第一幕 竹生島舞宴
倶利伽羅峠合戦を起点とした架空戦記もどきで、中身は公達武者と妖の姫の恋愛物語ですが、恋はあれど色はつけない予定。
過去の黒歴史を発掘して書き直しているので、資料など調査が怪しい所もありますが、ご指摘などがありましたらよろしくお願いします。
物語を始める前の史実との変更点
平家総大将に棟梁となった平宗盛が出陣しています。
寿永2年(1183年)四月 近江 竹生島
琵琶湖に浮かぶ小さな小島があり、地元の民に竹生島と呼ばれている。
歩いてもすぐに島を一周できる小島だが、神の島と民に慕われているのを聞いたのは平家軍大将の一人平経正。
武士としてより公達としての経験が長い平家の新人類達の一人で、戦より政治面での功績が高く評価されていた。
「霊地とあってこのまま素通りするのはおしい。
せっかくだ。必勝祈願をしようではないか」
大軍を動かしている為に行軍は遅々として進まなかったこともあり、経正主従は小船に乗って竹生島にやってきた。
春光暖かく、緑清々しく鶯が鳴き波間に香のように島を包み込む姿はたしかに霊地としかいいようがない神々しさを醸し出していた。
一行はそのまま島に上がり、中央に立てられている古びた社に向かう。
「これはこれは……この様な忘れられた社に平家の御大将がようこそお運びくださいました」
社を守っていた老神官の挨拶を受けて経正一行も頭を下げる。
「我等木曽討伐の必勝祈願をいたしたく、ここに貢物を持って現れた次第。
どうか、我等平家に此度の戦を勝利に導きたまえ」
そういって若武者の一人が唐物の絹を社に差し出した。
「本来ならもっと寄進したいとこだが昨年の飢饉で…申し訳ない」
若武者の申し訳なさそうな声に老神官が莞爾と笑う。
「いやいや…この唐物の絹だけでも半年は暮らせるもの…もったいないものでございます。
いかがでしょう?
ささやかながら宴を催しましょう」
もちろん、経正一行に依存があるわけではなかった。
琵琶湖で取れた魚と取って置いた神酒を振舞って宴が始まった。
前年の飢饉の爪跡は各地に残っておりささやかな食べ物しか出てこなかったが、ならばと経正一行は雅な管弦の舞で神々をもてなそうとした。
そんな中、今回が初陣の将が緊張しながらこの宴に加わっていた。
唐物の絹を捧げたこの若武者の名前は平知盛の息子。知章。
行軍が遅れ、経正の陣に来ていた為に一行に加わっていたが彼は今回が初陣だったりする。
そのせいか、知章の持つ笛も震え神酒も口につけていない。
「怖いか?」
不意に声が聞こえる。
振り返ると経正がいた。
「いえ。怖くなどありませぬ」
若者らしく無理をして答えるが、経正はにべもない。
「そうか。俺は怖い」
しごくあっさりと言ってのける。
唖然とした知章に経正はそのまま続ける。
「私が出陣したのは墨俣川の合戦だった。
正直何の役にも立たなかったが、叔父上清盛殿が亡くなられた後の大事な決戦、平家に連なるものとして出陣した」
思い返したのだろう。
身震いをしながら経正は続きを語る。
「正直、今でもあの戦を思い出すのも怖い。
源氏の荒くれ武者達は少数なのに夜討ちを仕掛けようとしたり、我々が川向こうから雨のように矢を射掛けても平気で荒れた墨俣川を押し渡ってくる。
そなたの父上知盛様や重衝殿の活躍がなければ負けていただろう」
知章は何もいえない。
それが戦場を知った経正と知らない知章の差なのだろう。
「今度の相手は戦上手で名高い木曽義仲。
信濃、越後と勝ち進み兵は万を超えると聞く。
おそらく、我等平家の命運をかけた戦となろう。
我等の新しき棟梁宗盛様じきじきの出陣だが、宗盛様もそなたと同じ初陣。
だが、この戦は勝つのすら難しいのかも知れぬぞ」
冷静に言葉を続ける経正。
視線は湖岸に張られている平家軍のかかり火に向けられている。
「われらは昨年の飢饉で兵糧すらままならぬ。
そのために兵の中には略奪すらする者もいるのに、我等はそれを止めることすらできぬ。
民の支えを失った軍に勝てると思うか?」
淡々とした口調は公達としての視線だろう。
