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猫の妖精

作者: Trombone

 たとえ百人が憐れみで同情してくれても。

 

 たとえ一千人が不幸だと嘆いてくれても。

 

 それでも僕は幸せなのだと笑顔で言おう。僕は一人じゃないのだから。 

 

 それがどれだけ幸せな事で、恵まれていたのか今なら良く分かる。

 

 一人ぼっちで無かったことを。今を生きていけるという事を。

 

 僕は一体誰に感謝しようか。


####

 

 昔の僕というのは自分で言うのもなんだが、物凄く面倒くさい性格だった。取り繕ったように笑ってその場を凌いでいた。一人でも生きていける。むしろ一人だから生きていけるとすら思っていた。それでも僕は一番の友達を見つけて、少しずつだけど変わっていこうとしていた。でもいよいよ世界は残酷で、そう簡単に変わることを許してはくれなかった。


 十五歳の冬の日。僕は言葉を失った。

 

 子猫が横断歩道の真ん中で、ウロウロと怯えていた。やがて信号は変わり、自動車と言う鉄の塊が地を這うように視界の隅に映りだしだ。途端に僕の身体は走り出していた。小さな子猫の身体を抱きかかえたのと、けたたましいクラクションが鳴り響いたのは同じぐらいだった気がする。腹部にくる鈍い衝撃。覚束ない浮遊感と何かが込み上げてくる感覚。言葉に出来ない強烈な痛み。色んな感覚が僕の頭を襲ったあと、最後に背面に再び鈍い痛み。地面に叩きつけられたのだ。息も出来なければ身体を動かすことさえ出来なかった。


 か弱く申し訳なさそうに、けれども確かに存在を証明するような鳴き声が耳を裂いた。おかげで途切れそうな意識を、無理矢理に繋ぎ止めなくてはならなくて大変だった。薄っすらと眼を開けると、黒い斑点が特徴的な子猫がいた。


 あぁ、助けられたのか。こんな所で歩き回るなよ。


 その言葉を発したのか思ったのかは分からなかったが、紅く染まる視界の中で最後に映ったのが助けた子猫で良かったと本当に思う。


 もう二度と光を眼にする事はないと思っていたが、次に眼が覚めるとまず真っ白な天井が飛び込んできた。辺りを見渡そうにも、首は何かにがっちりと固定されているようでピクリとも動かない。しょうがないので手を上げてみると、グルグルと包帯の巻かれた薄気味悪い右腕だった。そうか。僕は事故に遭ったのだと、思い出したのはこの時だった。


 ふと、胸部が圧迫されたような気がした。重すぎるわけでもなく、軽すぎるわけでもなく、何とも言い難いような不思議な重量だ。まぁ痛みも無いし特に大したことじゃないだろう。きっとまだ意識が混濁しているんだろう。そう思った矢先、何処か遠くで驚いたような声が響いた。それからドタドタと喧しい足音も。おいおい静かにしてくれ。振動が響いて身体が痛いじゃないか。ズキズキと煩わしい痛みに耐えていると、一際大きな声が聞こえてきた。


「目が覚めったって本当なんですか!」


 見るまでもなく聞くだけで誰かは分かるのだが、眼球だけなんとか横を向かせ声の主を確認する。案の定、母さんだった。もうボロボロと涙を流し、顔を歪ませながら勢いよく僕のベッドに駆け寄った。やめろ。体当たりするような勢いで柵を掴むな。傷が痛い。


 母さんの隣には白衣を着た優しそうな医者がいた。彼は母さんが泣いていてまともに会話が出来ないと判断したのか、母さんを椅子に座らせて俺に話しかけてきた。


「おはよう。まず、自分の名前は分かるかい?」


 自分の名前なんて流石に聞かれなくても分かる。よし、ここは自信を持って大きな声で答えようか。


「あ……あ、あぁ」


 あれ、おかしいな。言葉が出てこない。いやいや、そんなことがあってたまるか。生まれてから嫌というほど聞いてきたじゃないか。忘れているはずもない。ほらほら、さっさと言ってしまおう。優しそうな医者も、先ほどとは打って変わって訝し気な表情を浮かべてしまっているじゃないか。


