異世界嫁姑~浮気夫をとっちめるのにタッグ組みました~
ある日、ある場所……そう魔法と不思議に包まれた異世界で、今日も人々は平和に暮らしている。
たとえ魔物が暴れても、魔法が暴発しても、スライムが逃げ出しても無問題。
だって、ここは異世界なのだから。
「薬草の香りが飛んでるじゃないの。魔力を直接当てるからだよ」
義母の声が、朝の台所に響く。
私は洗濯石の魔力調整をしながら、そっとため息をついた。
「でも、お義母様。今は精霊式の低温乾燥が主流で…」
「主流? ギルド時代は炎属性でガッツリと干したものだがねぇ」
洗濯石がピピッと鳴る。魔力が安定した合図だ。
私は黙って洗濯物を取り出す。
いつもの恒例の義母のチェックはまだ続く。
薬草と共に干していたマンドラゴラに目を付けたようだ。
魔力がこもっているため、なだめながら干さないと暴れるのだ。
「子守唄は歌ったの?」
「……はい」
「ならよし」
義母は満足げに頷いた。
いつもこうだ。
ここに嫁いできてから、はや数年目。
元Sランク冒険者の義母は、過去の栄光にしがみ付いて、いまだに古き知識を振りかざす。
「あんたも宮廷じゃどうだったか知らないけれど、所詮は箱入りなのだから私のアドバイスは聞きなさい」
なんて会ってそうそうにマウントを取られたものだ。
私の名はミレイユ・アルカナ、今は夫の姓を名乗りワンダーを名乗っているが、宮廷魔術師アルカナといえば有名なものだった。
そして、冒険者ギルドにおいてワンダーは確かに伝説級である。
かつては単独でワイバーンを狩ったとか、ドラゴンの巣穴に飛び込んだとか武勇伝には事欠かない。
だけど、わざわざ単独で行く意味もわからないし、危険な接近戦を自慢するのも理解不能だ。
そんな生きる元伝説の、今は化石の老婆が目の前にいる。
「あの子はちゃんとクエストを達成できたかねぇ」
息子を思う母心に見えるが、現実はいつまでもA級にランクアップできない息子に痺れを切らして、勝手にクエストを受注して無理やり行かせた張本人だ。
私の夫ユリオは、どちらかというと前線向きではなく、後方支援が得意なタイプ。
前線バリバリでオーガと取っ組み合いをした、元S級バルネラ・ワンダー年齢68歳は息子の適性なんぞ無視だ無視。
「何度も言っていますが、勝手にクエストを受注するのは違反です」
「ふん。ギルドの連中なんざ、私の言葉一つでどうとでもできるもんさ」
無駄に顔がきくせいで、その息子の夫は本当に苦労したのだ。
母親のような冒険者は嫌だと、隠れて城の敷地内にある一般開放された図書室にまで逃げて来るほどに。
まあ、そこで私と出会ったのだけれど。
「ところでミレイユ。今夜の煮込み肉は何にするんだい?」
「ええっと、今から市場に買いに行きますが、そろそろ穏やかな一角獣ウサギの肉でも……」
「ダメだよ。もっと精の付く肉でないと! せめてリザードマンとか、竜系じゃないとあの子に筋肉がつかないだろ?」
「言わせてもらいますが、ユリオに筋肉がつかないのは体質であって私の料理のせいではありません」
「どうだかねぇ。煮物もシンプルに血肉骨髄スープと胡椒程度でいいのに、ゴチャゴチャと意味不明の薬草を入れるから」
「失礼ですけど、今はちゃんと味付けするのが主流で、お義母様のは野戦料理で古いんですよ」
「なんだってー!」
こちらとしても、宮廷魔術お得意の薬草調合を、甘く見られてはプライドに関わるのだ。
負けられない戦いは今日も火ぶたを切ったのだった。
そもそも家事に専念して欲しいと頼んだのは夫だ。
自分の母親が常に冒険に出ていて寂しかったからと、私には専業主婦になって欲しい。
その願いをかなえたら、今度は引退した義母が暇を持て余して口出しが激しくなった。
やれ床磨きのスライムが気に入らない。小型ドラゴンの炎でゴミを焼き払えとか。
魔獣素材の漬物一つも「昔は魔獣の血を使ったのよ。今は何?ハーブ?」と確認に来る。
