第二十話「月面のマスカレイド」
怪人たちを戦慄される裏側。あるいは表側。(*■∀■*)
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きっかけはマスカレイド安全基準法だった。
「久しぶりに規定人数越えたな」
『なんで二番煎じのリンチ作戦が通じると思ったんですかね? 前回少しでも効果があったのなら別ですけど』
かつて、THEマーと十人のA級怪人たちによって行われたマスカレイドとの決闘……と言っていいか怪しい何か。決闘システムを使っていたとはいえ一対十一で決闘もないだろうとか、内容的に蹂躙ではないかとか色々ツッコミどころはあるにしても、結局マスカレイドさんへのスコア提供にしかならなかった事件なわけだが、最近になってそれと似たような事をやってきた怪人がいたのだ。
水面下の交渉とはいえ、暗に逆らう気はないので助けて下さいと言ってきたTHEマーとは違い、今回は勝つ気マンマンで真正面から挑んできたバカだ。マスカレイドさんの情報が出回り切っている感のある怪人が何故自信が持てるのか分からないが、とにかくそういう奴がいたのだ。
もちろん、俺も何か狙いがあるのだろうと警戒はした。……したが、結局何もなかった。いつかの決闘怪人バーサス・マスカレイド以上に、肩透かしな結果で終わってしまったのだ。
死ぬ直前に『話が違うっ!?』とか言っていたので、誰かに騙された可能性も捨て切れないが、どちらにしてもバカなのは変わらない。
彼……彼らにどんな思惑があったのかは別として、ウチとしては月の上旬にマスカレイド安全基準法……自分で言っててまったく言葉の意味に合っている気がしないコレが適用されたのは地味に大きい。
たとえ日本に怪人が出現しなかろうが、予告出撃などでマスカレイドさんが出張る可能性はある。しかし、そういった能動的な活動は別としても、あとは引き籠もってていいですよという状況は精神的にも巨大な余裕を生み出すのだ。
これが誰かから適当に言われた許可だったりすると何故か狙ったように怪人が出現したりする事があるので、システム的な保証は超重要なのである。つまり、言霊怪人パワー・ワーズは絶対に許さないという事だ。いつかのラッシュが本当にあいつのせいだったのかなんて知らんが。
『上旬っていうのがいいですよね。月の大半を自由に使えるのは私的にも助かります。色々試したい事もあったので』
「俺は引き籠もる気マンマンなんですが」
『いや、私の作業が捗るっていう意味なので、マスカレイドさんの権利を侵すつもりはないですよ。引き籠もってもいいんじゃないですかね』
「そんな事言って、事あるごとに俺を天岩戸から出そうとする気ねっ!」
『私は別にマスカレイドさんに労働をさせよう勢力の手の者ではないので。いいですよねー、引き籠もり』
それならいいんだが、私は働いてるんだからお前も働けと言われているように感じてしまうのだ。たとえそうだとしても無視するが、そういう意図が含まれているのかもしれないと考えてしまうのは、ブラック労働が常態化した現代に生きる日本人故の気質なのかもしれない。社会に出た事ねーけど。
というか、あんまりミナミにフリーハンドを渡したくないって事情もあるんだよな。放っておくと何するか分からんし。
「ちなみにお前は何する気なの?」
『基本的には普段やっている延長線上の事ばっかりですよ』
そこは具体例を出してほしかった。やぶ蛇になりかねないので、こちらから口にする事は憚られるのだが。
『マスカレイドさんがやりたい事がなくて暇っていうなら、いくらでも割り振れますけど』
「暇潰しこそが本分な引き籠もりには無用な心配だな」
なんかお手伝いしたがっているみたいにとられてしまったが、俺としてはミナミが唐突なサイバーテロをしなければ問題ないのである。
本人にその気がなくとも、ついうっかりでやっちゃったんだって事態があり得るのだから、俺の監視も限界はあるわけだが。
「とはいえ、せっかくの長い休暇……のようなものを活かしたくはあるな。普段はどうしても緊急出動が発生する前提になるから、いざこうなると思いつかない」
支援出撃などを別にすれば、スケジュール通りに動けるというのは大きい。支援出撃にしても、別に強制ではないし。
事前に組んでいたスケジュールだって、マスカレイドの強権でリスケという荒業も可能だ。リスケを伝えるのが国家相手でも気にしない。
せっかくだから、いつもはできない事をしたいと考えるのも当然だろう。引き籠もりにそんな贅沢は許されないという寝言は無視するとして。
『長期休暇の使い方というと、普通なら旅行とかですかね? 最近の観光業界は冷え込んでいるらしいので、世間一般の意見と言っていいかは知りませんけど』
「海外にならいつも行っているんだが」
『観光地じゃなく、基本的に最前線じゃないですか。まあ、危険性さえなければ観光先に選ぶ人もいるかもしれませんけど』
怪人たちが作った謎の要塞とか、行けるなら行ってみたい人はいるだろうな。後の観光名所候補ではある。
日本でも、怪人が出現したスポットは見物客が多いと聞くし。新潟の大穴とか、福岡のイベントブースとか、あるいは通勤ラッシュ時の東西線とか。
『本来、旅行って移動距離や時間って要素も絡んでくるんですけどね。パッと行って帰って来るんじゃ、感覚的にコンビニに行くのと変わりませんよ』
「俺にとって、距離なんてあってないようなもんだしな。パスポートすらいらんし」
『密入国し放題ですね』
「今更やがな」
ヒーローになってから三……二回目に出撃した伐採怪人キキールの時点ですでに外国やぞ。
怪人相手の出撃なら基本転移で一瞬だし、そうでなくともミラージュが使えれば一時間もかからず、数分程度で目的地に着く。巡航速度でだ。
そんな俺に旅の風情や醍醐味を説いても意味はないだろう。いざ、通常の交通手段を使って移動しなければならなくなったとしても、不便としか思わない気がする。
「ちょっと前までなら、どうしても時間のかかる穴熊英雄強化計画に費やしても良かったんだがな」
『どうしてもアバター……本体? の体力回復時間が必要ですしね』
「アバターでいいんじゃね? 今となると、タイマンで戦闘員倒せるアレが元々の俺だって言い難くなってるし」
