第1章 おまえはもう死んでいる その2
* * *
階段を上りきって屋上にたどり着くと、僕は両膝に手を当てて呼吸を整えた。
そこから外へ出るドアは、女子生徒の事故が起こって以来ガッチリ鍵がかかって開けられない。でも、ドアの横にある窓のひとつに鍵が甘くなっているところがあることを僕は知っていた。
今日で十四年間の人生が終わる。
そりゃあ僕だって死にたかぁない。でも、誰一人味方のいない中学生活をこれ以上続けていくのは耐えられなかった。それだけじゃない。僕が自殺することで自分たちがやっているのがどんなに酷いことなのかを教えてやりたい。
吉沢たちだけじゃなく、クラスのみんな、先生にも。
僕は鍵のゆるんだ窓からなんなく外に降り立った。
うちの屋上からは晴れた日には富士山を見ることができる。
今日は朝からいい天気だった。いわゆる五月晴れってヤツだ。
僕が最後に見る景色は日本一の山になる……はずだった。ところが、
水色・白・水色・白・水色
そこに広がっていたのは予想外の光景だった。一言で言うと、それは「縞」だ。美しい水色と白の縞。
天使のいたずらか? それとも悪魔の計略か?
度重なるイジメに耐えかねて死への一歩を踏み出そうとした僕の視界に飛び込んできたのは、なんとシマシマ柄のパンツだった。
といっても、もちろんパンツだけが宙に浮かんでいるわけじゃない。
屋上の端にある危険防止用の鉄柵の上に、一人の女子がこちらに背中を向けて立っていた。
柵の上にいる彼女を僕の位置から眺めると、短い制服のスカートの中味が丸見えになる。そして、いつもなら秘密のベール(スカート)に隠されているその部分が、目にも鮮やかなシマシマパンツだったわけだ。
(な、なんなんだ!?)
予想だにしなかった光景に僕は思わず息を呑んだ。
自分で言うのもなんだけど、僕はどっちかっていうと奥手なほうだと思う。
中三になるまで彼女なんてモノができたことはない。もちろん童貞だし、キスだって経験がない。その手のことを積極的にしようと努力したこともなかった。
そんな僕に、このシマシマは強烈だ。
これは死ぬ前に神様が与えてくれたご褒美なのか?
「あ、あ、あ、あの」
声をかけようと思ったが、喉が張り付いて言葉が出ない。
すると、鉄柵の上の彼女がまるでバレリーナのように片足を真横に上げた。
「ええっ!」
僕は思わず叫んだ。
ここは、屋上。鉄柵の向こうは十数メートル下にアスファルトの駐車場が広がっている。落ちたら必ずあの世にいける絶好のスーイサイド・ポイントだ。
僕の叫び声に反応して、女子生徒は少しだけ振り返るとこっちへ視線を向けた。
はっきりと顔が見えたわけじゃないけれど、心なしかその表情は微笑んでいるようだ。
「き、君! あ、あぶないよ」
しどろもどろになりながら言葉を絞りだした。でも少女が僕の言葉に耳を貸す様子はない。彼女はなんと片足を上げたまま、残った足を軸にクルリとターンした。
とても正気の沙汰とは思えない。僕は思わず目を塞いで顔を背けた。
……しばしの沈黙。
しかし、予想された嫌な音はいつまでたっても聞こえてこなかった。
うっすらと目を開けると、彼女は狭い鉄柵の上でのターンに成功したらしい。器用にY字バランスの姿勢をとってこっちを向いていた。
僕は大きく安堵のため息をついた。
「よかったぁ」
そうつぶやいて、ちょっとおかしな気分になる。
だって僕の方はいまからここで飛び降り自殺をするんだ。その僕が他人の心配してもしょうがないだろうに。
それに立ち入り禁止の屋上で鉄柵の上に立っているなんて、どう考えても彼女は先客だ。
目を伏せたまま、おずおずと聞いてみた。
「キミも自殺志願?」
もしそうなら、ご一緒させてもらいたい。見知らぬ他人とはいえ、どうせ死ぬなら女の子と二人の方がいい。
「キミも?」
ところが僕の問いかけに、鉄柵の上の女子生徒は不審げな顔になった。
カンが外れたか? あわてて取り繕う。
「あ、いや、ほら、前にここから落ちて死んだ子いただろ。だから、キミも、って」
「自殺志願ちゃうよ」
彼女はなぜか関西弁だった。
(なら、なんでそんなトコに立ってるのさ)
そう言おうと口を開いて言葉に詰まった。彼女が前を向いたので、今度はパンツの前側が覗いている。シマシマの真ん中に小さなリボンが見えた。僕はあわてて手で目をふさぐポーズをとった。
「いや、それならいいんだけど、でも気をつけたほうがいいんじゃない?……ほら、めちゃくちゃ見えてるし、あっ、でも、僕はなんにも見てないよ。ホントになんにも見てないから」
シマパン娘はかなりの痩せ型で、細い手足部分の肌は真っ白だった。僕的にはもっとムッチリしたほうが好みだけど、これはこれで、まるでヤンジャンのグラビアに出てきそうなくらいハイグレードなスタイルだ。
――ところが、
「別にいまさら、そんなこと気にするわけないやん」
彼女はピョンとジャンプして鉄柵から飛び降りた。
気にしないって、それ、見てもOKってこと?
言っておくが、僕はそんなにスケベな人間じゃない。でもこういうとき、いまそこにあるパンチラに目が向かない男がいるだろうか。いや、いない。いるはずがない。これはもう、人類♂に刷り込まれた条件反射だ。
僕は急いで目を覆っていた手をはずした。ところが時すでに遅く、屋上の床に降り立った彼女のスカートはもうしっかりとその中身を隠してしまっていた。
「チェッ」
舌打ちをする僕を見て、シマパンの少女はフフッと笑った。
僕ははじめてまじまじと彼女の顔を見た。
ウチの中学の制服を着ているけど、その顔にはまったく見覚えがない。体同様ほっそりした顔立ちで、プックリと赤い唇が印象的だった。うちの中学は一学年十クラスもあるマンモス校だ。三年間面識のないまま終わる同級生も多い。でもこれだけのキレイな子、同じ学年なら知らないはずがない。きっと下級生なんだろう。
バツが悪くなってぶっきらぼうに言った。
「こんなとこで何してんだよ。屋上はいま立ち入り禁止だろ。大体、柵の上に上るなんて自殺行為だっつうの」
まあ、そういう僕はその自殺行為そのものをしにここに来たんだけどね。
僕の言葉を聞くと、彼女はやれやれというカンジに首をすくめた。それから後ろ向きにジャンプして、今度は鉄柵の上にちょこんと座る。
「下条くんがそないなこと言うなんて意外や」
「えっ?」
どうやら彼女は僕のことを知っているらしい。そっちの方がよっぽど意外だった。
「ど、どうして、僕の名前を?」