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天使のパレット  作者: 五月悠助
7/20

ぬるい雨のにおい

 7


 やっと補習が終わった昼前の教室で、クラス会長の彼女は騒がしいクラスメイトを笑って宥めながら教卓に立った。頬杖をついて前を眺めていると、彼女と目が合ってしまった。

「前田くん! 書記よろしく」

 クラス書記が休んでいると聞いて予感はしていたので苦笑いしながらも平然と、僕はクラスメイトに冷やかされながら教卓に向かいチョークを持った。

 僕が文化祭野外劇係決め、そして大道具など係の名称を黒板に書き終わると、

「ではとりあえず希望を聞きます。ネームプレートを張っていってください」

 係決めはつつがなく進行し、流石はクラス会長だと思っていた。僕は柚子と小道具の班に入る。

「じゃあ次、これとは別に脚本係を決めます。脚本係は肉体労働が減って楽なので誰かいません?」

 予想どおりというかなんというか、脚本係に立候補する変人はこのクラスにはいなかった。この後はなんというか、会長様の思い通りの展開になってしまった。

「こうなったら誰でもいいか。新井先生、国語の成績って誰が一番いいんですか?」

 新井先生は悪い顔をすると、

「そりゃお前、想像通りの人間だよ」

 男の多くが僕を見つめ、女子の多くが中山明里を見つめ、彼女と新井先生が僕を見つめた。それにつられた女子たちも合わさり、クラス中の視線が僕に集中する。いや国語に関していえば彼女の方が上だと思うが。というか脚本作りに国語の成績なんて関係なくないか。

