表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
泉 鏡花「春昼」現代語勝手訳   作者: 秋月しろう
9/23

泉 鏡花「春昼」現代語勝手訳 九

 九


「まさかとお思いなさるでありましょう。お話が大分(だいぶ)唐突(だしぬけ)でござったで」

 僧侶は頬に手を当てて、(うつむ)いて少し考え、

「いや、しかし恋歌でないとしてみますると、その死んだ人の(ほう)が、心を迷わせたのかも知れんでございます」

「とんでもない話じゃありませんか。それはまたどう言う訳があってのことですか」

 と、散策子は何時(いつ)しか、もう御堂(おどう)の畳ににじり上がっていた。(いわ)くありげな物語を聞くのに、(ふところ)が窮屈だったので、懐中(かいちゅう)に押し込んであった鳥打ち帽を引き出して、(かたわ)らに差し置いた。

 松を渡る風の音が立った。が、春の日なので、その風はふうわりと人よりも軽く、空にそよそよと吹くのである。

 僧侶は仏前の(とう)(みょう)をちょっと見て、

「それというのは、ですな、……

 実は先刻お話申した、ふとしたご縁で、御堂(おどう)のこの下の仮庵室(かりあんしつ)をお宿に提供いたしました、そのお方なのでありますが、

 その貴下(あなた)、うたた寝の歌を、そこに書きました婦人のために……まぁ、言ってみますれば恋煩い、いや、焦がれ死にをなすったと言うことでございます。早い話が」

「へぇ、今時(いまどき)ね、どんな男です」

「ちょうど貴下(あなた)のような方で」

 はぁ? 茶釜から尻尾が出た訳ではない。この(ぶん)(ぷく)和尚、渋茶を振る舞うどころか、修行者を警策で打ち据えるようなことをする。散策子は思わず後ろに身を()らして、呆気に取られ、……ただ苦笑するだけであった……

「いや、これは、飛んだところへ引き合いに出しました」

 と言って高笑いをし、

「おっしゃることといい、やはりこういうことからお知己(ちかづき)になったこともあり、何だかよく似ておられましたので、ついうっかりしましたな、これは」

(いや)、結構ですとも。恋で死ぬ、本望(ほんもう)です。この平和な世に生まれて、戦場で討ち死にをする機会がなけりゃ、おなじ畳の上で死ぬにしても、焦がれ死にが洒落ています。

 華族の大金持ちの家に生まれて、恋煩いで死ぬ、これくらい有難いことはありますまい。恋は叶う方が()さそうなもんですが、そうすると愛する人と別れなければならない時が辛い。(あい)別離(べつり)()です。

 ただ死ぬほど惚れるというのが、金を溜めるより難しいんでしょう」

「本当にご冗談がお好きでおいでなさる。はははは」

「真面目ですよ。真面目なだけ、なお冗談のように聞こえるんです。あやかりたいもんですね。よくそんなのを見つけましたね。よくそんな、焦がれ死にをするほどの婦人が見つかりましたね」

「その人を見ることは誰にも出来ます。美しいと申しても、龍宮や天上界へ参らねば見られないのではござらんで」

「じゃ、現在(いま)もいるんですね」

「おりますとも。土地の人です」

「この土地の人ですか」

「しかもこの久能谷(くのや)でございます」

「久能谷の……」

貴下(あなた)、何でございましょう、今日ここへお出でなさるのに、その(うち)の前をお通りになりましたろうで」

「その美人の住居(すまい)の前をですか」

 と言った時、あの照り輝く菜の花の中、(はた)を織った若い方の婦人(おんな)が目に浮かんだ。

「……じゃ、あの、やっぱり農家の娘で」

否々(いやいや)大財産家(だいざいさんか)細君(さいくん)でございます」

「違いましたか」

 と、思わず呟いたが、

「そうですか、大財産家(おおがねもち)の細君ですか、じゃ、もう(ぬし)のある花なんですね」

「さようでございます。それがために、貴下(あなた)

「なるほど、他人のものですね。そして、誰が見ても綺麗なんですか、美人なんですか」

「はい、夏になりますと何千人という客人が東京から見え、目の覚めるような美麗(うつくし)い方もありますけれども、なかなかこれほどのお方はないでございます」

「じゃ、(わたし)が見ても恋煩いをしそうですね。危ない、危ない」

 僧侶は真面目に、

「なぜでございますか」

帰路(かえり)には気を()けねばなりません。どこですか、その財産家(かねもち)(うち)は」


つづく

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