畑で作物を育てるのに、魔物の骨を肥料に粉砕するのすら、私の魔術式が気に入らないらしく、ひたすらハンマーを勧めてきて迷惑だった。
全てが嚙み合わないのだ。
ともかく体の能力が全ての義母と、体ではなく魔力で解決を目指す私。
間に挟まれた夫は、いつしかお互い仲良くしてくれと逃げるばかり。
家に寄り付かなくなり、冒険だと仕事に逃避するようになった事を、私は苦々しく思っても義母は逆に喜んでいた。
「男はやっぱり冒険で鍛えて頑張らないと」
違います。彼が家にいたくないのは、嫁姑問題のせいです。
ため息をついて、私は買い物に出かける。
「帰りに、魔獣キメラの油を買ってきて頂戴。魔物の皮を加工したいからねぇ」
生臭い作業で、現在では専門業者に委託するのが普通なのだが、義母は頑としてこの作業を家でやりたがる。
なので夫がクエストで手に入れた魔物の皮は、ギルドの買い取りではなく持ち帰るせいで報酬も減らされる原因なのだ。
「皮はちゃんと自分で馴染むように加工しないと、手入れの時に困るだろ?」
「盾程度なら、私が魔法で一瞬で磨き上げますけど?」
「あんたはそうやってすぐに手を抜くねぇ」
カチンときたが、ともかく特売に遅れてしまうと市場に向かった。
金の星の日の市場は、いつも通りの喧騒に包まれていた。
精霊果実の露店からは甘い香りが漂い、魔獣肉専門店ではリザードマンの尾肉が特売中だ。
呼び込みの声は威勢よく、人混みをかき分けて私は目当ての肉を探す。
通りの端では、スライムの粘液を使った洗剤が実演販売されていて、子どもたちがキャッキャと笑っていた。
買い物袋に魔力保冷石を仕込んでから、軽く魔力増幅野菜や義母の言っていた油も手に入れた。
今日の目当ては、穏やかな一角獣ウサギの肉。低魔力で育てられた個体は、煮込みにすると柔らかく、義母にも文句を言わせない。
「いらっしゃい、奥さん。今日はいいウサギが入ってるよ。魔力も安定してるしお安くするよ?」
「ありがとう。では、こちらを……」
袋に肉を詰めてもらいながら、ふと視線を上げた。
通りの向こう、人混みの間に見覚えのある後ろ姿があった。
「あら? クエスト中で南の森にいるはずじゃ……」
見覚えのある夫の姿。そして、その腕に絡むように寄り添っているのはギルド所属の女弓使い――シェリルだった。
何度か夫とパーティーを組んだ彼女の存在は知っていた。
あまり評判の良くない彼女とは、もう組まないでと頼んだはずなのだが。
夫の腕にしがみ付く彼女は、片足を少し引きずるようにして歩いていた。
だが私の目にはそれが演技にしか見えない。
ユリオは困ったような顔で、彼女の腰に手を添えている。
顔が強張っていくのが自分でもわかった。
「いつもありがとう。やっぱりユリオは優しいわね」
シェリルの声が、風に乗って届く。あちらは反射的に隠れた私に気づかないようだ。
同じ女同士だからわかる。シェリルの演技は、戦闘中でも崩れないほど計算されたものだった。
うさぎ肉の袋を受け取りながら、無言でその場を離れた。
足元が少しふらついた。魔力が乱れたのか、保冷石が一瞬だけ熱を帯びる。
帰ろう。
実家に。
このままでは、魔法が暴発する。
真っ白になる頭にこびりつくのは、夫の目に浮かんだ下心だ。
フラフラとともかく、私はなんとか帰路についたのだった。
「ただいま戻りました」
玄関を開けると、義母は魔獣皮の漬け込み作業の真っ最中だった。
魔力漬け液の匂いが鼻をつく。義母は手袋もせずに骨を漬けている。
「おかえり。油は買えたかい?」
「ええ。あと、ウサギ肉も」
「ふん、あれだけ竜系がいいと言ったのに……、てかあんた顔が怖いよ。何かあったのかい?」
私は黙って袋を置き、椅子に腰を下ろした。
保冷石がまだ熱を帯びている。魔力が乱れたままだ。
先ほどの夫と女を思い出して、胸が苦しくなる。
ビキッと音を立てて、乱れた魔力の影響で保冷石にヒビが入った。
「……ユリオが、市場で女と腕を組んでいました」
