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天使のパレット  作者: 五月悠助
3/20

ひとりぼっちな白

 3


 その夜。僕はだらしなく机に向かい、適当なラジオを流しながら宿題を捌いていた。一人ぼっちの家の中に、イアフォンを付けないでその音を響かせる。反射してくれる壁もなく、僕はいっそう書くスピードを早めた。

スマートフォンが振動したのは、ちょうどひと段落ついた頃だ。

「今日はありがとう(顔文字)」「お金、明日返すね」

 可愛い顔文字を使うんだな、そう僕はそれを打ち込む浅野さんを想像した。一分ほど時間を置いて既読を付ける。

『明日は土曜日だよ(笑)』『僕の方こそありがとね』

「(恥ずかしがるスタンプ)」

『(からかうスタンプ)』

 僕は机の上に勉強道具を放置してベッドに寝転がった。弾力抜群のこれは、僕が自腹で買ったものだ。これだけは僕を受け止め、そして跳ね返してくれる。この家での僕の共感者だった。

『そういえば』

「なに?」

『浅野さんって、中学の頃美術部だったの?』

 妙な空白があった。地雷を踏んだかと心配したが、

「あの人から聞いたの?」

かわいそうに。あいつは名前も覚えてもらえていないようだった。

『まあね。すごい絵が上手いって言ってたよ』『最近は絵描いてるの?』

 僕は冷蔵庫から炭酸ジュースを取り出してきてちびちびと三分の一ほど飲んだ。煎餅を咥えてベッドに戻るも、返信は来ていなかった。どうしたのだろうとスマートフォンを持ち上げた時、ちょうど震えて僕は間抜けに驚く。

