名を呼んだ。

 恐怖ではない。怒りでもない。


 それは、孤独な頂に立つ者が、初めて自分と同じ高さに立つ者を見つけた時の、歓喜に似た戦慄だった。


「見事だ……セリア」


 アニカは血のついた口元を拭い、獰猛に笑った。


「お前だけが、()()()()()()()()()()


 帝国の通信が回復し、生き残った十二隻が連携を取り戻し始めた。

 奇襲の効果は消えた。これ以上の戦闘は消耗戦になる。

「全艦、撤退。……十分だ。これだけやれば、帝国は骨の髄まで凍りつくだろう」


 十六隻の艦隊は、来た時と同じように唐突に反転し、戦場を離脱していった。

 


 戦いは終わった。

 しかし、テラ・プリマに残された傷跡は致命的だった。

 最強を誇った首都防衛艦隊六十隻のうち、四十八隻が消滅。

 戦死者、三万人以上。

 そして指揮官ガイウス・スピカの戦死。


 だが、数字以上の衝撃が帝国を襲っていた。


 十六隻。


 たった十六隻の辺境の船が、帝国の心臓部を蹂躙したという事実。

 その夜、帝国のすべてのニュース端末が、アニカ・バールの名を報じた。

 

 曰く「辺境の魔女」

 曰く「血まみれの戦術家」。


 人々は空を見上げた。いつまた、あの悪夢のような十六隻が現れるのか。

 絶対的な安全神話は崩壊し、底知れぬ恐怖が帝都を覆っていた。



 戦闘の喧騒が去ったあとの旗艦〈インペリウム〉の医療区画は、恐ろしいほどの静寂に包まれていた。

 破壊された隔壁から漏れる火花の音と、生命維持装置の無機質なビープ音だけが、ここが死の淵であることを告げていた。


 セリアは、部屋の中央にあるストレッチャーの前に立っていた。

 白い布がかけられている。

 彼女は躊躇うことなく、その布をめくった。


 ガイウス・スピカの顔があった。

 五十七歳。帝国の名門スピカ家の当主であり、何よりも厳格だった父。

 その顔は穏やかだったが、蒼白で、生気は完全に失われていた。瓦礫の下敷きになったことによる圧死だと軍医は言った。即死だったとも。その顔が原型をとどめているのは奇跡だとすら言われた。

 セリアは父の瞼を見つめた。閉じられたその下には、自分と同じ灰色の瞳があるはずだった。


「……お父様」


 声に出しても、返事はなかった。

 セリアの胸に去来したのは、激しい悲しみではなかった。もっと冷たく、重く、そして複雑な感情の澱だった。


 父は、セリアを認めていなかった。

 『お前の理論は机上の空論だ』『戦場を知らぬ理想主義者だ』。そう言い捨て、娘が軍事アカデミーで首席をとっても、決して褒めることはなかった。彼は古いタイプの軍人だった。数と規律と、帝国の威信を信じる男だった。

 

 しかし、とセリアは思った。

 最期の瞬間、父はこの混乱の中で、敵が「十六隻」であることを見抜いたという。

 何千ものダミー信号と量子ノイズの嵐の中で、本質を見抜いたのだ。

 やはり、あなたは優秀な軍人だった。尊敬すべき指揮官だった。

 けれど——。


 セリアの脳裏に、先ほどの戦闘データがフラッシュバックした。

 アニカ・バールの艦隊が描いた、あの青い軌跡。

 常識外れの加速。十六隻を有機的に結合させた、一つの生命体のような機動。

 

 父はそれを見抜いたが、防げなかった。

 なぜか。

 父の思考が「帝国の常識」という枠の中にあったからだ。

 アニカ・バールはその枠の外側にいた。彼女は戦争をチェスではなく、もっと原始的で、かつ高度な「狩り」として定義していた。

 父の死は、単なる敗北ではない。

 「古い時代の終わり」を意味していた。数と権威で押し切る帝国の戦い方は、今日、あのアニカというたった一人の女性によって殺されたのだ。


 セリアの手が震えた。悲しみからではない。

 恐怖と、そして()()()()()()()()()()だった。

 

 (私は泣かない)


 セリアは唇を引き結んだ。

 今ここで涙を流せば、それは父と同じ「古い敗者」になることを意味する気がした。

 感情に流されれば、あの怪物には勝てない。


 彼女は父の冷たい頬に、一度だけ触れた。

 「安らかに眠ってください。……あなたの無念は、私が引き継ぎます」

 それは別れの言葉であり、決別への宣言だった。

 彼女は布を戻し、父の顔を覆った。

 もう二度と、父の背中を追うことはない。追うべき背中は、別の場所にある。


 セリアは顔を上げ、虚空を見つめた。

 その網膜には、まだアニカの艦隊の残像が焼き付いている。

 十六隻で四十八隻を屠った、鮮やかで残酷な青い閃光。

 それは芸術的ですらあった。


 (アニカ・バール。あなたは怪物だ)


 私の父を殺し、帝国の誇りを砕いた、美しい怪物。

 誰もあなたを理解できなかった。父も、元老院も、誰も。

 だから負けたのだ。


 セリアの瞳に、父と同じ、しかし父よりも遥かに冷徹な光が宿った。


 (私が、あなたを止める)


 復讐ではない。これは証明だ。

 私の理想が、私の論理が、あなたの野生と天才を凌駕できるという証明。


 (あなたを研究し、解剖し、理解し尽くして——そして、()()()()()()()


 少女の表情が消えた。

 そこに立っていたのは、父を亡くした娘ではなく、一人の覚醒した戦術家だった。

 セリアは踵を返し、遺体安置所を後にした。その足取りに迷いはなかった。

 彼女の戦争は、今、始まった。



 〈アルプス作戦〉から二十三日後。

 帝国政府は「人道的な配慮」という名目で、拘束していた貿易船〈マハナ・ルクス〉の乗員三十四名全員の解放を発表した。

 それは実質的な、アニカ・バールに対する「退去願い」だった。首都星系の喉元に突きつけられたナイフを取り下げてもらうための、帝国の屈辱的な譲歩。


 カルタージュ本星、ナバル宇宙港。

 帰還した三十四人がタラップを降りたとき、そこには彼らの家族だけでなく、数万の市民が詰めかけていた。彼らは涙を流し、アニカの名前を連呼した。


 数光年離れた宙域で、撤退中の旗艦〈アドニス〉の自室。

 アニカは、マハルバルからの報告書を読んでいた。

『乗員三十四名、全員帰還確認。健康状態良好』


 アニカは報告書をデスクに置いた。

 その横には、量子トンネルで消滅した四隻——〈タニト〉〈メルカルト〉〈モロク〉〈レシェフ〉の乗員名簿があった。

 六百人の死者と、三十四人の生還者。

 数字では合わない。軍事的合理性など欠片もない。

 だが、アニカは震える指で、コーヒーカップの縁をなぞった。


「……よかった」


 誰もいない部屋で、彼女は一言だけ呟いた。

 六百人を地獄へ送り、三十四人を連れ戻した。その罪と罰は、すべて自分が背負う。それでも、「見捨てない」という約束だけは守った。

 アニカは窓の外を見た。遠ざかる帝国の星々が、冷たい光を放っていた。

 彼女の戦争は、こうして最初の、そして最も苦い「勝利」と共に幕を開けた。


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