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第二幕 加賀国府攻防戦

「そうか。

 やはり貴方は……」


 差し出された白湯が知章にはとてもおいしく感じる。

 あの敗走で疲れ果てた体にはただの白湯が薬湯のように思えた。


「あれぐらいで死んでたまりますか。

 一応祭られていた神なのですから」


 楽しそうに彼女は笑いながら言葉を続けた。


「けれど、すごく痛かったんだから。

『この恨み晴らさずにおくべきか』ってずっと狙っていたのよ」


 わざと怒った笑顔を知章に作ってみせる。

 美しい黄金の髪が揺れ頭から出ている狐耳が冠の装飾のように美しい。


「本当に申し訳ない。

 祟ってくれても仕方がない行いを我等はやってしまったのだ」


「いいわよ。

 まさか私が手を下す前に負けるとは思っていなかったけどね」


 その言葉にはっとなる知章だが、彼女は平然として話を続ける。


「安心して。

 ここには結界を張ったから源氏の落ち武者狩りも入ってこれないわ」


 知章にとって聞かねばならぬ言葉を、一瞬だけ飲み込む。

 白湯が入っていたお椀を置くだけの時間で知章は覚悟を決めた。


「やはり、平家は敗れたのですか?」


 その問いの答えとばかりに彼女が静かに障子を開ける。

 まだ夜深いのに赤々と山が燃えていた。


「……」

「木曽軍に追われた平家の屍が燃えているのよ。

 はやくも、このあたりの民は『地獄谷』って呼んでいるみたいね」


 彼女の言葉に知章は反応できない。

 この炎が死者への鎮魂というのならば、どれだけの御霊が捧げれたというのか?


「く、倶利伽羅峠の平家軍は……?」


 うまく言葉にできない知章の問いかけに、できるだけ表情を隠して彼女は首を振った。

 それで伝わる。


「棟梁以下、……平家十万騎……

 すべて倶利伽羅に果てたか……」


 ただ静かに嗚咽する知章に彼女はただ見守っていたが、やがで血染めの衣で優しく知章を抱きしめる。

 母のように。

 白拍子のように優しく知章を抱きしめる。

 己の無力感と眼下の光景が知章を苦しめ、わけも分からず彼女を抱きしめる。

 目には涙を浮かべ、その慟哭を遮ろうとしない。

 泣いているのか抱いているのか分からない。

 彼女は知章を振りほどかない。

 知章には何かにすがるものが必要だったし、すがる者を見捨てるほど彼女も神として衰えていなかった。

 泣き疲れた知章が糸の切れた人形のように倒れこむ。

 こぼれた寝息を消すがごとく、赤々と倶利伽羅峠が燃える音が止まない。

 死者を悼むように。

 生者を哀れむように。




 夜が明ける。

 目を覚ました知章は、焦げた臭いに昨夜が夢で無いと思い知る。

 起き上がった知章は体を動かすことなく朝露を見つめる。


「なぜ、助けたんだ?」


 ぽつりと呟く知章。

 朝食の粥を持ってきた彼女がそれに答えた。


「因果応報って言葉、知ってる?

 平家は私を射殺したから倶利伽羅峠で滅んだ。

 貴方は私のために泣いて、私を埋めてくれたから、助けた。

 良い事とも悪い事も、自分に帰ってくるのよ」


 目の前に粥が注がれたお椀を置く。

 今の北陸ではそれすら貴重な食べ物である事を知章はまだ知らない。


「そうかもしれないな」


 こういうとき言葉は要らない。

 そのまま何をするわけでもなく口に粥を入れるとその暖かさが伝わってくる。

 ただそれだけなのに、お互いが何かを分かったような気がした。


 太陽が中天に昇ろうとした時に知章はあばら屋の扉を開ける。


「世話になった」

「気にしないで」


 振り返った知章の前に、戦装束りりしい彼女の姿。


「どうしたの?」

「……どうしたって……」


 知章は言えない。

 彼女に見とれていた事など。


「なぜ、そのような格好をしておるのだ!」


 赤くなった顔で叫ぶように詰問するあたり、彼も若い。


「なぜって?