どうせ伝えた所で義母は息子の味方だろうと、私は投げやりに答えた。
義母の手が止まった。
魔獣皮が、魔力の揺れに反応して小さく震える。
「森にいるはずじゃ……あの子が、そんなことを……?」
声が低く、震えていた。
義母はゆっくりと手を拭いた後、魔力漬け液の蓋を閉めた。
「昔の私と同じ目に、あんたを遭わせるわけにはいかない」
「ですから私は、実家に帰らせていただきます」
「おまち」
その静かな言葉に、私は顔を上げる。
「お義母様……?」
「私の旦那も、ギルド時代に女冒険者とばかり組んでね。浮気の一つや二つ、数えきれなかった」
義母は立ち上がった。
確か夫が言うには、幼い頃に父親とは離婚して会えなくなったと聞いていた。
「悔しいね、私じゃなくって父親に似たってわけかい。そうかいそうかい」
その迫力ある怒りの顔は、かつてドラゴンの巣穴に飛び込んだ伝説の冒険者のそれだった。
「寝起きのサイクロプスはこん棒で殴れってねぇ。さあ、再教育の為に手を組もうじゃないか」
「……はい」
私は頷いた。
まさか義母が、味方になってくれるとは思わなかった。
魔力が、静かに整っていくのを感じた。
義母は物置から古びた魔道具を持ち出してきた。
それは、かつてギルドで“内密”に使われていたという、魔力感情可視化装置――通称「心の鏡」。
「これを使うよ。あの子の心の声を、全部浮かび上がらせる魔道具さ。嘘も隠し事も、ぜーんぶ文字になる」
「そんなものが……ギルドに?」
「昔はね、スパイや裏切り者の教育に使ったもんさ。今は倫理がどうとか言って使われてないけど、うちの中なら関係ないだろ?」
私は小さく笑った。
流石はギルドの生きる伝説だ。廃棄すべき魔道具ですら、義母曰く処分を任され預けられたが、割るのに魔力の反射があって面倒だからと、物置に放置していたらしい。
この様子では、他にも色々と呪われたアイテムなんかもあるかも知れない。
普段はゴチャゴチャと物が詰め込まれた物置を苦々しく思っていたが、手を出さずにいて正解だった。
まあ私のタンスの奥にも、嫁入り時に持ってきた秘伝の魔術書なんかもあるから、おあいこではある。
夕食時、夫が何食わぬ顔で帰宅した。
顔には疲労の色が濃く、手にはギルド報告書の束。
真実を知らなければ、いつものように夫の苦労を労っただろう。
だが、もう騙されない。
普段と違う事に、空気だけは敏感に読める夫も気が付いたようだ。
「ただいま……って、あれ? なんか空気が……」
「座りなさい、ユリオ」
義母の声に、ユリオはびくりと肩を震わせた。
私が魔道具を起動すると、空中に淡い光が広がり、ユリオの頭上に文字が浮かび始める。
《え、なんか怖い。母さんとミレイユが並んでると圧がすごい……》
どうやら本人は何も気づいていないようだ。
少し魔法に精通していたら、自らにかけられた魔力の波動を感じれただろうが、悲しいまでに夫は無能だった。
「で、今日のクエストはどうだったんだい?」
あえて義母が問いかけると、ユリオは答えながら、心の声が次々と浮かぶ。
「まあ、普通に終わったよ。シェリルがちょっと足を痛めてて……」
《腕を組んだ時、ちょっとドキッとした。でも助けただけだし……》
「……ドキッとした?」
私の声が低くなる。
ユリオは私の言葉に、えっ?と慌てて首をかしげた。魔道具は容赦なく心の声を映し出す。
《ミレイユに言ったら怒るだろうな。でも、ちょっと嬉しかったのは事実……まあこうやって偽装もしてるしバレないよな?》
義母は立ち上がった。
「その“ちょっと嬉しかった”を消すまで、鍛え直すよ。ギルド式でねぇ」
「え、ちょ、母さん!?」
「昔のギルドでは、浮気者は魔獣の糞処理係に回されたもんさ。あんた、やってみるかい?」
「何言って……いやだぁぁぁぁ!」
耳を引っ張られ、夫の叫びが家中に響く。
そんな状況下でも魔道具の光が、ユリオの心の声を次々と暴いていく。
そのたびに、義母と私は静かに頷き合った。
