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旅人だったお姉さんは年下オーナーを怒らせる

「……何やってんだよおっさん」

 自分でもかなり低い声が出たなと思った。それでも目の前のおっさんは、いつもと変わらずへらりと笑う。


 あの日からフィンさんは、宣言通りいつものみんなのフィンさんに戻った。時々オレを見る目が違う気がしたけど、それがどう違うのかも分からず、ただ飲み込むしか無かった。客連中からは変わらずさっさと告白しろだの、嫁に貰っちまえだの言われたが、全部無視した。

 そして時折、そうした会話が聞こえていたのだろうフィンさんは、少し困ったような顔をしていた。どうしていいか分からないような、そんな顔を。その顔を見て、あぁ、やっぱこの人には好きだなんて言えないな、と思った。


 そんな毎日を過ごして、一月ほどだろうか。

 店の前に、見覚えのある男が行き倒れていた。それがこのおっさんだ。

 ひとまず店の中に入れた後、飯を食わせて事情を聞くに、どうやら商売の途中で路銀が尽きたらしい。珍しいなと言えば、スられちまったと返された。多分貧民街の子供かなんかにわざとスられたんだろう。そういう人だ。

 おっさん……ロズベールさんはうちの常連客だ。と言っても、宿泊客の方の。年に一回、多くても三回くらいしか来ないけど、くれば酒場でもたんまり飲み食いしてくれる。なんの仕事をしてるかは知らないが、怖い嫁さんが居るってのは聞いたことがある。


 髭も髪も伸び放題になっているのを見て、いつからこんなになっているのやら、と思いながら部屋を貸して身なりを整えさせる。どうせ後からちゃんと金は届くから、好きなようにさせているのだ。それこそ、親父たちの代からずっと。

 それにしても、こんな朝早くから行き倒れを拾うことになるとは思わなかった。しかも馴染み客を。

 思わず溜息をこぼしていると、「幸せが逃げますよ」と言いながらフィンさんが店の方へと入ってくる。ピンクゴールドの髪が朝日に照らされて、淡く光るのを見るのはオレだけの特権だ。

 基本的に、朝は掃除や仕込みをしているフィンさん。そのため、宿泊客だってこの人の朝の姿は滅多に見れない。夜と違って、どこか清廉な空気をまとうこの姿を。

「部屋の掃除をしてきますね」

 そう言って二階へ上がろうとするフィンさんを見送ろうとして、呼び止める。あぶね、と呟きながら。


 不思議そうにオレを見る彼女に、先程のことを話した。すると彼女は今までにないくらい驚いた顔をして、それからわずかにはにかんで見せる。

「早朝から人助けなんて、きっと今日はディーゴ君にとって良い日になりますね」

「……そ、っすかね」

 笑顔が眩しく思えて目を逸らせば、いい子いい子と頭を撫でられる。恥ずかしくて軽く振り払うとくすくすと笑われた。この人のこういうところが、好きだけど嫌いだ。

 オレはフィンさんにディーゴ君と呼ばれるその度に、特別になれたような、ふわふわと浮ついた気分になるのに。この人の頭を撫でるのだって、相当緊張しているのに。なのにこの人は、弟にするように気安くやってのける。


 また溜息をつきたくなりながら掃除道具を手にすれば、フィンさんもオレにならって箒を持つ。

「じゃあ、そのお客様が使っている部屋は後に回して、掃除してきちゃいますね」

「……っす」

 頷くオレに、またフィンさんは笑顔を見せてくれる。それに好きだなぁ、なんて思うから、多分一生この人には適わない気がする。

 オレも掃除を始めるか、と思った時だった。ロズベールさんが一階へと降りてくる。見れば髪も髭もさっぱりして、体格のいい、顔の整ったおっさんになっていた。渋みがあるって、こういうことを言うんだろうなぁ、とぼんやり思いながら声をかけようとして、やめる。


