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兼業聖女じゃダメですか? 〜根も葉もない噂で次期聖女の地位と愛犬を失ったので、隣国のペットサロンで働こうと思います〜

作者: 野木ノゾミ

【7日連続】短編投稿予定です!

第5弾はこちら↓↓↓

「私が、次の聖女……!?」


 広大な自然に囲まれたラビランド国では、聖なる力によって災厄を避け、平和をもたらす聖女の存在が欠かせない。


 先の偉大な聖女が亡くなると、聖なる泉の広場で次の聖女が選ばれる一大儀式が催される。


 参加を許されたのは、この地方でもある程度以上の位を持つ名家に生まれた、15歳までの少女たち。


 どの家にとっても、娘が聖女に選ばれるということは、これ以上の名誉などない栄光だ。

地方中の誉れ高い名家の娘たちが集まった儀式の場で、御神託のもとに呼ばれた名は。


「セリナ・メルセデス。次なる聖女として、我らの安寧を護りたまえ」



 そうして選ばれた少女が、私だ。


 現在15歳。生まれたメルセデス家は、ギリギリでこの儀式にも参加を許されたような、名家の中では位の低い男爵家だ。


 当然、ほかの名家の少女たちの中には、セリナに対してあからさまに苛立った視線を送る者たちもいた。


 さらに悲しいことに、セリナを悪く思う者の中には、肉親である妹・フローザもいたのだった。


 たしかにフローザは私よりも美しいし、成り上がり欲求も強い。いつも姉である私に、敵対心を抱いてもいた。だから彼女がセリナを恨む気持ちもわからないではなかったが。


 それでも、セリナは正当に選ばれてしまったのだ。私だって、聖女に選ばれたということがどれほどの重大な出来事なのかは理解している。

 わかってはいるんだけれど……。



 聖女に選ばれた少女には、慣例的に「3年間」の猶予が与えられる。その間に聖女職への諸々の支度を整えたり(当然、聖女となれば今住んでいる町を出て、大聖堂へと住み込むことになる)、家族や友人との時間をゆっくりと過ごしたり、運命の男性と出会ったり……新生活への準備をするのだ。


「次なる聖女セリナよ、貴女は3年間をどのように過ごすつもりか。必要な経費は、聖職会がとり持たせていただくが」


 神官の問いに対するセリナの答えは、周囲の予想に大きく反するものだった。


「私は……3年間この国を出て、国外に留学したいと思います」


「りゅ、留学?? それは一体、なんの勉強をするというのかね?」


 セリナは決意を持った眼差しで、宣言する。


「パピーロット地方へと赴き、そこで“トリマー”の勉強をします!」


「と、とりまー……」


 心に、決めていたことだった。


「我が家には、カルメという犬がいます。カルメはどんなときも、私の心の支えでした。彼のためにも、私はトリマーの資格を得たいのです」


 一同が驚くのも全くもって無理はないことだった。なぜなら、聖女とは聖職で、そんな勉強をしたところで意味がないからである。そして、この世の中に、聖女になれると決まってなお、そのほかの職業に就きたいなどという変わり者は、いないのだ、普通。


 ただ、セリナは違った。


「これは、私の大切な願いです。聖女の仕事は、決しておろそかにいたしません。どうしても、その技術は、トリミングの本場であるパピーロット地方で習得したいのです」


 次期聖女にそう宣言されて、言い返せる人間がいるだろうか?


 神官たちのなかには、「大変に強い芯のある少女である」「強い意志も含めて、神が授けた聖女の資質なのではないか?」という肯定的な見方も生まれた。


そうしてセリナは聖職会の承認を得て、正式に3年間のパピーロット留学へと向かうことになったのである。



☆ ☆



 そして今日が、その門出を祝うパーティーの日。


 聖職会の人々やセリナを祝福する民衆、さらには有力公爵家の人間なども、名誉なメルセデス家のために、やって来ていた。


「セリナ様、おめでとうございます!」

「よい旅路となりますよう!」


 あちらこちらから、祝福の声が聞こえてくる。


 セリナは一通りの挨拶を終えると、その場でひとつのハサミを取り出した。


病気で亡くなった父の形見でもある、小さくて古いハサミだ。しかし取手には美しいメルセデス家の紋章が彫られた、由緒正しい品だった。


「カルメ……!」


 愛するカルメとの別れは、3年間とはいえセリナにとってなによりも悲しいものだった。


「3年間、離れ離れになってしまってごめんなさい。でも……私はかならずまた戻ってくるから。あなたはお母様とフローザと、幸せに暮らしていてくださいね」


 セリナは品のあるブラウン色の大きく美しい瞳を涙でいっぱいにしながら、愛するカルメへの別れを告げる。美しいブロンドの長髪が、風に靡く。セリナはカルメの体毛を、父のハサミでちょこんと切った。それはとても愛おしい仕草だった。