「描いてないよ」

 僕はしっかりと握り直す。

『そっか』

 そして僕は見つめ直す。

『浅野さんの描く絵、見てみたいな』

「じゃあさ」

『なに?』

「私、知ってるよ。前田くんが小説書いてること」

 彼女は僕を固めてしまった。そして彼女は、こんなことを言い出したのだ。

「私と漫画を作ろうよ」


 寝ぼけたままでトーストを焼き、大雑把な分量の卵をかき混ぜスクランブルエッグを作った。見た目のために緑の野菜を皿に添えて、二人分の食事を食卓に並べる。

「できましたよ」

 僕は仕事の支度をする父親の背中に声をかける。父親はああとだけ言って座ると、僕らは黙って胃に物を突っ込んだ。

 テレビで流れる汚職事件を蔑むように見やる父親を見て、僕はやはりこの人が嫌いだと思った。

 しばらくの後、インターフォンが鳴る。

「いい、僕が出ます」

 玄関に向かい、半透明のドアに映る像を確認した。

「おはよう。浅野さん、いらっしゃい」

「うん、おはよ」

 浅野さんは昨日よりも自然に笑うと、手に持つ紙袋と貸していた五百円玉をこちらに差し出した。

「昨日言ってたお菓子だよ。食べたくなって買ってきちゃった」

「買ってきてくれたんだ! ありがとう。後で食べよっか」

 昨日そんな話をしていた。浅野さんの家の近くに和菓子屋さんがあるらしい。彼女の家自体学校の近くにあるので僕が知らないのは不思議だった。

「似合ってるね、私服。意外とお洒落なんだ」

「意外と?」

「あはは、ごめんごめん。可愛いよ」

 浅野さんはびっくりしたようにしていた。普通そういうことは言わない方がいいんだっけ。普段見ない私服姿に目を引かれたのは本当だ。

 その時、父親が玄関に出てきた。父親は浅野さんを一瞥して、何も言わずに家を出た。

「……今の、おにいさん?」

これも普通じゃないらしい。

「いいや父親、母さんの再婚相手さ。今はあの人と僕とで二人暮らし。誰もいないし気兼ねしないであがっていってね」

 血の繋がらない父親なんて、珍しい話でもない。二十五歳であること、つまり僕と七つしか変わらないことを除けば、どこにでもいる普通の父親だ。

 僕は彼女をリビングに案内し、丁寧に淹れていたコーヒーを彼女の前に置いた。

「前田くん、それパジャマ?」

「……あ」

 忘れていた。クスクス笑う彼女を置いて自分の部屋に戻ると、着替えるついでに原稿用紙と漫画を掴んだ。浅野さんは特に何もないリビングを見回していた。

「はい、これが昨日言ってた小説。三百枚だったかな」

 浅野さんはペラペラと眺めると、

「すごいね。プロみたい」

「あはは、全然そんなことないよ」

 僕は漫画を開く。浅野さんも原稿用紙に目を通し始めた。

 僕の書いた小説を読みたい。そう言い出したは彼女だった。僕がストーリーを作り、彼女が絵を描く。漫画なんかでよく見るこんな状況は、僕としては結構楽しみだった。

 僕は今まで、二人にしか小説を見せたことがない。それはそうだ。小説なんて、恥ずかしさの塊だから。チラリと彼女を見た。

 浅野さんは違う。僕は確信を持って、彼女を内側に招き入れた。

「……どうしたの?」

「うんん、なんでもない」

 僕は彼女に気づかれないように、彼女を眺めていた。


 二時間後くらいだろうか、僕がコーヒーを淹れなおした時、浅野さんはやっと顔を上げた。

「少し休憩しよっか。一気読みは疲れるでしょ」

 浅野さんが買ってきてくれたお菓子も開けた。僕が食べたことがないような、テレビで見るような和菓子だ。

「私、読むの遅いから……。でもね、内容は面白いよ!」

 彼女はいつもと違うテンションだ。それに気づく様子もないようなので、僕としてはそちらの方が面白かった。

「全然大したことはないんだけどね。小学生の頃からこんなことしてたから、ちょっとは慣れてるんだよ。これで四つ目かな」

「そうなんだ。私も絵は小学生の頃から描いてたな」

 僕は包みを慎重に開いて饅頭を口に運ぶ。深みのある甘さが浸透し、対称的なコーヒーと上手く溶け合った。

 彼女は包みをくしゃくしゃにしながら僕と同じそれを口にし、仮面の下から幸せそうな顔を覗かせた。こんな顔をされたら作った人も本望だろう。

「これが、どうかした?」

 落ち着いてから、浅野さんが僕の読んでいる漫画を凝視していることが分かった。彼女は手で口を押さえ、

「漫画、私も持ってる」

「そうだ。昨日アカネの絵、描いてたよね。すごい上手かった」

 『ローリンレガシー』、通称ロガシー。一見典型的なヒーローモノの作品だ。その人気の秘密は展開の転げ方。全く新しい発想で次から次へとどんでん返しを繰り返し、大量の予想もつかない伏線が張り巡らされている。人の心を何度も動かし、どこか純文学のようでありながら、大衆文学として広い世代に支持されている。

