2 きのうていし
メリッサ・ルイスのラボラトリー。あまり広いといえないこの研究室は、外部から日光などの刺激を避けるため三階ほどの高さの上に窓があり、それ以外はすべてコンクリートの壁がそびえ立つ。そんな高い位置にある明かり取りのせいで部屋は薄暗い。
狭い部屋にたくさんの電気機器が所狭しとおかれ、そのすべてが起動し何かのプログラムを実行している。端末と機器との間の少しの空間には、いろいろな太さのコードが延び、どこかにつながって仕事をしていた。熱が機械の起動を妨げないように部屋の温度は、低く低く設定されていた。
部屋が狭いのと機密保持が理由で、このラボには限られた人間のみが出入りしていた。数台の端末に、人間はたった五人。
部屋の真中には縦に置かれた培養カプセルがいくつか置かれ、そのうちのひとつだけが、緑色の光を放ち稼動していることが分かる。
今この研究所のこのラボで唯一進められている、研究対象がその培養カプセルの中で育っていた。
「オペレーションシステム開始します」
女性の声がすると、培養カプセルに向かって壁から現れた突起物がつながる。筒状のそれは回転しながら機械音を上げている。はじめは何もなかったカプセル内では徐々に空気の泡が増えだし、まるで沸騰するかのように暴れだす。
「人工皮膚良好。本体、四肢ともに異常なし」
同じ女性が別の端末を覗き込んで答える。
「ボイスシンクロ率50‥‥60」
培養カプセルに一番近い男が画面の表示を見て表示される数字を繰り返しはじめた。
「‥‥90」
数字が大きくなるにつれ、あわ立つ液体はおさまり中の物体が目視できるようになる。中には少年が入っていた。
「00RK。ハイバネーション解除」
その言葉と同時に閉じられた瞼が動き始め、口からは空気の泡が出始めた。
「ねぇルーク。気分はどう?」
ほんのりと白い息を吐き出し、緑色の光を放つカプセルに話しかける女性。
「何となくいい感じ‥‥です」
そしてそのカプセルに満たされた培養液の中で育つ少年が笑顔で答える。
彼の見た目は何ら人と変わりない。金色の髪、緑の眼。彼の姿は、作った博士の望むままの姿であった。
彼はヒューマノイドという人型の機械。ロボットだが、製作者の意向により人間らしく見えるように皮膚は人工皮膚、髪は人毛、瞳は義眼、レンズは宝石を使う。どうしても人間に近づけたくて、呼吸をし、涙まで流せるように設定しようとしていた。
ロボットであるが、人工皮膚を使うため完全に出来上がるまでは、崩れないようにこの培養液の中でしか動かすことができない。あともう少しの設定で、この少年は、ここから出られるようになっていた。
女性は世界初『人工皮膚を使った人間型ロボット』を作った科学者で、彼は彼女の二機目の息子であった。
「博士。今日はなにしたの、頭の後ろに何かついたけど」
女性にルークと呼ばれたそのロボットは後頭部に取り付くようについたコードをうっとおしそうに触る。手や体に付いたコードとは比べ物にならないぐらいの太さのコードはこれから新しいデータを流す準備だとルークは分かっていた。
「知識を組み込むの。人間として生きていくために学校で子供が学ぶことを全部入れこむのよ」
そう博士が言いながら実行キーを押すと、どこからかあらわれたか判らないコードが手や足や首につながる。
「またコードが増えるの」
増えたコードを見ながら嫌そうに彼は言った。その周りにはすでに何百本のコードがあって、それらは体の何処か一部につながっている。
「今の科学力では、一本のコードではたくさんの情報をはやく流すことはできないのよ。今から大量のデータを流すから、冬眠モードに入れちゃうけどいい?」
冬眠という言葉に、彼はものすごくいやな顔をした。たくさんのデータを流すときは大きな電気が必要となる。こんな太いコードを使うのだから、今までとは比べ物にならない高圧電流が流れてくるに違いない。冬眠させるということは一部データを眠らせて破損させないために保護するためだ。
だがルークにしてみれば、この狭いカプセルの中、唯一外とつながっていられる貴重な時間を閉ざされる訳で、つまらないに違いない。
「今までのに比べたらものすごく苦しいわ。絶対に耐えられないけれど」
意地悪そうに言う博士に、培養カプセルの中の少年は嫌々「はい」といった。
博士の指がキーを押すと彼の瞳は不服そうに閉じた。
「博士‥‥」
ルークが瞳を閉じるのを見ていたかのように、すぐ博士に声がかかる。
「何だ、アークね。聞いて、この子もうすぐ出られるのよ、あなたの弟として」
背中越しにかけられた声の主がわかったのか、振り返りもせずに博士は作業を続けながら話し、最後に、にっこりとほほえむとカプセルを指さした。
「弟?」
「そう弟。今晩から明日の朝にかけて、知識のプログラムをしているから話はできないけれど」
カプセルの側面をたたいて博士は言った。
「覚えてる?あなたにも同じように、こうやってデータ流したわね‥‥この子もね、冬眠モードにするっていったら同じ顔するのよ」と博士は、カプセルで眠るルークに楽しそうにほほえみかけていた。
「そっくりな弟ね。この子もねあなたと同じ緑色のレンズにしてみたのよ」
アークはそんな楽しげな博士の話はうわのそら、耳に入っている様子ではなく、彼女の肩から見えるルークの背中のあたりを見つめてつぶやいた。
「もうすぐ出られるって、こいつの翼は」
「翼?ルークにはいらないのよ。この小さなチップでこの姿のまま大量の情報量を収めることが可能なの。頭にこれが入っているのよ」
ポケットから小さなケースに入れられたチップを取り出すと、親指ぐらいの大きさのそれを嬉しそうに博士は振り返ってアークにみせた。