「これは、わたしのお守りにしてもいい?」

「ワンッ!」


 セリナは胸元のロケットを開き、大切にその毛を閉じ込めた。



 飼い主を想う忠犬と、心の清い次期聖女のハートフルなやりとりに、人々は胸を打たれた。


 しかし……。


 涙を流す民衆の横で、そんなセリナのことを睨みつけている人物が二人いた。


 母親と、フローザだ。


「なぜ、聖女は私ではダメだったの? どうして……どうして私よりも器量が悪くて出来のよくない姉が、選ばれてしまったの……?」


 そう呟いたフローザの横で、母も暗い目でボソリと言った。


「どうしてフローザちゃんが、あの輝く場所にいないの……? 私と同じルビーの瞳、私と同じ純黒の髪、私そっくりでいい子の、フローザちゃんではなく……どこにあんな子が選ばれる理由があるというのよ」


 セリナを僻むそのほかの令嬢たちの敵意も、吸い寄せられるように集まってきてしまう。


「聖女に選ばれておいて、海外留学? いい気になるのも、大概にしなさいよ!」


 セリナの門出を祝う会場の一角で、強い悪意が渦巻きながら肥大化していった。



☆ ☆



 3年間のパピーロット地方での“トリマー留学”は、セリナにとって充実して幸福な日々だった。数多くの座学をこなさなければならなかったし、職人からの厳しい実技指導で凹んだ日は数えきれない。


それでも、同じ夢を持つ同世代の若者たちと友達になれたし、指導のおかげで、トリマーとして独り立ちできるほどの技術を身につけられた。


「卒業、おめでとう」


 校長先生からトリマーの資格を証明する“バッジ”を手渡されたときの感慨には、聖女に選ばれたあの日の気持ちともなんとも違う多幸感があった。


「3年間、やりたいことをやらせてもらった分、これからの人生は、本当の聖女として、人々のために尽くしたい」


 それが、セリナの嘘偽りない正直な気持ちだった。


 しかし、帰国したセリナを待ち受けていたのは、思いもよらない事態だった。



☆ ☆



「あなたは次期聖女の地位を失いました」


「えっ?」


 セリナは審問官が冷たく言い放った言葉の意味がすぐにはわからなかった。


「聖女の地位を失った?……どうしてですか? 私がいない間に、何があったと言うのですか?」


 なにをコイツは言ってるんだ、とでも言いたげな目線を寄越して、審問官は言う。


「あなたは聖職会の資金を不正に使用して国外へと渡った、“スパイ”だということがすでに露呈しているんだよ。何を言っても無駄だ」


 この人は何を言っている? 私が、スパイだって?


「そんなの、根も葉もない噂でしかありません!」


「諜報活動にまさか聖職会の資金を使うだなんて……とんだ無礼者が!」


「誰が……誰がそんなことを言い出したのですか?」


「君のかつてのご家族は、とても心の清らかな人たちだ。何もかも、国のためを思って告白してくれた。貴様はメルセデス家を脅迫し、寄生虫のように住み着き始めたこと。儀式を司る神官を買収して次期聖女となり、国外逃亡を図ったこと。貴様の全ての悪行が、すでに解き明かされているのだぞ!」


 私の家族……お母様とフローザが、どうしてそんな嘘をつくの……?