 一年前にアニメ放送され歴史的ヒットを記録し、映画化や実写化、また原作小説は完結からさらに続編が執筆され、まだまだ末長い人気が予想されているのだ。

「これを作った人はどんな頭をしてるんだろうね。こんな話を作ってみたいと思うたびにやる気なくすよ。僕には理解できないや」

 彼女は笑わなかった。僕はゆっくりと口角を下ろし、コーヒーを啜った。

「前田くんは、前田くんだよ」

そう言って彼女は、また原稿用紙に視線を下ろしたのだった。



「君には知性がないのかい?」

 地面に座り込む彼女に歩み寄り、僕はしゃがみ込んだ。

「何を盗ったんだ」

 翼をひらひらとさせ、僕を気にせず鼻歌を歌う。異様な振る舞いは幼さを盾にとる。

「むかーしむかしの物語だよ」

 彼女は本を読んでいた。文字なんて知らないはずの彼女が。

「君、字読めないだろう」

「感じるんだよ、心で!」

 ふーんと僕は彼女の隣りに座った。

「あなた、人間好き?」

「好きだよ」

「神さまは?」

「好きだよ」

「じゃあ悪魔は?」

「嫌いじゃないな」

 彼女は僕を見ない。また鼻歌を挟んだ。

 変な彼女は、嫌われ者だ。僕以外のみんなに嫌われた、珍しい君。

「すっごくつまらない人」

 僕はつまらない。僕はそれで構わない。

 それらしい本の持ち方をする彼女から、僕はそれを盗んだ。ぽけっとする君に楽しく笑いかける。

「じゃあ僕が、本を読んであげるよ」



 僕らで話し合った結果、残念ながら僕の小説は不採用ということになった。理由は簡単、会話ベースのストーリーで動きが少なく、漫画にしにくいということだった。

「でも私はこのキャラクター好きだよ」

 そんなこんな、僕は同じキャラクターを使っての番外編のシナリオを作ることになった。総集編的で、漫画に合ったシナリオだ。

 そして次のステップに移る。僕らは家からすぐ近くの駅で電車に乗り三十分、繁華街に到着した。目的は一つ、漫画を描くための機材を買うことだ。

「その前に……お昼でも食べよっか」

 様々な奇妙さが鎮座する中、安定を求めた僕らが選んだのはラーメンだ。脂っこい広告ポスターとは裏腹に店内は清潔で、やっと人ごみから外れて息をついた。

「前田くん、この辺来るの?」

「いやいや。二年くらい前に姉さんと来て以来だよ」

「お姉さん、いるんだ」

 しまった、と気付いた時には彼女の興味は僕を貫き、頬をかいた。正直あまり触れてほしくない過去だが、ひた隠しにするほどのことではない。

「今はどっか家出しちゃったんだけど、昔はよく遊んでた。頭いいから生きてるだろうけどね」

 彼女はなぜか、不思議そうな顔をしていた。僕は首をかしげる。

「まあ、そんなことはいいんだよ。そういえばさ、なんで浅野さんは僕が小説書いてるって知ってたの?」

 ラーメンが前に置かれた。彼女は箸立てから僕の分まで取り渡してくれる。

「授業中に書いてるのが見えたから」

「バレバレだったのかな」

「ばればればればれだよー」

 僕らは小さく吹き出して笑いあった。


 ラーメン代を仲良く割り勘した後向かった専門店で、道具は簡単に入手できた。安くもなく、高くもない予算の範囲内だ。結局は浅野さんの所有物になるからと、僕が三割負担するという形で落ち着いた。