 私、近江に帰るので」

「獣姿で帰ればいいだろうが!」


 だから、分かっていない。

 たとえ神だとしても彼女が女だという事を。


「貴方についてゆくなら、人の格好の方がいいでしょ」


 笑顔で答える。

 その笑顔がかわいくて、愛しくて、まぶしくて見れない。


「私は平家の者だぞ!

 一緒では源氏の落ち武者狩りに討たれるだろうが!」


「だから、討たれては困ります。

 まだ恩も仇も返しておりませぬゆえ」


 おそらく笑顔で言ってくれる彼女。

 顔を見れずに声だけで判断する。


「恩ならば昨日……」


 返したという前に己の痴態を思い出して知章の顔がさらに赤くなる。

 彼女の胸の中で稚児のように泣きつ疲れて眠ってしまったなんて思い出すだけで体が熱くなる。


「どうしました?」


 明るい声で問い掛けてくる彼女についに知章が折れた。


「勝手にいたせ!」


 彼女の方を見ずに先に歩き出す知章を彼女が追いかける。

 その軽やかな足音が何故か妙に心地良い。


「待ってください。知章様」


 そこで知章が気づく。

 その気づきに自分自身に呆れ、半ば叫ぶように彼女に問いかける。


「そういえば不公平ではないか!

 私はそなたの名前を知らぬ!」


「え?」


 ぱちぱちと、瞼が二回ほど閉じる間彼女は固まった。

 そして、我慢できなかったらしく笑いだす。


「仕方ないだろう!

 そなたを何て呼べばいいのか……」


 赤くなりながら小声で彼女に言い訳する知章。

 呆れたような嬉しいような笑みを浮かべてその言葉をとなえる。


「胡蝶」

「こちょう……良き名だ」


 それだけ呟いて二人で倶利伽羅峠を降りる。

 向かうは加賀国府。

 そこに平家の敗残兵が集まっているはずだった。





寿永2年(1183年)五月 加賀 加賀国府


「放てぇ!!」


 必死になって矢を放つ兵士達だがその士気は低い。

 倶利伽羅峠の平家軍壊滅の報はしっかりとこの加賀国府に届いていた。

 その後に来た源氏追討軍との国府攻防戦であるだけに源氏の士気は最高、平家は最悪だった。


「引くなぁ!

 ここで引けば討たれるだけぞぉ!」


 だが、平家側将兵の落伍はとまらない。

 平家軍はその大軍を全て倶利伽羅峠に送ったわけではなかった。

 加賀の先は倶利伽羅峠を越える越中と能登へと道が二つに分かれていたからである。

 越中を目指した平家軍は側面にあたる能登にも別働隊として三万の兵を送り、源氏軍に背後を突かれる事を避けようとしたのである。

 今、戦っている平家軍はその能登に派遣されていた三万だった。


「これまでか……」


 国府内部に作られた本営で、ぽつりと呟いたのは平経正。

 幸いかな別働隊にいて倶利伽羅峠に居なかった事が彼の命を救った。


「経正殿。

 もはや、ここまでかと。

 拙者が殿になるゆえ、越前に落ち延びられよ」

 

 鎧に矢が刺さり、血まみれで入ってきたのが斎藤実盛。

 彼も倶利伽羅峠から落ち延びてきた所を経正に助けてもらわなかったら命が無かっただろう。

 同じく、戦を知っていた実盛がいなかったら経正も命が無かっただろう。


「無念よの。

 平家は滅ぶか……」

「何をおっしゃいます!

 体制を立て直せばまだ戦えます!

 京都に戻り知盛様と共に再起を賭けるのです!」


「よい。みなまでいうな」


 手で制した、経正の顔は笑っていた。

 その仕草が京の公達とかわらぬ優雅さを持っていたのに、斎藤実盛はここまで平家の公家化が進んでいたかと戦で疲れた体が更に重く感じる。

 だが、次に出てきた経正の言葉は斉藤実盛の予想を裏切る勇ましいものだった。


「俺も平家の一門の一人。

 武門の者が従者を犠牲して落ち延びるなど亡き叔父上が喜ばぬ!

