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年下オーナーは旅人だったお姉さんを雇う

「ん〜っ、おいっしぃ!」


 ふわふわした黄金色の卵にナイフを入れればとろりと中がとろけて。口の中ではバターのコクのある優しい甘さがじゅわりと広がる。こんなに美味しいオムレツ、この値段で出していいの?と言いたくなる出来だ。

 恍惚とする私の視線の先では、洗い物をするディーゴ君……この宿の店主が耳を真っ赤にして「……っす」と辛うじて聞こえる程度で答えていた。多分ありがとうとか、良かったとか、そういう意味合いだ。

 耳は真っ赤なのに、その顔は凶悪顔なんだから面白い子だ。対面式になっている台所で料理をする彼の顔はとても澄んでいて、凶悪さなんてほとんどないのに。


 この宿に泊まって四日目の夕方。仕事を探しながらも、ご飯時になればここに戻ってくるようになってしまった。我ながらまるで犬のようだと思う。それも餌付けされた野良犬。

 それほどまでにディーゴ君の料理は絶品だ。

 そりゃあ、貴族が行くような高級レストランみたいな、そんなお上品な美味しさはないけれど、暖かくて、優しい味わいはきっとディーゴ君の心だ。彼の心がそうだから、こんなにも美味しい料理が作れるのだろう。当たり障りない「美味しい料理」しか作れない私としては、少し嫉妬してしまう。


 じゃがいものポタージュもありえないくらい美味しいし……

 まだ肌寒い夜は温かさが染みるわ〜、なんておじさんみたいなことを考えた。一生この子の料理を食べて生きていきたい。私があと五歳若かったらプロポーズしてる。間違いない。

「……仕事、どっすか」

「ん……んー……まぁ、ね」

 突然の問いにというよりかは、その内容に気まずさを覚えてて思わず目を逸らしてしまう。歯切れの悪い私の言葉で察してくれたのか、それ以上は聞かずに「そっすか」と彼は頷くだけだ。そういうとこ。ほんとそういうとこ。は〜、いい子。好き。頭撫でたい。


 この街にやって来て四日。仕事探しは難航していた。

 この国全体が安定していることもあって、王都に近いここはだいぶ豊かな街だといえる。旅人も多いし、行商人も王都に入る前にここで休む。だから何かしら仕事は転がってるだろ……と思って来たのはいいれど、結局私のような人間が多くて、むしろ仕事不足に陥っている状態らしい。

 そんな事情を知っているのだろう、ディーゴ君はそれとなく気遣ってくれるし、こうして何度か様子を尋ねてくれる。それは正直ありがたいし、何よりも初日よりもぽつぽつと話しかけてくれる彼がとても可愛らしく思える。


 暖かな気持ちで胸が満たされながら食事を終えると、珍しいことにディーゴ君が「ちょっと失礼します」と私の向かいに腰掛けた。ぱちぱちと音がしそうなほど瞬きをする。どうしたの、と声をかけると、彼は少し言いづらそうにしてから口を開いた。

「あの……フィンさんの希望って、なんすか」

「希望?」

 ディーゴ君の料理を毎日お腹いっぱい食べることです。

 ……とは言えない。そんなこと言ったら最後、この切れ長の目に蔑みの視線を送られるだろう。ふるりと体が震えた。

「仕事、の」

 ディーゴ君の言葉に「あぁ」と納得がいったような声が思わず漏れる。生活の希望とかではなかったらしい。


「そうね……あまり選り好みはしないけど、やっぱり力仕事は困るかしら。料理はそれなりにできるし、笑顔も得意だから、どこか食堂とか、そういうところかしらと思っていたけど」

 でも、そういうところはだいたい人の入れ替わりが少なくて入りにくいのだ。なんせほとんどのところが住込みで賄い付き、なんて夢のような環境。よほどのことがなければ人手は十分足りている。