「なんで主人公たちを天使にしたの?」

「……直前に天使を題材にしたアニメを見たんだよ」

「えへへ、安直だね」

「浅野さんって本好きだよね。どんなの読んでるの?」

「え、なんで?」

 僕らは二人して首を傾げる。

「休み時間によく本読んでるでしょ?」

 言ってから、理解した。本が好きだから休み時間に本を読むとは限らない。僕は無理矢理ごまかして、話を切った。

 言うまでもなくそこに辿り着くまでには多少の時間がかかったわけで、駅に戻ってくるまでに太陽は傾き始めていた。

「ついでだし、本屋に寄ってもいい?」

 そう辿り着いた先で、面白い文字を見つけた。

 アニメグッズ専門店。

「そんな店が、あるのか」

 僕と同じように釘付けになっている彼女を見て、

「入ってみない? 僕、興味あるな」

「……私も」

 そんなわけで、オタクである。


 どんな魔境が待ち構えているのかと思いきや、むしろ普通で拍子抜けした。ポスターやらは貼ってあるけれど、想像していたほどではない。

 浅野さんはわくわくを身体中から溢れさせて、初めて僕より先行して歩き出した。彼女は例の『ロガシー』のグッズの前で止まる。

「私、アニメ好きなの」

「知ってる知ってる。僕もだよ」

 こんなところ、クラスメイトには見せられないなと周囲に気が行ってしまうけれど、彼女は全くそんなことは頭にないようだ。

「若山マウトって知ってる?」

彼女は首をかしげる。

「ロガシーのシナリオ原作者なんだけど、これがデビュー作なんだって」

「すごい人なんだね」

 僕は見たところ清潔そうな帽子型の衣装を彼女に被せてみた。

「おお、似合ってる」

「ほんと?」

 僕はスマートフォンのカメラ機能で、鏡のようにして見せてやった。彼女は少し恥ずかしそうに、照れたように笑う。

 僕がキーホルダーを眺めていると、彼女は何か棚から本を引っ張り出してきた。

「これ、なに?」

「うーん、なんだろ。ああ多分これ、ファンが書いた二次創作のお話だよ。面白いのかな」

 何か不穏な空気を感じて、僕は一定の本棚のラインを浅野さんが超えないように壁となっていた。あまり彼女に突っ込んでいってほしくない世界の物語だ。

 僕は結局何も買わず、一方浅野さんは数個のストラップとファイルを購入し、店を後にした。なんだかどっと疲れた。

 電車では帰宅ラッシュに捕まり、つり革に必死に掴まる。僕らはやっと辿り着いた自分たちの町で、ため息をついた。

 歩き出すが、浅野さんが付いてこない。振り返れば、手すりに寄りかかって少し怠そうにしている。

「浅野さん、大丈夫?」

 彼女は首を縦に振るが、あまり大丈夫そうではない。僕は手を貸して、すぐ近くの公園に入った。僕は自販機でスポーツドリンクを買ってきて彼女に差し出す。

「ありがとう」

「流石に疲れたよね。ちょっと休憩してから帰ろっか」

 夕焼けの中、僕の視界の中で彼女は儚げだった。すぐにでも壊れてしまいそうな、僕は少し怖くなった。

「……今日、楽しかった。私、友達と遊んだの五年ぶりだよ」

 もう一度彼女は、仮面を落とした。目が合い、笑いかける。

「僕も。二人で出かけたのは、すごい久しぶりだ」

 なんで私と仲良くしてくれるの?

 彼女の声が聞こえてきた。本当に言ったのか、僕の聞き間違いかは分からないけれど、僕は彼女の顔を見ようとして、止まった。

 彼女は不思議だ。僕はなぜ、特別扱いしているのだろう。

 これが恋か。いや多分それとは違う。でも単に興味深かったからなんて曖昧な理由だけではなかったと思う。

 それは多分、彼女が特別だからだ。僕の例外に彼女はいた。目を引かれ、興味を惹かれた。僕はなんの言い訳もせず、彼女を見つめる。

「なんで私と仲良くしてくれるの?」

 僕はすぐに答える。

「もっと仲良くなりたいからだよ」

 彼女の顔を見て、僕も少し恥ずかしくなった。彼女は下に視線を泳がせ、唇を瞑って笑っているように見えた。

「……これ、あげる」

 彼女は赤い花のイラストが描いてある小さなメダルに糸を通したストラップを差し出した。お揃い、そう言って彼女は財布につけたそれを見せる。

「ありがとう。大切にするよ」

 彼女は素直に笑って頷くと、また夕暮れの空を見上げた。カラスがいるわけでもなし、橙が広がっているわけでもなし、さっきの方が夕暮れの空として綺麗だったけれど、僕はこっちでもいいような気がした。

「……触っていい?」

 いきなり何を言い出すんだと、僕はしばらくの後小さく頷いた。

 彼女は僕の手を握り、何をするでもなく僕のその手を見つめていた。空では小さく縮こまった月が泣き、季節外れの固く冷たい水が降る。

「お別れしたくないよ……」

 転校。僕は忘れていたわけでもなく、目を背けるようなことはしなかった。僕はその小さな手を掴む。

 転校。転校。……転校?

「……僕らはずっと、友達だよ」

「ベタな台詞」

「悪かったな」

 空いている方の手で彼女にチョップした。そんなに痛かったのか、顔を上げた彼女は涙目になっていた。

「……うたくん」

 僕はあの天体を眺める。

「いい名前だね」

 君に呟く。春の風は優しくからかうように髪を揺らした。

「柚月」

 君は嬉しくなってついつい笑ってしまったような、そんな表情をしていた。


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