第2章 やっぱり、おまえは死んでいる その3
「かんにんな。うち、下条くんが飛び降りるとき近くにいてん。そやけど、あのとき下条くん、ウチの事わからんみたいで止めるに止められへんやったん」
自分のことでもないのに口をへの字にして泣きそうになる桂木天音に、僕は小さく笑って見せた。彼女は幽霊だけど、どうやら悪い霊じゃないらしい。
「だからいいんだってば、自殺上等。……でも、意外だったな」
「何?」
「僕さ、家族ともあんまり上手くいってなかったんだよね。アニキの出来がいいからいっつも比較されてさ。母親とは特に仲が悪かった。だから自分が死んだときに、こんな風に泣いてもらえるなんて思ってもみなかった」
顔を合わせるたびに小言ばっかりだった母。
子供を自分の思った通りにしたい母親のことが、僕は大嫌いだった。母親の方も僕を嫌ってると思っていた。
その彼女が、いま僕の写真を抱えて泣きじゃくっている。
「母さん、ここにいたの?」
居間にアニキの幸一が入ってきた。本来この時間なら高校に行ってるはずだ。アニキの目も赤く腫れてあがっていた。
アニキも、やっぱり僕や桂木天音の存在には気がつかないようだ。まっすぐ母親の向かいに座ると、僕が触れることのできなかった彼女の肩に手をおいた。
「父さんが探してたよ。そろそろ葬儀場に行く時間だって」
「幸一、悪いけど、父さんにちょっと待つように言って」
「わかってる。いそがなくていいよ。だって突然だったモンな。自分から死んじゃうなんて」
それを聞いて、母親はまた泣きだした。
「かわいいヤツだったよな。生きてるときはジャマだとかメンドクサイと思ったこともあったけど、やっぱり家族だったんだよな」
そういいながら、アニキも鼻をすすり始める。
二つ年上のアニキとも僕はソリがあわなかった。
学区で一番の高校に入ったヤツは、成績がいいのを鼻にかけて、いつも僕のことをバカにしていた。
まさかアニキまで、僕の死を悲しんでくれるなんて……
桂木天音がポツリと言った。
「後悔しとるん? 自殺したこと」
答えることができなかった。
もし、彼らがこんなに僕のことを思ってくれていると知っていたら、果たして僕は自ら死を選んだだろうか?
この家で心を許せるのはゴローだけだと思っていた。
……あれ? ゴロー?
そういえば、さっきあいつは僕に抱っこされたっけ。
足下を見ると、黒い毛むくじゃらのミニチュアダックスが今も僕の足にじゃれついている。
「なんで、おまえ?」
なんで、僕はゴローに触れるんだ? ゴースト・ルールとかなんとかで、幽霊に触れるのは幽霊だけなんじゃなかったっけ?
「おい、二人とも、もう行くぞ」
父親の声がした。
振り返ると、黒いスーツの父親の姿があった。いつも仕事でほとんど顔を合わせることのなかった父。
今日もいつもどおり苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「聖二の葬式がはじまるぞ。家族の俺たちが遅れるわけにはいかんだろ」
父の言葉に母親が反論した。
「いやよ、聖二の葬式なんて行きたくないわ。聖二は家族なんかじゃない。だってあの子のせいでゴローは死んだのよ!」
えっ? どういうこと?
呆気に取られていると、今度はアニキが父親に食って掛かった。
「母さんの言う通りだよ。ゴローは頭のいい犬だったろ。いきなり道路に飛び出すなんて、きっと聖二のヤツがゴローを呼んだんだ!」
「純一まで、ヘンなこと言うのはやめるんだ」
「ヘンじゃないさ。死んでからまで家族に迷惑かけるなんて、あのできそこない」
「そうよ。かわいそうなゴロー。なんであなたまで死ななきゃならないの。死にたければ、聖二ひとりで死ねばよかったのよ」
そう叫んだ母親の胸から写真たてがこぼれて落ちる。
そこにあったのは僕の写真ではなく、黒い顔に眉だけ茶色のミニチュアダックス、ゴローの姿だった。よくみると、祭壇の上の位牌には、下条ゴローと書かれている。ってことは、どうやらこの祭壇はゴローのために作られたものなんだろう。
な、なんなんだ? いったい?
死んだのは僕じゃなくてゴロー?
でも僕の葬式があるってことは、やっぱり僕も死んでるのか?
僕は頭が混乱してわけがわからなくなっていた。
ただ一つ、わかったこと。
それは、母親もアニキも、全然僕の死を悲しんでいないってことだ。
こんなふざけた話があるか? 実の息子より飼い犬の死を悲しむ母親。犬の死を弟のたたりだと罵る兄。
「馬鹿なことを言うんじゃない!」
突然、父親が叫んだ。その顔は真っ赤だ。
家族の中で父親だけは僕とケンカをすることがなかった。もっとも、仕事中毒の父は家に帰ってくるのが稀でケンカをするほど接点がないというだけだったけど。
(唯一の常識人の家長が母と兄をたしなめてくれるんだ)
僕は期待を込めて父親の次の言葉を待った。
彼は、母親とアニキに詰め寄るようにこう言った。
「あの犬は飛び出したりなんかしてない。事故の原因は、自動車の前方不注意だ。運転してたジジイとはそれで話をしてる。おまえら、二度と犬が自分から死のうとしたなんて口にするんじゃないぞ」
「わ、わかったよ」
「それから、幸一、おまえ言ってたよな。聖二がイジメにあってたって」
「ウワサだけど、……陸上部の後輩がそんなことを」
「聖二の葬式には、あいつの学校の友だちも来るだろ。おまえ、聖二をイジメていたやつの名前をそれとなく聞き出しておけ」
「でも父さん、聖二は自殺って決まったわけじゃないんだろ。遺書もないんだし」
「バカヤロー、あいつがなんで死んだかなんて知りたくもない。それで聖二が生き返るわけじゃなし。肝心なのは、これからどうするか、いくらになるかってことだ。やりようによっちゃ、聖二にはずいぶん親孝行してもらえるかもしれんぞ」
そう言って父親はニヤリと笑った。
……こいつら、人間じゃない。
家族のあまりの言動に目の前が暗くなってきた。それだけじゃない、どっと疲労感が襲って立っていられなくなる。思わず片膝をついた。
体が重い。
貧血だろうか? そういえば、最近食事を抜くことが多いせいで時々気分が悪くなる。でも、今の僕は幽霊だぞ。ドラキュラならともかく幽霊の血が足りなくなるなんて聞いたことない。
一体僕はどうしたんだろう。そして、これからどうなってしまうんだろう。
「下条くん、どうしたん? 大丈夫?」
「クゥーン」
耳元で、心配気な桂木天音の声とゴローの鳴き声が聞こえる。でも、それに答えることはできなかった。
僕の意識はまるで地の底に吸い込まれるかのように遠くなっていった。
四十九日まであと四十六日