『でも、元に戻っても同じ事はできますよね?』
「多分な」
まあ、引き籠もる前の穴熊英雄と今の穴熊英雄は別モノという事だ。引き籠もりなのに、なんなら存在すらしていないのに成長しているのである。主に戦闘員イー相手の訓練が理由なのだが、格上相手にあんな激闘を繰り返していたら急成長だってするだろう。
その訓練も、少し前に勝率が五割を上回った時点で一段落としている。環境次第なところは大きいが、素の身体能力が桁違いな時点でこれ以上を望むのは傲慢だろう。人間が戦闘員相手に勝てるはずがない。基本的にはその構図でいいと思う。
なんなとく意地で続けてしまったテストではあるが、かなり前の時点でマスカレイドへのフィードバックという目的は終わっていて、どちらかというと逆方向のフィードバックばかりが目立っていた気がする。マスカレイドの影響で穴熊英雄が強化されるって構図だ。
『対戦闘員じゃなく、対怪人でやってみるとか?』
「さすがに無理があるだろ。戦闘員相手に五分どころか完勝できるくらいになっても、その程度じゃ勝負にもならん」
『身体能力だけなら弱いって言われるABマンとか』
「ABマンの場合は目の前にいるってだけで動けなくなりそうだから嫌だ」
というか、ABマンにしても別にヒーロー最弱ってわけじゃないし。実際の最弱でも、戦闘員相手なら余裕で勝てるのがヒーローって存在なのだ。
怪人の場合はちょっと事情が違って、特殊能力主体のF級怪人かつ相手を選ばなければ可能性はあるが、そんな特殊例相手に勝っても意味はないし。別に、怪人相手に勝ったっていう実績が欲しいわけでもない。
戦闘員相手だから強引でも勝負の形にできただけであって、人間個人と怪人、あるいはヒーローでは対立の構図は端から成立しない。環境とか運とか以前に、絶対的な能力差が大き過ぎてマギレも起きない。あのテストはその事を明確に突き付けられるものでもあったのだ。そもそもからして物理法則が違うしな。
人間の身でA級怪人を倒してしまった善意のサラリーマンとかクリスとかは、超がいくつも付くような例外なのである。実績だけ見ればガチ英雄やぞ。
「だからといって、他に何するって言われても候補がないんだがな。やる事、やりたい事はあるが、いつでもできる事を繰り返すだけなのはもったいない気はする」
FPS無双などは気が向いた時にいつでもできるし。そろそろネット上でもチーター越えて伝説になりつつあるぞ。
『必要なのは暇潰しじゃありませんしね』
むしろそれは得意である。
「時間がかかって普段できないのは……ミラージュの換装テストとかかな。パーツチェックに時間がかかるだけで、俺自身はそうでもないけど」
なんなら、ロイドに任せてもいいくらい。
『突発的な出撃でもなければ、スケジュールを合わせ易いっていうのはそうですね。むしろ、メンテ業者に投げるって手も』
「あー、確かにな。問題は当初の目的には一切合致しない事だが」
『それはそれとして』
投げるだけ投げて、こっちの作業は出荷と受取だけだ。かといって、それができるのにわざわざ自分でメンテする理由もない。
一度、短期で依頼した事もあるのだが、各パーツごとの相性チェックどころか、無尽蔵のパワー前提の運用方法まで検討してくれたほどなのだ。
提出された資料に、俺でもこれくらいできるとは口が裂けても言えない。そんな本職の仕事を見せられた。だから、メンテナンスに出す事自体は普通にアリだと思う。
ちなみに、ヒーローによっては装備をメンテに出す者もいたりするらしいのだが、マスカレイドさんの装備にメンテが必要な機能なんてほとんどないから関係ない。蝶マスクの通信機能くらいで、それも予備があるし。
「とりあえず、何するか考えるついでに新しいパーツの目星でもつけておくか」
『いいんじゃないですかね。じゃあ、私はアポカリプス・カウンター周りの情報探っておきますね』
それも気になるところではあるんだよな。まあ、俺が作業するよりミナミに任せたほうが遥かに効率がいいから、手を貸す必要性は感じないんだが。
いつも通り、ある程度まとまった時点で声をかけてくるのを待てばいいだろう。
-2-
そんなわけで、いつものカタログとは別に入手した、ヒーローメカ専門のカタログ雑誌を開く。
これはパーツを作っているらしい業者が発行しているもので、専用ヒーローメカを保有しつつ一定額以上のポイントを注ぎ込んでいるヒーローに定期配布されているものだ。
基本的には専用・汎用問わず、自分が購入可能な商品の紹介が並んでいるだけなのだが、特集ページで時事的なヒーローメカの記事も掲載されている。
これを自分に関係ないと考える者もいるだろうが、意外に参考になる情報が紛れている事も多い。今号のミサイルライダーのように専用のヒーローメカで搭乗機かつ使い捨ての消耗品なんて特殊な例でも、見るべき点は多いのである。
「サーフィン型のミサイルか」
水面を滑走する魚雷……もといミサイルに搭乗するミサイルライダーの勇姿が描かれているのを見て、やっぱり参考にならないモノもあるなと思い直した。
むしろ、誌上でそのミサイルの餌食になっているディープワン的な怪人の事のほうが気になる。でも、気になってもSAN値が犠牲になりそうで調べたくない。そんなジレンマ。
ちなみに俺が今注目しているのは、先月号で特集されていた搭乗型ロボットについてだ。今のところパワードスーツの延長で全長三メートル未満程度のものしかないが、これが巨大ロボに発展していくなら超欲しい。特集対象のこれはすでに汎用品として一応販売されてはいる。
ロマンは感じても実用にはほど遠い。そんな感じの立ち位置がまたいい。そして、ロマンだけで購入するには理性が手を止める。そんな値段すら魅力的だった。今の俺が手を止めるくらいだから、他のヒーローは絶対手が出ないだろうな。
などと考えた末、ちょっと気になってヒーローネットで導入事例がないか確認してみると、なんとすでにいくつか購入されているらしい事が判明した。もっとも、個人ではなく東海岸同盟などの大きな組織が共同購入しているようだ。
「……役に立ちそうもないな」
動画もアップロードされていたので視聴してみたのだが、正直微妙だ。ヒーローパワーが足りなくてポテンシャルを発揮し切れていない部分も大きいだろうが、それを差し置いても役に立つ気がしない。使い方次第でどうにかなる気もしない。ロマン兵器以前の問題だ。燃料にヒーローボトルを使って、人間が重機代わりにするならアリってくらいの代物でしかない。