 ディーゴ君はじっと自分の手元を見て考えたあと、しっかりと私の顔を見た。それは料理の時のような、澄んでいて、とても真剣な、男の人の顔だった。

「あの……もしフィンさんが嫌じゃなけりゃ、オレのとこで働きませんか」


 え、とまず声が漏れた。願ってもない申し出だ。嫌なんかじゃない。ただ、それ以上に戸惑いの方が大きい。

 私が滞在しているのはまだ四日だけれど、その間宿泊客は私だけ。酒場の方も馴染みの客ばかりのようで、どちらかと言えば細々と商売している印象を受けた。

 そのせいか人手も十分足りている様子で、とてもじゃないが私を雇わなければならないほど切羽詰まっているようには見えない。むしろ私を雇うことで、商売は苦しいものになるのではないだろうか。

 そんな私の戸惑いを察しているのか、ディーゴ君はぽつりぽつりと話し始めた。


「見てのとおり、オレはその……商売向きの顔じゃねぇんで、お客さんからは怖がられるんすよね。常連以外の宿泊客なんて、フィンさんが久しぶりで」

 言いづらそうに、躊躇いがちに。だけどしっかりとした声音で彼は吐露していく。

「親父とお袋が大事にしてた店だからと思って継いだのに、客が減るばっかりで、今じゃ常連相手に細々としかできなくて」

 ぐ、とディーゴ君の眉間に力が入ってシワが寄る。何かを堪えるような、そんな苦しげな表情にぎゅっと胸が締め付けられた。

「オレ、この店を、あのころみたいにしたいんっす。賑やかで、常にみんな笑ってて、家みてぇに寛げる、そんな店に」

 ゆっくりと顔を上げて、ディーゴ君はもう一度私の目をひたと見つめた。状況が状況なら、愛の告白でもされそうな、そんな真剣な表情に柄にもなくとくとくと心臓が早まる。

「フィンさん、オレ、あんたの笑顔がすげぇ好きだ」

 どくん、と心臓が跳ねた。年下の、きっと二十歳とかそこらの男の子相手に。

「あんたのその笑顔で、オレのかわりに客に笑いかけてもらいてぇ……です。だから、嫌じゃなければ、うちで働いてください」

 ディーゴ君が頭をゆっくりと下げる。その耳が少しだけ赤くなっているのを見て、さっきまでドキドキしていたのが嘘みたいに静まっていく。


「よろしくお願いします、旦那様」


 私もまた、ゆっくりと頭を下げた。

 正直、普段の私なら断ってる。いつ商売が立ち行かなくなるか分からないのに、年下の男の子に生活を預けるなんて。

 だけど、この子の料理が好きだから。拙くて、一生懸命な姿勢が素敵だから。両親の遺したお店を不器用ながらも愛する心が、綺麗だったから。

 だから、私は頭を下げる。


「……あ、の!だ、だん、なさま、って、」

「……?」

 いきなり大きな声で慌てるディーゴ君に、思わず頭を上げて首を傾げる。何か間違ったことでも言っただろうか。

「ディーゴ君は雇い主なんだから、旦那様でしょう?」

「……そういう……いや、そうなんだけど……」

 なにやらブツブツと呟きながら、がしがしと頭を乱暴に掻き乱したディーゴ君は、本当に年相応に青年だ。料理の時の、少し大人びた男の人の顔ではない。

「……オーナーで」

 ディーゴ君が唐突にそう言った。オーナーと呼んでくださいと。

 そう言うのなら、そちらの方がいいのだろう。確かにディーゴ君の年齢で旦那様は、少し早い気もする。よく言って若旦那様……でも店の主に「若」は失礼だ。となれば、確かにオーナーあたりが妥当だろうか。

「分かったわ。よろしくお願いします、オーナー」

 にこりと微笑む。

 すると小さく、「……っす」と聞こえてきて苦笑に変わってしまう。こういう少し照れ屋なところも、年相応だ。


 それじゃあ早速仕事を教えてもらおうと思えば、ディーゴ君に「今日はもう宿泊費もらってるんで、そのまま客で居てください」と言われてしまう。なんとなく先手を打たれたようで、ほんのりと悔しさが滲む。

