泉 鏡花「春昼」現代語勝手訳 十九
十九
雨が降るかも知れない。蛇が日向へ出ている時は、雨になるのだという。来がけに二度も見た。
で、雲が被って、空気が湿っているせいか、笛太鼓の囃子の音が、山一ツ越えた辺りに、蛙が群れ鳴くように、遠いけれど、よく聞こえてきた。しかも音が沈んでいるので、ボワッとした音楽のようにも聞こえる。靄のために、蝋管で拵えた蓄音機みたいである。それがまた、遥かに響くのであった。
それまでも何かそれらしい音は聞こえていたが、まったく取り留めもなく、何の声だか音だか纏まらなかった。村々の蔀、柱、戸障子、台所道具などが、日の長さに退屈して、伸びをうち、欠伸をするアンニュイな気勢なのかと思った。まだ昼前なのに、――時々牛の鳴くのが入り交じって――時に笑い興じるような人の声も、動きのない静かに風に伝わるのであった。
それにフト耳を澄ましたが、直ぐに僧侶が、
「大分町の方が賑わいますな」
「祭礼でもありますか」
「これは、停車場近くにいらっしゃると承りましたのに、ご存じではございませんか。ついご近所でございますよ。停車場の新築開きで」
確かに一月ほど前から取り沙汰されていたのだが、今日がその当日だったのか。規模を大きくして建て直した停車場の落成式である。停車場に舞台がかかる。東京から俳優が来る。村の者達による茶番劇もある。餅を撒く、昨夜も夜通し騒いでいて、今朝来がけの人通りも、よけて通るほどであったのに、すっかり忘れていたようだ。
「すっかりお話に聞き惚れていたのか、あるいは、ここが里を離れて閑静なせいか、些とも気がつかないでおりました。実はあまり騒々しいので、そこを遁げて参ったのです。しかし、どうやら雨が降りそうになって来ましたね」
僧侶は額を仰向けに、廂を潜らせて、
「ジメッと一雨来るでございましょう。しかし、長くは降りますまい。なぁに、それに、雨具もござる。落成式の芝居をご見物なさりたいというのでなければ、まぁごゆっくりなさって。
あの音にしても、どこか面白可笑しく思えて、こっちが見物したいという気になると、じっと落ち着いてはいられないほど、心浮かれるものではありますが、またこんな風に、そんな気がなければ、遠く離れておりますと、世を一ツ隔てたように、寂しい、陰気な、妙な心地がいたすではありませんか」
「まったくですね」
「昔、井戸を掘ると、地面の下から犬や鶏の鳴く声、人の声、牛車の軋る音などが聞こえたという話がありますが、それに似ておりますな。
峠から見る霧の下だの、暗の浪打際の、ぼうと灯りが映る所だの、このように山の腹を一つ向こうへ越した地の裏側から聞こえて来るのは、奇妙で、到底人間のすることとは思えない。夜中に聞こえるのは、狸囃子だというのも当然でございます。
いや、それにつきまして、お話の客人でありますが」
と、茶を一口急いで飲み、それをさっと横に置いて、
「さて、今申した通り、夜分にこの石段を上って行かれたのでありますが、しかしこれは溢れ出そうな感情に抗しきれず行った、胸発奮む行動ではなかったのでございます。
こうやって、この庵室に馴れました身には、石段を上ることなど、言ってみれば、通い馴れた廊下を縦に通るくらいの容易い気持ちでありますからな。客人は堂に行かれて、柱や板敷へひらひらと大きく射す月の影や、あたかも海の果てに入日の雲が焼け残り、ちらちらと真紅に燃えるような黄昏過ぎの、水も山もただ渾沌として、あたり一面が大池と見えたその中に、軒端に洩れる夕陽の影と、消え残る夕焼けの雲の切れ端と、紅蓮、白蓮が咲き乱れたような眺望を見なさったそうな。これで御法の船(*1)と同じである御堂の縁を離れさえなさらなかったら、海で溺れるようなことも起こらなんだでございましょう。
ここで、不思議なことに――
堂の裏山の方で、頻りに、その、笛太鼓、囃子が聞こえたと申されます――
ほら、今、聞こえますな。あれ、あれとは、まるで方角は違います」
と、僧侶は法衣姿でずいと立って、廂から指を出して、御堂の山から左の方角へぐいと指した。その立ち方が唐突で、急であったため、目の前を墨染の袖で塞がれた時は、まるで天一杯に墨が流れたかと思うほどであった。
*1:御法の船……人間を苦しみの絶えない世界から救って悟りの世界へと渡す舟。
つづく