 もはや、ここを墓場にするまでよ!!」


 半分は貴族化したとはいえ、経正も武家の血が目覚めたのらしい。

 斉藤実盛も呆然として経正を見つめる。


「どうした。

 実盛?老いたか?」


 老将の目に涙。

 その言葉を斉藤実盛は清盛が死ぬ前に言われたのだから。


「ええ。老いましたとも。

 これで安心して冥土に行けますとも」


 泣きながら笑う斉藤実盛。

 この答えも清盛の時と同じ。

 だからこそ誓ったのだ。


(絶対に経正殿を死なせてはならぬ。

 これからの平家の苦境には経正殿みたいな武者が絶対に必要になる)


 老将は力が漲るのを感じる。

 眼前の武者から力を貰っているのだろうか。

 彼の目から見ても、そこには先ほどまでの公卿姿は見つからなかった。


「まだ逝くな。

 せめて俺の手柄を見届けてから、叔父上に報告しに行ってくれ」


 そう言って笑う経正に自然と斉藤実盛は頭を下げた。

 そして、泣きそうになるのをごまかすように叫ぶ。


「わかりましたとも!!!」


 経正と実盛が笑い合う。

 それは死地へ赴く武士としての笑みなのだろう。


「行くぞ」

「お供します」


 二人が本営から出る。

 経正が武者らしく大声で叫ぶ。


「皆の者聞けぇ!

 よく落ち目の平家に尽くしてくれた。

 われらはこれより国府より討って出る!

 命惜しいものは今すぐ逃げよ!止めはしない!!」


 経正の叫びに誰も何も言わない。

 不適にも笑っている者すらいる。

 たとえ兵の質は最低でも生死を共にした仲だし、臆病者はもう逃げている。


「そうか……

 ならば!

 平家の意地!見せてくれようぞ!!」


「おおっ!!」


 将兵全員が声をあげる。


「弓兵矢を放て!

 武者は門前に集まれぇ!」


 斉藤実盛が指示を出す。

 騎馬武者達が経正の前に集まる。

 満身創痍で京を出た煌びやかな平家の武者達は、保元・平治の乱の時のように戦う集団に戻ってゆく。

 それが斉藤実盛には嬉しくて、懐かしい。


「門を開けよ!

 今こそ平家の意地を見せてくれようぞ!」


 門が開く。

 源氏の大軍が眼下に広がる。


「突っ込めぇぇ!!」


 この突撃に源氏軍は有効な対処ができなかった。

 なぜなら……



同時刻 加賀国府前 源氏軍陣営後方


 加賀国府の見える山の上に知章と胡蝶が立っていた。

 倶利伽羅峠から歩いて、源氏の落ち武者狩りに気をつけてここまで来たのだ。

 その間、知章は胡蝶の凄さを見せ付けられた。

 まず、人より五感が優れているから落ち武者狩りを近づけさせない。

 遥か遠くの武士の匂い、話し声などを聞き取り的確に人目を避けて進んでこられた。

 倶利伽羅峠から逃げ出したのだろう馬も二頭捕まえて、今は二人とも馬上である。


「知章様。

 やっと御味方にお会いできましたね」

「加賀国府に残っていたのは本当だったか」


 遠目から加賀国府を眺めるが、どう見ても状況は芳しくは無い。

 おまけにこちらは二人。

 合流しても戦況を変えられるとは知章には思えなかった。


「なんとかできないのものか」

「なんとかしてみせましょうか?」


 ぽつりと呟いた知章にあっさりと胡蝶は言ってのける。

 その言葉が嘘ではないと思うが、それを信じられない知章は改めて胡蝶に尋ねる。


「できるのか?」

「ええ」


 楽しそうに言ってのける胡蝶の顔には笑みが浮かんでいた。


「止まれぇ!何ものぞ!」


 雑兵の前に現れたのはそれは華麗な武将二人。

 一人は貴公子面でいかにも大将と分かる姿。

 隣にいる女武者も絶世の美女である。


「ここは何者の陣か?

