3 Side Orca
「ソーウー」
リュウが長い腕を肩にかけてからんできたので、ソウはやむなく顔を上げた。
「…なんだよ、うっとうしい」
「うっとうしい!?」
リュウは顔をひきつらせてから苦笑した。
「まったくぅ、ツンデレなソウ君はヨロコビを素直に表せねーんだよねー」
「黙れ馬鹿野郎。んで何か用か?」
しっしっと手を振るソウに、およよ…とオオゲサに悲しんでから、リュウはすっと芝居モードを解いた。
「来週の歌番、出演すんのは知ってる?」
ソウはまゆをひそめる。
「どうしたいきなり」
「その様子だと知ってるよなー。じゃあさ、数年前のバンド知ってる?」
「はぁ?どんな?」
「“黒い金魚”」
瞬間、ソウの耳の中で圧倒的に澄み切った音がよみがえった。
言葉をなくした相棒に、リュウは顔を輝かせる。
「あー知ってる!?もしかして、ナマで聞いたことあんの!?」
「…あんよ」
「マジで!?超レア!あのバンド、めったにライブしない上にチケット少ないんだもんなー!やる場所も、ちっさいライブハウスだって噂…」
ソウは黒い金魚を思い出していた。
たしかに、一度だけ手に入れたチケットの指定した場所は、ほんとボロいライブハウスで。
手に入れた…といっても、別にソウは黒い金魚とやらに興味があったわけではなかった。
友達が泣く泣くソウに手渡してきたのだ。
「折角手に入れたのにいけなくなった!無駄にすんのは勿体なさ過ぎるから、お前が行け!」
今思ってもどうして命令されなきゃなんないんだというような強引さでチケットを使わされた。
ライブハウスへ行ってそして、ライブが始まる時刻になってもボーカルのコだけが出てこなかった。
まわりの人間は、さもそれが当たり前のような顔をしているが、なんて失礼なバンドだとソウは思って…
音楽が始まり、歌が流れ出して、思わず肩が浮いた。
流れ出す声は風のように。
めぐる音はゆるやかに。
少しかすれた特徴のある声は、それでものびやかに…ボロいライブハウスをまわって、ソウの全身に突き刺さった。
ライブを放心状態で聞いて、終わった後に思わず近くにいた女の子に問い詰めたのだ。
あのボーカルは誰なのかと。
女の子は笑って答えた。
「誰も知らないのよ。だって、一度も表に出てこないんだもん」
彼女は、ただ自らを“黒い金魚”と名乗るだけ。
マイクを通した歌声だけで、その存在を示してみせる。
「…とゆーさ、アレ・ソウ?…ソーウー」
はっと我に返って。
ソウはリュウの顔を、驚いたように見つめた。
「なんだよ?」
驚いたのはリュウの方だった。
「なんだよ、って…どうかしたのか?」
「あ、いや…それよか、随分マイナーなバンド出してきたね。黒い金魚がどうかしたのか?」
リュウがにやりと笑った。
「聞いて驚け。来週の歌番に出演する、YUKAって女知ってるか?」
「はあ?何、歌ってる子?」
「“月面のワルツ”」
「さすがにソレは知ってるよ。街中で聞かない日はないだろ」
「お前はホント、他の歌手には興味ないのね。別に文句ないけど」
「じれってぇな、そのユカって女がどうしたんだよ」
「うん、その子“赤い金魚”って名乗って歌ってるから」
「ああ、赤い金魚…………」
は?
