第7章 未練を清算するということ その6
「すみません、うちの娘を知りませんか?」
廊下の隅で、声がした。
(さっきまで誰もいないと思っていたのに……)
びっくりして声のするほうを見ると、二十歳そこそこくらいの若い女性が立っていた。
辺りを見回しても、地下一階には僕と彼女しかいない。
僕は自分を指差しながら尋ねた。
「僕……ですか?」
「ええ、うちの娘を見ませんでしたか?」
「僕が見えるってことは、ひょっとして、あなたもユーレイ?」
女性は黙ってうなずいた。みると、かわいそうなくらい憔悴しきっている。
「娘さん、迷子になっちゃったんですか?」
僕が尋ねると、女性はまた黙ってうなずいた。
若いお母さんだから、きっと子供だって小さいはずだ。さぞがし心配してるんだろう。
「実は僕も人を、っていうか、幽霊を探してるんです。ほら、幽霊って生きてる人間と違って行きたい放題だから、探しにくいったらないですよね」
とりあえず、お母さんを元気づけるために陽気に言った。
「あ、そうだ。娘さんの名前は? 着てる物の特徴とかわかれば、一緒に探して来てあげますよ」
すると、お母さんはパッと顔を輝かせた。
「連れて来てもらえるんですか? ありがとうございます」
「はい。それで、娘さんのお名前は?」
「名前は、ミサキって言います。まだ三歳なんですけどね。元気な明るい子で、毎日私のお見舞いに来てくれていたんです。それが、ある日突然来てくれなくなって」
「えっ?」
予想外の女性の言葉に、僕の口から驚きの声が漏れる。
てっきり、娘さんもお母さん同様死んで幽霊になってるものだと思ったんだけど……
「あのぉ、ひょっとして、娘さんはまだ生きてらっしゃるんですか?」
「そりゃそうですよ。死んでたら、お見舞いに来れないですよね」
「じゃあ、迷子ってわけじゃなくて、あなたが亡くなってお見舞いに来なくなったってことなんですね」
「まあ、そうですねえ」
なんだか話がおかしくなってきたぞ。
「それなら、お母さんが娘さんに会いに行けばいいじゃないですか。家に行けば娘さんはいるんでしょう」
残念だけど、娘さんが生きている人間なら僕に連れてくることなんてできるはずがない。しかし、彼女は激しく首を振って僕の言葉を拒絶した。
「ダメダメ、自分の家に戻ると、なんていうか、とってもつらい気持ちになるんです。まだあの子は三歳なのに、ママの私がいなくてこの先どうするのか……いっそ、あの子も死んでしまえばいいのにって」
「そんな物騒なこと言わないでくださいよ」
「お願いします。娘を、連れてきてもらえませんか?」
母親はそう言って僕の腕にすがりついてきた。あわててその腕をふりほどく。
「ムリです。僕も幽霊ですから、生きている娘さんとは話せませんし」
「生きているとダメですか、やっぱりあの子は死ななきゃダメなんだわ」
「やめてください。そういうの良くないですよ」
「でも、あなたさっき、娘を連れてくるって言ったじゃないですか」
「それは……言いましたけど」
「だましたのね。ひどい。信じてたのに!」
母親の幽霊はしだいに興奮して声を荒げはじめた。
「だからそれは、……お母さん、大丈夫ですか?」
「だまされた! 嘘をつかれた! ありがとうって言ったのに!」
あきらかに彼女は正気を失っていた。頭をかきむしりながら、天を仰ぐ。その口から出る言葉は、しだいに意味を成さない叫びになっていった。
「ダマサレタ……ミサキヲ! ウワラレ! クワラレ!」
蛍光灯が瞬く。
突然、背中に悪寒が走った。空気が冷たく、どんよりと濁ってくる。この感触には覚えがあった。
どこからともなく声がした。
ウラメシイ
ウラミハラサデオクベキカ
やっぱり、亡者たちだ。振り返ってみるまでもない。僕が河原でやつらを招き寄せたときと同じだ。亡者たちが、母親の負の感情に呼ばれてやってきたんだろう。
気がつくと、彼女の身体は灰色味がかって色彩を失っていた。
「お母さん、気をたしかに持ってください。楽しかったことを思い出すんです。お嬢さんのことでも、家族のことでもなんでもいい。このままじゃ、亡者に取り込まれてしまいます!」
彼女の肩をつかんで必死に呼びかける。
しかし、彼女の目はうつろで返事はなかった。相変わらず、言葉にならない言葉をつぶやき続けている。
霊安室の廊下は、いつのまにか亡者で埋め尽くされていた。僕たちの周りを取り囲みながら、まるで獲物が弱るのを待つ狼のようにゆっくりと包囲の輪を縮めてくる。
やつらに触られたら、霊力を吸われて亡者の仲間にされてしまう!




