09_カエデ(帝国編)
はぁ……。
私はようやく、ここ魔術都市ヴァルツへたどり着いた。
カダーからコラペ、そしてジサンジへと、年始から動き回って疲れてしまった。
どうせ私は何も期待されてはいないのだ、しばらくはここでダラダラする事にしようと思う。
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ニグラウスでベグナルドと思しき存在から妨害を受けた私は、結局、カダー王国から撤退を余儀なくされた。
そしてそのまま一度、コラペ王国の「魔王教」支部へ移り、里から来た連絡員に状況報告を行う事となった。
私の話を聞いた里は、引き続きカダー内で「紅の魔王」の継承者を探す方針としたようだが、私はその邪魔となると判断された。
かと言って放置しておくのも無駄だと思われたらしい。
いっそ魔術都市へ行って、「謎解き」の手伝いでもしていろとのお達しが下ったという訳である。
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……ここには、里で最も優秀と云われたツバキが来ているのだ。
彼でさえ答えが出ない難問であるなら、私など何の足しにもならないと思うのだが……。
「それだけ里も、藁にも縋る思いなのだよ。
カエデ、お前が上から評価されない要因の一つは、その自分を卑下してしまう点にあると思うぞ。
……いっそ、ここで人族の男でも掴まえて遊んでみたらどうだ?
奴らは男女揃ってエルフというだけで有り難がるような、おめでたい連中だ。
お前みたいに自己評価の低い者が気を紛らわすには、ピッタリの遊び相手だと思うがね。」
一年近く先に、この都市へ来ていたツバキが、そう提案してくる。
遊ぶと言っても、私はエルフ族以外の異種族には興味は無いのですが。
「そうか?
人族は外見が我ら好みに個性的な者も多いし、我らの容姿を嫌う者はそう居ない。
割り切って考えれば、これ程に我らに都合の良い種も居ないと思うが。」
「……まさか、それに夢中になってるせいで、「謎解き」が上手く行っていないとは言いませんよね?」
「手厳しいな。
そもそも、人族も含めて何百年も挑み続けているのに、未だに解かれていない謎だぞ?
流石の私でも荷が勝ち過ぎているよ。」
「それは、そうなのでしょうが……。」
だからと言って、遊び惚けるのは……。
──とも思ったが、私もだらけて構わないのだと思っていたのだし、ヒトの事など言えないか。
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魔術都市ヴァルツの中心に鎮座する「魔術図書館」。
この建物は、建築当初からとある噂が囁かれている。
曰く、「この図書館には隠し部屋が存在し、そこに設立者の叡智の全てが納められている」というもの。
この隠し部屋へ入るためには、外壁内壁の各所無数に散りばめられた謎の文字を解読する必要があるとされている。
当然、この数百年の間、数多の学者が、賢者が、魔術師が、才覚ある者達が、この謎を解明しようと躍起になってきた。
しかし、誰一人として伝説の「隠し部屋」へ到達した者は現れていないのであった。
とは言えこれは所詮、人族の一国における噂話に過ぎない。
里が本腰を入れて解明すべきものであるかは甚だ疑問だ。
それなのに何故、わざわざ里で最も優秀であったツバキを駆り出してまで、謎の解明に当たらせているのか?
私はその理由は知らされていない。
が、少なくともこの図書館には、里の最上位者、すなわちハイ・エルフの長老様達が関心を寄せる何かが眠っているということなのだろう。
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「……そんな物を探すなんて、里は、長老様達は、何を求めておられるのでしょうか?」
「さぁて、な……。
あの御方達のお考えは、我々では量り兼ねるよ。
ただ、謎自体に関しては、少しずつ分かって来ている点もある。
一番鍵になっているのは……、これだ。」
そう言うと、ツバキは片手に収まるくらいの物を投げて寄越した。
「これは……?」
掴んだ物は長方形の金属で、短い鎖と金具が付いていた。
「この町で一番人気の高いお土産だ。
キーホルダーというやつだよ。」
「きーほるだー?」
「鍵を無くさないように、目立つ飾りを付けて分かり易くしておく為のものだ。
……いや、気にして欲しいのは、それに掘られた絵柄なんだが。」
ツバキにそう言われて見てみると、そこにはちょっと間抜けな印象の動物の顔が描かれている。
「……何でしょう、これ?
狐ではない……、イタチ?ハクビシン?……アライグマというのも、こんなだったような?」
「不思議な絵だよな?