あきらかに発展途上で、採算度外視の試行錯誤が必要な兵器未満である。そういう存在も嫌いではないが、自分で手を出したいとは思わないな。
べ、別に、購入を迷っているウチに先を越されたから悔しがっているわけじゃないんだからね、という言葉が脳裏をよぎるが実際そこまで悔しくはない。
ヒーローなら誰でも使える汎用メカっていうのも、微妙と感じる原因の一つかもしれない。実際、専用メカでパワードスーツっぽいモノを使っているヒーローはいるが、それは普通に戦力になっているし。広義の意味ではマスカレイド・ミラージュだって似たようなものだろう。
搭乗型大型ロボットへの期待は未来に託すとして、この手の兵器で個人的に次に来るのはAI……アンドロイドの中枢部分を組み込んだ自律兵器の類じゃないかと思っている。
カタログでは今のところそういう兵器自体は出ていないが、元々存在した電子制御が可能な兵器をアンドロイドが動かしている事例は存在する……というか、自衛隊に導入されたウチのアンドロイド三体の主な役割がそれだ。
特に期待されているのがカイジ君で、普通なら運用に膨大な人員が必要となる艦船の制御ができないかと思考錯誤の真っ最中らしく、現時点でもそれなりの結果を出している。
航空機制御するクウジ君や戦車制御するリクジ君も重要だが、人員面で稼げるアドバンテージが違い過ぎる。
大型ロボットが出てくるとしたらその先かな。搭乗せずに自律動作するロボットになりそうな気がしなくもないけど。……ひょっとしたら、搭乗するにしてもロイドに任せたほうがいいんじゃないかって気がしなくもないが、俺はできれば自分で乗りたい派である。
「さて」
気を取り直して、オプションパーツの物色を始める。といっても、これまでも大量に購入実績もあるお得意さんなわけで、ラインナップのほとんどは見知っているものかそのバージョン違いばかりだ。いわば同じ機能の別パーツも大量にあって、デザインの違い、細かいバージョン違いを含めると、結構な数の商品が並んでいる。
俺限定だろうが、パワー効率や多少の性能強化などはあまりセールスポイントにならない。それなら、多少性能が落ちようがデザインを重視する。
俺がヒーロー業界最大のお得意さんであるからか、業者側もそれを把握してやたら奇抜なデザインの商品が多くなっているのは気のせいか。あきらかにミラージュ自体のデザインから浮くようなモノすらあるのは、とにかく自分の我を出したいデザイナーの性か。
……まさか、この影響でマスカレイド以外のヒーロー専用装備も奇抜なデザインばっかりになっていないだろうな。
もろちん、ただ奇抜なだけで購入候補に挙がるはずもなく、そこら辺の判定はシビアだ。マスカレイドさんは色々とダサいが、別に俺自身のセンスが反映されているわけではないのだから。
つまり、デカデカと誌面スペースを使って蝶型の巨大パーツを紹介されていても購入するはずがないのである。クソダサい。高速航行中に蝶のエフェクトが舞いますと言われてもまったく嬉しくないのだ。
それなら、如何にも残虐兵器ですって面をしたスパイクタイヤのほうが、実用性も兼ねていて有用だろう。別に俺の趣味ではないが、怪人を怖がらせる事はできるし。
「うーん……」
こうして改めて見ても惹かれるものはないな。というか、少しでも検証の価値がありそうだったり、俺の琴線に触れるようなものはだいたい購入済なのだ。
ガレージには専用の棚と大量のオプションパーツが並び、今やどこかの工場にしか見えない状態になっているほどだ。かみさまから拡張するかと聞かれているが、本当にその必要が出てくるかもしれない。
さて、ミラージュで時間を使うのは諦めるとして、ついでに自分の装備も見ておくかとカタログを替える。
とはいえ、相変わらず必要性の感じないモノばかりで興味が沸かない。装備だけでなく、能力や必殺技の類もだ。ゲームとかなら真っ先に候補に挙がりそうな基礎能力強化系の商品も、基本的に絶対値での強化だから意味はないだろうし。ステータス値数億で戦っている世界で、腕力+1の装備が手に入っても使わないようなものである。
「これで、各種能力値強化の商品が何%アップとかの効果だったらなあ……」
『マスカレイドさんの場合、測定不能な時点で無意味かもしれませんけど』
何故か唐突にミナミが合いの手を入れてくるが、いつもの事である。別に通信切ってるわけでもないし。
実際、ミナミの言うとおり、基礎能力を基準とした強化だと判定されないかもしれないとは思う。バグ扱いで、弱体化の危険すらあった。
そもそも、ここから能力値が上がっても意味があるのかという問題もある。ただでさえ、日々強くなっているというのに。
『別に、有り余るポイントを消費するために高額商品を探してるわけじゃないんですよね?』
「ん? そりゃまあそうだが……」
以前だったら多少その傾向はあったかもしれないが、ここまで数字がでかくなるとそんな気持ちは皆無である。
きっと今なら自販機とか氷柱が並んでても衝動買いしたりはしないだろう……多分。
『じゃあ、ヒーロー向けじゃなくて普通に流通している商品を買うとか? マスカレイドさんの趣味って多彩ですし』
「ああ、なるほど」
郵送の問題もあるので実際に買うのはポイントを使ってになるだろうが、意外と盲点かもしれない。
そんな方向性で小一時間ほどネットの海を彷徨ってみたのだが、思った以上に欲しいものがない事に気付く。いや、この場合物欲の問題じゃないな。
というのも、こういった物は本来金銭で取引するもので、現在市場価値……と言っていいのか分からんが、価値の上がり続けているポイントで購入するのはもったいないと感じてしまうのだ。ウチ宛は避けるにしても、銀嶺帰還や避難所、東海岸同盟を使ったルートもあるから、通常の通販が使えないわけでもないんだが。
「何故だ……俺は物欲豊かだったはずなのに」
まさか、大量に貯蓄ができた事で満たされ、丸くなってしまったというのか。
『単に欲しい物はその時々で買っているだけって事じゃないですかね』
「正論なんて嫌いよっ」
