第1章 おまえはもう死んでいる その4
「ピンポーン、ピンポーン、大正解! わたしは、この屋上で死んだ桂木天音の幽霊デース」
ゆ、幽霊って……
「まあちょっと見やったら、下条くんやのうてもわからん思うわ。生きてた頃のウチはジミーな子やったし。それにこの喋りもね、ウチもともと大阪出身なんよ。でもこっちの中学に転校してきてから、なんや恥かしゅうて隠しとってん。大阪弁使こうてると、みんなの『面白いこと言うんやろうなあ』ってプレッシャーがすごいやろ。別に大阪人がみんなお笑い好きとは限らんちゅうの。大阪人かてたまにはオチのない話くらいするわ。そやかて急に東京弁なんて喋られヘンし。いつのまにか、どんどん無口な子になりよってん」
桂木天音は生きていた時の鬱憤を晴らすつもりか、まるで機関銃のように喋り続けている。その言葉を僕はまるで上の空で聞いていた。
いったいぜんたい、どういうことだろう。
今は一時間目が始まったばかり。まだお昼にもなっていない時間帯だ。その上、太陽がさんさんと照りつける屋上だぞ。こんな時こんな状況で元クラスメイトの女子に「わたしは幽霊です」って告白されたって、そう簡単に信じられると思うか?
(絶対信じられない。これはきっと、吉沢たちが仕組んだドッキリだ)
そう心の中で唱えながら、僕はおそるおそる彼女の足下に目をやった。
ちょっと前から気がついていたんだけど、僕はさっきまで屋上のへりに立っていた。正面には四階下にアスファルト舗装の駐車場があるだけだ。
つまり桂木天音が、僕の前に回りこむなんてことはできっこない。
……空でも飛ばない限り。
「桂木さん、きみ……」
悪い予感は的中していた。
彼女の足は屋上のへりからはずれたところにあって、フワフワと空中に漂っていた。
「浮いてる? 浮いてるよね?」
悲鳴に近い質問に、彼女はつまらなさそうに答える。
「そんなん、当たり前やん。幽霊なんやから」
それから僕の頭の上まで浮かび上がると、くるくる回ってみせた。茶色い髪が、陽の光を反射してキラキラと光る。その上、顔を上げるのがはばかられるくらいのパンチラ、いやパンモロで、水色と白のシマシマがまるで鯉のぼりのように空を泳いでいた。
これはもう、認めるしかないだろう。
桂木天音は間違いなく、生きている人間じゃない。
こんなことを言うと笑われるかもしれないけど、僕は死後の世界とか生まれ変わりとかいうものをワリカシ信じていた。それに、恨みを持って死んだ人が化けて出る気持ちはよくわかる。っていうか僕自身むしろ化けて出たいくらいなんだから。
でも。でもだ。
これまで十四年の人生で、僕は一度だって本物の幽霊なんてみたことがなかった。
うちのクラスには、「そこに霊が」とか「この教室はヤバい」なんて言って回る自称霊感少女がいるんだけど、僕には霊感なんてこれっぽっちもない。霊感少女が「悪霊の溜まり場だ」と認定した席で昼ご飯を食べてもぜんぜん平気だったりしたモンだった。
そんな僕に、なんで幽霊が?
なにか恨まれるようなことでもした?
必死で同じクラスだったときの桂木天音に関する記憶を掘り返した。でも彼女は、正直、いるのかいないのかわからないくらい目立たない存在だった。思い出せることが見事なまでに一つも……いや、待てよ。
「か、桂木さん、ごめん!」
僕は思いっきりコンクリートの地面に土下座した。
「あのリストのことなら、僕は全然知らなかったんだ。たまたま、クラスの男子連中が僕の理科ノートに書いたってだけのことで。お願いだから、迷わず成仏してください」
思い当たることといえば、二年生の一学期にクラスの男子が作った『抜けない女子ランキング』しかない。なぜか僕の理科のノート上で投票がおこなわれ、桂木天音は三位に入っていた。
「それに、あれは誰かに悪気があったわけじゃない。あの投票はホントにガチだったんだ。ああっ、でもだからって桂木さんがガチで抜けないって言ってるワケじゃないんだよ。そうそう、第一僕はキミには投票しなかったし、桂木さんなら全然余裕でオカズになるし。なんなら今ここで抜いてみせたっていいくらいだし」
「リストとか投票とかって、いったいなんの話なん?」
「だから許して! 呪いとか、祟りとかはホントかんべんしてください」
僕は土下座したまま必死になって頭の上で手をすり合わせた。まるで浮気が見つかった亭主のような情けない格好だ。
でも幽霊相手にプライドも何もあったもんじゃない。
そりゃあ確かに僕はこれから飛び降り自殺するつもりでこの世に何の未練もないけれど、自分から死ぬっていうのと呪い殺されるってのじゃ全然話が違う。
ところが、桂木天音はさっきからのノー天気な口調のままでこう言った。
「下条くん一体どうしたん? 別にウチ、下条くんに恨みがあって出てきたんとちゃうよ」
「えっ?」
「そやから、幽霊言うたかて『うらめしやー、呪ってやるー』とかそんなつもりちゃうて。ほら、地縛霊とかいうやつ? はっきりとは覚えてへんのやけど、ウチこの屋上で死んでもうたらしいやん。で、目ぇ覚めたらここにおってな。それからどこ行っても気ぃつくといつの間にかここに戻って来んねん」
「そ、そうなんだ」
言われて見れば、彼女の表情はどことなく楽しげで、少なくともこの世に恨みを持って化けて出たって顔じゃない。生きてるときには彼女のこんな笑顔を見たことはなかった。
もし見てたら、『抜けない女子』第三位なんてありえなかったろうし。
「そやけど、屋上にも全然人が来ぃひんようになったやんか。この三週間ほっとんど人と喋られへんで退屈しとったんよ。この際、下条くんでもしゃあない。ちょっとの間、ウチの話し相手になってや」
幽霊の話し相手なんてまっぴらゴメン、と思ったけど、それを口に出すだけの勇気はもちろんなかった。いくら桂木天音が元クラスメイトで僕に恨みはないと言ってるからって、所詮は幽霊だ。いつなんどき恐ろしい悪霊に変身しないとも限らない。「下条くんでもしゃあない」ってフレーズは気にしないことにして、とりあえず首を縦に振った。
すると、彼女は満足げに鼻をならして、まだ土下座の姿勢をとっている僕の隣にちょこんと座った。それから両腕を空に差し出すように大きく伸びをする。
「うーん、いい天気やなー。みんなはまだ授業中やろ。そない思うたら、よけい気持ちええなー」
おずおずと返事をした。
「ゆ、幽霊って太陽の光は苦手なのかと思ってた」
「ウチかてそうやわ。でもホンマに気持ちええんやからしゃあないやん。ま、世の中そんなもんちゃう? 聞いとるのと実際やってみるんでは大違いってな」
夏服の半袖から白い脇がのぞいている。
少しドキッとして、それから自分を叱りつけた。幽霊相手に何考えてんだ。
そういえば彼女、さっきパンツ見えてたとき、「いまさらそんなこと気にしない」みたいなこと言ってたっけ。「いまさら」ってのは、もう死んじゃってるからってことか。
その意味がわかって、少しだけ桂木天音が気の毒になった。