 ロズベールさんが絶句したようにフィンさんを見ていたから。


 思わずフィンさんを見れば、彼女もまた、ロズベールさんを見つめていた。わずかに唇が震えているのを見て、あぁ、と内心で納得してしまう。きっと、彼女はこの人が好きなんだ、と。

「フィオナ……」

 ぽつり、とロズベールさんが囁いた名前は知らない名前だった。知らない名前だったけど、それがフィンさんの名前なんだろうな、と妙に納得してしまう。どちらが偽名なのかなんて分からないが、少なくとも他人の空似とかではないんだろう。

 どうしていいか分からずに二人を見守る。多分、眉間にシワが寄ってんだろうな、と思いながらら。


 フィンさんの唇が動いた。ロズベールと、そう言ったんだと思う。あまりにも声が掠れていて、正確には聞き取れなかったが。

 ただ、その途端にロズベールさんは泣き笑いのような、安心したような、そんな表情を浮かべてフィンさんを抱きしめていた。止める間なんて全くないほどに。

「急に居なくなったから心配してたんだぞ……!」

 ばかやろう、と涙を零すロズベールさんは、力強くフィンさんの頭を撫でる。フィンさんの顔は、オレからは全く見えなかった。ただ、彼女にしては珍しく、何も言わないだな、と、それだけを考えた。


「お久しぶり……ね」

 絞り出すような、堪えるような、そんなフィンさんの声にずきずきと胸が痛む。そんな声、はじめて聞いた。そんなフィンさんをはじめて見た。


 何が特別だ。

 オレは、ほんの少し他の奴らより一緒にいる時間が長かっただけだ。

 結局、彼女のことなんて、なんにも知らないんじゃないか。

 目の前の出来事をどこか遠くに思いながら拳を握る。あの人はいつだってオレの前で笑顔を崩さなかった。辛そうな時も、しんどそうな時も、怒っていそうな時も。いつだって、だ。

 確かにオレはあの人の笑顔が好きだ。

 でも、オレはあの人の笑顔だけが見たいんじゃなかったんだ、と今更気が付いた。


 フィンさんがロズベールさんを引き離す。優しく、そっと。それはとてもじゃないけど、嫌がってしているようには見えなかった。

「私、もう子供じゃないのよ」

 俯き気味に言う彼女は、いつもの声で言う。多分その顔は笑っているんだろう。ロズベールさんもまた、笑っていた。なんで笑えるんだろう、と不思議に思うオレはおかしいんだろうか。

「はは、ほんと、綺麗になったもんなぁ。一瞬本当に本人か分からなかった」

「そう言うロズベールは、すっかりおじさんが板に着いたわね」

「お前なぁ!」

 なんで笑ってんだろう、この人は。この人たちは。

 だって、フィンさんはどう見たって泣きそうじゃないか。辛そうな時の声じゃないか。必死で押し隠している時の……そんな、声じゃないか。なのに、なんでこの人は笑ってんだ?なんでロズベールさんは、なんでもないように笑ってんだ?


 分からない、


 分からないけど、腹が立つ。







 オーナーであるディーゴ君は、口数があまり多い方ではない。どちらかと言えば少ない。いや、普通に少ない。とは言え取っ付き難いということもなく、男の子ってそんなもんだよなぁ、という程度の少なさだ。

 そんなディーゴ君は普段口数の少なさから、怒っていると勘違いされることが多い。昔からの馴染みの人は慣れているからか、付き合いが長いからかそんなことはないけれど、でもやっぱり、誤解されやすい人ではある。彼は、まったく怒らない子だと言うのに。

 そう、思っていた。


「ふぃお……フィン、お前すっかり看板娘だなぁ」

 ロズベールの言葉に苦笑で返す。

 最初に見た時は本当に驚いたし、あの頃の感情が一度に蘇ってきて、正直に言えば逃げ出したかった。やっぱりちゃんと整理できてないなぁ、と情けなかったのもあって。

 ただ、会ってみれば呆気ないほど普通だった。奥さんのことも、子供のことも、何を聞いても「幸せそうで良かった」と思うだけだった。あれほど忘れられないと思っていたのに、大切だと思っていたのに、今も続いていると思ったのに、私の恋は、いつのまにか終わっていた。