『買った時々でその話してますしね。中には話のネタのために買ったとしか思えないものすら……』
「まったく否定できない」
確かにその通りだった。普段は認識していないだけで、最近は目についたものがあったらその時点で購入している。通販のように母ちゃんの目を窺う必要がないから便利なのも理由の一つだろう。
吟味せずに購入しているから、なんなら以前より遥かに金遣いは荒かった。普段は買い物がメインじゃないから気付かなかっただけだ。
「い、いや、完全に無意味というわけではないぞ。少なくとも、金で購入できる物をポイントでっていうのはもったいないと感じるのが判明した」
『あ、当たり前だと思うんですけど。今のご時世、トレードできるなら1Pでも数百万出すって人がいるくらいなんですから』
今の世の中はそんな相場になってるのか。実際はトレード不可能だから言うだけ言っているだけな気もするが、十分の一でも十分以上に高額だ。
かつて、その1Pでパン詰め合わせを購入したと言ったら、そういう人に殴られそうな気さえする。
『といっても、ポイントでしか購入できないとなると、やっぱりヒーロー向けの装備や必殺技とか、そういう類になるんですよね。……あとは、拠点絡みの施設購入とか? ああ、エリア支配関連のオブジェクトもそうですね』
「あんまりこの部屋をこれ以上拡張する気はないんだよな……引き籠もりには合わない」
ぶっちゃけ、奥のリビングだってあんまり使ってないし。ほとんどメイドたちと妹専用だ。
『というか、さっきも言いましたけど、元々は別に高額商品を買おうって話じゃありませんよね? 探していたのは時間のかかりそうな事やそれ絡みの物で……』
「くっ……脱線はいつもの事なんだ。特に俺たちにとっては」
『なんか深い事言ったみたいに言われても』
でも、見るだけは見てみるかと、ヒーローカタログの該当ページやエリアカタログも目を通す事にした。
別に今まで見ていないなんて事はないんだが、実際に買うかもって気分で見るのはまた違う感想になるかもしれない。
「確かに高っけえな……」
違う感想にはなったが、主に購入欲ではなく値段に対してだった。
こうして見ると、普段予告出撃で破壊しまくっている要塞がどれだけ高額なのか、現実的な数値として明らかになってしまう。怪人側の相場なんて知らんが、似たような物をヒーロー側基準で見ると大変な損失額になるはずだ。
それで罪悪感が沸くかというと全然そんな事もなく、むしろ今後優先して狙う目標を見定める参考になると思うくらいだが。……ひょっとしたら、数カ月後の怪人被害額は跳ね上がっているかもしれないな、うん。
その相場情報だけでも意味がない事はないと、良かった探しを始めている時点で本来の目的から見て逸脱し切っているような気もする。
そんな感じで、結局貴重なはずの長期休暇の一日の大半を潰す事になるのだった。諦めて就寝する直前の俺は死んだ目をしていたと思う。
だが、本来の目的に合っているかは別にしても、まったくの無収穫ではなかったと、翌日、寝起きの頭でそう考えていた。
-3-
色々と調べ、流し見でも実例を見ていると、ふと疑問が湧いた。それらの無数の細かい疑問が睡眠によって整理され、形になったのだ。
その出来上がった形を見て、奇妙な困惑を覚える。全貌が分からないが、奇妙な違和感を感じると。
『サブエリアの仕様……ですか?』
「サブだけじゃなく、完全にフリーな領域……具体的に言えば、公海とかの扱いが気になる……何か情報あるか?」
『調べてみますが……詳細が知りたいなら事前に運営相手にも問い合わせをしましょうか?』
「…………」
……それは、どうだ? まだ自分の中で噛み砕けていない状況で上手く判断ができないが……。
「いや、問い合わせはナシで。あくまでヒーローネット上に転がっている情報から調べてほしい。あー、ロイドたちは使っていい」
『分かりました。特に注目すべき指摘などはありますか?』
「そこまで具体的な事はないんだが……そうだな、北極と公海についてを中心に」
『はい、了解です。とりあえず一時間ほど下さい』
一時間程度で調査できるのかって話だが、ミナミなら問題ないだろう。なんならロイドたちだけに任せてもある程度は形にするはずだ。
というわけで、俺のほうでも違和感の輪郭をはっきりさせるために色々と調べている内に一時間が経過した。
『まず、現在の北極エリアの状況からですが……』
報告の内容は概ね俺の知っている情報だ。
南極と違い、北極は大陸ではないがエリアとして指定されていて、分厚い氷の上でヒーローと怪人が主導権争いを続けている。
一方で、公海のほうはエリア指定を受けていない。EEZは国際的に認められたエリアから、新大陸三つの領域から計算されたものっぽい部分がサブエリアとして一応指定されているものの、公海はその限りではない。つまり、サブとしてすら指定されていない、どこの干渉も受けていない領域なのだ。
それ自体はすでに認識している事柄で、ミナミの報告でもその追認程度の意味合いしかない……のだが。
「奇妙なほどにどこも手を出してないな」
『え? あ、はい、確かに。良く考えてみると、テストくらいはしそうなのに、それっぽい報告すらない』
なんなら、サブエリアのほうも手つかずだ。もちろん、海底か海面か、とにかく何かしら手をつけるとしたら陸上よりも手間というのはあるが、さすがに不自然だろう。
俺が気付かないのは分かる。とにかくエリア争奪戦に興味がなく、ただ暴れ回るだけで、支配率がどう変化したかは二の次だったからだ。
だが、日々エリア支配率争奪戦に身を投じ、ライフワークみたいになっているヒーローもいるというのに、一切試してもいないのは不自然だろう。
「……情報統制されているのか?」
『ありそうですね。下手に手を出したら、相手に気付かれそうな話ですし』
本当にそれだけかって思うが……確かに良く考えてみれば、ヒーロー的にもあまり手を出してほしくない領域というのは分かる。
怪人に気付かれる事もそうだが、無闇に戦線を広げたくないだろうし、管理の難しい領域の維持も大変だ。しかし、一度手を出されれば無視はできない。
……お互いに牽制し合っている? ヒーローにしても怪人にしても一枚岩ではなく、様々に思惑の絡むような部分で? 更に言えば、人間だって絡んでくる話なのに?