「なんで、一体どうしたんだよ」
「私見たのよユリオ。どうして彼女と腕を組んでいたの?」
「いや、誤解だって! ケガをしていたから」
《ミレイユに見られていた? なんてタイミングの悪い》
「ユリオはちょっと嬉しかったのよね?」
「そんな事はない」
《腕に大きな胸を押し付けられたら、男なら嬉しくなるよな》
「最低!!」
「本当に、なんの為にあの男からお前を引き離したのかわかんないねぇ!」
「待ってくれ、二人して何がどうして……」
「胸が小さくてすいませんでした!」
私は怒って魔道具をその場に置いて寝室に閉じこもった。
義母と夫がいる居間から、時たま爆発音と悲鳴が聞こえたが無視して私は不貞寝した。
翌朝。
ユリオは、義母に連れられて裏庭の作業場に立っていた。
そこには、魔獣脂の処理台、魔道具磨き用の魔力研磨布、そして天候魔法と連動した薬草干し台が並んでいる。
「まずは魔獣脂の処理からだよ。臭いが強烈だから、魔力で封じながらやるんだ。失敗すると吐くよ」
「え、ちょっと待って、俺戦闘職なんだけど……」
「戦う前に、生活を整えるのがギルドの掟だよ。己の生活も整えられないのに、身の程を知りなさい、バカ息子!」
ユリオは、脂の塊を前に顔を青くした。
魔力封じが甘く、臭気が漏れ出す。
「うっ……うえぇ……!」
「吐いたら、もう一回だよ。昔のギルドじゃ、三回吐いてからが本番だったんだ」
「母さん……だから俺は、魔力がなくって」
「だったら気合でおやり!」
次は魔道具磨き。
魔力の流れを読みながら、繊細に磨かないと暴走する。
魔力がなくても、魔石を使って手の痺れや震えで感覚を捕えるのだ。
「この小魔石で磨くんだ。ここが動力源だからねぇ、雑に扱うと爆発するよ」
「爆発って……え、ちょ、待って!」
「昔は爆発してからが学びだったよ。今は甘いねぇ」
ユリオは震える手で魔石を使って磨く。
魔力が乱れ、石がピリピリと音を立てる。
「ひぃぃぃ……!」
「ほら、ヒビが入ったよ。とっとと磨き上げないと爆発するよ!」
「こういうのは妻であるミレイユの仕事だろ!」
「お前が、あの子に妻だからなんて言う権利はないよ! このスケベ息子!」
ドッカァアア――ン!
大きな爆発音と共に、作業室の壁には大きな穴が開いた。
また義母の指示によって大工道具で塞ぐのもユリオの仕事となった。
最後は薬草干し。
どこの家庭でも当たり前の初歩の家事労働の一つ。
湿度調整が必要で、失敗すると腐ったり燃え尽きてしまう。
昔は、薬草の干し方一つで嫁の家事能力が計られたものだ。
「この薬草、いつもはあの子が精霊式で干すんだけどねぇ。今日は私のギルド式でいくよ。炎属性でじっくりね」
「炎属性って、俺火魔法使えないんだけど……」
「だから鍛えるんだよ。昔のギルドじゃ、苦手を克服してこそ意味があったんだよ、なのにあんたは逃げてばかり!」
「いや、魔力のないのは克服云々じゃないよな母さん!」
「うるさいね! この浮気息子! ともかく黙って並べるんだよ!」
ユリオは泣きそうな顔で薬草を並べる。
魔力が不安定で、干し台が一瞬だけ焦げる。
「うわっ、焦げた! 焦げたよ!」
「焦げたら、次は風属性で冷ますんだよ。応用力が試されるのさ」
「だから俺は魔力がないんだって、ったく水ぶっかけて……」
「おやめ……あーあ、ほら腐ったよ。お前は本当に馬鹿だねぇ」
「いてっ、なんだかこの薬草に噛まれた気がする」
「そりゃあ、カムカム草だから噛むさ。そんな事も知らないのかい、流石にあの子に申し訳なさすぎるよ」
「だから、ミレイユにやらせればいいじゃないか」
ドカンとユリオはぶっ飛んだ。
息子を思い切り殴った拳に、フーッと息を吹きかけながら、義母は目を回す息子を睨みつけた。
「少なくとも、あの子は私に注意されてもね、あんたにやらせたらいいなんて言わなかったさ」
――息子の性根から鍛えなおしが必要だねぇ――
元S級義母は、ユニコーンの角を間違えて破壊した時より深く、嫁に対して謝罪の気持ちを抱いたのだった。