「……」


 けれども言葉が出てくる気配はなく、むしろ音すら発せなくなったような気がする。一瞬にして医者の表情は強張り、母さんは再び泣き出した。それから色々と検査を受けた。検査中の周りの空気は重く、僕を取り込もうとしているようにも思えた。だから僕は無理にでも笑ったんだ。


 検査の結果から僕は、あの事故の後遺症で失語症を患ってしまったのではないかと判断された。更に詳しく言うのなら、失語症の中の〝運動性失語〟というものらしい。言葉の意味は理解できるけれども、話すことが出来なくなるそうだ。それを聞いても、不思議と僕は平静を保っていられた。一度は死んだと思ってしまった命。生き永らえているだけで幸せだ。贅沢は言っちゃいけない。そうだろう。だからみんなも笑ってよ。眼を赤く腫らして泣く母さんに向けて、口角を上げて微笑む。今までのように取り繕って。 


 夜になった。月明かりが仄かに病室を照らす。電子音が規則正しく鳴るだけの空間。寂しくないと言えば嘘になる。それでも今は一人でいたかった。だってこんな顔、情けなくて誰にも見せられない。丁度雲も月を隠してくれた。今一時だけでいいから頼む。


「なんだかんだ言っても、君だって普通の人間だったんだね」


「……っ」


 不意に聞こえたその声。輪郭を何処かに置いてきたような不安定で不確定な声。幻聴だと聞き逃そうとも思った。けれども、そんな考えを嘲笑うかのように再び声が聞こえてくる。今度は先程よりもハッキリと輪郭をもっている。


「やぁ、どうも。こんばんは、と言ったところかい?」


「……?!??」


 雲が晴れ、ゆっくりと愉快なシルエットが現れる。頭が追い付かなくて眼を回す僕の胸元からヒョコっと顔を出したのは、〝猫〟だった。


 いやいや、猫って。これはきっと何かの間違いだ。あぁ、僕が疲れているから見えてしまう幻だ。きっとそうだ。


「残念なことに、私は幻ではないよ。いやまぁ、完全に否定できるわけでもないが……」


 ちょっと待て。僕は今こいつ会話した覚えはないぞ。というか、声の出せない僕は会話することは出来ないはずじゃないか。なんなんだ一体この猫は。


「何だと聞かれてもねぇ。私自身、自分の存在を説明するのは難しくてね。そうだな、差し詰めようせい妖精といったところだろうかね。妖精だから君の心が分かるんだよ」


 なんと胡散臭い猫だ。そもそも猫が病院内にいるのって衛生的にどうなの。見つかったら殺されるんじゃないか。


「さらっと怖い事を言わないでくれないかな?さっきも言ったように私は妖精だ。君以外の人には認識されないよ」


 そんなことを急に言われて、はいそうですかと信じられるほど僕も馬鹿じゃない。妖精のイメージも猫なんかじゃないし、もっとこう羽の生えた可愛らしいイメージだ。いや別に猫が嫌いなわけではないし、むしろ猫は好きなのだけれども、だからと言って猫の妖精ってなんか変だ。


「変だと思われてもね。実際に君の眼に私は映っているだろう。受け入れてくれ。さて、じゃ今日は軽く本題に入って解散しようか」


 待て待て待て。僕を置いて話を一人で進めるな。僕はまだ理解したわけじゃないぞ。本題って何だ。いっちょ前に前足を組むな。僕の胸の上で仁王立ちするな。


「相変わらず面倒くさいなぁ。それだから彼女が出来ないんだよ」


 大きなお世話だ。お前だって一人な感じがするぞ。


「ま、今はそんなことゴミ箱にでも投げ捨てておこう」


 投げ捨てないで。彼女が出来ないのとかは割と精神的にに来るから。これでも僕はまだ中学生だからね、気にするんだよ。


「本題へ行こう。率直に聞くが、君はもう一度話してみたいと思わないか?」


 話したいもなにも、もう僕は話せないんだ。運動性失語とかいうのを患ったんだよ。話すことは出来ない。


「本当にそうか?それは医者が決めたことじゃないか。もっと言えば、君が勝手に決めつけているだけじゃないのか?」


 知ったような口を利くなよ。お前は何も知らないじゃないか。何も知らないやつが好き勝手言うなよ。死んでしまった方が楽だと、一度でも思ってしまった僕の気持ちの何が分かる。猫なのか妖精なのかも分からない不安定なやつが適当に言うな。僕はもう話せないんだよ。


