表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【星間戦争SF小説】星よ、敵を照らせ ――盟約は恩讐を越えて――  作者: 藍埜佑


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/9

第二章 天才

 十七年後。


 カルタージュ軍事アカデミーの卒業論文審査室は、古い石造りの建物の三階にあった。窓から入る光が、長机の上に積まれた端末の画面を白く飛ばしている。審査官五名。全員が退役軍人で、全員の顔に退屈の色が浮いていた。午前中だけで十二本の論文を聴いた。


 アニカ・バールは立ち上がった。


 二十六歳。褐色の肌、右目の上に戦傷の細い線、黒い髪を頭の後ろできつく編み込んでいる。彼女は軍服の襟が首に食い込むのを、無意識に指で緩めた。


「論文題目。『量子もつれを利用した超光速包囲戦術——亜光速機動艦隊による非対称戦闘の理論的枠組み』」


 審査官の一人が咳払いした。

 別の一人が気怠げに端末をスクロールしていた。


 アニカは構わず話し始めた。


「現行の艦隊戦術は、ニュートン力学の延長線上にあります。質量と速度の積、すなわち運動量の優位性が勝敗を決める。帝国艦隊がこの百年間負けていない理由は単純です。数が多い」


 審査官の手が止まった。


「私が提案するのは、その()()()()()()()()()です」


 アニカは端末を操作し、三次元の星図をホログラムで投射した。


「量子もつれ通信を艦隊の神経系として利用し、各艦を独立した判断主体として機能させます。司令艦からの逐次命令ではなく、全艦が同時に同一の戦術空間を共有する。これにより、二十隻の艦隊で——」


 アニカは指で星図を回転させた。


()()()()()()()()()()()()()()


 沈黙。


 審査官の一人、元第七艦隊参謀のドゥルバル・マゴが、椅子の背にもたれた。


「包囲? 二十隻で三百隻を?」


「はい」


「物理的に不可能だ」


「物理的には。しかし、()()()()()()()()()()


 アニカの声は平坦だった。

 窓から入る光が、ホログラムの青い線を薄くした。


「包囲とは、空間の支配ではなく情報の支配です。敵が我々の位置を認識するより速く、我々が敵の全体像を把握し続ける。その認知的包囲が成立すれば、物理的な包囲は二十隻で十分です」


 ドゥルバルは椅子の背にもたれたまま、アニカを見た。

 六十三歳の老将の目に、懐疑の色が浮かんでいた。


「バール候補生」


 ドゥルバルが口を開いた。


「私は四十年間、艦隊に身を置いてきた。カルタージュ第二次防衛戦で戦い、トリポリ星系の撤退戦を指揮した。その経験から言わせてもらう」


 彼は前かがみになった。


「理論は美しい。しかし、()()()()()()()()()()()()()。量子もつれ通信が完璧に機能すると仮定しても、パイロットは人間だ。恐怖する。判断を誤る。通信内容を誤解する。二十隻が『同時に同一の戦術空間を共有する』——そんな完璧な同期が、実戦で可能だと本気で信じているのか?」


 審査室の空気が緊張した。他の審査官たちが、アニカの反応を待った。


 アニカは三秒待った。

 ドゥルバルの言葉を咀嚼するように。

 それから、ホログラムを操作した。星図が消え、代わりにグラフが現れた。


「ドゥルバル参謀のご指摘は、()()()()()()()()()正しい」


 アニカの声は変わらず平坦だった。

 敬意を込めているが、譲歩はしていない。


「しかし、それは『命令—実行』モデルを前提としています。司令艦が命令を出し、各艦がそれを実行する。この場合、確かに人的誤差が累積します」


 グラフの横軸に「艦数」、縦軸に「誤差率」と表示された。


「十隻で誤差率三パーセント。二十隻で七パーセント。五十隻で十五パーセント。艦数が増えるほど、命令の伝達と実行に齟齬が生じる」


 ドゥルバルが頷いた。


「その通りだ。だから——」


「だから、私の提案は『命令—実行』モデルを()()()()()()()


 老将の眉がぴくりと動いた。


 アニカはかまわずグラフを切り替えた。

 今度は、二十隻の艦を示す光点が、複雑なネットワークで結ばれている。


「量子もつれ通信では、全艦が同時に同じ情報を受信します。ゼロ遅延。司令艦は命令を出さない。代わりに、戦術空間のマップを全艦に共有する。各艦は、そのマップを見て、自律的に最適な行動を選択します」