一方その頃、私は例の魔道具を持ってギルドに来ていた。
ギルドの受付前は、いつも通りの喧騒に包まれていた。
依頼掲示板の前では冒険者たちが揉め、素材査定の列が伸びている。
そのざわめきの中、私は受付嬢に声をかけた。
「ギルド保管指定の魔道具を返却に来ました。起動確認をお願いします」
受付嬢が目を丸くする。
「えっ、それって……“心の鏡”? 今は倫理規定で使用禁止のはずですが」
「だから返却です。昔にそちらより元S級のバルネラ・ワンダーに破棄の為に預けた品ですが、魔力容量の問題につき、元A級魔術の私ことミレイユ・ワンダーが起動確認後の破棄の協力をさせて頂きます」
「ま、まさか……A級って……宮廷魔術師の筆頭だった?」
「今はただの主婦ですが、いつも夫がお世話になっております」
その言葉に、周囲の冒険者たちがざわめいた。
受付嬢が困惑している隙に、ミレイユは布を外し、魔道具を受付台の上に置いた。
ただの鏡に手をかざして、受付嬢に告げる。
「ちょうど、いいタイミングで。シェリルさん久しぶりね」
冒険者たちに紛れて、こちらを見て密かに笑っていた女の名を呼んだ。
その顔には優越感が浮かんでいる。
――ふふっ、馬鹿な女ね――
私はあえて悲し気な顔をして、彼女に話しかけた。
「ケガの具合は大丈夫?」
「あら、ユリオったら内緒にしてねって。いえ、変な意味じゃなくって、心配かけたくないから」
「何の心配かしら?」
「だって、奥さんに勘違いさせたら申し訳ないもの」
クスクスと笑うシェリルに私は告げた。
「以前もあなたに伝えたけれど、夫とパーティーを組むのは遠慮してって言ったわよね?」
「でも、命をかける彼が最後に誰と共に戦いたいかは、彼の自由だと思うんです」
さも自分が一番の理解者だというように、シェリルはうるうると演説した。
周囲の男性の何人かは同調して野次まで飛んでくる始末。
「そうだ、奥さんは家にいて安全だろうが、俺たちは命を懸けてるんだぞ」
「生存率にも関わるんだ! 誰と組むまで口出しするな!」
「イザとなれば私と彼の母がパーティー組みますけど?」
私の言葉に周囲はシーンとなる。
元S級冒険者とA級魔術師の無敵パーティーが出来るだろう。
「と、ともかくっ、どうしてただの仲間のユリオと私の仲を疑うんですか!」
「ただの仲間ね、何も下心もないで間違いないわね?」
「ひどい!」
まだ被害者位置にいるシェリルが抗議した。
まさに、ギルドの妹枠のアイドルを虐げる嫌な女が私だ。
冒険者たちからの厳しい視線を浴びながら、私は受付嬢に宣言した。
「では保管中の破損確認の為の、起動を開始します」
「まって下さい。対象は一体……」
私は笑顔で告げた。
「対象は――あなたよ、シェリル」
「は? なんで私?」
シェリルは笑いながら馬鹿にした。
「だってやましい心がないんだもの最適じゃない。さっき間違いないと皆の前でも言ったのだから」
「一体何の話、てかその魔道具はなんなの?」
「お待ちください! すぐにギルド長を呼びますので」
とっとと魔力展開をして起動した魔道具の光に慌てて、受付嬢が走っていった。
魔道具が起動し淡い光が広がり、シェリルの頭上に文字が浮かび始める。
《浮気された妻ってぶざま。泣いてるの見て笑っちゃった》
「……え?」
周囲が気づいて、ざわめきが止まった。
次々と、まだ気づかないシェリルの心がこぼれだす。
《ユリオだけじゃないし。他の男ともつきあってるし。みんな笑っちゃう、私っていい女》
「ちょ、ちょっと待って……どうしたのみんな!」
ソロリソロリと、シェリルから人が離れていく。
私は、より彼女の心を促すために話かけてあげた。
「あなたは可愛いから、きっとモテるんでしょうね?」
「えっ? 何を突然言うのよ」
どうやらシェリルは異常なのは感じていても、褒められて悪い気はしないみたいだ。
《ギルドの男たち、みんな私のこと見てる。あの子の旦那も、私に夢中だった》