既に朝廷に入って政務を行っていた経正らしい言葉でもある。
また、それは平家が半貴族化してしまった証でもあるのだが。
「父上は出陣の際に何とおっしゃった?」
「はい。手柄を立てなくてもよいから生きて帰って来いと」
「そうか……知盛様も分かっているのだな……」
平家の総司令官知盛は現在、京にいて一切の政務を取り仕切り、また経正と共に今回の出征に最も反対していた。
それを押し切っての出陣、平家一門の棟梁たらんと意気込んだ宗盛の意気込みが感じられると同時に、不穏な動きをしていた後白河上皇を押さえ込む為にも更なる勝利を欲していたのである。
「知章殿。生きて帰れ。
もしも、この戦勝てぬとき平家は重大な危機が訪れよう。
その時は中納言殿と共に平家を支える支柱となってくれ」
淡々とした言葉にこめられた切なる願い。
だから、知章も、
「はい」
としか答えられなかった。
ふと宴の席が騒がしくなる。
「何事だ?」
経正の言葉に従者が答える。
「社のほうをご覧ください」
その言葉に社を見ると、捧げられた唐物の絹に興味を示している白狐。
その絹をさわる様子は姫君が喜ぶような感じが浮かばれた。
「これはこれは……ここを守護する神の化身に違いない」
経正の言葉に一同その白狐を恭しく見つめる。
「せっかく神が降りて参られたのだ。
一曲献じて神に捧げ奉ろうではないか」
経正の言葉に老神官が古びた琵琶を差し出す。
「古いものですが、手入れはしておりまする。
よろしければ宮中で聞こえし琵琶の音をを神に捧げくださりませ」
経正は老神官から琵琶を受け取って軽く鳴らす。
澄んだ琵琶の音が静かに響く。
「では私が笛を」
震えも止まった知章も笛を持って白狐の前に進み出る。
経正の琵琶に合わせて知章が笛を吹く。
哀愁漂う雅な音楽が竹生島に静かに響いてゆく。
誰もが聞き入っていた。
しゃん
ふと聞こえる鈴の声。
社にいるのは唐物の絹を纏いし姫君。
扇に付けられた鈴が凛と響く。
しゃん
琵琶に合わせて姫が舞う。
雪のように白い肌、琵琶湖の湖面のように澄んだ穏やかな顔には仏のような笑みが浮かぶ。
姫が舞う。
優雅に、妖艶に、そして楽しそうに。
しゃん
笛に合わせて鈴が鳴る。
姫は五節舞を舞い黒髪が唐物の絹にふわりとかかる。
しゃん
舞が終わる。
もうあの姫君はいない。
宴が終わったことを皆が悟った。
ちはやぶる神に祈りのかなへばや
白くも色にあらはれにけり
(私の祈りが神に通じたのだろうか。白い狐が現れてくれた)
宴の後に経正が歌っている。
彼らは初めてこの戦に希望を持ったのだった。
だが、その希望は翌日に崩されることになる。
「大変です!宗盛様配下の者が島に渡って…」
翌日夜半にもたらされた報告に経正と知章が愕然とする。
「迂闊だった…」
「なんと罰当たりな…」
慌てて竹生島に二人が駆けつけると全てが終わった後だった。
一向に進軍しない軍に士気は緩みきっていた。
そんなおりの経正の必勝祈願とその後の雅な宴は兵士達にとって格好の話題になったのだ。
「竹生島には美しき姫がいるそうな」
「なんでも白狐の神の化身とか」
「そんな姫がいるのなら合って契ってみたいものよ」
「物の怪の類なら討ち取ってくれよう」
彼らは島に上がると老神官を殺し社を荒らした。
捧げられていた唐物の絹を奪おうとしたときに白狐が現れて邪魔をしたので矢で射殺したという。
残されたのは老神官と白狐の死体のみ。
「これでこの戦負けるであろう…」
経正が嘆息していると知章が白狐を抱きかかえる。
矢を抜いて琵琶湖の水で体を洗ってやる。
「すまない…本当にすまない……」
泣いていた。
白狐の為に、武人としての誇りを失った平家の為に泣いていた。
ぽたぽたと知章の涙が冷たい白狐の頬にあたる。
血で汚れた唐物の絹で白狐を包んで社に埋めて二人は陣へ帰っていった。
後悔と絶望を背中に乗せながら。
その夜、知章は夢を見た。
悪夢だと言えたのならば、どれだけ良かったか。
聞こえるのは琵琶の音。
あの竹生島で聞いた琵琶の音色。
あの琵琶は何処に行ったのだろう?
