国立西洋美術館に行ってきた。
国立西洋美術館でゴッホのひまわりが見られる。
それをイッテQで知った私は家族3人で国立西洋美術館のロンドンナショナルギャラリー展に行ってきた。
今回の目玉はやはりゴッホになるがそれ以外にも受胎告知、レンブラントの自画像、ヴァージナルの前に座る若い女性、鹿狩り他にもレガット、ムリーリョ、ゴヤ、モネ、セザンヌなど誰もが知る一流絵画を一度に楽しめる素晴らしい展覧会である。
しかも、私が昨日まで続いた高校世界史の範囲はルネサンスを含む17世紀のヨーロッパであった。これこそ、まさしく天啓に違いないと下らない洒落を考えながらも美しい絵画の抑揚と濃淡に感動した。なぜ、こうも絵画というのは人の心を考えすらも変えてしまう力があるのだろうか。やはり、それはいかなる時代においてもそれぞれの絵師がその作品に命を込めたからだと思う。絵画は生きている。その事を深く自覚した。
初めて見た受胎告知、レンブラントの自画像、セザンヌのバレエの踊り子、サヴォルドのマグダラのマリア、初めて知ったコネー(?)、ターナーの与えた光という影響はどこかゴッホの黄色に繋がるものがあるのではと感じた。ムリーリョの作品は全て素晴らしかった。ベラスムスもそうだ!まさに世界史の授業を受けている気分だった。
こうも興奮しているのはまさしく、絵画というものが世界史というものにリンクしてるからだろう。絵画だから歴史が絡むのは当然かもしれない、だがそれ以上に私にとってのこの体験は素晴らしいものだった。
こうして、私も本を書いている。いや、日記かもしれない、それはこの今の気持ちを10年後忘れた時にまた心むなしくジンワリと胸に響く思いをしたいからだ。
偉大な芸術家が絵画に己の命を込めたように、私もこの作品に命を込めているのだ。