 ここにおわす方は木曽義仲殿にあらせられるぞ!」


 女武者が声高々に告げる。


「義仲様??」

「確か此度の源氏の大将だったような……」

「そういえば、木曽の殿様は隣に美人の女大将を連れているとか……」


 普通落ち武者といえば、血や泥で汚れてこそこそしているものである。

 まさか、このような二人が落ち武者であるとは思いもせずに、何も知らない雑兵達は簡単にだまされた。


「平家の追撃の為にここまで先に来たのだ!

 加賀国府を落として手柄を立てるがよい!」


 一斉に平伏する雑兵たちの前に女武者は懐に手を入れて豪快に金を投げつける。


「褒美じゃ!

 加賀国府を落とせば大将にするぞ!」


 金を求めて大騒動をしている雑兵たちは、平然と通り過ぎる二人にもう見向きもしない。


「なぁ、胡蝶。

 いつのまに、あんな黄金を持っていたんだ?」


 釈然としない知章に胡蝶が笑って答える。


「あれですか?石ですよ」

「石?」


 楽しそうに胡蝶は笑う


「幻術で小石を小金に。

 狐は人を騙すのが得意なものです」


 二人は馬を駆けてゆく。

 駆けてゆく途中で次々源氏陣に寄って誤報を織り交ぜてゆく。


「能登にいた平家が背後を突くぞ!」

「倶利伽羅峠の義仲殿は越中に引き返したぞ!」

「越前で平家が体制を立て直したらしいぞ!」

「加賀国府を西側を攻めていた隊が崩れたらしいぞ!逃げるなぁ!!」

「背後に平家の伏兵がいるらしいぞ!気をつけろ!」


 戦場での情報は伝令によるためにどうしても不正確になる。

 特に勝ち戦に緩んでいた源氏軍はこの虚報にものの見事にひっかかった。


「さっき、後方が騒いでいたぞ!

 敵が来たのか?!」

「敵の矢が強くなってきたぞ!討って出るらしいぞ!」

「まだ義仲様の部隊は倶利伽羅峠じゃ!」


 疑心暗鬼がさらなる虚報を生み出してゆく。

 倶利伽羅峠の平家軍よろしく、勝ち戦と思っていただけに慢心した軍ほど士気崩壊がはやい。


「これが、戦か……」


 駆けながら知章は呆然と呟く。

 本営にいては分からない世界がそこに広がっていた。

 血と泥に汚れ、生きるために人を殺す世界。

 出世を求め人を蹴落とす世界。

 刀が、矢が、薙刀が確実に人を殺してゆく世界。


「知章様。

 呆然としないでください!」


 寄り添って駆けた胡蝶が注意を促す。

 我に返った知章が慌てて馬を走らせ、胡蝶も後に続く。


「すまぬ。

 だが、こんなに簡単に戦がひっくり返るとは…」


 烏帽子からはみ出る金髪を揺らしながら、胡蝶は楽しそうに笑う。

 それが、確定されているとも言わんばかりに。


「驚くのはこれからです。

 さぁ、戦をひっくり返しますわ」




 源氏軍本陣


 この時、加賀国府を攻めていたのは源氏方についた加賀の国人達だった。

 総大将林六郎光明に息子の光平、冨樫入道仏誓、倉光三郎成澄、疋田二郎俊平などの各将が平家の落ち武者狩りを行っていたのである。

 加賀国府を落とせば加賀での平家の組織的抵抗は絶望になり、現在バラバラで落ち延びている平家将兵はそのまま戦場の露となるとたかをくくっていた諸将は、この予想外の抵抗に少しうろたえていた。


「加賀国府はまだ落ちぬのか!」


 馬上でいらつく光平の声に伝令が最新情報を伝える。


「はっ!