 まぁでも、ここは好意に甘えましょう。

「じゃあ、明日からは頑張るわね、オーナー。

 ……あ、まだディーゴ君って呼んだ方がいいかしら?」

 くすりと笑うと、ディーゴ君は素っ気なく「どっちでも……」と答えるのみだ。面白くなくて唇を尖らせながら、ディーゴ君が食器を片付けてくれるのを見る。


 それからふと、明日からは部屋をどうしようかとディーゴ君に問いかける。今泊まっているのは客室だ。それも結構よさげな。となればいつまでもそこを使うわけにもいかないだろう。

「あぁ……奥に一部屋空いてるんで、そっちに移動してもらっていいっすか?明日の朝とか」

「それはもちろん。むしろ部屋を用意してもらえるなら私としても嬉しいわ」

 どうやら一階部分の奥にプライベート空間があるらしくて、そこに部屋を移るらしい。仕事内容は基本的に注文を聞いたり、料理を出したり、そんなことがメインになるみたいだ。もしも忙しくて料理が間に合わない時は、そちらの補助も頼まれた。

 お給料は高くもなく、安くもなく。妥当と言ったところ。そしてもちろん、美味しい賄い付き。

 ……あら?


 私、意図せず希望を叶えてしまったのでは?


 それに気が付いたのは、ほくほく気分でベッドに入った時のことだった。







 初めてその笑顔を見た時、思い出したのはお袋の笑顔だった。柔らかくて、疲れた心を包み込むような、警戒を解すような、そんな笑顔だ。

 その笑顔を見送ったあとに思い出したのは、親父の「俺ぁ、母ちゃんの笑顔に惚れたんだ。あの笑顔のためならなんだってできる」と豪語した姿だ。あぁ、親父の気持ちが今ならわかる気がするなぁ、と考えてから慌てて頭を振った。相手は客だ。しかも、自分より人生経験豊富な旅人。

 そしていずれは去ってしまう人。


 それなのにその人は、なぜこの街にと聞くと、仕事を探しにと答えた。そろそろ旅をやめて、根の張った生活をしたいのだと。

 胸がざわめいた。この街に、この綺麗な人が住むのだと。この笑顔は、この街から去らないのだと。

 とんでもない美人ってほどじゃない。大きな街なら二人、三人は居そうな、だけどどこに行っても美人だと言われそうな顔。おっとりとした目元に、どこか色っぽい唇は、強烈に「大人の女性」を感じさせた。

 自分だってもう二十二で、十分大人だ。成人して六年も経っている。それでも、フィンさんを見ていると、自分がとんでもなくガキのように思えた。


 この街はここ数年、かなり豊かで、それはお金にしても、物にしても、人にしてもそうだ。そんな状況だから、他の街や村からも出稼ぎに来る人も多いし、あるいはフィンさんのようにそろそろ、と旅人が仕事を探しに来ることも多い。だからフィンさんの仕事探しは難航するだろうな、とは思っていた。

 案の定二日目にはすっかり萎れた様子のフィンさんを見て、何かできないかと思った。彼女は酒場で飲むことはないから、常連にそれとなく仕事がないか聞いてみたが、肩を竦めるばかり。

 しまいには、ついに店を畳むのかと大騒ぎされたから、事情を掻い摘んで話せばなぜかニヤニヤと笑われることになって。惚れてんのかと聞かれた時には無言で頭を殴ってた。

 そんなとき、「そんなにいい娘なら、お前んとこに来てもらえよ。俺たちだって、無愛想なお前に酒つがれるよりよっぽど嬉しいや!」と言われた時には虚をつかれた気分だった。


 ……つーか、その提案を本当にしてしまう自分にも、あっさりと受け入れてくれたフィンさんにも驚かされたけど。


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