勿論、私もこれが何かは分からないが、これと同じ絵柄が魔術図書館の外壁に描かれているのだ。
しかも、入口近くの一番目立つ所にな。」
「……後の者が書き加えた落書き、でもないんですよね?」
「ああ、建設当初からあったものらしい。
そのため、これはこの町のイメージキャラクターとして定着しているのだそうだ。」
「……。」
続々と明かされる魔術都市の知られざる面に、私は呆然としてしまった。
この町の図書館は、当時の大賢者が設計に深く関わっていたと聞く。
つまり、この変な生き物についても、件の大賢者の意図した通りとなっているのだろう。
そこにはどんな意図が……?
…………。
「……すみません。
こうして話を聞いているだけだと、余計に混乱するだけなので、ちょっと直に見て参りたいと思います。」
「ははっ、それが良いな。
外壁だけでなく、内装にも謎の模様が張り巡らされているから、ついでにそれも見てくると良い。」
「はい。
行って参ります。」
ツバキについて、これまで直接会う機会は無かったが、こうして話す分にはまともに接してくれる印象だった。
序列的な面で煩く言ってこないだけで、ヒトとして好感を抱くくらいだ。
……まぁ、他種族を見下すような発言に関しては、ウチの里の者達なら基本的にそういう思考をしているので、欠点として上げる事でもない。
今後、大きな失点をして失望させる事が無ければ、程良く付き合ってゆけるだろう。
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さて、魔術図書館正面入口まで来た訳だが……。
本当にあの生き物が描かれている。
横に書かれた模様は、多分この生き物の名前なのだろうけど、いったい何を意図したものなのだろう?
まぁ、良いか……、保留で。
「いらっしゃいませ。
当館へは初めてお越しですか?」
へ?
ああ、受付か。
確か、初回入館時は説明を聞く必要があると聞いたな。
「はい。初めてです。」
「初めての方は、当館への入館資格の確認、および当館での注意事項のご説明させていただく決まりとなっております。
よろしいでしょうか?」
……へ?
「入館資格の確認」?!
そ、そんな話、聞いてないですが?
「あ、大した内容ではないです。
ただ、本人が魔術を使用できる事を確認させていただくだけですので。」
受付の女性は穏やかにそう語った。
ああ、そうか。
ここは「魔術図書館」、魔術の使えない者には、本来、用の無い筈の場所だ。
ただの物見遊山の観光客を弾く為の処置なのだろう。
「はい、分かりました。
大丈夫です。」
「承知いたしました。
では、ご説明の準備が出来るまで少々お待ち下さい。」
「はぁ……。」
待つのか……。
別に急ぐ用事も無いし、構わないのだけど、どのくらい待つのだろう。
もう目と鼻の先に来た状況で待つとなると、ちょっとソワソワしてしまう。
「……お客様、すみません。」
「は、はい?!」
腰を落として気を抜いた瞬間に再び声を掛けられたので、驚いてしまった。
「説明は、一組四人までとなっているのですが、前の組で三名様の説明がこれから始まるのです。
そちらの方達とご一緒でも構いませんか?」
相席のような形か?
こちらは特にやましい事もないし、それで構わないな。
「はい、私は構いません。
その方達さえ良ければ、ぜひ。」
「承知いたしました。
今、確認して参ります。」
そう言って席を立った受付の女性は、すぐに戻って来た。
「お客様、前の組の方も構わないとおっしゃられているので、ご一緒にどうぞ。
案内いたします。」
「あ、はい。
ありがとうございます。」
ありがたい。
短い時間だろうが、待たされる時間が無くて済むなら、それに越したことはない。
案内されたのは、すぐ近くの小さめな部屋だった。
中に居たのは、説明役と思しき職員一人と、椅子に腰掛けた三名。
……なんだか変わった組み合わせだな。
ヒトの成人年齢は、だいたい十五歳とする所が一般的だ。
三人の内一人の黒髪の少年は、その年齢に達していないように見える。
同じく黒髪の女性は、こちらは成人済みに見えるな。
そして、もう一人は口元をマスクで隠しているが、同胞だ。
里の者以外のエルフに会うのは久しぶりな気がする。
……後で声を掛けさせてもらおうかな。
「──では、当館での注意点を説明いたします。」
おっと、同胞に会えて気が逸れてしまった。
まずは、ちゃんと注意事項を聞かなくては。
この時、私はこの巡り合わせが大きな意味を持つ事を、まだ知らずにいたのだった。