 ディーゴ君にはロズベールのことを昔の恩人で、と簡単に説明したけれど、彼がどこまでそれを信じてくれているかは分からない。彼の目が、納得がいかないと訴えかけてきていたから。

 それも仕方ないとは分かってる。だってロズベールは、はっきりと私をフィオナと、昔の名前で呼んだから。賢いディーゴ君のことだから、多分フィンが偽名であることはすぐに分かっただろう。


 それからだろうか。いや、もしかしたらその少し前から、ディーゴ君はすこぶる機嫌が悪い。朝見た時に顔色が少し悪かったからそれだろうかと思ったけど、違うのはすぐに分かった。他の人達は気付いているのか居ないのか、いつも通りに接していて、なんなら「いつも通り凶悪面だなぁ」なんて声をかけている。いつものディーゴ君なら「うるせぇ」くらいは言うのに、今日は「っす」と言ったきり無言だ。

 包丁を振るう手が義務的で、その目はいつもと違って感情が渦巻いていて、正直恐ろしい。普段怒らないディーゴ君が怒っているという、その事実が恐ろしくて仕方ない。

 しかも怒られる心当たりがあるだけに、なおさら。


 肉屋のおじさんに呼ばれて注文を取りに行く。カウンター席で、ディーゴ君にほど近いから行きたくないけど、これも仕事だ。そう思いながら近寄れば、注文ついでにいつもの「フィンちゃん可愛いねぇ」が始まる。ちらちらとディーゴ君を伺いながらそれを聞き流していれば、今日はロズベールまで参加し始める。

「いやほんと、フィンは可愛いよなぁ。俺の自慢の妹だよ」

 満面の笑みを見せるロズベールに、不思議と胸はあまり痛まなかった。やっぱり、この人は私のことをそう思っていたんだなぁ、と確認しただけで。


 そんな時に、どん、と鈍い音が響いてびくりと振り返る。見るとディーゴ君は丸めたソムリエエプロンごと拳を握って、調理台に叩きつけていた。常連しか居ない店内がしんと静まり返る。

 恐る恐る「ディーゴ君……?」と呼びかけると、彼は頭を下げて「すんません、頭冷やしてきます」と言って店を出てしまった。こんなこと初めてで、思わずぽかんと見送るしかできなくて。周りのお客さんを見たら、みんな私と同じように唖然として見送っていた。

「め、珍しいなディーゴのやつが……」

「あぁ……あいつ、何があっても店は空けねぇんだけどな……」

 ぽつぽつと聞こえてくる言葉に、段々と体が冷えていく感覚に陥る。彼は言っていた。この店を笑顔が溢れる店にしたいと。賑やかで、常にみんな笑ってて、家みてぇに寛げる、そんな店に、そう言っていた。

 なのに、この状況は……


 私のせいだ、と、烏滸がましくも思ってしまった。


 ディーゴもあれだし、帰るか。

 それが誰の言葉かは分からなかった。分からなかったけど、「あの!」と引き留めた。自分でも驚くほど大きな声で。

「あの、私じゃ……だめですかね?ディーゴ君の代わり……にはなれないかもしれないですけど」

 言葉がつっかえそうになるのを隠しながら懸命に引き止める。だって、私のせいだと思ってしまったから。だから、私に出来ることで、償えればと思った。

 彼が望まない店になるのは、嫌だから。

 フィンちゃんがそう言うならと、少しホッとしたような顔で椅子に座り直してくれるみんなを見て安堵する。大丈夫。だってディーゴ君の料理はまだこんなにある。大丈夫。だってディーゴ君が好きだと言ってくれる笑顔がここにある。

 だからきっと、大丈夫。


 ――その日、ディーゴ君は閉店後もしばらく帰って来なかった。


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