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天使のパレット  作者: 五月悠助
18/20

99%の奇跡

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 誰もが夢見る土地はまるで自分が映画の中にいるような錯覚を与える。僕は巨大な広告の映し出される壁テレビを見上げていた。

 世界経済の中心地、ニューヨーク。誰もが漠然と憧れるこの土地は、同じような構造の建物が続き、その道がどこまでも続いているようにも思われた。

 今日の夕方、十三時間ほどのフライトを終えてこの地にたどり着いた。学校の修学旅行で取っていたパスポートがこんなところで役に立つとは思わなかった。これがなかったらここに来ることも出来なかったのだ。

 僕はあの人を視認し、壁から身を離す。あちらも僕だと分かったようで、微かに笑って会釈した。

「アルフレッド・ブラウンさんですか?」

「ああ、君が前田裕太くんだね。では行こうか」

「どこにです?」

「ディナーだよ。同僚の誘いを断ってきたんだ、付き合ってもらうよ」

 案内された先はビルの最上階、なんだか高級そうなレストランだった。ブラウンさんは慣れたようにウエイトレスと会話すると、注がれたワインに口をつけた。僕のグラスにはスプライトが注がれる。

「これは他言無用だよ」

 グラスを突き、ははっとブラウンさんは笑う。

「この後も仕事なんですよね?」

「ああ。とは言っても明日の仕事の準備だけだ。意外そうな顔をしてるね」

「いえ、ブラウンさんは一日中手術を行っていると聞いていたので」

 ブラウンさんは言葉に詰まったように目をそらすと、

「ウチの理事長の意向でね、僕は物凄く多忙な人間だということになっている。年中休まず働いているのは本当だが。成功率が命だと言ってね、実際の手術数は君の思う半分以下だと思うよ」

 成功率を下げないように数を減らすための策だろうか。普通に考えて一日に二十時間働いているというのは尾ひれが付きすぎだ。

「君にも思うところはあるだろう。しかしこれは僕の信条でもある。全ての手術に、成功率百パーセントで挑む」

 ブラウンさんは圧倒的な強さで言った。

「だから僕は、ただの一度も失敗したことがない」

 本物は、天才は、雲の上には、やはり僕には届かない。雲の上には届かないなんて当たり前だ。人間は空を飛べない。だからこそ人間は、飛行機を作ったのだ。

「ブラウンさんには、名無し病の手術も百パーセントにすることが出来ますか」

 ブラウンさんは鋭い目つきになった。

「出来るね、確実に。百パーセントでないのなら、するだけだ」

「それなら、交渉の提案をさせてください」

 そう言うと、ブラウンさんは笑いながら僕を眺めた。目の奥まで見透かされているような気がする。僕は強く見つめ返した。

「はははっ、面白い。聞かせてもらおうか、僕も君を知りたくなった」

 柚月を連れてきていないことも、僕としては意思表示であった。僕はブラウンさんに、お願いではなく交渉する。子ども扱いは必要ない。

 これは確信の持てる推測。もしかしてという考えがこれを導いた。僕の言葉に、ブラウンさんは目を丸くした。

「あなたはオタクですね?」


 取っ掛かりは、ブラウンさんが流暢な日本語を話していたこと。凄い人なのだから何ヶ国語も話せるかもしれないが、魔法なんてものはないので学ぶのは大きな手間にはなる。それに日本語というのは汎用性が低い。母国語の英語とは大きく違うため学びにくく、使えても医学でも日常でも特に得にならない。垣谷さんのおかげでブラウンさんの親族が日本とは関わりなく、友人がいる可能性も低いことは分かっている。なぜ日本語を話せるのか。

 そして、毎年お盆休みの日本訪問。どこに行っているのかまではもちろん分からないが、日程ははっきりしている。その日程は、日本のお盆休みに合わせて毎年少しずれながらも、三日間である。その日はアメリカ人にとっては変わりない。

 お盆休みに合わせて少しずれる。つまり、何か決まった日程のもののために日本を訪れる。本当に数少ない休暇に、何をするのか。わざわざ日本にまで、正月さえ休んでいないのに訪れるのは、よっぽどブラウンさんにとって大切なことがあるからと考えるのは妥当だ。

「ここで一つ浮かぶのが、日本のサブカルチャーの中心イベント、コミックマーケット。調べてみると少なくとも過去八年間の来日日時と開催時期が、ぴったりと一致しました。さらに九月十日から三日間、日本では四年前からトップクラスに人気のある作品だけを集めたイベントが開催されています。こちらも予定が一致しました」