「待て」


 別の審査官、元第三艦隊艦長のエズラ・カドシュが割って入った。

 白髪の女性だ。七十歳になる。


「各艦が自律的に判断する? それでは統制が取れないだろう。二十人の艦長が二十通りの判断をすれば、陣形は崩壊する」


「崩壊しません」


 アニカは即答した。


「なぜなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()からです」


 ホログラムの中で、二十隻の光点が動き始めた。蜂の群れのように。個々の動きは異なるが、全体として一つの形を保っている。


「これは群知能理論の応用です。蜂は女王蜂の命令で動いていません。各蜂が局所的な情報——周囲の蜂の位置、餌の匂い——に基づいて行動する。しかし、全体として巣は機能します」


 アニカは続ける。


「艦隊も同じです。各艦長は、共有された戦術マップと、周囲の味方艦の位置だけを見て判断する。しかし、全艦が同じ判断基準——アルゴリズム——を使えば、全体として最適な陣形が創発します」


 ドゥルバルが腕を組んだ。


「ならば問おう。そのアルゴリズムとやらを、敵が解読したらどうする? 帝国の諜報機関は優秀だ。三ヶ月で解読される」


()()()()()()()()()()()()()


 アニカは微笑んだ。

 それは初めて見せる表情だった。


「なぜなら、アルゴリズムは戦闘ごとに変更できるからです。量子もつれ通信なら、戦闘開始の三分前に新しいアルゴリズムを全艦に配信できます。敵が解読する頃には、古いアルゴリズムはもう使っていません」


 ドゥルバルの目が細くなった。


「それは詭弁だ。いくら高速で配信できても、艦長たちが新しいアルゴリズムを理解し、訓練する時間がなければ——」


()()()()()()()


 アニカの声に、初めて強い響きが加わった。


「アルゴリズムはAIが実行します。艦長の役割は、AIの提案を承認するか、拒否するか、それだけです」


 審査室がざわついた。


 エズラが立ち上がった。


「AIに戦術判断を委ねる? それは危険すぎる。AIは——」


「AIは感情を持ちません」


 アニカがエズラの言葉を遮った。


「恐怖しません。疲労しません。私が提案しているのは、AIによる完全自動戦闘ではありません。AIと人間の協働です」


 ホログラムが再び変わった。今度は、意思決定のフローチャートが表示された。


「戦術マップを受信する——AIが三つの行動案を生成する——艦長が選択する——実行。このサイクルが〇・五秒で完結します。従来の『命令を待つ—受信する—理解する—実行する』サイクルは最低でも五秒。十倍の速度差です」


 ドゥルバルが口を開きかけた。

 それを制するようにアニカは続けた。


「ドゥルバル参謀は『人間は誤る』と言いました。それは正しい。だから、人間の役割を最小化するのです。人間がすべきことは一つ。『この状況でAIの判断は妥当か』と問うこと。それだけです」


「しかし——」


 ドゥルバルの声に、初めて迷いが混じった。


「君の理論では、二十隻で三百隻を包囲できると言った。どんなに情報伝達が速くても、物理的に二十隻で三百隻を取り囲むことは不可能だ。空間が足りない」


()()()()()()()()()()()()()()()()


 アニカはホログラムを元の星図に戻した。

 二十隻の青い光点と、三百隻の赤い光点。


「ドゥルバル参謀、逆に問います。包囲とは、包囲の目的は何ですか?」


「……敵の退路を断つことだ」


「正確には?」


「敵が逃げられないようにすること」


「なぜ敵は逃げられないのですか? 物理的に囲まれているから?」


 ドゥルバルは黙った。


 アニカは星図を拡大した。


()()()()。敵が逃げられないのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()と認識するからです。それは正しい認識であっても誤認でもかまいません。()()()()()()()()()()()()()


 青い光点が動き始めた。赤い光点の周囲を、高速で移動する。


「二十隻が十分に高速で移動し、敵のセンサー範囲内に繰り返し出現すれば、敵は『包囲されている』と認識します。実際には二十隻しかいないのに、敵のセンサーには三十隻、四十隻、五十隻と映る」


()()()()()()


 ドゥルバルが言った。


「欺瞞は長続きしない。敵も同じセンサーデータを分析する。同一の艦影が繰り返し出現していることに気づく」


「気づくまでに、どれくらいかかりますか?」


 アニカの質問。


「……十分。いや、熟練した戦術士官なら五分で可能だろう」


「五分」


 アニカは頷いた。


「五分間、敵が『包囲されている』と信じれば、陣形は防御的になります。密集します。密集した敵は機動力を失います。その瞬間に——」


 ホログラムの中で、青い光点が一斉に赤い光点の一点に集中した。


「実際の攻撃を加えます。敵は包囲を解こうと散開しますが、すでに遅い。我々の量子妨害フィールドが通信を遮断します。散開した敵艦は、互いの位置がわからないまま、個別に撃破されます」


