1 はやくここから でられますように
「ねぇ。息を吐くプログラムを入力してみるわね」
「息を吐く?」
いつものように真っ黒な世界の中、声がした。声の主は僕をつくってくれた博士。
「人間みたいにしたいって、言ってたでしょ。呼吸ができるようにするの」
ピピ‥‥ピピ‥‥
いつもと同じで、僕にプログラミングをしてくれるためにキーを押す音。
「はい。実行押すわよ」
博士が言うと僕は素直に「ハイ」と答えた。
ビーーーーーーー
プログラムに失敗したときのような音が響いてきた。
胸と喉のコードから電流が流れてくるのがわかった。
少しの電圧と博士はいつも言うのに僕には苦しい衝撃がはしる。
「‥‥う」
慣れているはずなのになんだか今日は耐えられない感じで、声が外に漏れ出した。
「ルーク、何か話してみて」
博士が嬉しそうに言う。外側からみて何か変わったのだろうか?
「何か‥‥ですか」
そう答えたとき頬のあたりを何かがふれて上昇していくのがわかった。先ほどうめき声を上げた時には気が付かなかったが、何かが体の周りに漂って肌を刺激している。いつもふれているコードの感触じゃないことは確かなのだが、それがなんなのかはわからない。
「博士。何なんですかこれ」
何か言葉を話すと口から同時にはきだされるみたいだ。
「空気の泡。今は培養液に入っているから、分かりやすいでしょ。私の目にも見えるし、あなたの皮膚で感じられるし。今のところはね体の中で作られた窒素が吐き出されているだけだから、ちゃんとした呼吸とはいえないのだけれど」
これから、人間のように、酸素を吸い込んで二酸化酸素を吐き出せるようにしてあげるわね‥‥と博士は続けた。
「そうしたらね、私たちと同じ呼吸ができるわ」
暗闇の中、頬を伝う、空気の泡だけが僕の感覚を刺激していた。
「ねぇ。見える?」
いつもみたいに優しい博士の声がすると、いつもみたいな真っ黒の世界じゃなくて、色んなものが見えるようになっていた。それらすべてが何かなんてわからなかった。
暗闇の中で声だけがするという世界から、見えるという感覚がつかめなくてしばらくはつらかった。肌につながって触れているものがコード。どこかからでできて、手や体に突き刺さる。あまりにもたくさんありすぎて、どこへつながっているのかたどることもできなかった。
そして口から吐き出されるのが僕の空気。
目の前で誰かが手を振っている。
「見えるみたいね。レンズの調子はどうかしら、翡翠を薄くして作ったレンズなのだけど」
目の前にいる人の唇が動いて博士の声がする。この人が博士‥‥僕をつくってくれた人。
「大丈夫みたいですよ。博士の顔もちゃんと見えるし、自分のはく窒素も見える」
何本かのコードがでている左手を博士の近くまで持っていく、でも見えない壁にさえぎられて博士にさわることは出来なかった。
冷たい透明な壁。博士とこの場所とはさえぎられているのが実感できて悲しかった。
「緑の瞳はやっぱりきれいね。私もその色になりたかったわ」
博士の目の色と僕の色は違うようだ。同じ色がよかったのに。
僕は緑‥‥博士は何色?
「どんどん人間らしくなってきたわ。もうすぐ外にでられるわよ」
博士が優しくほほえんだ。
はやくその日がきますように‥‥。