 泣きそうな顔になったセリナに、審問官が詰め寄る。


「何を言おうったって無駄だ。残念だが、決定的な証拠がある」


「決定的な証拠?」セリナには見当もつかなかったが……。


「瞳と、髪の色だ。貴様の容姿は、母親の性質を全くもって受け継いでいない。妹はあれほどまでに受け継いでいるというのにな」


 審問官は蔑みの笑顔を浮かべている。


(そんなの、偶然じゃないか)


 そうセリナは思ったが、もう何も言い返す気にはならなかった。あまりの出来事に、心が疲弊していた。



 お母様とフローザと、話をしなければーー。

 そう考えたセリナは、3年ぶりのメルセデス家へと向かった。



 そこには、派手な真紅のドレスに身を包んだ尊大な態度のフローザと、満足げな笑みを浮かべた母親がいた。


「あら、裏切り者が我が家に何の用かしら?」


「ここはもう、オマエの帰ってくる場所じゃない、裏切り者が!」


 激しい敵意が、二人の赤い瞳に渦巻いていた。


「あなたたちが、すべて仕組んだことなのですね……」


「訳のわからないことを言わないで! さっさと出ていきなさい。そして二度とこの屋敷の門をくぐるんじゃないよ」


「あ、お母様! ちょっと待ってください。この裏切り者に、とっておきのものを見せてあげましょう」


「あら!そうだったわね!」


 二人は不敵な笑みを浮かべてセリナに「こっちに来い!」と言い放ち、かつてセリナの部屋だった場所へと向かう。


 目に飛び込んできた光景を名づけるならば、それは「絶望」だった。

 セリナにとって、他になんと形容のしようもない、「純粋な絶望」だった。


「カル、メ…………」


 そこにあったのは、幼いセリナが何度もブラシで整え、顔をくしゃくしゃにして擦り付けた、愛するカルメの毛皮だった。


 そこに、もう生命の光は宿っていない。ただの、毛皮だ。


「うるさい犬だったわねえ、フローザちゃん」

「飼い主によく似た、陰湿な犬でしたわ、お母様」


「仕方がなかったのよ? 私たち、この犬を見るたびにあなたのことを思い出して鳥肌が立ってしまって。まあ、せいぜい犬ですから」

「そうですわ、お母様」


 もう、セリナの目には、目の前で会話しているものが、人間には見えなかった。愛するカルメを奪った、悪魔だーー。



☆ ☆



 次期聖女の地位を失い、帰る家を失い、愛するカルメ失ったセリナに、町で同情してくれる人間などいなかった。

 それほど周到に、母と妹は自分の噂を町中に言いふらしていたのだ。


 生きていく当てを失ったセリナは、自分のことを知らない場所へとただ彷徨った。そして、この街にたどり着いた。


 それは、三年間の青春を過ごした、パピーロットだった。



 人々はセリナのことを知らない。素性も、悪い噂も。ただの、身寄りのない女だ。


「これから、どうやって生きていけばいいんだろう」


 彷徨うセリナの目線が、ある店の前で止まる。


《ペットサロン・ウタタネ》


 セリナは、カルメの体毛が入ったロケットを、握りしめる。


 涙が、溢れてくる。

 私は、私の人生を生きるしかない。


ーーカランカラン……


「いらっしゃい。お? お嬢さん、見ない顔だねえ」


「私を……ここで働かせてください」



☆ ☆



「いらっしゃいませ!」


 セリナは朗らかに客を出迎える。笑顔は、もう取り戻していた。


「うわぁ! 可愛いワンちゃんですね……!」

「そうでしょう? ここはすごく素敵なお店だって聞いて、来ちゃったのよ」


 ありがとうございます、と笑顔でセリナは返す。ウタタネで働き始めて、2年が経っていた。


 初めてここへ来た日、突然「働かせてください」と言われた店長は目を丸くしていたが、あのとき店長に拾ってもらえたから、今の私がある。


 元々トリマーの仕事は夢だったし、職場は素敵な人ばかり。それにお客さんは私の腕を信頼してくれて、大切なペットを、私に任せてくれる。本当に、やりがいのある仕事だ。


「お姉さん、どこでこんな素敵なブラシ捌きを覚えたの? 息子もそこに通わせたいくらいよ、あはは」


「そんなそんな。この地方の王立学校で3年間学びました」

「3年も! 女の子なのに、素晴らしいわねえ」


 マダムからの嬉しい言葉に、セリナは思う。


(あのとき留学して、3年間真面目に勉強してよかったなあ……)


 足の隅までシャンプーをし、丁寧にブラッシングをして、さっぱりと水を拭き取る。セリナの仕事で、動物たちは、見違えるようにピカピカになる。


「本当にあなたにお願いしてよかったわ! また、来月来るわね」

「ありがとうございました。またお越しくださいませ!」


 今日一日の仕事が終わる。トリマーは、とても神経を使う肉体労働だ。


(今日の子、とっても可愛かったなあ……)