 叩きつけるように、絞り出すように僕は声を出さずに叫んだ。それでも猫は鬼気迫る僕に臆することなく、僕の心を溶かすように力強く言った。 


「いいや、話せる。君が話したいと願うのなら再び話すことは可能だ。何と言っても私がいる。私の魔法がそれを可能にするんだ」


 本当に諦めなくても良いのか。


「あぁ、勿論」


 願うだけで良いのか。


「願う事が最善策であり、最速の方法だよ。だから願え少年。心の底からこの世界中に響き渡るように高々と。君の願いが私の魔力に、魔法に比例するんだ」


 ……僕は。僕はもう一度。


 〝もう一度、みんなと話がしたい〟


「この先二度と出会うことのないであろう確かな願い。しかと聞き入れたよ」


 猫の妖精が僕の額に両足をついたと同時に、輝が溢れて一斉に弾けた。あまりにも眩しくて、眼が眩んで、思いっきり眼を閉じた。次に眼を開けた時には太陽が昇っていて、あっけからんとした表情の僕に、いいから起きろと言っているようだ。


 昨日のあれは一体何だったのだろうか。やはり、僕の脆い心が見せた幻想だったのだろうか。仕方がないよな。よし、切り替えよう。今日も元気に生きていこうじゃないか。


「勝手に幻想だったとか決めつけないでくれないかな?」


 見えてない見えてない。両足を組んで仁王立ちしてるの猫の姿なんて見えていない。そうだきっとこれこそ……


「こらこら現実から逃げないの。私とは昨日も会っただろう。もっとも君はあの後熟睡してしまったがね」


 この態度に、この口調。完全に昨夜のあれと一致する。ということは本当だったのか。それなら僕はもう話せるようになったのか。


「魔法は完璧に作用したさ。あぁ、ほら丁度お客様が来たようだよ。試しに少し話してごらんよ」


 そう言って猫は左足を扉へと向けた。そこには家族と同じぐらいに見慣れた顔が、普段のつやを根こそぎ剥ぎ取られたようにして立っていた。視線が合うや否や、ずんずんと大きな歩幅で僕の眼の前に移動した。


「少しは落ち着いたのか。と聞いても話せないから意味ないか……」


 少し尖った声色で、僕の恋女房は聞いてきた。僕はユーフォを吹き、それを支えるようにこいつはずっしりとした音で鍵盤を奏でる。僕たち二人は自分で言うのもなんだが、有名だった。県のソロコンをトップで通過して全国一も狙えるのではないかと、周囲の人からは期待してもらっていた。実際に僕たちも天狗になっていたわけではないけれど、ひょっとしたら全国一も夢ではないと思っていた。

 

 でもそれは結局、儚い夢と化した。だって大会当日に僕が来ないのだもの。いや、来れなかったのだ。


「お前があの日、子猫を助けて轢かれたって聞いた時は驚いた」


 そう。僕が子猫を助けた日は、実は大会当日だったのだ。楽器は既に運んでもらっていて、あとは僕が会場に行けてさえいれば、もっと世界は変わっていただろう。今更ぼやいた所で何も変わらないのだけれど。


「なぁ、何か一言でも話してくれないか?久し振りに声が聴きたいんだよ」


「あ、うぃ。……あ」


 おいおいどうしてそんなに、寂しそうな表情で僕を見るんだよ。折角要望に応えてやったじゃないか。


「やっぱり、何も話せないのか」


 何を言っているんだ。信じてもらえないかもしれないけど、僕は昨日魔法をかけてもらったんだ。もう僕は話せるようになっているはずなんだよ。そう話した。だが恐らく、暗い表情が晴れない様子から伝わっていはいないのだろう。こいつもしかして耳が悪くなったんじゃないか。イヤホンをつけすぎるなとあれほど注意したはずなんだけどな。