 それが打って出る様子で矢の降り具合が強くなっており…」


 伝令の報告ににやりと笑う光明。

 出てくれば数で圧倒できるとたかをくくっていた。

 だからこそこの落ち武者狩りは国人衆が集まった実は烏合の衆だったりする。


「手勢に伝えよ!

 平家が出てきたところで総ががりで踏み潰せと!」


「はっ!」


 冨樫入道仏誓が伝令を呼んで己の手勢に命じる。

 それを止める事もしない各将の視線から伝令が駆けてゆくと同時に、他の伝令が息を切らして本陣に転がり込んでくる。

 慌てた姿が、今までの優位とは違う何かを雄弁に物語っていた。


「申し上げます!

 平家残党が後方より現れ、後方が襲われておりまする!

 規模は不明!」


 倉光三郎成澄が慌てて伝令に詰め寄る。

 彼の手勢はその後方に居たからだ。


「何だと!

 国府を囲むときに確認したはずではないか!」


 急速に本陣に動揺が走る。

 その動揺を知りながらも伝令はさらに悪い報告を行わなければならなかった。

 胡蝶によってばら撒かれた虚報を。


「能登の平家勢がこちらに引き返しているとの事。

 その数は不明。

 義仲様はこの軍勢を蹴散らすために山を降りたもよう。

 それと同時に越前の方に平家の新手が!」


 伝令は情報が誤報かもしれないと思い、自分が与えられている情報を照らし合わせて再構築してしまったのだった。

 たしかに、義仲は加賀側に下ってきているし平家は能登にも兵を出していた。

 義仲は平家軍追撃が目的だし、越前や能登の平家軍なんぞこの場にいる全員に確認が取れるわけが無い。

 だが、後方で混乱(胡蝶がばら撒いた金が原因)が起きた、義仲がこちらに来るという真実があるために残りの虚報も真実と信じてしまった。

 その結果本営全員が考え出した状況というのは……


「我らは敵を囲んでいるつもりが囲まれているではないか!!」


 光平の叫び声に完全に恐慌状態になる本陣。

 そこに、また伝令が入る。


「加賀国府の門が開きました!

 平家が撃ってきます!!」


 これで、皆の交戦意思が崩れた。

 大局では源氏の圧勝で、この後義仲主導の追撃が行われるだろう。

 残党狩りは小遣い稼ぎに過ぎないのに、その小遣い稼ぎに命まで賭ける必要はない。


「退くぞ!

 倶利伽羅峠の義仲様と合流するのだ!!」


 上ずった声で本陣から逃げ出そうとする光明。

 これが戦の勝敗を分けた。


「大将が逃げた!」

「平家に挟まれるぞ!!」

「逃げよ!逃げよ!!」


 急速に士気崩壊が起こり源氏各陣が崩れだす。


「何が起こったぁ!!」

「平家の追撃です!」


 本当は光明が逃げ出したのを見て源氏各陣が崩れたのだが、光明側からみれば平家の追撃で源氏各陣が崩れたとしか見えない。

 そして、一度崩れた士気は元に戻らない。

 数に勝る源氏各隊は寡兵の平家の武者達に次々と討ち取られていった。

 そして光明一行も……


「源氏の名高い武将とお見受けする!

 我こそは、中納言知盛の嫡子知章なり!!」


 たった二騎で本陣近くまで平家の武者がやってきた事がさらに本陣の混乱を広げた。


「ええぃ!

 たかが二騎でしかも一人は女ぞ!

 討ち取って名をあげる者はおらんのか!!」


 狼狽しながら光明が叫び雑兵がおそるおそる二騎を取り囲む。

 知章は刀を構え、胡蝶の方は下げていた直刀に見えていたものの紐をはずして一気に振り下ろす。



パァン!