逆の場合はどうだ? 怪人側から見て手を出さない理由は……。
『となると、四国の南に建設中のメガフロートの扱いが困りますね。サブエリアに変な穴ができるかも……。今のところ、サブも含めてエリア判定に変化はないですけど』
「……一応調べておいてほしいが、そこはまあ大丈夫だろうな」
『何か根拠でも?』
「ない事もないが、上手く説明できないんだよな」
メガフロートに関しては特に問題はないだろう。いくらでかくでも、それでEEZの領海が変わるとも思えないし。
あるいはそこで明確になってしまうかもしれないが、それ自体に大した意味はない。もちろん、中止する理由もない。
それがきっかけで色々分かる事も出てくるかもしれないとは思うが……それを待つのもな。
情報統制しているとしたら、多分キャップあたり。そこからヒーロー組織の上層部と情報交換して意識を統一。状況の読めないバカを各自に統制っていうのがありそうな構図か?
俺になんの連絡もないのは、気付いてもこうやって色々考えて突発的に行動しないと思われている? キャップならありそうだが……。マスカレイドにエリアの拡張欲がないのは広くバレているだろうから、わざわざやろうとしないと思われている可能性もあるな。
というわけで、色々と確認するためにキャップ宛のホットラインで本人に聞いてみる事にしたのだ。
『……気付いていなかったのか』
「そっちかよっ!?」
特に実害はないが、ある意味盛大なすれ違いが発生していた。
『君の事だから、すべて看破していて、その上で何もしていないのだと思っていた』
「その見込みは間違っちゃいないが……」
これは買いかぶりなのか? ある意味良く見ていると言えなくもないが。
実際、俺が気付いたとして、何も考えずに動く事はないだろうって想像は付く。今がその状況と言えなくもない。
『一応説明しておくが、現時点で未確定エリアに手を出すのは得策でないと判断した。これは多くのヒーロー組織間で共有された認識で、協力関係が成立している』
「そうだろうな」
アトランティスでエリア獲得を優先したヒーローのように独断専行するヒーローがいるのは明白だから、そういう話なら統制は必要だ。全員が全員制御できるとも思えないが、気付かない奴だって相当数いるだろうし、各勢力のトップで分担すればどうにかなりそうではある。無視してやんちゃしそうな奴だって、すでに把握されているだろう。
『少なくとも、怪人側にその兆候が見られない限りは手を出さない事になっている。大々的に周知されてしまったあとは大混乱だろうが、それを遅らせるだけでもいいと判断した』
「怪人側が手を出してこない理由については?」
『不明だ。個人的な予想なら……君の反応を警戒しているんだろうな』
「……なるほど」
超ありそう。俺がミナミという名のサイバーテロリストにしているように、下手に藪を突付いてマスカレイドさんが飛び出してきたらどうするって話だ。恐ろしくて試す気にもなれない。
いや……それだと怪人側でもある程度以上の統制が効いているって事なのか? あの自由奔放な連中相手に?
「つまり、ある程度は気付いているって前提で、明確にすると藪蛇になるかもしれないから牽制し合っている状況なわけか」
『怪人側の実態はともかく、そう思ってもらって差し支えないな。加えて、人間社会で周知されて領土……この場合は領海争いになりかねないという懸念もある』
それは当然そうだろう。陸地だったらともかく、実質的に人のいない領域なら取りに行きたい国はあるし、人もいる。実効支配だけでなく、システム的に保証される支配領域ならなおさらだ。
『あまり確認したくないんだが……まさかどこかをエリア支配するつもりなのか? やるつもりなら事前に相談してくれると助かる』
「その予定はない。面倒な事は予想がつくしな。……というか、どちらかという止める立場じゃないのか?」
『君を止められるわけもないし、そもそも広く周知されていないだけで、いつ手を出すかって段階だからな。ついでに言うなら、次のイベント直前になるよりは準備時間のとれる今のほうが助かるという理由もある』
そういう認識になるのか。分からんでもないが……。
『どうせなら、初手で巨大な影響を残せるほうが助かるしな。それなら君が最適だろう。まあ、世界中から色々言われる事は避けられんだろうが』
「やるつもりはないって言っているんだが……まあ、とりあえず状況は分かった」
だいたいにして、領土争いなんて面倒な事はやりたいないのが本音なのだ。たとえ誰のものでもない場所だろうが、わざわざ取りに行く理由なんてない。
それに、単に支配エリアが欲しいというだけなら、海などではなく怪人の支配エリアを手に入れるほうが無難だろう。もちろん、元が人間の領土だった南スーダンなどではなく、アトランティスやムー、レムリア大陸などの事だ。それなら人間社会から文句も出難いだろうし。
-4-
『い、いよいよマスカレイド王国建国の時ですか。わくわくしますね』
「やんねーって言ってるだろ」
実際にそれができてしまうからシャレになっていないのだ。下手に支配エリアを確保したら現実になりかねない。
俺の意思を無視して、周りがそうしろと圧力をかけてくるのが目に見えている。そうしたら多分逃げ出すぞ、いいのか?