 審査室が静まった。


 ドゥルバルは、ホログラムの青い矢印をじっと見た。


 三十秒。


 六十秒。


 ドゥルバルが口を開いた。


「……君は何歳だ?」


「二十六です」


「二十六」


 ドゥルバルは深く息を吐いた。


「私が二十六のとき、小型艇の操縦すらまともにできなかった」


 彼は椅子から立ち上がった。他の審査官たちを見回した。


「諸君。私は四十年間の軍歴で、多くの天才を見てきた。自称天才も、他称天才もな。しかし——」


 ドゥルバルはアニカを見た。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 彼はアニカに向かって、敬礼した。


 軍人が、候補生に敬礼することは、通常ありえない。


 アニカは一瞬、驚いた顔をした。

 それから、姿勢を正し、敬礼を返した。


 ドゥルバルは手を下ろし、再び座った。


「質問は以上だ。他の審査官は?」


 誰も手を上げなかった。


 審査委員長が咳払いをした。


「では、採点に入ります。バール候補生、外で待機してください」


 アニカは資料を端末に戻し、審査室を出た。


 扉が閉まった。


 審査官たちは互いを見た。


 エズラが最初に口を開いた。


「……彼女を首席で卒業させる以外の選択肢が、あるか?」


 誰も答えなかった。


 答えは、すでに決まっていた。



 アニカは首席で卒業した。


 しかし同じ頃、銀河の反対側でも同様の事件が起こっていた――。


 テラ帝国軍事アカデミーの図書室は、大理石の床と高い天井を持つ、教会に似た建物だった。セリア・スピカは窓際の席で端末に向かっていた。銀色の髪が肩にかかり、灰色の瞳が画面の光を反射している。小柄な体躯を軍服が几帳面に包んでいる。襟のボタンは一番上まできちんと留めてあった。


 彼女の卒業論文は、別の種類の波紋を広げていた。


「勝利とは敵を殲滅することではなく、敵が戦う理由を消滅させることである」


 その一文を読んだ教官が、端末を閉じた。


「スピカ候補生。これは軍事論文か、それとも哲学の随筆か」


「軍事論文です」


 セリアの声は静かだった。


「殲滅は勝利の一形態にすぎません。しかし殲滅した敵の記憶は、次の敵を生む。真の勝利は、敵が武器を置く構造を作ることです」


「それは降伏と何が違う」


「降伏は強制です。私が言っているのは、合意です」


 教官は鼻を鳴らした。保守派の将校たちは、この名門スピカ家の次女を「理想主義者」と呼んだ。スピカ家の長女は帝国艦隊の戦術士官として前線に出ているのに、妹は書斎で夢を語っている、と。


 セリアはその評価を知っていたが気にしなかった。


 審査官の一人、退役准将のマルクス・ブルータスが、椅子を軋ませながら身を乗り出した。六十五歳。顔に三本の傷痕。アンドロメダ鎮圧戦の英雄と呼ばれた男だ。


「スピカ候補生」


 ブルータスの声は低く、嘲りを含んでいた。


「君の論文を読ませてもらった。『敵が戦う理由を消滅させる』——美しい言葉だ。軍人ではなく、詩人になれば良かったんじゃないか?」


 審査室に、抑えた笑いが漏れた。


 セリアは表情を変えなかった。灰色の瞳が、ブルータスを静かに見つめた。


「詩ではありません。軍事理論です」


「軍事理論?」


 ブルータスは書類を取り上げた。


「君は『殲滅は勝利の一形態にすぎない』と書いている。では聞こう。私はアンドロメダで反乱軍五千を殲滅した。それは間違いだったのか?」


「状況によります」


 セリアの答えは即座だった。


「アンドロメダ鎮圧戦の後、その星系は平和になりましたか?」


 刹那、ブルータスの顔が強張った。


「……一時的には」


「一時的。つまり、十年後に第二次反乱が起きました。今度は規模が倍になって」


 セリアは自分の端末を操作した。

 データが審査室のスクリーンに投影された。


「アンドロメダ星系における反乱の発生頻度。第一次鎮圧前——十年に一回。第一次鎮圧後——五年に一回。第二次鎮圧後——三年に一回。殲滅するほど、反乱の周期は短くなっています」