冒険者たちがざわめき始め、誰かが吹き出した。
「え、マジで?」
「あいつ、俺にも声かけてたぞ」
「おい、シェリル! お前最低女だったんだな!」
《地味な女が泣いてるのって、ほんと気持ちいい。私の勝ちだもん》
シェリルは顔を真っ赤にして叫ぶ。
「違う! どうしたのみんな!」
私は静かに言った。
「今ね、あなたの本当の心がさらけ出されただけよ?」
「えっ? もしかしてあの魔道具?」
「仲間意識だけで、別に下心なんかないんだもんね?」
「しつこい!」
《あるに決まってるじゃん、バーカ》
皆がヒソヒソと遠巻きにシェリルから距離をとっていた。
困惑する現場に、ギルド長が受付の奥から出てきた。
幹部たちも足を止め、周囲の冒険者たちが静かに距離を取る。
「魔道具の件は聞きました。ですが、ここで起動するのはいかがなものか……」
眉を顰めるギルド長に、とりあえず私は頭を下げた。
「お騒がせして申し訳ございません。ですが、元々こちらは押し付けられた物を返還にきたのみ。また起動の確認は破損の責任有無に必要でしたし、彼女に協力して貰った際にも本人から偽りはないと宣言して貰っています」
「だが、しかし……」
「その上で、論理を語られるなら、今本人より出た不特定多数との交際による論理破綻の責任はどうなさいますか?」
「どういう事ですかな?」
来たばかりで状況を掴めないギルド長に、その場にいた幹部が耳打ちをする。
ギルドの規約には、不倫はパーティー壊滅の原因になるとして厳しく禁止されているはず。
本人に慰謝料を請求しても、きっと笑って逃げるだけだろう。
だから私は対決として、このような危険な賭けに出たのだ。
ギルド長はシェリルに向かって伝えた。
「シェリル、君はギルド倫理規定違反の疑いにより、活動停止処分とする。異議があるなら、魔道具の記録を精査するが?」
「何の話ですか! さっきから一体なにが!」
「君のやっていた事実があきらかになっただけだ。そして、それは記録もされている」
トラブル防止の為に、受付カウンターには記録用の水晶が常に起動されていた。
全てはそこに記録されているのである。
シェリルは泣きながら叫ぶが、誰も彼女に近づこうとはしなかった。
受付嬢がそっと魔道具を布で包み直す。
「自主脱退を勧める」
ギルド長の言葉が出た瞬間、ギルドの空気が変わった。
誰も彼女を擁護しない。誰も彼女の名前を呼ばない。
密かにシェリルから被害を受けていた女性たちは喝采した。
シェリルはまもなくギルドを去った。
夕暮れの台所。
干された薬草が風に揺れている。
私が帰宅すると、義母バルネラは鍋の前で腕を組んでいた。
どうやら私の代わりに晩御飯を作ってくれていたらしい。
「ギルドはどうだったんだい?」
「ええ。魔道具は無事返却しました。ついでに、ちょっとだけ掃除もしてきました」
バルネラは鍋の蓋を開けながら、満足げに言った。
何を掃除したかは言わなかったが、お見通しだったみたいだ。
「まあ何かギルドが言ってきても、私がぶっ叩いてやるから安心しな」
「ふふっ、頼もしいですお義母様」
ある時は面倒な姑だが、味方になると頼れる存在だった。
そして、玄関から食堂そして台所へと移動してきたのだが、夫の姿が見えなかった。
部屋の隅では、魔法の箒が自動で働き、床磨きスライムがぬるぬると床を磨いていた。
いつもなら、このような魔道具を嫌がる義母が、平然とそれを見守っている。
「まあ便利なもんさ。時代さね、サボったら怒鳴りつけてやるけどねぇ」
いつも手抜きだと言われた家事を受け入れられて、ついホッコリとしてしまう。
「ところで、そちらはどうだったんですか?」
「こっちも順調さ。あの子、今は裏庭で魔獣脂の処理中。三回吐いて、今は四回目だよ」
私は思わず笑ってしまった。
魔力のない夫の事だ。
薬液一つも満足に使えず、魔力風で匂いを消すことすら出来ず悶絶しただろう。