「だがまあ、次の展開は少し読めた」
『……ほう。聞きましょうか』
「多分、海か空か、あるいは両方か、その支配権争いを含んだイベントになる」
『うーん、実にありそうですね。これまで予想していた中では有力っぽい』
つまり、現時点で手が付けられていない地球全土がエリア化する。そんなイベントだ。
あくまで予想でしかないが、怪人側で手を出して来ないのもそれが理由かもしれない。
「かといって、事前に海の支配エリアを確保しておこうとか、そういう話にはならないんだよなー。もちろん、俺だけの話じゃなく」
イベントの話は出なかったが、キャップも多分似たような回答には辿り着いているだろう。
『そうですね。今の時期に社会的な混乱を招くのも危険ですし、勘違いならそれを煽るだけになりますし』
「維持できないだろうって問題もあるんだよな。ポイントを使った拠点展開力を前提にしても、陸上よりはるかに護り難い。そんなリソースを割く余裕はない」
『取られたくはないけど、あえて取りに行く段階でもない。少なくとも今は割に合わない』
「ヒーロー側も怪人側もな。ついでに人間も」
そう。だからキャップたちの判断はおそらく正しい。そして、それが表に出るのが時間の問題ってのも正しい。
アポカリプス・カウンターの件を考慮するなら、動くならそろそろ限界。しかし、状況を動かすにしても、自分たちが動かせる範疇で効果的な事はない。
どこまで想定していたかは分からないが、今は俺に対して何かしないか期待してるってところか。……他力本願なところを除けば正解なんだろうな。
「だからって俺が動かないといけない理由もないんだが……」
『その言い方だと、何か思い至っちゃいました?』
「思い至っちゃったんですよね……」
今後の事を考えるなら絶対に放置できない懸念。しかも、俺に都合のいい条件まで揃っている。多少時間がかかりそうなのも、タイミングがいいといえばいい。
そんな可能性に思い至ってしまった。
「気付いちまった以上、無視できない。あそこを怪人に占拠されたら最悪って場所があるんだよ」
『場所……なんですか? 暇潰しができそうって理由じゃなく?』
「俺はそんなに勤労精神に溢れてない」
暇だから仕事しようって、完全にワーカーホリックの思考やがな。
『しかし、場所って言われても……あ、例の軌道ステーション』
「……ああ、それもあったか」
ぶっ壊してもいいが、占拠って手は使えなくもない。……どういう理屈かアトランティス直上に浮かんだままだから、場所的に東海岸同盟に出張ってもらってもいいが、彼ら単独だと厳しいかもしれないな。
「それも放置できないが、もっとヤバいのがあるだろ。そんでもって、俺ならギリギリどうにかできそうな場所が」
『アレよりって言われて……も』
気付いたのか、画面上のミナミが上を向いた。いや、多分そこの直上にはないと思うが。
『まさか……月ですか?』
「そうだ」
『…………』
さすがのミナミさんも絶句してはるわ。
『ちょ……ちょっと待って下さい。それってアリなんですかっ!? いやその、確かにこのままだと地球以外も舞台になりそうって話はしましたけど』
「分からん。……が、気付いちまった以上は無視できないだろ」
『確かに……あんなところ押さえられたらヤバいですね。国境線を越えて来るよりよっぽど』
「真上を警戒せにゃならんからな」
そこにいるか分からないならともかく、ネット上でそれがはっきり分かるっていうのがまた問題だ。世界中の人々が、常に頭上を押さえられているっていう精神的重圧を抱えて生きていく事になる。
感じ方は人それぞれだとしても、今のこの状況では確実にどこか破綻する地域が出てくる。そうすれば連鎖して世界中で大混乱だ。
『しかも、マスカレイドさんが面倒と感じそうなアレコレがほとんど無視できる超優良物件……』
「物件かどうかは疑問だが、それが一番でかいんだよな」
隣接する土地がなく、もちろん勢力もない。既存の国家もなく、領有したところで文句を言える正当性を持った奴もいない。地球側から見える表面に地名がついている事から分かるように、権利を主張する奴はいるだろうが、異論があるなら月まで来て下さいという話だ。少なくとも実効支配はしてないですよねって話だ。
……そう、現時点ではまず移動すらしてこれないのがなによりも大きい。
もちろん、開拓する気はないし入植もしない。月が日本ですって言う気もない。あくまでマスカレイドの個人的に所有する土地だ。
最低限ロイドを常駐させる必要はあるだろうが、誰かを住まわせる気もない。
『考えれば考えるほど、絶妙な一手に見える。……まさか、大量のポイントを確保した事を含めてすべて伏線』
「全部さっき思いついた。……が、そう考える奴は出てきそうな。怪人とか」
下手したらキャップすら、さっきの会話がブラフと考えるかもしれない。それくらい色々と都合のいい話なのだ。
「とりあえず問題の洗い出しからだ。実際に可能かどうかから検討だ。時間は必要だろうが、都合のいい事に、マスカレイド安全基準法で怪人は出現しないんだぜ」
『わーいっ! とんでもねー長期休暇になっちゃったぞー』
ある意味旅行と言えるかもしれない。転移が不可能な場所な以上、直接行く必要はあるだろうからだ。
というわけで、ある程度話がまとまったところでキャップにも報告。
『…………え?』
「月を取る」
仁義としての事前報告だが、さすがに絶句していた。
『ちょ、ちょっと待ってくれっ! ……そんな事……可能なのか?』
やはりこの手の話は反応の仕方も似通ってくるのか、ミナミと大体同じだ。