「それは——」


 ブルータスが口を開いた。


「それは統治の問題だ。軍事の問題ではない」


「いいえ」


 セリアは首を横に振った。


「軍事と統治は分離できません。そもそも戦争の目的は何ですか、ブルータス准将?」


「敵を倒すことだ」


「その後は?」


「……占領し、統治する」


「では、占領後に反乱が起きれば?」


「再び鎮圧する」


「その後は?」


「……また統治する」


「また反乱が起きれば?」


 ブルータスは黙った。


 セリアは続けた。


「それは永遠に続きます。殲滅だけでは、戦争は終わりません。なぜなら、殲滅された者の記憶が、()()()()()()()()()()()()()()()


 セリアはスクリーンのデータを切り替えた。今度は、帝国が過去百年間に鎮圧した反乱のリスト。


「ベテルギウス反乱。鎮圧。五年後、第二次反乱。カペラ独立運動。鎮圧。八年後、第二次独立運動。リゲル自治区紛争。鎮圧。三年後——」


「わかった」


 ブルータスが手を上げた。


「君の言いたいことはわかった。しかし、それが現実だ。反乱は常に起きる。我々は常に鎮圧する。それが軍人の()()だ」


「それは()()()()()()()()()


 セリアの声が、初めて鋭くなった。


()()()()()()()


 審査室の空気が凍った。


 別の審査官、元艦隊司令官のユリア・カエサルが割って入った。


「スピカ候補生、言葉を選びなさい」


「選んでいます」


 セリアは振り向いた。小柄な体が、軍服の中で一瞬だけ硬くなった。


「軍事的勝利を収めながら、政治的には失敗する。それを失敗と呼ばずに、何と呼べばいいですか」


「では」


 ブルータスが立ち上がった。背が高い。セリアを見下ろす形になった。


「君の理論では、どうすれば良かったというのだ? アンドロメダの反乱軍五千人を、お茶にでも誘えば良かったのか?」


 再びの嘲笑。


 セリアは表情を変えなかった。


「殲滅する前に、彼らがなぜ戦っているのか分析すべきでした」


「分析?」


「はい。アンドロメダ反乱の原因は、重税と地元文化の抑圧でした。帝国が課した税率は、彼らの収入の四十パーセント。これは持続不可能な数字です」


 セリアは端末を操作した。


「もし帝国が、鎮圧に使った軍事費——三億クレジット——の半分を、税制改革に投資していたら? 反乱は起きなかったでしょう。そして、第二次反乱の鎮圧費用——七億クレジット——も不要でした」


 数字がスクリーンに並んだ。


「軍事費の合計、十億クレジット。税制改革のコスト、一億五千万クレジット。差し引き、八億五千万クレジットの損失。これは失敗ではないのですか?」


 ブルータスの顔が赤くなった。


「金の問題じゃない。帝国の威信の問題だ。反乱を許せば、他の星系も反乱する」


()()()


 セリアはまたも即答した。


「殲滅すれば、他の星系も反乱します。『帝国は我々を殲滅する』と恐れるからです。恐怖は憎しみを生み、憎しみは反乱を生みます」


「では、甘やかせと?」


「甘やかすのではありません。()()()()()()()()()()()


 セリアはスクリーンを切り替えた。今度は、別の星系のデータ。


「シリウス第七星。百年前、独立運動がありました。帝国は鎮圧せず、自治権を拡大しました。結果——反乱は起きていません。税収は安定しています。今では帝国で最も忠実な星系の一つです」


「それは例外だ」


 ブルータスが言い返した。


「シリウスは元々親帝国派が多かった」


「いいえ」


 セリアはデータを示した。


「百年前のシリウスの親帝国派は人口の二十パーセントでした。今は七十パーセントです。なぜだと思いますか?」


 ブルータスは答えなかった。


「帝国が彼らを尊重したからです。文化を尊重し、自治を認め、合理的な税率を設定した。結果、彼らは帝国を——敵ではなく、パートナーと見なすようになりました」


 セリアは一歩前に出た。

 小さな体躯。

 しかし、その声には揺るぎない確信があった。


「ブルータス准将、あなたは()()()()()()が戦争の目的だと言いました。私は違うと思います。戦争の目的は()()()()()()()()()です。敵を倒すことは、そのための()()()()()()()()


「手段にすぎない?」


 ブルータスは鼻を鳴らした。


「君は実戦を経験したことがあるのか? 戦場で人が死ぬのを見たことがあるのか? 私は見た。何百回も。その度に『平和を達成するため』と自分に言い聞かせた」


 彼は一歩、セリアに近づいた。


「しかし、戦場に平和などない。あるのは殺すか殺されるかだ。君の理論は、書斎では美しいかもしれない。しかし戦場では——」


()()()()()()()()()()