いつも私の魔法を、簡単に使っていると感謝すらなくなっていたのだ。
たとえ魔力があっても、使い方によって変化させる方法も違うのに、夫は家事を甘く見た。
そして今、本人がその家事で苦しんでいるのには胸がスッとした。
「……お義母様、容赦ないですね」
「昔のギルドなら、やっと本番だよ。これで家事の大変さがわかるといいけどねぇ」
「薬草、ちゃんと干せてました?」
「……少しだけね」
カムカム草ごときで指がボロボロだと、義母は呆れて教えてくれた。
やっと魔獣脂の処理を終えて、風呂に入り身を清めた夫が食事に現れた。
三人揃い、義母の作った鍋をメインに食事が始まった。
煮込み鍋の湯気が立ち上り、肉の香りが静かに漂っていた。
私が黙って皿を並べると、ユリオがそっと口を開く。
「……本当に、フラついたのは事実だ。でも、君が大事だから……内緒にしたかった。ごめん」
無言で肉をよそい、席に着く。
義母はさっさと、骨付き肉をかじりながら言った。
「何いってるんだい、バカ息子。次は地下迷宮でスライム採取にでも行くかい? 反省には泥が必要だよ」
「勘弁してくれよ、もう反省したから」
うなだれる夫は、本当に懲りた様子だった。
私はソッと隣に座る夫の手を取った。
「もういいです、お義母様。ユリオ……二度としないでね」
「……ああ、わかった。今までごめん。家事も、いつもありがとう」
私は静かに頷いた。
そして、ふと思い出したように言った。
「そういえば、あの魔道具の“心の鏡”だけど……実は、感情可視化だけなら私も使えるのよ。内緒にしてたけど」
「うわっ!?」
ユリオが椅子ごと跳ねた。
バルネラは笑いながら、薬草の漬物をつまんだ。
「流石はうちの嫁だ。別に悪いことしなきゃ平気だろうよ」
「ですよね、お義母様」
私は、ユリオの顔を見ながらにっこりと微笑んだ。
皿の肉に噛り付くと義母が得意げに言う。
「やっぱり肉は竜系で、味付けもこっちのがダシが効いてないかい?」
「硬いですし、やっぱり獣でも小型の肉が煮込みで味が染みますし、薬草の調合で味の調節もできますわ」
いつものように嫁姑の戦いが再び始まった。
それでも、以前より私たちの絆は深まったと思う。
仲良し女同士というより、共に戦った戦友としてね。
それから夫は以前より努力するようになった。
「俺は戦闘しかできないって思われてるかもしれないけど……家のこと、ちゃんと覚えるよ。君に恥をかかせたくない」
苦手な魔力の代わりに、乾燥扇を買ってきて薬草の乾燥を手伝ってくれた。
食後、皆の分の食器を察して、サッと片付け始めるのも夫の役目となる。
一番苦手だった魔獣脂処理も、義母は歳で骨の粉砕で破片が危険だからと、率先してやってくれた。
「何度も吐いたけど最後に匂いを封じるコツを掴んだよ」
そういって、匂い消しの聖水を浸したマスクを口に装備していた。
最近は特に私に対して過保護になって、少しでも重い荷物を持とうとすると怒ってくる始末だ。
「だから、力仕事は俺に任せたらいい。お腹の子を大事にしろミレイユ!」
初めて出会った時を思い出す。
危険な魔術書を開いてしまい、硬直する私の手から力づくで本を奪い閉じてくれた。
『もっと自分の体を大事にしろよ!』
あの時に、この私にそんな事をいってのけるユリオに惚れてしまったのだ。
そんな愛しい人の母親は笑う。
「一丁前の事を言うねぇ。だったら孫のためにガーゴイルの牙と不死鳥の羽を取ってきておくれ」
「A級危険度ランクの魔物じゃないか! 俺はB級だから受けられないよ!」
「仕方ないさね、だったら私がチョチョイと行ってこようかねぇ」
「そろそろ引退してくれ母さん!」
「孫が生まれるなら、最高のお守りくらい用意して当然だろ?」
家は笑いに包まれる。
まもなく、もっと賑やかになるだろう我が家は、今日も元気に嫁姑やっています。
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