『……いや、確かに妙手だ。次のイベントには関係なさそうだが、月は無視できない。そして、君ならできる』
「ちなみに、運営にも確認済だ。それができる事は保証された」
『まさか、確認したのか?』
「した。正直危険かとも思ったが、あいつらなら面白がると思ってな」
『Crazy』
なんか自動翻訳っぽくないネイティヴ発音が気になったが、多分翻訳するまでもない単語って事なんだろう。
「というわけで、キャップは反対するか?」
『……しない。むしろ賛成だ。色々と多方面から問題は出るだろうし、それこそウチの内部からも出るだろうが、それ以上に君があそこを押さえる事で生まれるメリットがでか過ぎる』
だよな。反対されても無視して強行したけど。
まあ、味方してくれって話でもない。この報告だってただの仁義切りだ。
『それで、いつから行動するんだ?』
「今から。実は準備すませて出発するところなんだ」
『……は?』
「途中で気付く奴はいるかもしれないが、完全に表沙汰になるのは月末月初だな」
エリア更新時にすべてがあきらかになるだろう。そして、そこから騒いでも後の祭りというわけだ。
-5-
「さて、じゃあ行ってくる。大丈夫だろうが、留守中の対応は任せた」
太平洋上の上空。見渡す限り陸地のない場所。外で何かすると大抵こういう場所になるが、かみさまが転送可能で、誰にもバレないとなるとだいたいこんな感じになるのだ。
ついでに言うなら、念のために今回は姿すら見えなくなっている。ここまで過剰な情報漏洩対策をとる必要があるのかは正直分からんが、内容から考えるとやっておいたほうがいいと判断した。元々物理法則を無視しているので、気流の流れからも移動した事が分からない隠密っぷりだ。ほとんど意味はないが、駆動音を誤魔化す静粛性オプションも搭載。
『了解です。といっても、作業含めても一日かかりませんよね?』
「やってみなきゃ分からん部分も多いが、最大でそれくらいかかるかもって感じだな」
一応、ミラージュの性能と実績から移動時間の概算は出ているが、実際に何かあるかなんて分からないのが正直なところだ。
ミラージュが宇宙空間でも活動できる事は分かっているが、さすがにカタログスペック上推奨されてない環境という事で、最大限オプションパーツで補完する事にした。
移動するくらいならともかく、戦闘軌道はかなり厳しい事は確かだ。そこら辺の問題点洗い出しもできたらいいなと思っている。
「ないとは思うが、定期連絡がなくなったら緊急帰還を頼む」
月……というか、怪人エリア同様に、未確定エリアでもオペレーター通信は機能しない。
念のため、緊急の通信手段は確保したが、基本的には孤独な戦いになるだろう。……まあ、行ってオブジェクト設置して帰ってくるだけなんだが。
実は荷物はちょっと多い。特に転送用オブジェクトとそれを積むコンテナが巨大で、これのせいで行きの時間だけ大幅に増加する事が懸念である。
最初はエリア支配システムの範囲内なのかの確認のためにエリア支配用ヒーローオブジェクトだけを持っていく予定だったのだが、運営からお墨付きが出てしまったので、どうせならとこうなった。サイズ差はあるが、そこまででもなかったのが大きい。
その他、なんと宇宙服も装備している。マスカレイドさんなら多分宇宙空間でも問題なく活動できるが、念のためだ。宇宙服の下に着けている装備も可能な限り宇宙仕様だ。
月面でも、最低限怪人と戦うくらいならなんとかなりそう。無駄に全身銀色なのが気になるが、今更そんなところに拘ったりしない。
「じゃ、そろそろ行ってくる」
『では、恒例のカウントダウンを……』
「いらんわ」
『えー』
タイミング合わせる理由なんてないし、雰囲気出す場面でもない。
というわけでミラージュを発進させ、そのまま更に上空へ。ヒューマン・ポールを投げ捨てた時にある程度の高度まで上昇した経験はあるものの、今回はそれより更に上だ。
多少の不安はあったものの、特に問題もなく大気圏を脱出。体感的には結構なヒーローパワーの消費を感じるので、俺以外だと相当に困難なのだろうと思う。
そこからロケットブースターを使い、真空下の速度実験を行いつつ、やがて月へ。あまり時間がかからなかったから実感が沸かないが、本当に月面まで来てしまった。改めてマスカレイドとミラージュのスペックに驚くばかりである。
「……しかし、何も起きないな」
宇宙服の内側で呟く。
何もないのがいいのは確かなんだが、なんのトラブルもない。ロケットと全力航行のせいでミラージュに多少の負荷はかかったようだが、それくらいだ。
物語的にはここで謎の襲撃に……っていう展開が思いつくものの、そんな気配もない。ここまで何もないと逆に不安になる。
月の重力下の移動は慣れるのに苦労したが、それもすぐに慣れた。多分だが、この環境下でもマスカレイドさんなら筋力低下すらしそうにない。
というわけで、適当なところに転送用施設を設置。エリア支配機能も兼ねているので、本当に可能ならこのまま処理が始まるはずだ。
半信半疑だったが、一応付属のモニター表示上は反映されているっぽい。アトランティス・ネットワークなどの公開情報で反映されるのは月末だが、ミナミのほうでも自陣営情報として確認できたはずだ。
……と、確認できたというメールも来た。どうやら、マジで月の一部がマスカレイドの支配エリアとして認められてしまったらしい。
実際には一定期間オブジェクトを維持しないと正式に支配エリアとして反映されず、できる事も限られるが、これで一段落ついてしまった。