 そう思うと、どうしても思い出してしまう。カルメが生きていた幸せな日々を。


 セリナは、ときどき夢に見ることがある。


(カルメと一緒に、あのまま聖女になれていたら、なんて)


 今の暮らしは過酷だけれど、決して不幸せではないと思う。けれど、やっぱり切なくなる。そんな夜は、カルメのロケットを握りしめて、眠るのだ。



☆ ☆



 翌日、サロンに出勤したセリナ。


 やってきた二人組の男性客は、異様な雰囲気を放っていた。


「腕の立つトリマーがいると聞いてやってきたんだが、君か?」


 そういきなり聞いてくる男性は帽子を目深に被り、表情が読めない。しかし纏っている服装は、平民のものではない高級品で、明らかに貴族のものだ。そして袖についたこの紋様は……。


(まさか、クルセウロス公爵家のお方……!?)


 セリナは驚いた。理由の一つは公爵家という名家中の名家、そのやんごとなさだ。


 そしてもう一つは、こんな話をかつて店長から聞いたことがあったから。


「クルセウロスさまの家には、セリナちゃんよりも少し年下の後継ぎがいるそうだ。しかし……目元には深い深い傷があり、その顔は見るに恐ろしいものだそうだ。こうなると結婚相手も見つからないし、クルセウロス家も困っているのだそうだよ」


(目深にかぶった帽子……。もしかして、この奥には大きな傷を隠している?)


 気にはなるが、セリナは平静を装って接客を続ける。


 公爵家のご子息が抱えているのは、中型の犬。とてもとても愛らしい瞳で、セリナのことを見つめてくる。


(か、かわいい……)


 帽子の男性の隣、もう一人の青年が、明るい笑顔でセリナに語りかける。


「この子、コイツのペットで“シュガ”って言うんだけど、すごくトリミングが嫌いで。どのお店に行っても、暴れちゃって毎回うまく毛を切ってもらえないんだ。そこで、このお店を頼ってきたんだけど……」


(なるほど、そう言うことか。たしかにシュガくんの毛並みは整っているけど、このサイズの犬にしては少々毛が伸びすぎているかも)


「任せてください! シュガくんのこと、私が綺麗にして見せますから!」


 そう言ったセリナは、テキパキと作業に当たった。それはあまりにも流れるような職人技で、男性客二人はじっと静かにその作業を見守っていた。



「できました!!」


 仕上げのブラッシングを終えたシュガを大事に抱えて、セリナが二人の元へと戻ってくると、帽子の男が「ビクッ」と反応した。


ーーコトン。


 目深にかぶった帽子が落ちる。男の瞳は、まんまるに見開かれ、輝いていた。


 彼の顔には、確かに大きな傷があった。それでも、その表情からは、ペットに対する深い愛情と優しさが滲み出ている。


「……シュガ!! こんなに美しくなって帰ってくるとは!」


(この人……怖いっていう噂だけど、本当はとっても優しいお方なんだな)


 セリナは、そう直感していた。


「本当に……あなたがシュガを綺麗にしてくれたのか?」

「そうですよ。トリマーなんだから、当たり前です」

「すごい!」と隣の笑顔の青年も言ってくれる。


「シュガ……よかったな!」

 公爵令息は表情をとびきりゆるめて、シュガの毛並みに「モフッ、モフッ」と顔を埋める。


(やっぱり公爵令息さまでも、この仕草したくなるんだ……)


