泉 鏡花「春昼」現代語勝手訳 一
泉鏡花「春昼」を現代語(勝手)訳してみました。
本来は原文で読むべきですが、現代語訳を試みましたので、興味のある方は、ご一読いただければ幸いです。
泉鏡花の現代語訳については、白水銀雪氏が精力的に行っておられ、丁寧で分かりやすい現代語訳をされておられますが、この魅力的な作品を自分なりに現代語訳してみようと試みました。
「勝手訳」とありますように、必ずしも原文の逐語訳とはなっておらず、自分の訳しやすいように言葉を付け加えたり、削ったり、また、ずいぶん勝手な解釈で訳している部分もありますので、その点ご了承ください。
浅学、まるきりの素人の私が、言葉の錬金術師と言われる鏡花の文章を、どこまで理解し、現代の言葉で表現できるか、非常に心許ないのですが、誤りがあれば、皆様のご指摘、ご教示を参考にしながら、訂正しつつ、少しでも正しい訳となるようにしていければと考えています。
(大きな誤訳、誤解釈があれば、ご指摘いただければ幸甚です)
この作品の勝手訳を行うにあたり、岩波文庫の「春昼・春昼後刻」を底本としました。
全23回。
一
「お爺さん、お爺さん」
「はぁ、私けぇ」
相手が一言で直ぐ応じたのも、四辺が静かで、他には誰も居なかったせいだろう。でなければ、その皺だらけの額に緩く鉢巻をしたところに、ほかほかと春の日が射して、とろりと酔ったような顔つきで、長閑に鍬を使う様子は、人の声を耳にしても、それが自分を呼ぶのだとは、急には気づきそうもないくらい恍惚としていたからである。
しかも、その鍬の下にある柔らかな土には、散りこぼれたら、しっとりと汗ばんで、紅の夕陽の中にひらひらと溶け込んで行きそうな暖かい桃の花が咲いていて、それを燃え立たせるように揺さぶりながら、頻りに囀っている鳥の声だけが、何か話をしているように聞こえるだけだったからである。
こっちもこっちで、こんな風に直ぐに返事が返ってくると分かっていたら、声を掛けなかったかも知れない。
というのも、さて、何を言うのかと言えば、実に取り留めのないことだったのである。
本来なら、この散策子が、そのぶらぶら歩行きの退屈しのぎに、最近買い求めた安物の杖を、真っ直ぐに路に立てて、鎌倉の方へ倒れたら爺を呼ぼう、逗子の方へ寝たら黙って行き過ぎようと、そう思うくらいの気まぐれなものだったのある。
多分、聞こえまい。聞こえなければ、そのまま通り過ぎるだけ。余計なお世話だ。けれども、黙っておくのも些とは気になったのである。が、実際、呼びかけに直ぐさま応じた、『はぁ、私けぇ』には、いささか不意を打たれた格好であった。
「あぁ、お爺さん」
と、低い四つ目垣へ一足寄ると、向こうはゆっくりと腰を伸して、背後へよいとこさと反るように伸びた。その親仁との間は、別に隔てる草もなく、三筋ばかり耕された土が、勢いづいて、むくむくと湧き立つような快活な匂いを籠め、しかも寂寞としているだけである。もちろん、根を抜かれた、肥料になる、青々と粉を吹いた空豆の芽生えに交じって、紫雲英もちらほら見えたけれども。
散策子は鳥打ち帽に手を掛けて、
「つかぬことを訊くがね、お前さんは何じゃないかい、この、そこの角屋敷の家の人じゃないかい」
親仁がのそりと向き直った。皺だらけの顔に陽が一杯当たる。桃の花の色を顔に映しながら、その屋敷の方を見れば、屋根の甍は鮮やかに、青麦を焙ったような白昼の空に高い。
「あの家のかね」
「その二階のさ」
「いんえ、違います」
と、言うことは素っ気ないが、このまま話を打ち切るつもりでもなさそうで、肩を一ツ揺すりながら、鍬の柄を返して、地面に支いてこっちの顔を見た。
「そうかい、いや、お邪魔したね」
これを機に、別れようとすると、片手で鉢巻をかなぐり取って、
「どういたしまして、邪魔も何もござりましねぇ。はい、お前様、何か尋ねごとでもさっしゃるかね。あすこの家は表門さ閉まっておりませども、貸家ではねぇが……」
その手拭いを裾と一緒に下から摘まみ上げるように帯へ挟んで、指を腰に提げた煙草入れに突っ込んだ。これでは直ぐに立ち去れない。
「何ね、詰まらんことさ」
「はいぃ?」
「お爺さんがあそこの人なら、言ってあげようと思って……。別に貸家を捜している訳ではないのだよ。奥の方で若い婦人の声がしたもの。だから、空き家でないのは分かっているが」
「そうかね、女中衆も二人ばッかいるだから」
「その女中衆にさ。私がね、今あそこの横手を通ってこの路へ来ると、溝の石垣の所を、ずるずるっと這ってね、一匹いたのさ――長いのが」
つづく