 セリアがブルータスの言葉を遮った。


 審査室が静まった。


 セリアは続けた。


「ブルータス准将、あなたは何百回も死を見たと言いました。()()()()()()()()()()()()()? 次の戦争のための死だったのではないですか?」


 ブルータスの目が見開かれた。


「もし、最初の戦争で正しい勝利を得ていたら——敵が戦う理由を消滅させる勝利を——次の戦争は起きなかったかもしれません。あなたが見た何百の死は、避けられたかもしれません」


 セリアの声が初めて震えた。

 怒りではない。

 それは抑えきれない情熱だった。


「私は、その死を無駄にしたくありません。だから、理論を構築しています。()()()()()()()()()()()()()()という理論を」


 長い沈黙。


 ブルータスは、セリアを見下ろしていた。灰色の瞳。父親と同じ色。しかし、父親よりもずっと——


「……君は何歳だ」


「十七です」


「十七……」


 ブルータスは深く息を吐いた。


「私が十七のとき、戦争論の教科書すら読み終えていなかった」


 彼は一歩、後ろに下がった。


「もう一つ聞きたい。君の理論では、完全に敵対的な相手——交渉の余地がない相手——とはどう戦う?」


「交渉の余地がない相手は、()()()()()()


 セリアの答えは明確だった。


「全ての戦争には、原因があります。領土、資源、イデオロギー、復讐。原因がある限り、交渉の余地があります」


「もし相手が、我々の殲滅を望んでいたら?」


「その場合でも、『なぜ殲滅を望むのか』を問うべきです。過去の侵略への復讐か。資源の独占欲求か。宗教的理由か。理由がわかれば、対処法がわかります」


 セリアは端末を閉じた。


「そして、最悪の場合——本当に交渉の余地がない場合——その時は戦います。しかし、殲滅ではなく、()()()()()()()()()


「無力化?」


「敵の戦闘能力を奪うが、敵の存在は認める。捕虜を丁重に扱い、降伏した者を尊重し、勝利後は寛大な条件を提示する」


 セリアは審査官たちを見回した。


「それが、次の戦争を防ぐ唯一の方法です」


 ブルータスは、長くセリアを見つめた。


 それから、椅子に戻った。座った。


「……諸君」


 ブルータスが他の審査官たちに言った。


「私は四十年間、戦争を()()()()()と思っていた。この少女は、戦争を()()()()()()()()と考えている」


 彼はセリアを見た。


「どちらが正しいかは、わからない。しかし——」


 間。


「彼女の理論が正しければ、我々が流した血に、()()()()()()()()()()()()()


 ブルータスは書類に評価を書き込んだ。


 最高評価。A+。


 他の審査官たちも、一人、また一人と、評価を書き込んでいった。


 審査委員長が咳払いをした。


「スピカ候補生。審査は終了です。外で待機してください」


 セリアは資料を端末に戻し、審査室を出た。


 扉が閉まった。


 審査官たちは互いを見た。


 ユリア・カエサルが最初に口を開いた。


「……あの子は、将来、帝国を変えるかもしれない」


「変えるだろう」


 ブルータスが答えた。


「問題は、我々がそれを()()()()()()()()()()()だ」


 セリアは首席で卒業した。


 卒業式のスピーチで、彼女は一言だけ言った。


「私は、戦争を終わらせるために、軍人になります」


 聴衆は、その言葉の意味を理解できなかった。


 そして彼らが理解するのは、二十年も経ってからだった。



 夜、自室の端末で、彼女は匿名の学術フォーラムに接続した。カルタージュ軍事アカデミーの卒業論文データベースに、閲覧権限のない論文が一本あった。題名だけが見える。『量子もつれを利用した超光速包囲戦術』。著者名は非公開。


 セリアは三日かけて、その閲覧制限を迂回した。


 論文を読み終えたとき、彼女の指先は冷えていた。暖房は正常に機能している。端末の画面の光が、灰色の瞳を白く染めていた。


 彼女はフォーラムに匿名で投稿した。


〈論理構造は見事。だが前提に欠陥がある。量子もつれ通信の同期遅延を0.003秒以内に抑える方法が示されていない。0.003秒のずれは、亜光速戦闘では致命的だ〉


 翌日、返信があった。


〈正確な指摘だ。だが0.003秒の問題は技術的障壁であり、理論的障壁ではない。理論が正しければ、技術は必ず追いつく〉


〈技術が追いつかなければ、この理論は墓碑銘となる〉


〈辛辣だな。帝国の人間か?〉


〈理論の出自は問わない。欠陥を指摘しているだけだ〉


 長い間があった。


〈……気に入った。もう少し議論を続けないか〉


 二人はまだ、互いの名前を知らなかった。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