 そんなことを考えるセリナに、令息は言う。


「本当に、ありがとう。また、来てもいいかな」

「もちろんですよ! クルセウロス様に喜んでいただけて、ホッとしています」


「……バレていたのか……。俺の顔が、怖くないのか……?」


 セリナには不思議だった。どこも、怖くなんてないよ。


「シュガちゃんに顔を埋めたときの表情を見たら、どれだけ優しい方か一瞬でわかりましたよ。怖いなんて、全く思いません」


 そうか……と言って、二人は去っていった。


 また、来てくれたらいいな。セリナはそう思った。



☆ ☆



 それから、クルセウロス令息は毎週のようにシュガを連れ、ウタタネへとやってきた。頻度の高さは、さすが公爵家。


 その頃になると、同世代の動物好き同士、クルセウロスとセリナはよく会話をするようになった。


 わかってきたことといえば、クルセウロス令息は、ちょっぴりみえっぱりで、でも優しくて、世間のイメージとは全然違う、普通の青年だということだ。


「前から気になっていたのだが……セリナのそのロケットには、何が入っているのだ?」


「ここには、かつて愛していたカルメという犬の毛が入っているのです。カルメは、すでに天国へと旅立ってしまいましたが。とても可愛らしい子だったんですよ」


 ほう、と公爵令息は、何やら考え込む仕草をした。


「すみません、お客さまの前で私の話なんか……」

「いや、そうじゃないんだ」


 では、何を考えているのかしら?


「奇遇だが、私がもっと幼かった頃、おなじカルメという名の犬を飼っている家へと招かれたことがあってな。まあ、ここからは遠い、違う地方の話なのだが」


 クルセウロスの話に、セリナはどきりとした。


 まさか……。


「もしかして、なんですけど。それってどこかの聖女のお話だったり?」


 クルセウロスの顔に「!」が浮かぶ。


「そうだ。次期聖女の門出を祝う、祝賀パーティーだった! しかし、どうしてそれを君が……!? まさか、いや、そんなことはありえない」


 クルセウロスは明らかに混乱しているらしい。そりゃ、そうだよね。


「信じてはいただけないかもしれませんが……その聖女は、私です」


「えーー!」と声を上げたのは、クルセウロスの幼馴染、いつも一緒のトラガルド。こちらも有力家の子息なのだそう。


 クルセウロスは身を乗り出して尋ねる。


「では、君の名は……セリナ?」

「はい、そうでございます」


ボッと、クルセウロスの頬があからんでいる。


「しかし、次期聖女であった君がなぜ、このような場所にいる? 聖務はどうなっているのだ?」


 この人なら、信頼できる。


 そう思っていたから、セリナはこれまでの顛末を、包み隠さずクルセウロスに明かした。



「なんと、そんなことが……」


 あまりの話に、クルセウロスとトラガルドはしばらく沈黙していた。


「でも、セリナちゃんは、何もしてないんだよね?」


 当然です! とセリナが思う前に、クルセウロスが言っていた。


「当たり前だろう。あのとき聖女セリナがカルメを思って流した涙。あれに嘘偽りがあるはずがない。私にはわかる、セリナが無実だということが。しかし、どうしたものか……」



☆ ☆



 翌日、クルセウロスとトラガルドはまた来た。


 しかし昨日トリミングしたばかりなので、シュガの毛並みはまだピカピカだ。


「いらっしゃいませ」とは言ったものの、きっとトラガルド令息の目的はトリミングじゃない。


 シュガを撫でながら、神妙な顔つきでクルセウロスは言う。


「できることならば、私の力でセリナの無実を証明し……再び聖女の位へと戻してあげたい。しかし他国ラビランドとは何の関係もない人間である私に、その力は……」


 どういう風の吹き回しかとセリナには不思議だったが、どうやら令息さまはセリナの身を大変に案じてくれているらしい。


 先日、身寄りのない一人暮らしの粗末な家の話や、聖女の夢の話を、し過ぎてしまっただろうか……。お客さまに不要なご心配をかけてしまうとは……セリナは自分のことを少し恥じた。


「い、いえいえ! 次期公爵さまに心配していただけるだけで、私はすごく幸せ者です」


 そう言って自分をまっすぐ見つめる愛らしい瞳から、クルセウロスは思わず目を逸らす。


(どうか、したのかな……?)


 隣では、トラガルドが何やら楽しそうに笑っている。


「セリナちゃんは、どうしてこの人がこんなに自分のことを心配してくれるんだろう?って不思議だよね。だけど、簡単なことなんだよ」


(簡単なコト……?)


 お前っ、とクルセウロスが制そうとするが、シュガが「クルルルウ」と腕の中で騒いで身動きが取れない令息。


「クルセウロスはね、あの日、あのパーティーの日、恋しちゃったんだよ。セリナちゃんに。だけど……クルセウロスはセリナちゃんが留学から戻り、聖女となったら、婚約を申し込もうかと真剣に悩むくらいに、君のことを……」


「いいだろう、もう昔の話だ」

「今の話だよ! 奇跡の再会なんだよ? クルセウロス」


 ……二人は、何の話をしているの? クルセウロスさまが恋をした……私に? あの日?