 ブラウンさんが訪れた可能性のあるのは、去年と一昨年。そして今年の三回分、三年前には出展しておらず、二年前から今年にかけて出展する作品は、たったの一つだけ。

 僕の特別な武器。成功率九十九パーセントの勝負に、僕は全てを賭けた。

「提案です。手術に見合ったお金と追加して、ローリンレガシーの原作者がこの世に一つだけのオリジナル小説を書くので、仕事を受けてください」



「君は本当に面白いね」

 僕はブラウンさんと別れ、すぐに帰りの飛行機に乗っていた。機内は薄暗く、飛行音が心地よく耳に響く。

「そこまで見抜くとは大したものだ。まるで別人だね。君はただの我が儘な子どもかと思っていたが」

 日本のアニメーションは素晴らしい、そうブラウンさんは言っていた。

 自由な時間をほとんど持てない、様々な制限を持つ人々にも夢を見せることができる。仕事漬けの毎日の中、ブラウンさんはそれを見つけた。

「見も知らぬ他人に夢を見せることが出来るなんて、まるで神様だ。君は『ANIMATE』という語の意味を知っているかい?」

 ブラウンさんは清々しい笑顔を見せた。

「『モノに生命を与える』。孤独で独りよがりだった僕は、たくさんの人と同じ夢を、素晴らしい夢を見ることができた」

 天才は孤高で、雲の上だ。だからこそ天才には雲の下は見えない。柚月も父親も、会計もそうだった。僕は雲の下から、彼女や彼らをたまたま見つけた。

「君は天才かい?」

 僕は自信を持って答えた。

「いいえ」

 面食らったように、ブラウンさんは笑った。

「面白い。だから君は、そんなに強く在れるんだね」

 本来の休暇の目的に、同じベクトルでかつそれ以上の利益を報酬に提示する。交渉の成功を、だから僕は強く確信できた。強く、逃げずに、本当の自分を逸らさない。

 その握手に、僕は応じた。

「まあ、自分を天才と思わずにかっこ悪く足掻く天才ほど、怖いものはないという話だ」

 そして最後の戦いへ。僕は最後まであがき続ける。



 文化祭二日目、野外劇前日の夕方。僕は地元の空港に到着した。どうやら柚月が迎えに来てくれているようで、彼女の姿を探した。

「裕太くんっ!」

 制服を着た彼女は、僕を見つけるや否や駆け寄る。僕を見てなんとなく察したのか、小さく笑顔を浮かべた。

「準備は大丈夫なの?」

「うん、あともうちょっと。明里ちゃんがあとは任せてって言ってくれたから、迎えに来たんだよ」

「そっか。お疲れ様」

 僕のすぐ側まで来た。

「あの夜、夏目くんから聞いたよ。裕太くんが、なにか私のために頑張ってくれてるって。私ね……」

 まだ終わりじゃない。僕らはまだ、運命の狭間にいる。

「明日、野外劇が終わった後、柚月の病気について話がある」

「……うん。待ってるね」

 僕は心の底から叫びたかった。彼女がこう在ってくれるだけで、僕は本当に報われる気がした。

「……ありがとう」

 彼女は僕を見上げて、柔らかく笑った。


 僕らはタクシーに乗り込み、学校へ向かった。その中で僕のいなかった五日間ほどのエピソードを聞く。とは言っても何もトラブルはなく、特に明里と柚月、それに高梨の活躍により、準備は無事ほとんど完了したようだった。色塗りと音響の仕上げ、それと僕関連の動きの確認だ。

 一二年生の屋台や出し物は二日目まで、三日目は一日中野外劇に費やされる。つまり僕は文化祭っぽいイベントを逃してしまったが、特に何も思わない。

 会計が持ち前の手抜きでもそこそこ普通に見える能力で作ったWELCOMEという看板がくたびれ始め、その終わりを感じさせる。夕方の赤い太陽は斜めに陰を作り、たくさんの窓を煌めかせた。

 屋台が集まる中庭で、久々に見る姿を見つけた。

「裕太ちゃん、柚月ちゃん!」

「おお南」

 持っていたたこ焼きを奈良坂さんに押し付け、柚月に抱きついた。柚月は驚きつつも、南の頭を撫で、久しぶりの再会に嬉しそうにしていた。

「前田くん、お帰りなさい」

 奈良坂さんはにこにこ笑いながら僕の方に歩み寄ると、南に渡されたたこ焼きを勧めた。僕は爪楊枝で刺して、適度に温かいそれを口に入れた。ささやかなお祭りの味だ。

「ありがとう。南と知り合いだったの?」

「うんん。柚月ちゃんが前田くんを迎えに行った後、あの子がウチの教室まで二人を探しに来たの。テストがあって遅くまで来れなかったんだって。明日は朝から来るって言ってたよ」