 豪快に響く重低音に取り囲んでいた輪が一瞬広がる。


「何じゃなんじゃ!」

「刀が広がったぞ!」

「いや、あれは……扇か?」


 改めてみると扇みたいに見える。


「鉄扇。

 古代大陸の武器よ」


 鉄扇を大きく広げたまま取り囲んだ雑兵に説明してあげる胡蝶。

 直刀の刃が十数枚ほど綺麗に広げられて、銀色の光沢がまぶしく見える。

 笑みを浮かべたままなのに、獲物を狙う獣の迫力を源氏の兵達は受けてしまう。


「ええい!あのようなものははったりに過ぎぬ!

 さっさと、討ち取ってしまえ!」


 光明の命で一気に雑兵が二人に近づこうとして、胡蝶が鉄扇を一閃させる。

 たった一閃だけ。

 けど被害は甚大だった。


「うわぁぁ!手が!てがぁぁ!!」

「たすけて…腹を…」

「刀や薙刀まで切り落としたぞ!ばけものだぁ!!」


 胡蝶の方の輪は切られて倒れたものや混乱したもの逃げ出したもので大きく穴が開いた。

 その隙を知章は逃さなかった。


「ひっ…ふせ…」


 最後まで話せずに知章に首を切られた光明がゆっくりと馬から転げ落ちる。


「聞けぇ!!

 林六郎光明!

 平知章が討ち取ったぁ!!」


 その声で雑兵が我先に逃げ出す。

 血がついた刀。首の無い武者。うって変わって攻め立てる赤旗。逃げまくる白旗。

 首を打ち、初陣初手柄なのにその高揚感は消えうせて戦いの空しさだけが心に残る。


「知章様。

 初手柄おめでとうございます」


 馬を下り、わざとらしく臣下の礼を取る胡蝶。

 手に持った首が妙に重たく感じる。


「この手柄は私のじゃない。胡蝶のだ」


「いえ。私は借りを返したまでのこと。

 これで平家の方々もかなりの多くのものが落ち延びられましょう」


 自業自得。

 その言葉が知章の頭を巡る。

 助けてくれたから、助け返した。

 それだけの関係のはず。

 分かっているだけに悲しい。

 だけど、悲しいのを認めたくない。

 二人とも動かない。

 動けば何かもう戻らないような気がして。


「行くのか?」


 ぽつりと、知章が言う。


「ええ」


 やはりぽつりと、胡蝶も答える。

 静かになったような気がした。

 周りでは平家が源氏を追撃しているから騒々しいことこの上ないのだか。


「よかったら、共に一緒に帰らないか?」


 移動してゆく戦場を見つめながら、本当は目を合わすのが恥ずかしくて知章が誘う。


「はい」


 できるだけ、抑揚の無い声で言ったつもりでも嬉しさが溢れている胡蝶の答え。

 そのまま二人だけの世界に入っていた。



 その様子をじっと窺っていた武者が二人、場首を返して知章達から離れる。

 二人の世界に入ってしまった男女はそのまま離れた二騎の事など気づいていないのだろう。


「経正様。

 よろしいので?」


 大将が討ち取ろうと先頭を駆けてきた斉藤実盛はなんだか馬鹿馬鹿しく思ったが、視線は平家の追撃をしっかりと追っていた。


「もう敵はいないよ。実盛。

 それにこういうときに言う諺があるのだがしっているか?」


 経正は経正で笑みを隠さない。

 死ぬ気で突撃してみたら大将は討ち取られ、目の前にはあれだ。

 これで笑わずして何を笑えというのか。


「いえ。

 生涯戦場で過ごしたゆえに」


 真顔で答える斉藤実盛の言葉に経正は笑ったまま言い切った。


「覚えておくといい。

 『馬に蹴られて死んでしまえ』だ」


「それは、それは……」


 斉藤実盛も楽しそうに笑う。

 二人とも分かっていた。

 この後木曽義仲を相手に退却戦をしなければならないことを。

 今以上の兵と将が彼らを襲ってくる事を。

 だから、今だけは戦場にそっと花開いた恋をそのまましてあげたかった。



 こうして、平家軍は一息つけたが、彼らを襲う地獄はまだ始まったばかりだった。

 木曽義仲率いる源氏軍の追撃という地獄は。


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