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二人は出会う

 オレには財産なんて呼べるもんはほとんどねぇ。ただ、一つだけ。親から継いだこの宿屋兼酒場だけは、オレが誇る財産だ。

 つっても、客は街の馴染みのおっさんばかりだし、宿屋の方はオレが継いでからほとんど客が来てねぇ。それこそ、親が健在だった頃から毎年利用してる馴染みの旅人ばかりだ。

 理由ははっきり分かってる。オレの顔だ。

 悪人みてぇな鋭い目付きに、狂犬を思わせるような八重歯。シャープな顔立ちが、殊更悪だくみでもしていそうな雰囲気を助長させている。髪を伸ばすと余計印象が悪いだろうと、短髪にしているのも悪いのかもしれない。

 鏡で自分の笑った面を見たら、悪どいことを考えていそうで、こりゃ客商売には向かねぇわな、としたり顔で頷いたほどだ。


 そんなことだから、客が来て愛想笑いを向ければ逃げ帰られたり、悲鳴を上げられたり、殺されると叫ばれたり。散々な目に遭っているが、近所の馴染みの奴らから言わせれば「いつものことなんだから、気にすんな」ってことらしい。こちとらそれで商売上がったりだっつうのに。


 はぁ、と閑古鳥が鳴く店内で溜息をつく。親父やお袋は、そりゃあ人好きのする顔で、愛想が良くって、にこっと笑っちまったら旅人の疲れた心を癒すような、そんな人達だった。お陰で年々、お前は実は拾われた子なんじゃねぇかと笑われる。

 ちなみに親父曰く、お袋の親父、つまりオレからすれば祖父にあたる人によく似ているらしい。不機嫌にしかめっ面してると、親父が結婚の挨拶に言った時の祖父そっくりなんだそうだ。それを聞いたお袋は肩を揺らして笑ってた。そういや確かに、二人の葬式の時に少し会ったその人は、オレと微かに似ていた気はした。


 春の陽気に当てられて、うつらうつらとし始めた時だった。カランコロン、と軽い音が聞こえてハッとする。

「いらっしゃい」

 入ってきたのが馴染みじゃないと知って、むしろ笑わないように努めながら声をかける。

 女だろうか。少し細身で、フード付きの外套ですっぽりと全身を覆い隠した、少し……いや、かなり怪しい風体の客だ。

「……ひとまず一泊で」

 旅人なんだろう。手馴れた様子で少し多めに金を手渡される。相場をよく知り尽くした様子だ。

「うちはチップは受け取らねぇ。これじゃ多い」

 少し多い分を押し返せば、客は無言でそれをしばらく見つめたあとに懐へとしまった。正直、オレを見ても宿泊を断念しない客は貴重だから、できれば格安で泊まってもらいたいくらいなんだ。多めになんか、絶対にもらえねぇ。


 ちょっと待ってな、と言ってから一番いい部屋の鍵と水を用意する。どうせ客室はガラガラだし、この時期は馴染みの旅人も来ないから問題はない。別に、久しぶりの宿泊客に浮かれているわけではない。

「水と鍵。部屋は二階の奥の角部屋。んで、希望がありゃ夕食と朝食も付けるが」

「……じゃあ、朝食だけ。夕食は他で食べるわ」

 先ほどよりか幾分か高めの、柔らかな声音に相手が女だと確信した。警戒を解いたかのようなその空気感に、一瞬言いしれない高揚感が込み上げてくる。とは言えそれを表現しようとすれば確実に悪人顔まっしぐらだから、無愛想を装うしかないんだが。


 分かった、と頷くオレにその人はぺこりと頭を下げた。それから二階へ上がろうとするのを見送ろうとしたら、不意に振り返る。

「どこかおすすめはありますか?」

 一瞬、頭が真っ白になる。

 だって、今までそんなこと誰にも聞かれたことがなかった。かろうじて居た、馴染み以外の宿泊客はみんな、オレを避けるような、怯えるような客ばかりで。できれば関わりたくないとでも言いたげな態度で。

「あ……え、っと、この通りの東のとこ、そこの飯屋、うまい……っす。肉がでかくて……あ、いや、女性だったら」

 しどろもどろになりながら、なんとか言葉を紡いでいるような、そんなオレをその人はくつくつと笑った。それから「自分のお店をすすめればいいのに」と、また笑われて、なんだか恥ずかしくなる。

「……他で食べるって、聞いたんで」

 拗ねたように言うオレに、その人は「そうね、笑ってごめんなさい」と言ったあとで「東のお店ね、行ってみるわ」と続けてから二階へ上がっていく。それを呆然と見送りながら、胸の中にじんわりと熱いものが広がっていく。