 そんな僕の甘い思考をよそに、伴奏者は重く静かに声を震わせて話しだした。


「俺は、お前とあの舞台で演奏がしたかった。子猫と大会が天秤にかけられないのは分かってる。分かってるけど、それでも俺は来て欲しかった。遅れたって良かったから、とぼけた顔で、馬鹿みたいに楽しくユーフォを吹いて欲しかった。なぁ、どうして来てくれなかったんだよ」


 悲痛の叫びが僕の心を抉るように病室を駆け巡る。そりゃそうだ。全国一を目指して一緒に苦しんで、ようやくあと一歩の所だっだのだ。ぶっきらぼうで、誰よりも音楽に対する情熱が強いこいつのことだ。きっと棄権したことが相当悔しいのだろう。でもな。


 僕だって行きたかった。得られたかもしれない結果はどうであれ、お前と一緒に舞台に立ちたかった。


 そう叫んだ。叫んだはずだった。でも実際に発していた音は、やはりなんとも間抜けな母音。なんで、どうして。僕は話せるようになったんじゃないのか。混乱が僕を誘う。誘われた先で僕は子猫に助けを求めた。でも、子猫の方も有り得ないといったような驚愕の表情を浮かべていた。わけがわからない。お前は全てを知っている妖精じゃないのかよ。魔法は完璧だったんじゃないのか。それら全ての視線と意思を、猫は首を振って退けた。 


 どのくらい沈黙が続いただろう。結局、僕の叫びは届かない。届かないというよりも、届けられない。それが堪らなくもどかしくて、悔しくて僕は唇を噛み締めることしか出来ない。そんな僕を見て冷静さを取り戻したのか、愛想を尽かしたのか、恋女房は静かに立ち上がってこう言った。


「必ず帰ってこい。いつもの場所で、いつまでも待っているから」


 表情は背を向けられていたので読み取れないけど、微かに輝ったモノがさっきとは違うモノだということは分かった。きっと今の僕が流しているモノと同じだ。悔しさも、寂しさも拭う事が出来ない僕は、必ず戻ると伝えたかった。口を動かしてみるけれど、それとは裏腹に僕の恋女房はカツカツと病室を出ていった。


 にゅっと猫が胸のあたりから顔を出す。眉間に深くしわを寄せて、僕の額に両足を乗せる。


「……おかしい。魔法はやはり完璧に作用している。損傷も治っている。それなのに何故だ?」


 そんなの僕が知りたいさ。


「君はもしかして、まだ心の何処かで話さなくても、いや違うな。話せなくても良いと思ってしまっているのではないかい?」


 そんなことはない、はずだ。


 すんなりと断言することが出来ない。何故だろう。僕はもう一度話したいんじゃなかったのか。それとも本当はそう思っていなかったのか。


「考えている最中に悪いが、どうやらまたお客様のようだ。しかも今度は中々に大所帯だよ」


 猫が言ったように、僕の思考を搔き乱してしまうほどに色とりどりの声が聞こえてきた。


「やっほー元気にしてるかい?」


「あちゃちゃ、こりゃまた酷くやられましたな」


「やられたわけではないだろ」


「ねぇお腹空いた。なんかないの?」


「飴でも舐めておきなさい」


 わいわいがやがやと、非常に賑やかな雰囲気でわちゃわちゃと病室に入って来たのは、僕のクラスメートだった。ほぼ全員が狭い病室に押し掛けるものだから、今まで広く感じていた空間が一気に狭まった。人混み、と言えば盛りすぎかもしれないが、それぐらいの密集地帯をかぎ分けて担任が僕の前に顔を出す。