 情報量の多さに混乱する。なのに、どうしてこんなにも胸の奥が熱いのだろう……。


 もういい、わかったよ、とクルセウロスが決意を決めたような表情でセリナのほうを見る。


「私と一緒に、行かないか? ここを出て……私と、一緒に」


 次期公爵さまが、私のことを熱い眼差しで見ている。


 これは、現実?


「セリナと、行きたいところがあるんだ。このパピーロットには、とある有名な魔女がいる。その魔女のもとへ、今日の夜、ともに来てほしいんだ」


 顔の傷の下で、クルセウロスの瞳が瞬かれる。


「私で、よければ……」


 セリナには、そう返すのが精一杯だった。


「よかった。では、その胸の“ロケット”も、忘れずに持ってきてほしい」

「わかりました、クルセウロスさま……」



☆ ☆



 サロンでの仕事を終え、店の通用口から出てくるセリナを、クルセウロスは一人で待っていた。


「寒くなかったですか? まさかお一人で、ずっと待たれていたなんて。私、お客さまになんてことを……」


 クルセウロスは意味ありげに目を逸らす。


「気にするな。今はもう……客として来ているわけじゃない」



 二人は夜通し移動をして、魔女の家に辿り着く頃には、すでにあたりが白み始めていた。


 クルセウロスはトン、トンと小さな古屋の扉をノックすると、「失礼します」と断ってからドアを開けた。


 魔女はクルセウロスの姿を見つけると、「久しぶりだねえ、坊や」と嬉しそうに頬の皺を作った。


「もう、坊やと呼ばれる年齢ではございませんよ、お婆様。こちらが、お伝えしていたセリナです」


「は、はじめまして」


 セリナはぎこちなく挨拶する。クルセウロス様は、どうしてこんな場所に私を連れてきたんだろう?


「おやおや、可愛らしい子じゃ」と言って魔女はセリナの顔をじっと見てから、目線を胸元のロケットに移した。


「これは……。愛の力が、満ちておる。うむ……約束を叶えよう、クルセウルスよ」

「ありがとうございます」


(約束って?)


 セリナは状況が飲み込めないまま、二人の後をついていく。すると、林の先に、小ぶりな湖が広がっていた。


「こんな場所に、湖があるなんて……」


 その美しさに、セリナは思わず息をのむ。


 クルセウロスはセリナに、静かに言う。


「さあ、そのロケットを、湖の中に入れてごらん」


 言われた通り、ロケットを首から外してそっと水の中に入れると……。


ーーブウワァァァ


 辺り一体が、白いモヤがかった光に包まれる。


「あっ……」


 クルセウロスが、セリナの左手を握る。


「え、うそ……」


 セリナは、目の前の景色が信じられなかった。


 目の前にいたのは、大好きな、カルメだったのだ。


「カルメ……? カルメなの?」


「そんなの、お嬢ちゃんが一番よくわかっているだろうに」


 後ろから、魔女の声が聞こえる。間違いない。いま目の前に、カルメがいるーー。


「ここは、『希望の湖』。死者と生者を、つなぐ場所だよ」


「希望の、湖……」


「私にできるのは、ありもしない偶像をつくることなんかじゃない。そんなこと、できっこないね。ただ私には、すでにある死者との絆を、生者が見られるようにできるだけさ。だからね、ずっとお嬢ちゃんのことを近くで見守っていたんだよ、この子はさ」


