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第3章 ラップと幽霊 その4

 ――ところが、いつまでたっても僕は地面に衝突しなかった。


 ふと見ると、桂木天音が僕の腕をつかんでいる。


 そして僕は彼女に引っ張られて宙に浮いていた。


 呆気にとられる僕に幽霊少女は言った。


「下条くんって、あんまかしこーないなぁ。だって、ウチが空を飛べるんやで。同じ幽霊の自分かて飛べるってわかるやろ、フツー」


 彼女に引っ張られるままに僕の体はどんどん空に昇っていく。


 夜もずいぶん遅いんだろう。駐車場には街灯もなく真っ暗だった。校舎の中にも緑色の非常灯の灯りがみえるだけで、人影のカケラもない。


 だが、屋上の高さまでくると急に視界が開けて街の明かりが飛び込んできた。


 学校の周りの住宅地から駅周辺の繁華街までが一望できる。


 これまで見たことのない景色だ。


 二年以上この中学に通っていて、ここからこんな夜景が見えるなんて思いもしなかった。


「僕、ホントに死んだんだな」


 思わず、そんな言葉が口をついた。


 学校ではメチャクチャにいじめられ、家では家族の誰からも愛されない。ロクでもない人生だった。これから先、生きていてもいいことがあるとは思えなかった。


 だから自殺した。


 そして、僕の人生は終わったんだ。いや、終わったんじゃない。自ら終わらせた。後悔はしていない。それ以外にどうしようもなかったんだから。


 ……でも、


 気がつくと、僕は泣いていた。


 幽霊でも涙が出るんだ、と思ったら今度は笑えてきた。


 泣いたり笑ったりしている僕の隣で、桂木天音は珍しく黙って手を握っていてくれた。


 足下では、たくさんの人が日々の営みを続けているんだろう。家々の明かりはこうこうと灯り、車のライトはひっきりなしに行ったり来たりを繰り返している。


 でも、それはもう僕とは関係のない光なんだろうか。


「なあ、僕、これからどうなる? どうすればいい?」


 袖口でゴシゴシと目をこすった。


 桂木天音は、そんな僕をみて小さく微笑んだ。


「ホンマのトコは、うちにもわからんのよ。ガキさんから話を聞いただけやし。そのガキさんも、先輩の幽霊に聞いたゆうとったわ」


 彼女が知っている話というのはこうだった。


 人間は死んでもすぐに成仏せず霊としてこの世にとどまる。そして成仏までの約七週間のうちに現世での未練にカタをつけなければならない。カタがついて心残りがなくなったら、無事に成仏してあの世へ旅立っていけるらしい。


「それが最後のゴースト・ルール、No4や。『幽霊は、七週間のうちに生前の未練を清算しなければならない』ってな」


 七週間といえば四十九日だ。僕ンちは熱心な信者じゃないけど一応仏教徒だから、死んだ後で四十九日の法要をすることぐらいは知っている。


 そう考えると、幽霊のまた聞きのそのまた聞きもあながちデタラメとは思えなかった。


「下条くんな、食品ラップて最後まで使い切ったことある?」


「えっ?」


「あれな、ラップの終わりのトコがな、セロハンテープみたいなんで芯の筒に止めてあんねん。つまり、ウチらはそのセロハンテープってことや。まだ芯につながっとるけど、もうラップやない。中途ハンパな存在やな」


 桂木天音はクスリと笑った。僕は鼻水をすすりながら抗議する。


「ラップとかセロハンテープとかって、全然救いようのない例えすんなよ」


「しゃーないやん。それが現実なんやもん。ウチかて死んだ後は、天使やら死神やらが出てきて、あーだこーだ教えてくれて、最後はきっちり天国まで連れてってくれるモンや思うてたんやけどね」


「いないんだ、天使も、死神も」


 真っ暗な空の真ん中に、僕と彼女の二人だけがポツンと浮かんでいる。


 さっきから強い風が吹いているけど、その風さえ、僕たちの体を通り抜けていった。


「おらんなあ。少なくともウチはおうてへん」


 僕は前に屋上で聞いた彼女の話を思い出した。


 ――幽霊は夜がヒマなんよ。


 今まで自分のことしか考えてなかったけど、桂木天音は、死んでから今までの三週間を、この広い空の中たった一人で過ごしていたわけだ。


 自分が死んだ理由もわからないまま、気がついたら誰も立ち入らなくなった屋上の地縛霊にさせられて、家族や友人と話すことも自分の存在を主張することもできない。


 それを考えると、彼女が生前からは考えられないほどおしゃべりな理由がわかるような気がした。いじめられっ子で底辺の階級だった僕に妙になれなれしい理由も。やたらとパンチラを連発してサービスがいい理由も。


 彼女は僕なんかよりよっぽどツラかったんだろう。


「あ、あのさ、いろいろありがとう。桂木さんがいてくれて助かってるよ。僕、ほら死にたてのホヤホヤでなんにもわかんないからさ。この世界に天使はいないかもしれないけど、僕にとっては桂木さんが天使みたいなモンだよ」


 とりあえず、思いつく限り精一杯の感謝の言葉を述べてみた。


 少しでも彼女の慰めになればいい。そう思ったんだけれど、いざ言ってみると恥ずかしくて顔を上げられない。


「下条くん……」


 桂木天音は驚いたように息を飲んで、それから言った。


「なんか、悪いものでも食ったん?」


「えっ?」


「急に気色悪いこと言わんといて、サブイボでるわ。ああっ、まさか自分、ウチにホレたんちゃうやろね」


 つないでいた手を振り払うと、彼女は僕を突き飛ばした。突然のことに驚いた僕は、バランスを崩してあやうく地面に落っこちそうになる。


 僕の善意は、関西生まれの地縛霊には通じなかったらしい。


 あたふたする僕を面白そうに眺めながら、幽霊少女は上空をグルグル旋回していた。


「まあ、ホレるなちゅうほうが無理かもしれんけどなあ。ウチのこの魅力やし」


 なんとか自力で態勢をたてなおしながら、桂木天音に向かって叫んだ。


「誰がホレるかっ! 」


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