「急に押しかけて悪いな。私はちょっと考えろと言ったんだが、如何せんこいつら全く聞く耳を持ってくれなくてな……」


 男勝りな口調で小さな担任はそうぼやいた。いつだってこの人は、生徒の事を最優先で生きているような人だ。きっと心配してくれたのだろう。


「まぁ、果物は良いとしてだな。ほいこれ。千羽鶴と寄せ書き。寄せ書きは必要ないような気もしたんだが、どうしても書きたかったらしい。こいつらあれでも割と心配してるようでな。何か少しでも力になりたいんだとよ」

 

 そう言って彼女は肩を竦めるが、これだけ賑やかな方が僕としては有難い。今まで息が詰まるような空間だったから、少しだけ気が休まる。僕の為に鶴を折ってくれたこと。寄せ書きで励ましてくれたこと。なんとかしてでも、一礼しなければいけない。でも僕は伝えられない。言葉が出てこない。


「無理に話そうとするな。お前は重症患者なんだから大人しくしてろ。あぁ、あとまぁそのなんだ。私達からのメッセージとしてだな……」


「〝教室で待っている〟」


 皆で声を合わせるのが彼女は恥ずかしかったのか、頬をかきながら皆の声に比べれば小さな声でそう言った。この言葉に対しても、何も返せないのが申し訳ない。何かを言おうとして、あやふやな母音だけが空回りする。しどけない僕にその言葉を伝えて、皆は帰って行った。窮屈だった空間は途端に広がり、また静寂が訪れた。でも、皆が来る前よりも穏やかな空間になったと思う。


「良い友達を持っているじゃないか。それに家族も。君は随分と愛されているね」

 

 どういうことかと聞く前に、今度は母さんが病室に来た。穏やかなようで何かを思い詰めているような、不思議な表情だ。腹を括った企業戦士のようにも見える。そんな母さんは椅子に腰かけると、独り言のようにぽつぽつと話し出した。


「私は、貴方が生まれてきてくれたことが堪らなく幸せだったの。死んでも良いと本気で思ったわ。でも貴方が事故でずっと意識が戻らない間は逆。何としてでも生きなければと思った。貴方が眼を覚ました時に、一人じゃないようにね」

 

 母さんは柔らかく眼を細め、大きく息を吸って続ける。


「私は貴方が生きていてくれて事が嬉しい。言葉が失われても、命があるのならそれで良いと思うの。だから、私達は待っている。貴方が再び話せるようになるまで」


 その言葉が、待っているという言葉が僕の心を溶かし切ったのだと思う。親友が、クラスメイトが、そして母さんが待っていてくれるという事実が、僕の心を動かしたのだ。それから、愛されていると言ってくれたの猫のおかげでもあって。だから僕はやっとこう言えたのだ。


「ありがとう」


 それはとてもたどたどしく、言葉と認識できるギリギリの発音。それでも確かに僕は声を、思いを放てたのだ。母さんは笑っているのか泣いているのか分からない表情で僕の頭を撫でた。ふと、窓から見える猫姿を見つけた。猫はニヤリと微笑むと、君は愛されていることに気が付いていなかったんだ、と最後にそう言って、ふわりと風に消えた。


####


 そんなおとぎ話みたいな物語から、気が付けば十年が経とうとしていた。あの日以来、僕はリハビリを続け今や事故に遭う前と遜色なく言葉を発せるようになった。あの優しそうな医者は、奇跡だと涙を流して驚いていた。これは魔法という奇跡なんだ。とは当然言えなかったけれども、まぁなんにせよ僕はもう大丈夫だ。


「だからもう見守ってなくてもいいんだよ。僕は一人で生きていけるから安心してよ」


 にゃぁ、と何処か遠くで声が聞こえた。今までどうもありがとう。猫の妖精さん。


####


 たとえ百人が憐れみで同情してくれても。

 

 たとえ一千人が不幸だと嘆いてくれても。

 

 それでも僕は幸せなのだと笑顔で言おう。僕は一人じゃないのだから。

 

 それがどれだけ幸せな事で、恵まれていたのか今なら良く分かる。

 

 一人ぼっちで無かったことを。今を生きていけるという事を。


 僕は、僕との関りを持ってくれた全ての人に感謝しよう。

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