しゃん
鈴の音色が聞こえる。
その先は見たくない。
けど、知章は夢から覚めない。
しゃん
悲しく鳴く鈴の音色。
血に染まって唐物の絹を纏いし姫君がじっと知章を見つめている。
広げられた扇から垂れる血が静かに琵琶湖に広がってゆく。
しゃん
琵琶に合わせて姫が舞う。
優雅に、妖艶に、だけど悲しそうに。
鈴が鳴るが、合わせの笛は聞こえない。
姫は五節舞を舞い髪が唐物の絹にふわりとかかる。
しゃん
舞が終わる。
もうあの姫君はいない。
夢が覚める事をわったことを知章は悟る。
きっと、平家はこの戦で負けるのだろう。
それを否応なく思い知らされた夢だった。
知章は頬に手を当てて自分が泣いていた事を知る。
それが、これから起こるであろう平家敗北の為なのか、その平家敗北を呪ったあの姫の為なのか彼は分らなかった。
源平合戦。
その四文字で表される日本の一時代に起こった合戦の総称は、朝廷・地方・貴族などありとあらゆるものを巻き込んだ時代の嵐でもあった。
藤原摂関家の支配から院政という奇禍による朝廷内闘争の勃発と、中央の腐敗・混乱と地方の勃興と自主防衛による武士の発生は保元の乱・平治の乱という武力闘争を引き起こし、一人の英傑を歴史の舞台に引き上げた。
平清盛
それが、英傑の名前である。
彼は朝廷を押さえて一門を公卿に据えて支配を確立し、西国を支配した故に大陸との交易で富を増やして空前の繁栄を築いて見せた。
「平家にあらずんば人にあらず」
この言葉に匹敵するような言葉を捜すならば、摂関家の時代の頂点を極めた藤原道長の、
『この世をば わが世とぞ思ふ もちづきの かけたることも なしと思へば』
(満月の欠けたところがないように、この世は私の思い通りの世の中だ)
歌があげられるだろう。
だが、光が強ければ闇もまた濃くなる。
平家の繁栄は同時に、多くの者達の恨みを買うものだったのである。
貨幣経済の導入による、富の偏在は物々交換が主流だった地方を中心に深刻な打撃を与えて導入を進める平家へ恨みを募らせた。
平家一門が次々に殿上人になったが為に多くの公家の昇進が遅れ、その成り上がりを嫉妬の視線で見るのを止められなかった。
そして、保元・平治の乱で平家と争ったが為に壊滅的打撃を受けた源氏は、その復讐を虎視眈々と狙っていたのである。
それら因果の糸を操るは、やはり時代の寵児である後白河上皇。
諸行無常の響きと共に、反平家の鐘の音が鳴る。
「平家を討て」
この命が以仁王によってもたらされた時、源氏は当然のようにその命に従い、反平家の嵐は東国を中心に一気に燃え上がる。
畿内では平清盛に優遇されていた河内源氏の源頼政が乱を起こし、尾張では源行家が蜂起。
そして関東では源義朝の忘れ形見だった源頼朝が決起し、石橋山で敗れるも関東の武士団は彼の元に集っていたのである。
関東情勢を見過ごす事ができなくなった平家軍は大軍を派遣して鎮圧に向かうも、富士川にて逃げ帰る醜態を晒し、関東は源氏によって独立状態になってしまっていた。
勢いに乗る源氏軍は源行家を大将に美濃にまで進出するも平家軍の必死の抵抗により敗北。
辛うじて、畿内への侵入を防ぐ事に成功したのである。
だが、天は栄えきった平家をあざ笑うかのように源氏に味方する。
折からの飢饉は平家の基盤である西国を中心に広がって軍の動員を拒み、そして平家を栄華に導いた英傑の退場を促す。
平清盛 享年64歳。
動揺著しい平家を尻目に、源頼朝は鎌倉にて着々と力を整えていた。
関東の武士達を束ね、多くの源氏一門を粛清・配下に置き、奥州藤原氏と不可侵を結び、一歩一歩足場を固めていたのである。
そんな中、今度は北陸が焦点にあがる。
平家の世代交代の動揺を尻目に反平家の波はここ北陸にも押し寄せ、源氏は新たな勢力圏の確保に動き、平家は動揺著しいゆえに負けられないと十万もの大軍を集めて一気に鎮圧を目指す。
平家の総大将は平宗盛。
平清盛の後を継いだ若き平家の棟梁は、その力を見せんが為に陣頭に出て軍を鼓舞し、平家軍は越前燧ヶ城を落すと、勢いそのままに加賀に侵攻。
源氏側の武士達は後詰と悲鳴をあげて、一人の大将を北陸に送り出す。
その大将の名前は源義仲。
後に木曾義仲の名前で呼ばれる、無双の大将の名前はこうして歴史の舞台に上がる。
寿永2年(1183年)五月 越中国境 倶利伽羅峠 平家陣
「放てぇ!!」
合図と共に放たれる数万の矢。
相手側からも同じかそれ以上の矢が放たれる。
「来るぞぉ!
矢を防げ!」
雨のように矢が降り注ぎ、運の悪い武士や従者馬などが射貫かれて地面に倒れ落ちる。
「負傷者下がれぇ!
