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第1章 おまえはもう死んでいる その3


「ど、どうして、僕の名前を?」



「どうしてって、下条くんウチらの学年じゃ有名人やんか」



 有名人? 僕が?


 下級生の間で有名だって?



「ウチの中学って全然フツーやん。ごっついイケメンもおらんし、ごっついヤンキーもおらん。そやけど下条くんのいじめられ方だけはハンパないってゆうか。ケータイ小説読んでるんか思うわ」

 

 ほのかな期待は一瞬で打ち砕かれた。


 まあ、どうせそんなことだろうとは思ってたんだけどね。


 またどーんと暗ーい気持ちになった。そんなこっちの様子にはお構いなしに、大阪弁娘は馴れ馴れしく話し続けた。



「そりゃあイジメはようないし、吉沢くんたちのやることはアカン思うねんけど、なんやほら、有名な事件あったやん。水鳥川さんのスク水事件?」



 そう言って彼女は、『覚えてる?』といわんばかりにニヤリと笑った。


 どうやら、この子には人を思いやるというスキルはないらしい。


 忘れたいのに忘れられない、僕の汚点の一つ。


 それが水鳥川さんのスク水事件だった。



 去年の夏のことだ。


 当時の僕のクラスは、体育の着替えを男女別に教室と隣の音楽室で行うことになっていた。


 その日は男子が音楽室の番で、僕は音楽室に行って体操着に着替えるため制服を脱いだ。吉沢たちにからかわれていたせいで、音楽室にはもう誰もいなくなっている。あわててブレザー、ワイシャツを脱ぎ、ズボンを下ろす。


 と、そこで気がついた。


 持ってきたはずの体操着が見当たらない。誰かのいたずらだろう。しかたなく、もう一度制服を着て体操着を探そうとして、また驚いた。


 さっき脱いだばかりの制服がもうなくなっていた。


 教室の外では、吉沢たちが僕の制服を振り回して何か叫んでいる。


 ドアを開けて音楽室から出ようとしたけど、廊下には着替えが終わった女子たちがたむろしていた。今の僕が身につけているのはトランクスだけ。とてもこのカッコで外を歩けそうもない。


 あせって音楽室の中を見回した。


 そこで見つけたのが、水泳部の水鳥川里子さんがナゼだか音楽室に置いていたエナメルバックだった。水鳥川さんは、可愛らしい顔立ちと水泳部で鍛えた抜群のスタイルをあわせもつ学年のアイドルだ。そのバッグの中には、彼女が部活で着るスクール水着が入っていた。


 あのときの僕の思考回路を今では僕自身まったく理解できない。でもあの瞬間、パンツ一丁よりもスクール水着のほうがマシな格好だろうと思ったんだ。


 パンツの上からムリヤリ水鳥川さんのスクール水着を着込むと、廊下に飛び出した。同じく音楽室に置いてあった軽音部のエレキギターを振り回しながら吉沢たちを追いかける。奴らは校舎中を逃げ回り、僕はそれを追いかけた。