「完全な人間体ロボット‥‥」
アークは静かにつぶやいた。
「そうなのよ。ようやく科学力が追いついてきたの」
「よかったですね」
心を悟られないように、ひきつった笑顔でアークは博士に笑いかけ、そしてその場から離れた。
「手伝ってもらおうかと思ったのに」
アークの胸の内を知らない博士はのんびりとそういい、自分の仕事を続ける。
アークが造られた頃。今のようにチップ一つが大量の情報を収容できるわけもなく、しばらくはコードで別の端末と繋いでいた。ボディに受けきれない容量の情報を別の機械に受けさせ、コードでつないで起動、動作を維持していた。
コードで接続されているという状況から、研究室という狭い場所から連れ出すことができず、アークの制作者は、つまりはあの博士なのだが、ボディに受けきれない容量の情報を入れるための‥‥翼という余分な受け皿を作ることにした。彼にとって見た目にも神神しい、この翼という物質はなくてはならない物で、なければ活動していくために必要な情報がほとんど与えられず、機能停止‥‥死ぬことになる。
アークはこの大切な翼が、自分が人間とは全く違う証拠とし、これを不必要と思い続けていた。
自分が人間になれない、人間としてみてもらえない翼。
コードで自由を規制されていた中、翼をつけてもらうことで好きなように動けるようになったはじめの頃は空まで飛べて嬉しかった。研究室という狭い空間から外に出られたのだから。
「すごいね。本とかに出てくる天使様だな」
アークの姿を見た研究者達は必ずこの言葉を言う。
「しかたないのよ。翼がないと動かないんだもの」
他人の誉め言葉に対し博士はいつもそう言っていた。
そのときの博士の表情が暗くて、アークはそう言われるのが嫌だった。
「誉めてんだから。素直に聞けよ」
「だって~完璧じゃないんだもの」
アークの前ではそのような言葉は言ったことのない博士が、他の博士に話していた言葉が繰り返される。自由に動けるという事は、自由に見聞き出来るという事であった。
翼があるから完璧じゃない。
ルークには翼がない。
博士の夢は完全な人間体のロボットを作ること、ルークが居てそれになれなかった俺は‥‥不必要。
不必要としか考えられなかった。
研究室の前の廊下でアークは壁に手を叩きつけた。
夜もなお動き続けるルークのカプセル。
昼間流していたデータの処理がまだ終わらず、ルークの閉ざされた瞳はまだ開きそうにもない。
博士のいない研究室は暗い中、ぼんやりと光るルークのカプセルとプログラムを実行しているコンピューターのランプが点灯していた。
閉められていた研究室の扉が開く。
入ってきたのは、アークだった。
翼は、ただのデータの受け皿だけではなくて、翼としてちゃんと機能もする。背中の翼でふわふわと空中を漂い弟と呼ばれたルークのカプセルに近寄っていった。
「俺とは違う完全な人間体」
カプセルの中には緑色の光に包まれてコードに守られるように眠るルークがいた。
自分が以前同じ状況でいたから、よく分かる。目を閉じたくて、閉じているのではない、外の世界とつながって居たいのに、接続を許されない。抗えず強制的に眠らされている。
引きちぎれば動けなくなるということが分かっていたから、抵抗もせず命令にしたがっていた。眠れと言われれば、眠り。笑えと言われれば笑う。
無理に笑えといわれたことは無かったが。
「多くのコード、これでおまえは、今は生かされている」
無理やり冬眠状態にされているため、もちろん反応はない。だから、起きる事は決してないわけだ。
真っ暗な世界から見えるようにしてくれたのは博士。何も知らない俺に知識をプログラムしてくれたのも博士。
そして、生きるためのこの小さな牢獄から出してくれたのも博士だ。
アークが人間と同じ動作をすればするほど博士は喜んでくれた。アークが人間に近づけば近づくほど、彼女の笑顔は増えていった。
今自分の前には、同じ髪の色、同じ背格好、同じ瞳の色‥‥博士の望むままの姿の、別のヒューマノイドが居る。
ただ違うのは、この背中の翼。
翼さえなければ完璧な人間になれる。
「おまえさえいなければ、俺がたった一人の博士のヒューマンタイプロボットだ!」
思いっきりガラスを殴りつけるアーク。培養カプセルはガシャンと音を立てて割れ、中の溶液が割れ目から勢いよく溢れ出す。
ガラスを突き抜けたアークの腕はルークの首や肩につながるコードをつかんで外にでた。ぶちぶちとひきちぎられる音がする。
頭の位置に近ければ近いほど、大事なコードだと認識し、一番大切そうな部分につながっているコードを引きちぎってそとに出たのだ。
形状記憶防火災害用ガラスは中の液体を漏らすと、異様な音を立てて元に戻っていった。防火災害用ということで火事や地震が起こってガラスが割れても、中に入っている液がこぼれて無くならない様に瞬時に元に戻るように構成された『生き物』なのだ。当然、『生き物』ということで割れてなくなった部分は使い捨てられ、残った核がつながり修復をする。
カプセルにはこれで、見た目には異常はない。
では、コンピューターとのリンクを部分的に切断されたルークはどうなるのだろう。
培養カプセルの光がだんだん、だんだん弱くなっていった。そして、隣のコンピューターの画面には、コード切断という警告が赤い文字であらわれる。しばらくするとバランスが保てない機械は『機能停止』と表示した。
「機能停止か‥‥」
アークは満足そうにそれを確かめると、研究室をあとにして『機能停止』という事態を博士に知らせるため走っていった。