負けるな!射返せぇ!!」
死者や負傷者の対処をしながら盾や木に刺さった矢を引き抜いてまた相手に射返そうとする。
おそらく向こうも同じような事をやっているのだろう。
谷向こうの白旗がなびく山からまた矢が飛んでくる。
「放てぇ!!」
こちらも負けじと矢を放つ。
「引くなぁ!踏みとどまれぇ!!」
矢に射ぬかれた者が続出し、最初の半分ぐらいしか矢が放たれない。
「何をしてお…」
必死に督戦していた武者に一本の矢が肩に突き刺さり落馬する。
「離せ!まだ戦える!」
「なりませぬ!
どうか後方にお下がりに……」
そうこうしているうちに更なる矢が平家軍に降り注ぐ。
もはや壊走に近い形で平家軍は引かざるを得なかった。
同時刻 倶利伽羅峠 平家本陣
「平景清隊崩れています!景清様負傷!」
「平盛俊隊敗走中!加賀へ後退するとの事!」
「志雄山口の通盛様より伝令!
木曽の抵抗堅く、越中方面へ出られず!」
次々に入る伝令に平家諸将はただ呆然と報告を聞くのみであった。
「わが方は押されているではないか!」
平家本陣にて総大将がついに不満をぶちまける。
平家棟梁宗盛。偉大なる父清盛の後を継いだ以上凡将ではないのだが、政治も戦もはるか遠く父に及ばない。
長く政務畑をつとめていた彼が出てくるほど平家はこの戦に賭けていた。
だが、初陣の宗盛はこの倶利伽羅峠までいくつかの失態を犯していた。
戦が数で決まるという事は知っていても、その数を活かすためには兵糧が必要な事は知らなかった。
源平の天下分け目の決戦に自ら出てゆく事は知っていても、京都に知盛以下の最精鋭を連れてゆく事を知らなかった。
越前・加賀の戦で前線全勝することは知っていても、奢って敵に追撃の手を加えることを知らなかった。
そして今犯している最大の失態は戦場に来る事は知っていても、指揮することを知らなかったことだろう。
保元・平治の乱の古参は知盛と共にほとんどが京都に置いて着ており、実質的に指揮をしていたのは、保元・平治の乱の時から参加した唯一の古参の大将斎藤実盛だった。
「景清隊と盛俊隊は加賀国府へ下がらせよ!
通盛様へ伝令!
経正隊を後詰に回すゆえ一気に木曽勢を踏み潰したまえと!」
「はっ!」
次々に伝令が駆けてゆく。
宗盛以下首脳は実盛の指示に口を挟む事すらできぬ。
(情けなや…)
知章もこの席に名を連ねているが実盛の指示に口を挟む事ができない。
平家が殿上に上がってはや五十数年。
既に半貴族化した平家の公達武者が戦場に出ることはまれになっていた。
しかもこの場で戦っている者達は平家郎党とはいえ保元・平治の乱以後についた者達で本当の戦を知らない。
二年前に起こった美濃墨俣川合戦において源行家軍を蹴散らした平家最精鋭は京都を守らねばならず、機内各地から浮浪者等の兵を集めなければならず士気は最低に近い。
そんな状態で越前・加賀と勝ち進んでこれたのは、平家の圧倒的な数と源氏の戦力温存戦術のおかげというのを知章ですら分かっていなかった。
(もしかしたら…勝てるのでは…)
と、少しだけ希望を持っていたが、その希望も倶利伽羅峠で微塵に砕かれた。
ここの源氏は今までと違い数も多く士気も高い。
間違いなく木曽義仲が率いているのだろう。
(白狐の呪いか…?
だとしたら、ここで我等が滅ぶのも仕方ないのかもしれない…)
その思いはその夜現実となる。
信じていたものには必然。
信じていなかった者には突然の悲劇。
歴史に名を轟かした木曽義仲の火牛戦法と呼ばれる木曽軍の夜襲によって倶利伽羅峠の平家軍は壊滅してしまうのだから。
琵琶の音色が聞こえる。
それは聞いたことがある音色だった。
「栄華極めし平家の武者も
源氏に押されて落とされり」
音色にあわせた適当な戯れ歌が知章の耳に届く。
忘れることのできないあの光景。
何がなにやらわからぬままに追われて谷へ追い落とされた。
「平家滅びは源氏の栄え
その始まりは倶利伽羅峠」
(させない!
まだ平家は滅びていない!)
心からの叫びに知章は目を覚ます。
あばら家の中は灯かりがともされ、脱がれた鎧は綺麗に補修してある。
鎧直垂姿で泥や血の汚れも拭き落とされている。
「起きられましたか?知章様?」
声が聞こえる。
「ずっと……ついてくれたの……」
知章の声が固まる。
忘れるはずがない。
忘れられる行いではない。
その姫は、
神々しき金髪を揺らし、
血で染まった唐物の絹を身に包んで、
知章の前で微笑んで見せた。