「赤い、…金魚?」
リュウがそれみろとばかりに肩を張った。
「なーびっくりしただろー」
「びっくりって…お前、リュウ、もしかして黒い金魚が」
「赤い金魚とおんなじ人物ってのはありえるよな。お前ナマで聞いたんだろ?分かるんじゃない?」
「何が」
「ニブ。歌声に決まってんだろ」
ソウの口元が皮肉げにゆがめられた。
分かるに決まっている。
あんな声、他にふたつとないはずだから。
「歌番て、いつだっけ?」
「収録来週。お前な、仕事くらいスケジュール管理しろっつの」
「ん」
ふたりでぐだぐだしゃべっていると、不意にガチャリと扉が開いた。
入ってきたのは、髪をほとんど金色に近く染めた小柄な少年だった。
あどけない顔といい、幼さを十分に残すいでたちのくせに実年齢はリュウと同じである。
名前は、
「リオウ?なに持ってんの」
ソウが話しかければ、リオウは嬉しそうに手に持った機械を持ち上げて見せた。
「ん。これさ、俺が何年か前に撮ったね、テープ」
「テープて」
「ふるい」
「あ、ごめ間違えたや。テープじゃなくて、録音の」
大人の手のひらにのるくらいのそれを、リオウはテーブルに置いて、ガチャンとスイッチを入れた。
無邪気にリュウとソウを振り返ると、
「聞いてみて。とっときの、俺の秘蔵の逸品」
一体なんだと耳をすませると、
―――『…こんばんは。黒い金魚です』
「あ」
ソウがことばを見つける前に、リュウがはしゃいだ。
「すげっ、これ、ライブのときのナマ声!?」
リオウが得意げに親指を立てた。
『えと…最初の曲は、うちのトシが作曲した、“金魚すくい”です…。』
『え?……作品の、誕生秘話?』
ボソボソと誰かの声が割って入って、黒い金魚の困ったような声が響いた。
その声はすぐ、苦笑いを含んだ言葉になった。
『あ、はい。私、歌うだけなんで。ほんとのとこ、何も考えてないんですよね』
はにかむような控えめな笑い声。
『でも、私、歌うことだけはできるから。…このライブでも、みんなが楽しんで』
ざざ、と雑音が入る。
『―――帰るときに、今日の話で盛り上がってくれるような。そんな時間に、できたらいい』
かすれた声。
ひどく印象に残っている、あの音。
そうだ、それはもう声などという生ぬるいものではなくて。
それはひとつの音だった。
人の鼓膜を震わせる、音。
『今回もこんなボロいとこに集まってくれてありがとう。…とか言ったら、ここの人に叱られちゃう』
(笑い声)
『じゃ、前座はこれくらいにして。…歌います』
そこで録音がブツッと切れた。
「…」
リュウが凍りついたようになって、今は物言わぬ機械を見つめている。
ソウは息を吐き出した。
「…すげーよな。語りだけで、こんな引き込まれる声なんだから」
引き込まれるなんてぬるいものじゃなかった。
奈落の深淵に有無を言わせず引きずり込まれるような、すさまじい引力だった。
「どーすっかね。コレが、何を思ったか姿現して歌手活動はじめちゃってるんでしょ?」
リオウが楽しそうに言った。
「俺らもま、人気をとっちゃいるけど。これじゃあ王座を譲り渡すのも時間の問題でしょ?」
「させっか!」
ふてたように言ったのはリュウだ。
「負けねえよ、こんな女の声なんかに」
「どーだかー。姿もキレイだし、最近はモデル活動もなさってるようですよーこのYUKAちゃんは」
「はあ???」
リュウが眼を剥いた。
「印象違う!ってかそんな外見持ってんなら、どうして今までカタクナに出てこなかったんだよ」
たしかにそうだ。
ソウは冷静に考えた。
「…病気してたとか?」
「えー。説得力ねえなー」
「じゃなんだよ」
「こんなのはどうだ?」
リュウが真剣な顔になったから、リオウもソウも身を乗り出して話に聞き入った。
「今歌ってるのは別人で。歌だけ黒い金魚があわせてる、とか」
しん。と、
…しばらくの沈黙。
そして、
「ねえだろ!」
「無理!」
「ぎゃはははははは!」
「マジメに言ってんのかよー!」
笑いが爆発した。
言ったリュウまで笑っている。
結局その日は、雑誌のインタビューを受けに行っているカナタを除いた三人で、ずっとバカ話をしていた。