 セリナの目の前で、カルメが元気よく駆けている。毛並みは、ピカピカだ。


「ずっと、私のそばに、いてくれてたんだね」


 涙が、止まらなかった。あれだけ酷い目に合わせて、最後のお別れも言えないで、それでもカルメは、私を愛してくれていたんだ……。


「愛が消えなければ、この子はお嬢ちゃんにこれからも付いていきたいと言ってるよ。人はそれを、守護霊と言うがね」


「カルメが、私の守護霊に……」


 セリナの隣で、クルセウロスは静かに涙を拭った。それを見たのは、消えかけの月だけだったが。


「一緒にいて。カルメ!」


 セリナが、あの別れの日ぶりに、カルメの体を抱きしめた。


ーーギュッ。


 その時ーー。さらに強い光の渦が、あたりを包んだ。


 魔女の声がする。


「な、何が起きておるのじゃ……」


「セリナ! 大丈夫か! 俺から、離れるな!」


 クルセウロスさまが、身を挺して私を守ろうとしてくれている。


 本当に……ありがとうございます。


 だけど、違うのーー。


 光を放っていたのは、セリナだったのだから。


 セリナはか細い体いっぱいに、強くて白いエネルギーが集まってくるのを感じた。


「セリナ、その髪は……!?」


 純白だった。一切の闇を祓い去る、白色の髪だった。


 セリナのブロンドの長髪は、純白へと生まれ変わっていたのだ。


 閉じていた目をゆっくりと開けたセリナは、手を繋いだクルセウロスの顔を、見た。


「こんな……こんなことが……」


 クルセウロスの顔に深い闇を刻印していた大きな傷は、跡形もなく消え去っていた。


「消えてる……というのか?」


 クルセウロスは湖の水面に顔を近づけて、叫ぶ。


「傷が……傷が、なくなったんだ!」


 辺り一面の朽ちた樹林が、みずみずしい生のエネルギーに満ちた若木の群れに生まれ変わる。


 後ろで、魔女が震える声で言うのが聞こえた。奇跡を見た人間の、声だった。


「聖女が、ここに誕生されたのだ……。間違いようがない。これは、聖女の治癒の力じゃ。真実の愛が、聖女の力を再び甦らせたのじゃ!」


 聖女となったセリナと、本来の輝きを取り戻したクルセウルスの顔が、静かに向かい合う。

 クルセウロスさま、こんなに美しいお顔だったんだーー。


「どうして……どうしてこんなにも、私のために?」


「好きだからだ。セリナのことが」



☆ ☆



 奇跡の夜明けから、少し後のことーー。


 セリナを追放したラビランド国は、大混乱に陥っていた。


「聖なる泉が、枯れてしまった!」

「なんということだ……」


 神官たちが慌てふためく。かつて、聖女の儀式で幼いセリナが任命された場所だ。


 この国から、聖女は光を失ったのだ。



「あの娘が……、パピーロットの聖女に……!?」

「ど、ど、どういうことなの!?」


 かつて聖女セリナを苦しめたフローザと母は、思いがけない新聞の見出しを読んで驚愕した。


「こんなの何かの間違いに決まっているわ!」


ーーガチャ。


「動くな! 警察だ。アブダ・メルセデス、そしてフローザ・メルセデス。この国を陥れた詐欺の疑いで、連行する」


「待ってください。最後に、一言だけ、伝えさせてください」


「せ、聖女さま!」


 セリナは二人の前に出る。


 母アブダは、気絶した。


 目の前で、自分たちが殺したはずのカルメが元気に吠えていたのだ。驚くのも、無理はない。


「た、たたりだーー!」

 フローザは絶叫した。


 セリナは静かに、告げた。

「今まで、ありがとうございました」


 セリナを恨んでいた貴族たちからの献金で贅を極めていたアブダとフローザは、“傾国の魔女”と呼ばれ転落し、追放された。



☆ ☆



「お久しぶりです!」


 入口から覗いた顔を見て、ウタタネの店長は目を丸くした。


「セリナじゃないか! 私たちのセリナが、帰ってきたぞ!」


 商店街中のおじさんおばさんたちが、驚きと喜びに満ちた顔をして、集まってくる。みんな、セリナに本当に良くしてくれた人たちだ。


「わたしを拾ってくれて、ありがとうございました。店長さんがいたから、わたし、生きられた」


 そんなことねえよ、と店長は照れるのを隠せない。


「セリナ、遠くにいっちまうんだなあ」


 みんな、すこし切なそうな顔だけど……。


「違うの」


 セリナは笑顔でみんなに告げた。白に変わった美しい長髪が、そよ風に揺られる。



「私を……ここでまた働かせてください!」



「ええ!?」


 そうして、聖女セリナと公爵となったクルセウロスは、二人で幸せな日々を送っている。もちろんカルメと、シュガも、一緒。


 セリナは聖女としてこの国を護りながら、今日もウタタネで働いている。

お読みいただきありがとうございました!

「面白かった!」

「カルメと再会できてよかった(涙)」

「セリナとクルセウロスの今後が気になる」

などなど思っていただけましたら、投稿の励みになりますので評価、ブックマークよろしくお願いいたします!

明日も新作を公開予定です。

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