「じゃ、前田くん。お願いできる?」

 彼女が僕の耳元で囁くには、

「引き受けないとあんたが小説書いてることみんなにバラすわよ」

 彼女の笑顔は、まるで白熱電球のように輝いていた。


「なんで俺も巻き添えなんだよ」

 僕は誰もいなくなる教室の中、クラス副会長である高梨を呼び止めた。高梨は僕の前の席にドスンと座ると、笑いながら椅子の背もたれに頬杖をつく。

「いいだろ、一番頼りに出来るのがお前だったんだって」

 脚本係は僕と高梨、そして中山明里と柚子に決まった。三人は僕の指名だ。

「それはガチのマジで光栄だな」

 高梨は鞄からガサゴソと取り出すと、僕に差し出す。

「これ、頼まれてたモノ」

「ありがとう」

 そのページの固い本の表紙から順に見ていくと、高梨の姿を見つける。こいつも中学の頃は生徒会長だったのか、と意外でもない事実に気を紛らせていた。

「止めないけどよ、あんまり恋人の過去を探るもんじゃないぜ」

「そんなんじゃないし」

 友達の温かさを忘れようとした、ひとりぼっちに慣れることができた彼女。僕はその卒業アルバムを手に取り、パラパラと柚子の姿を探した。

 あれ、僕は首を傾げた。

「浅野さんって美術部じゃないのか? 写真写ってないけど」

 高梨は部活動の集合写真を覗き込むと、

「浅野に詳しいわけじゃないけど……美術部に所属してたのは確かだよ。表彰されてたしな」

 クラスの集合写真の中、一人うつむき加減な彼女。中学三年の初めに撮ったというその写真は、僕が出会った高校三年の春頃よりも暗い表情をしていた。

 高梨は中学三年の時のみ、柚子とクラスが同じになったらしい。曰く、少なくとも三年になってからはこの写真のような性格だったそうで。

「でもまあ、噂には聞いたことがあるよ。浅野は性格がガラッと変わったって……それ以上のことは何も知らないけど」

 高梨は指を不器用に引っ掛けながらもページを数枚めくると、しばらく俯瞰して指差した。

「ほら、中一の時の写真」

 遠足の写真だろうか、女子の輪の中で弁当を食べている柚子がいた。今より五年も前の彼女は、何も知らないような幼稚な笑顔を浮かべている。

 僕は本を閉じると、高梨に差し出した。

「すまんな、大した力になれなくて」

「いや、いいんだ。ありがとう」

「そうだ、事情知ってそうなやつを紹介しようか?」

 僕は笑って手を振った。

「そこまでしてくれなくていいよ。申し訳ないし」

 それに、アテならある。

 高梨はそうか、と荷物を片して立ち上がった。僕も重い足を引きずって教室を出る。

「それにしてもお前、クラス中の話題にはなってるぞ。前田と浅野が付き合ってるー、みたいな」

 誤解されるかもしれないとは思っていたが、そこまで広がっているとは思わなかった。高梨は面白そうに笑う。

「放課後の図書室とか、二人の時に名前で呼び合ってるのもバレバレだ」

「……誰に?」

「一部俺に」

「黙ってよう、な?」

「目が怖いぞ」

 高梨はそっぽを、窓の外を眺めると、あの浅野さんだろ……と何か感傷に浸るように言った。

「やっぱすげえよ、お前」

 野球部部長だった彼は大人びた目でグラウンドを見下ろした。僕も立ち止まり、薄明るい曇りがかった空の下、気迫のこもった声を上げる野球部に目をやる。

「背低いくせに、すごいやつだよ」

「それはお前がでかすぎるだけ」

 冗談だよ、高梨は面白そうに笑った。

「人を真剣に尊敬したのは、お前が初めてだよ。俺でよければいつでも力になるさ……借りも、返したいしな」

 その身長と同じくらい高すぎる信頼に僕は首を傾げるが、高梨は外を眺めて笑うだけだった。五年前の彼が、少しだけ羨ましくなった。


 高梨と別れたその足で生徒会室に向かうと、会計は扇風機に当たりながら居眠りしていた。僕は荷物を置き、肩を揺すって起こす。

会計はぼーっとした目でこちらを見ると、自分の顔を触った。

「アンタ、顔にイタズラ書きとかしてないでしょうね」

「何キャラだよ」

 冗談ですよ、なんて会計はへらへらと笑う。

僕は扇風機を首振りモードにした。最近暑いのはともかく湿気が多い。鬱陶しい気分になる。

「冷えて風邪ひくぞ」

「ああ俺の天国が」

「エアコン付ければいいのに」

 会計は書類の束を差し出してきた。

「ほい、終わらせときました」

「へえ、やるじゃん」

「有能ですから」

 敢えてつっこまない。

 僕は会計の向かいに座った。

「真剣モードですね、珍しい」

「……聞きたいことがあるんだ」

 会計は僕を見据えると、笑って視線を外した。僕は棚まで歩くと、それを持って戻ってくる。

「賭けをしよう。僕が勝ったら何でも知ってることを話せ」

「……まあ、いいですけど。俺が勝ったら何でも一つ言うことを聞いてもらいますからね」

 僕は会計にオセロで一度も負けたことがない。ハンデでもあげようかと思ったが会計は何も言わず、いつものように打ち始めた。

 半分程盤上が埋まり、僕が一つ目の角を取ったあたりで、会計は話し出した。

「責任は取れるんですか」

 悪魔さん、そう会計は笑った。

「あなたは学んだはずでしょ。依怙贔屓やヒーロー気取りは割に合わないって。他人の責任まで背負ったら、ロクなことにならないって」

 無責任な詮索。興味本位の質問。

 僕は昔と何も変わらない。また僕は、恐らく自分に絶望する。

 これは呪いで、トラウマだ。でも僕はこれに立ち向かいたい。そう思えるキッカケを、柚子がくれたのだ。

 僕は角を取られる。

 僕は角を取られる。

「あなたは強くあるべきです。子供扱いされるのは俺みたいな凡人だけだ。前田さんは、強過ぎたのに強くない」

 僕は、角を取られる。

 盤上は黒で染まった。

 会計は立ち上がり、困ったように笑う。

「……どうしようかな。負けて潔く教えてあげようと思ったんですけども。まあいいか、ちょっとだけ」

 僕は会計を睨みつける。彼は引きつった笑顔で心持ち後ずさった。

「一つ。前田さんも思ってるように、浅野さんの転校は嘘です」

 そう。そうじゃない。

「二つ。その根拠は、浅野さんの性格が激変した中学二年の秋、同じ言い訳をして中学校時代の友達から離れたこと」

 そして三つ。そう言って会計は背を向けた。

「中学二年の秋、部活をやめる浅野さんが最後に描いた二枚の絵があります。そのうち片方は全国のコンテストで優秀賞を獲りました」

「……すごいな」

 ええ、そう彼は意味深に立ち止まる。

「もう片方の絵は……俺もそこまで詳しいわけじゃないんですが、その絵はなぜか誰にも見られることなく、お蔵入りになったそうです」

 曰く、タイトルは『死神のワルツ』。

 僕の白は、様々な不安に包まれて黒ずんでいた。


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