 そしてあと一歩でやつらを捕まえるというところで、僕は体育の大崎先生に取り押さえられた。勢い余って床に頭を打ち、気を失ってしまう。


 最後に視界に入ったのは、壊れたエレキギターと泣きわめいてグシャグシャになった水鳥川さんの顔だった。



「あんなん聞いたら、下条くんもちょっとフツーやないて思うわ。ウチその時も屋上にいて現場見てへんのやけど、ホントにホンマなん? スク水で学校中走り回ったって」



 すっかりブルーになっている僕を無視して、彼女は喋り続けている。



「っさい」


「えっ?」


「っさいんだよ。ベラベラベラベラくだらないことばっか言いやがって」



 僕の言葉に驚いて、彼女はあわてて声のトーンを落とした。



「あ、ごめん、ウチこうやって誰かとしゃべんの久しぶりやねん、だから、つい……怒ってんの?」



 もう遅い。さっきまで、もしかしてこの子は天使じゃないか?とまで思っていたのに。こいつも含めて世の中みんなくだらない人間ばっかりだ。


 でもそのくだらなさのおかげで、忘れていたことを思い出した。


 突然のシマパンに勢いをそがれてしまったけど、僕はここに自殺しに来たんだ。こんなヤツにかまわず目的を遂行しなきゃ。


 チキショー! もし幽霊になって化けてでれたら、吉沢だけじゃない、こいつにもきっちり復讐させてもらうからな。



「馴れ馴れしいんだよ。下級生のクセに『下条くん』とか。なんでくん付けなんだ? だいたい、ここは生徒立ち入り禁止だぞ。さっさと教室に戻れよ」



 シマパン女の横をすり抜けると、僕は鉄柵を乗り越えた。



「ほんまにごめんて。それにな、ウチも下条くんとおんなじ三年生やで」


「うそつけ、おまえなんか知らねーぞ。いくらクラスが違ったってすぐわかるだろ、おまえみたいな……」



 美人、と言おうとして口をつぐんだ。それを言ったら怒ってるんだかなんだかわからなくなる。


 僕は屋上のへりに立つと、顔をグいっとあげて富士山を眺めた。下を見るとめまいがしそうなくらいに高く感じる。



「もういいからあっち行けよ、でないと後悔するぞ」



 人の死ぬトコなんか見たくないだろ。


 最後の親切心でそう言った。


 ところが、彼女はしつこく僕の前に回りこんで顔を近づけてくる。



「知らんわけないって。ウチ、いまメチャクチャ有名人やもん。よー顔見てや」


「知らねーって。じゃあ、名前言ってみろよ」


「えー、ほなクイズな。ヒント、二年生のとき同じクラスでした」


「だから、今そんな気分じゃないんだよ。あっち行けよ」


「あ、そうや、メガネ、メガネ。これ掛けたらわかるんちゃう」



 彼女は黒ぶちのメガネを取り出して顔にかけようとした。そのしつこさは話に聞く大阪のおばちゃんそのものだ。あまりの無神経さにイライラした僕は、彼女のメガネを奪って投げ捨ててやろうと、つい手を上げてしまった。



「いい加減にしろっ!」


「きゃっ!」



 突然の攻撃に彼女は思わず悲鳴を上げる。



 ――しかし、その一瞬の後、目を点にしていたのは彼女じゃなく僕のほうだった。


 黒ぶちのメガネをつかんだ僕の右腕は、彼女の顔の前でスッと空を切っていた。たしかにメガネを握ったはずなのに全く感触がなかった。


 それだけじゃない。


 黒ぶちメガネをかけた女の子の顔には、はっきりと見覚えがあった。



「……かつらぎ……さん」



 僕は縁日の金魚のように口をパクパクさせていた。


 間違いない。二年の時のクラスメイトだった桂木天音アマネ。黒い髪に黒ぶちメガネ、おまけに長いスカートのこれでもかってくらいに地味な女子だった。そのうえすごく無口で、同じクラスだった一年間でも数えるくらいしか言葉を交わしていない。


 ――いやそれよりも、


 さっき彼女の言ったとおりだ。桂木天音は、いま学校で一番話題の人物じゃないか!



「まあそれも正解なんやけど、もう少し詳しいお答えをお願いしまぁす!」



 彼女は、クイズ番組の司会者気取りでハイテンションな声を上げ、グイッとこっちに近づいてきた。顔が近い。僕の体中の毛穴がブワッーと逆立った。


 思わずあとずさると、背中がすぐ鉄柵にぶつかった。



「で、でも、君は、その…し、し、し、ししし」



 声が出ない。


 僕の言葉を解読しようと、目の前の彼女はさかんに小首をかしげていた。



「『し』? 『し』なあ? 『し』、『し』、『し』……『死んでる』?」


「そう! そうだよ! 君は、もう死んでるはずだ!」



 いまからだいたい三週間くらい前。


 この屋上で、女子生徒が転落して死亡する騒ぎが起こった。ここにくる途中、鍵がかかっていたのは、そのことで屋上が立ち入り禁止になったからだ。


 死んだ生徒の名前は、桂木天音。


 都心に近く人口も多いこの町で、人が死ぬ事故は決して珍しくない。でもこの三週間、ひときわ地味だった彼女のウワサで、学校中、いや町中はもちきりになっていた。


 その理由は、彼女の死の原因がわからないことにあった。


 普段から明るい子じゃなかったけど、事前に自殺を匂わせるような言動はなく、遺書も残されていなかった。事故と考えるにも、屋上の手すりにはこれといった破損箇所はない。そのうち、「彼女が飛び降りた直後に屋上に不審な人影を見た」なんていう目撃情報まで飛び出して、騒ぎは殺人事件にまで発展しそうな勢いになっていた。


 その彼女が、なんで今、目の前に?



「もしかして死んだってのはウソで、実は桂木さんは生きていたんだ。ニセの情報を流したのは、君を殺そうとした犯人を油断させるため」



 一転饒舌になって、彼女が目の前にいる合理的な理由をまくしたてた。



「ブブッー、はずれー、ヒントその二、桂木天音は死んでマース」



 彼女は妙に楽しげに首を横に振る。


 必死で次の答えを探した。



「じゃあ、死んだ桂木さんには双子の姉妹がいて、キミはその妹!」


「ブブッー、またはずれー。ヒントその三、わたしは桂木天音本人デース」



 さっきまで輝いて見えた女子生徒の笑顔が、今は不気味に迫ってくる。吉沢たちに殴られても蹴られても出なかった涙が浮かんで、とうとう僕の頭には、ある一つの答え以外浮かばなくなった。


 そして、とうとう言ってしまった。



「じゃ、じゃあ、キミは、ユ、ユーレイ」



 悲鳴に近い僕の言葉を聞いた桂木天音は、今日一番の笑顔でニッコリ微笑んだ。



「ピンポーン、ピンポーン、大正解! わたしは、この屋上で死んだ桂木天音の幽霊デース」


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