 それだけではなぜ奈良坂さんと南が一緒にいるのかは分からなかったが、奈良坂さんの親しみやすい性格からだろうか。

 それにしても、クラスメイトは僕をどう思っているのか。前日まで理由も言わず姿を消して、自分勝手過ぎる。

 僕らは楽しそうにする二人を眺め、

「みんな知ってるよ」

 奈良坂さんはクスッと笑った。

「前田くんが、柚月ちゃんのために何やら頑張ってたって。明里と高梨くんの演説は、カッコよかったなぁ」

 何があったんだろうか、気恥ずかしい。

「告白、したんだって?」

「……なんで知ってるの?」

「優希ちゃんから聞いちゃった」

「南はなんで知ってるんだろう」

 いい笑顔をしている奈良坂さんは、からかうように僕を見た。

「柚月ちゃんから事あるごとにチャットで前田くんトークを聞かされるんだって。その中の一つじゃない?」

 僕は苦笑いした。東京に行った時に聞いた話だ。

「南も苦労してるんだな」

「優希ちゃんもノリノリだと思うよ。前田くんのこと大好きだから」

 どう反応すればいいんだろうか。僕は仲よさそうにする二人を眺めていた。

「返事は、まだもらってないんだよ」

「この戦いが終わったら、おれ、結婚するんだっ……」

「ああすごい死亡フラグ」

 そうしているうちに、南がこちらに走ってきた。

「裕太ちゃんも、お久しぶりです」

 無邪気な笑顔は、変な顔をする僕を見るとハテナを浮かべた。

「南、」

「誰のことですかー」

「……優希」

「はい」

 僕は何かを思い出す。何も覚えていないけれど、だからそれらを振り払った。

「なんでもないよ。明日来るんだろ、楽しみにしてな」

 優希は頷いた。僕は二人に向き直る。様々なことがあった。このクラスで僕は柚月と出会い、明里とまた言葉を交わした。高梨も、佐々木も、奈良坂さんも、僕をずいぶん変えてしまった。

 春を思い出す。クラス替えで明里と同じになり少し憂鬱で、妙に親しげな後輩ができただけで平坦な道を歩いていた僕。面白くなく、身の程を知らず何も知らず、中身のなかった僕。そんな僕をこんな僕に変えたのは、紛れもなくこの世界だった。僕らの、僕らがいるこの世界は、最高に素晴らしい。

 苦しいことも体験したけれど、後悔なんて一つもない。だって僕は、もう逃げないのだから。

「柚月、奈良坂さん。もう一息、頑張ろうか」

 二人は力強く頷いた。



 主人公は怪物の魔的美しさに酔って、本当の気持ちを見失う。人間性の欠落していた主人公は、自分の中の激しい矛盾に耐えられなくなり、その結果大切な人を失った。失って初めて感じた後悔。人間性の発露に、怪物は諦める。人間になりきれなかった彼女は、罰によって殺される。彼女は主人公に自分を遺した。

 主人公は僕が作った。だからか彼は、僕に似ていた。

 朝日が校舎の間から光を放ち、長い間曇っていた空を打ち砕いた。夏の終わりにしては心地よい涼やかな風が、僕の高まった心を鎮めてくれる。

「で、このシーン。ここの移動がキツかったから尺伸ばした。後で確認しといて」

 神田は僕と明里に一通り説明を終えると、そそくさと背を向けた。

「ありがとう」

「……別に」

 明里といくつか打ち合わせをし、その間周りのクラスメイトも落ち着かない様子でいた。皆すでに衣装に身を包み、僕も地味で安そうな布の服を着ている。その中で彼女の衣装は、ピタリと合っている。

 ドレスにも似た黄色ベースに紫や青が混ざり合い、しかし風景に溶け合って調和するような、自然な特別さ。小道具係であるはずの奈良坂さんが手作りしたらしいこれは、言い過ぎであるが、ある意味で恐ろしかった。

「どうかした?」

「馬子にも衣装だなって」

「可愛いだなんて照れるなぁ」

「役に入るには早くないか」

「素なんですけど」

 硬くない拳で腹を小突かれた。

「本番で失敗したら喰うからね」

「こっちこそ狩ってやる」

「もう、こんな時にヤラシイこと言わないでよ」

「お前の図太さは本当尊敬するよ」

 凡人である僕らは、幾度となく共に戦ってきた。特に独りよがりだった中学時代の僕についてきたのは、彼女だけだった。互いに沢山のことを学び、またここに立つ。僕らは拳を合わせた。

「行くか」

「うん」

 やっとここまでたどり着いた。僕らのクライマックスを始めよう。


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