マジであっさり過ぎて拍子抜けだ。いや、何もないほうがいいのは確かなんだが。
転送機能が使えるようになるまでには結構時間がかかるため、色々と作業しつつそれを待つ。
「こちら月面のマスカレイド。聞こえるか?」
『はい、聞こえます。通信状態も良好。オペレーター用のエリア表示でも確認できました』
しばらく経って、緊急用のものではなく、エリア内通信として通話が可能になった。
「現時点で誰か気付いた奴とかいる?」
『さすがにいないかと。少なくとも、各種検知に引っ掛かるような動きはありません。というか、それっぽい反応すら一切ありません』
そりゃそうだろうなという感じではある。オブジェクトも俺もミラージュも迷彩状態だし、これで気付けるほうがおかしい。
「このまま待って、転送機能が使えるようになったら一度戻る事にするわ」
『そのままエリアオブジェクトを転送して乱立していく予定だったんじゃ……』
「思ったより精神的な負荷がある。こうして通信できるようになるまで、想像していた以上に孤独だったんだ」
『引き籠もりのマスカレイドさんでも、宇宙空間は厳しいですか』
「人とか音の有無はともかく、無限に広がる空間がキツイ」
『あー』
普段部屋にいるから余計に感じるのだろうが、外に出るだけでも面倒くさい人間にはこの感覚はストレスになる。ここで長時間過ごすのは普通に拷問の領域だろう。
そんなわけで、周りを探索しつつ数時間経過するのを待って自室に帰還。改めてプライベートな空間のありがたみを知る。
以前、異世界に行った時よりも遥かに帰って来たって感じがする。
「実際に体験してみると、宇宙で過ごすのって特別な才能いるって痛感させられたわ」
『緊縛怪人エビゾーリはまだ宇宙を彷徨っているらしいですが』
「それは知らん」
まあ、宇宙空間でさまようのと、マスカレイドの恐怖に晒され続けるのはどっちがいいか聞いてみたい感じはするが。
もしこれで、宇宙をさまようほうがいいですと言われたら少しショックかもしれない。
-6-
それから半月以上をかけて月面を支配下に置くための作業が開始された。
物質転送装置でエリア支配用のオブジェクトを転送しつつ、それを運んで支配地を広げていくだけなのだが、当然の如く範囲が広いため簡単にはいかない。
もしこれが怪人勢力とのせめぎ合いつつの作業になるとしたら、比べ物にならない労力になっただろうと、支配地を広げていく自分を誤魔化さないと挫けそうだ。
ただ、逆に言えば、一度俺が支配下にした場合、怪人が支配するのは容易ではないという事でもある。月のどこに侵入しても気付かれてマスカレイドが転移してくるという、正に鉄壁な防御を突破するのは不可能に近い。
「どうせなら、避難所もここに移すか?」
誰も住まわせる気はなかったし、どちらがいいかは正直微妙なところだが、日本にそのまま置いておくより安全な気がしないでもない。
どうせ現状でもビルから外に出る事はないのだから、丸ごと転移すれば気付きすらしないかもしれない。
作業は月の裏側を中心に行う。
設置するオブジェクトすべてに迷彩をかけるほどのポイントはなく、あってもそんな無駄遣いはしたくないので、まずは地球から目視不可能な場所からというわけだ。
今回の件でエリア支配について色々と調べたから分かったのだが、ヒーローオブジェクトという施設は、ただエリア支配機能だけ有したものでもかなりの種類が存在する。
大きさや頑丈さなどの物質そのものの違いだけでなく、有効範囲や支配下に置くまでの時間の違い、ダミー機能や冗長化、自己修復などの補助的な商品も存在する。
どうもエリア支配強度なんて言葉もあるらしく、これが弱いところはより強い支配強度を持つオブジェクトに上書きされたりもするらしい。奇襲用なのか、わずかな時間だけ高強度のエリア支配を行う投射施設なんかもあるそうだ。
そういった様々な要素を踏まえ、月全域を支配下に置いていく。必要なポイントは膨大だが、今の俺なら捻出も不可能ではない。どうせ他に使い道はないのだからと、盛大に放出する事にして、その分立派で強固なエリアに仕上げる事にした。もちろん、各オブジェクトは剥き出しのままではなく、防衛用施設も併設している。
というか、ここを支配地にするという事はその分ポイント収入が増えるという事でもある。どれくらいでペイできるのかは知らんが、結果的な持ち出しは支出の額面ほどにはならないだろう。
また、未確定エリアの獲得自体が初の事例だったので、運営に確認するまで知らなかったのだが、このまま来月になっても月の支配エリア化は完了しないらしい。
エリア支配率が更新されるタイミングで一旦暫定支配扱いになり、それを一ヶ月保持する事で初めて正式に領有できるとの事。収入が入ってくるのもそれからだそうだ。
これを聞いてなるほどと思った。つまり、コソコソと支配地を増やし、誰にも知られないまま領有っていう手は使えないわけだ。
まあ、各種機能は担当エリアと同様に使えるため、防衛自体は別に難しくないだろうと思っている。
これが普通のヒーローや怪人だったら大勢力でも困難だろうが、月を支配するのは最強無敵のマスカレイドさんなのだから。
そうして、半月以上にも渡る地道な労働と大量のポイント支出の結果、月全域を支配下に置く事に成功。
おそらく誰にも気付かれず、少なくとも直接のアクションはないまま、暫定支配確定となる月末を越える事となった。
色んな意味で世界中が大騒ぎになるのを、文字通り高みから見物しようと思う。
月からマスカレイドさんが見てる。(*■∀■*)