 初めてだった。

 馴染みじゃねぇのに、笑ってくれて、話してくれて。そもそも、女相手には怖がられてばっかりなのに。

 調子が狂う。

 そんなふうに思いながら乱雑に頭をかいて、閑古鳥が鳴く店内でまた溜息をついた。







 女一人で旅をしていると、中々危ない目に遭うことも少なくない。と言うか、何をするにも危険と隣り合わせだ。それでも一人旅を止めなかったのは、やはり家に戻れない事情もあるし、色々な土地を見て回るのが楽しくて病み付きになっていたところもあるからだ。

 部屋で一人になってから外套を脱ぎ捨てる。良い部屋を宛がってくれたらしく、そこそこの宿屋程度ではあまり見かけない姿見が私を映していた。

 ピンクゴールドの長い髪に、おっとりとした顔立ち。特に目元は、少し垂れ気味で騙されやすそうな顔だと思う。もちろん自身としては子供の頃と違ってしっかりしてきている……とは思っているけれど。


 しっかりしていると言えば……

 この宿屋の主人なのだろう。がらんとした店内で、無愛想に迎えてくれた青年を思い出してくすりと笑ってしまった。無愛想なのに受け答えはしっかりしていて、そのくせ商売っ気がなく、突然しどろもどろになる彼は、よほどしっかりしていそうなのに、なんと言うか、年相応だった。二十歳頃だろうか。あの若さで苦労も多いだろうに、顔に似合わず純朴な様子がとても好感が持てた。

 あれで愛想笑いの一つもできればいいだろうに、まだ若いからか、にこりともしないのが玉に瑕と言うやつだろうか。まぁでも、男の子なんてそんなものか。


 そんな取り留めもないことを考えながら外出の支度をする。大丈夫だとは思いたいが、部屋に残していくのは「最悪無くなってもいいもの」だけだ。金品や大切なものは必ず身に付ける。

 とは言え金目のものを持っていると知られれば危険性が増すだけだから、傍目からはそんなふうに見えないようにする。かと言ってあまりにも貧相な格好をすれば、性的な危険性が増すから難しいところではあるのだけれど。

 ……まぁ、そんな危険な目に遭っても、返り討ちにすればいいだけと言えば、そうなんだけれども。


 そこまで考えてふるふると首を横に振る。つい、いつものくせで不穏なことを考えてしまう。

 だけど私はもう旅人を止めて、そろそろ根の張った生活をすると決めたのだ。いつまでも旅人気分でそんなことを考えていてはいけない。

 私ももう二十六。家を出てから十年が経って、随分と遠いところまでやってきた。その間、色々なことがあった。忘れられない恋もした。そして失恋も。かけがえのない友にも出会った。ありがたい親切を受けることもあれば、二度とゴメンだと思う危害を加えられかけたこともあった。

 そんな色々をひっくるめて、もう十分だと思ったのだ。


 幸い、顔は不美人という訳では無い。なんなら中の上くらいには入るんじゃないだろうか。この顔でおっとりと微笑めば、たいていの客商売はできそうだ。実際、旅の最中も何度かうちで働かないかと声をかけられたこともあった。

 そうだ、生活が安定したらお金を貯めて、将来自分の店を持つのも悪くないかもしれない。料理はそれなりにできるし、小料理屋の女将として生計を立てるなんて、中々ドラマチックな夢だと思う。


 そんな曖昧な夢想で上機嫌のまま一階へ降りれば、先程の青年がぼんやりと宿屋の入口を見つめていた。酒場が始まるのはもう少しあとだが、街中にあるのにここまでがらんとした宿屋はもしかすると初めてかもしれない。かわいそうに、と心にもないことを考えていれば、ハッとしたように青年がこちらを振り向いた。

 鋭く、不機嫌そうな、気だるそうな焦げ茶の瞳が私を捉える。するとみるみる見開かれて、「……誰かと思った」と呟かれた。確かに、外套を脱ぎ捨てて降りてきたら驚くわよね、と苦笑する。

「驚かせてごめんなさい。お部屋をお借りしているフィンです」

 そう言えばまだ名乗っていなかったなぁ、と今更なことを思い出しながら名乗れば、彼は私の名前をなぞるように呟いた。まだ経験が浅いのだろうか。忘れていた私も私だけど、普通は鍵を貸す前に名前を聞くものなのに。

 でかけてきますね、と言って青年の前を通り過ぎる。その勢いのまま外へ出ようとした時だった。


「気を付けていってらっしゃい」


 とても……とても、真摯な声だった。思わず振り返れば、そこにはやっぱり無愛想な顔。

 声をかけられるとは思わなかった。無視されるか、適当に返事をされるだけだと思った。それなのに、あんなに真摯な声で、優しい言葉を掛けてもらえたのはいつぶりだろうか。

 思わず目を細める。

 目の前の青年が、とても良い人だと思った。


「えぇ、いってきます」


 こぼれた笑顔は、きっと数年ぶりに心からのものだったと思う。

今日の夜21時頃にもう一話更新します。

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