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地面に飛び散った魔物の血と臓物から漂う悪臭は、ステラにとっては嗅ぎなれたものだった。いまさら臭いとも思わないし、自分の体にもすっかり染みついた臭いだ。しかしミアからすれば、それは耐え難い悪臭のようで、両手で口元を覆って目に涙を浮かべている。それでもなお、潤んだ瞳が見つめるのは、死体の山ではなくリュカの姿だった。
「あまり長い間ここにいては、臭いが移ってしまう。宿に戻ろう」
リュカを見るミアの視線が、いよいよ本格的に熱を帯びてきた。これはよくない。表向きはミアに悪臭が移るのを気にするフリをして、2人を引き離そうとステラは考えた。別に嫉妬とかではない。断じて違う。
「ここの片付けは私がやっておきます。お二人はお休みになってください。しかし、少々散らかしすぎましたね。これは綺麗にするのも一苦労だ」
リュカは冗談っぽく笑い、狼男の生首を拾い集め始めた。
「私にも手伝わせてください。こんな事しかできませんが、せめてものお礼をさせて頂きたいんです」
悪臭とグロテスクな絵面のせいで、本当は今にも吐きそうなのを我慢して、ミアが手伝いを申し出た。そこまでしてリュカと離れたくないというのか。
「いえ、ミア様にこんな汚れ仕事をして頂くわけにはいきませんよ」
「だ、大丈夫です。汚れるの、好きなんで!」
嘘だ。ステラは知っている。ここ数日の旅で気づいたが、ミアには潔癖な部分がある。リュカとすれ違ったあのレストランでも、食器の縁についた汚れを気にして、ハンカチで拭っていた。今朝だって、朝食のパンをベッドの上で齧り、食べかすをぼろぼろと落とすステラに、すごく嫌そうな視線を向けていた。口には出さないが、表情がすべてを物語っていた。
「せっかくの綺麗なお召し物に血が付いてしまいますよ」
「平気です。それじゃあ私、あちらのほうから片付けしてきますので!」
生首を入れるための麻袋を手にして駆けだしたミアは、血だまりに足を取られた。
「ひゃっ⁉」
「危ない!」
リュカが流石の反応速度で、ミアの体を後ろから抱きかかえた。間一髪。魔物の血だまりに顔面から飛び込むところを、またリュカによって救われた。
「やはりミア様には危険です。私のことはお気になさらず、ここは任せておいてください」
「…ごめんなさい、お役に立てなくて。あれ、リュカ様。少しお手を見せて頂いてもいいですか?」
「手を?」
「血が、血が出ています。先ほどの戦いで怪我をされたんですね」
「これくらい大したことありませんよ。かすり傷ですから」
「傷を放っておくと危険なんですよ!私はこれでも僧侶です。すぐに治して差し上げます」
手に触りたいだけじゃないのか。その程度の傷なら、ステラだって昨晩の戦いで負っているのだが、ミアは治してくれる気配などなかったではないか。血豆とささくれだらけの手を見下ろし、ステラは妙に切ない気分に襲われた。
リュカの手を握るというミアの目論見は成功。半日放っておけば塞がりそうな傷を、わざわざ僧侶の魔法で治癒したミアは満足気だ。
それからミアとリュカの2人は、談笑を交えながら、死骸の回収作業と飛び散った血の洗浄を行った。狼男の生首を抱えながら楽しそうに笑っているミアは、はたから見れば快楽殺人鬼みたいに思われてもおかしくない。ステラも一応手伝いを申し出たが、それとなくミアに断られてしまった。2人きりにしてほしいということなのだろう。
「ま、あとは若い二人でやんな。私はもう、帰って寝るよ」
勇者たるもの、引き際も大切だ。ミアがリュカにお熱なのは、命を救われたという事もあいまっての、一時的な感情かもしれない。どうせ明日にはまた、自分のもとへ戻ってくる。心にそう言い聞かせて、ステラは宿へと戻った。階段を上る足取りが重い。ベッドに倒れこみ、ミアの毛髪が数本付着した枕に顔を埋めて、ぶつぶつと呟く。
「なんだよあいつ、ちょっとかっこいいからって…。まったく、ミアもミアでデレデレしすぎだ。私に憧れて旅についてきたくせに、3日目にはもう浮気か?」
宿の女主人がノックして、扉の外から声をかけてくる。
「お掃除入りますよー」
「いい、今日はいらない!」




