第4話
「ただいま戻りましたー……っとぉー!?」
「……!」
北の離れの玄関を開けるなりメイ様が駆けてきて私の腰にしがみついた。しがみついたっていうか、ほぼタックルだ。
「どうしたんですか、メイ様? ……まさか! 私が留守のあいだに何かありました!?」
「……っ」
あまりの勢いに驚いて尋ねるとメイ様はふるふると首を横に振る。ほっと息をついて手に持ったカゴを掲げて見せた。
「約束通り、夕飯の時間までには戻ってきましたよ。夕飯もちゃーんと持って帰ってきました。さ、チンして食べましょうか」
「……」
「食ーべーまーしょーーー」
「……」
夕飯の準備をするべく台所に向かおうとする私の腰にしがみついたまま。メイ様は一向に離れようとしない。ずるずると引きずって歩いているうちになんだか楽しくなってきてくすくすと笑う。それがまた気に入らなかったのだろう。メイ様はぽこぽこと私を叩いた。
「……もしかして私が帰ってこないんじゃないかって心配しましたか?」
「…………」
王城から北の離れに帰ってくるまでの片道四十分以上の道のりで思った。聡いメイ様のことだ。カレン様の用事がなんなのか、なんとなく察しがついていたんじゃないだろうか、と。
北の離れを出る前に何か言いかけて、結局、呑み込んでいたけれどあれは私を引き留めようとしていたのだろうか。
一人残された北の離れでそわそわと私が帰ってくるのを待っていたのだろうか。
私が帰ってきたのが嬉しくて玄関を開けた瞬間にタックルしてきたのだろうか。
そうだったら嬉しい。そう思いながらメイ様の銀色の髪をくしゃくしゃと撫でた。
「安心してください。むしろ、げんなりしてください。私はまだまだ北の離れで働き続けますし、メイ様のお世話もまーだまだ私の担当ですから」
「……本当?」
「ええ、本当です」
パッと顔をあげて笑顔を見せたメイ様だったけど――。
「……っと……」
不意に目を潤ませ、唇を震わせた。今にも泣き出しそうな顔を隠すように再び、ぎゅっと私の腰にしがみつく。
そして――。
「まだまだじゃなくて……ずっと……ずっとずっと、いて」
そう言った。
「サラがいい……サラに、ずっと……そばにいてほしい」
三つ目のわがままだ。一年経って、たったの三つ。だけど、本気で叶えようと思ったらとてつもなく重たい三つ目のわがまま。もしかしたら、これまでもこれからも私の人生の中で一番重たいわがままかもしれない。
でも――。
「もちろんですよ」
迷うことなく私は頷いた。
「ずっとずっとそばにいて、ずっとずっとメイ様のお世話を焼きます。メイ様がもういいです、結構ですって百万回言うまでそばにいてお世話し続けます」
しがみついたままのメイ様の、一年前には寝癖が残っていた銀髪を撫でた。最高級の絹糸のような手触りに満足してフフーン! と胸を張る。
「なにせ私にはメイ様のお食事をチンして、ベッドで添い寝して温めるという大役がありますからね!」
***
国王陛下が亡くなって、第一王子のカイル様が後を継いで。メイ様が四十八才で亡くなるまで私は北の離れで暮らし、メイ様のお世話をし続けた。
ほとんどの貴族や国民のあいだではいない者のように扱われ、ひっそりと生きて、死んでいったメイ様。だけど、私の前ではとんでもないわがまま姫だった。
三十五年のあいだに私が聞いたわがままは何千、何万になったか。過剰ですー許しませーんと何千、何万回言ったことか。もういいです、結構ですぅーという言葉を何千、何万回聞いたことか。
でも、百万回には遠く及ばなかったから最後の最後まで、うざがられながらもお世話をし続けた。
心配していた可愛い弟と妹たちの学費と嫁入り費用はどうにかなった。カレン様が足りない分を出してくれたのだ。ヘザーさんの進言だったというのは後から聞いた話。
それと、ヘザーさんがメイ様の乳母だったというのも――後から聞いた話。
かつて王城の侍女として働く同期であり、親友だったヘザーさんとカレン様。その後、かたや正妃であるメアリー様が産んだ第一王女の乳母となり、かたや側妃となった。
国王陛下の子供を身ごもったカレン様はまだメイ様の乳母だったヘザーさんに頼み込んだ。産まれてくる子供の乳母になってほしい、と。どうしてもヘザーさんにそばにいてほしい、と。
初めての妊娠。初めての出産。初めての子育て。なにより何度、振り払おうとしても振り払えない〝死神姫〟への恐怖。
精神的に参っている親友を見捨てることが出来ず、当時の侍女長にメイ様のお世話係には特別、優秀な人を付けるからと言われたこともあり、ヘザーさんはカレン様付きの侍女となり、生まれてきた第一王子の乳母となった。
まだ幼く、王城で孤立しているメイ様の元を離れて。
「あの時の自分の甘さを今でも悔いているのよ。侍女長の言葉を信じてしまったあの時の自分の甘さを」
メイ様が北の離れに追いやられ、冷遇されていると知ったのはヘザーさんが侍女長になってから。私が王城に働きにやってくる、ほんの一週間前のことだったらしい。
「メイ様も親友も、どちらの手も放さずに上手く立ち回れる方法があったんじゃないかって……今でも考えてしまうのよ」
カレン様には言わないでおいてね、と言ってヘザーさんは自嘲気味に笑っていた。
ヘザーさんのその表情を見て思った。
小さい頃にメイ様を抱きしめたまま眠ってしまった多分、きっと乳母だろう人物というのはヘザーさんだったのだろう、と。メイ様を抱きしめて眠った夜は一晩や二晩ではなかったのだろう、と。
物心がつく前のメイ様の記憶に残っていたのがたった一晩だっただけで。
なんにせよ――。
「葬儀も終わったし片付けたら北の離れを出ていかないとなー」
カレン様もヘザーさんもとっくに亡くなって、私を置いてメイ様も死んでしまった。いつも通りに北の離れの自室のベッドで目を覚まし、二人分ではなく一人分の朝食が届いたことに途方に暮れる。
全然、実感がわかない。でも、少しずつ片付けを進めないと。
とりあえず、もう使う機会のない湯船から掃除を始めようかとお風呂場に向かった私は――。
「うぉっとーーーっい!」
落っこちていた石鹸をうっかり踏んづけて引っくり返った。そう言えばいつだったかもこんなことがあったなと見覚えのある光景に苦笑いする。あの時はメイ様が真っ青な顔で湯船から飛び出してきて心配してくれた。
でも、今は――。
――だって、ずっとずっと私のそばにいて、私の世話を焼いてくれるって約束でしょう?
心配するどころか私の顔をのぞき込んでくすくすと笑っているのだ。
「〝幽霊姫〟が……本当の幽霊になっちゃった……んです、か……? ……ああ、もう……本当に……」
――メイ様はとっても可愛くて、とっても優しくて、とってもいい子ですよ。
かつて私はカレン様にそう言った。でも、とっても可愛くて、とっても優しくて、とってもいい子だけどあの日以来、ちょっとだけわがままになって、ちょーーーっとだけ執念深さを見せるようになった。
カレン様に呼ばれて北の離れにメイ様を一人、置いていってしまったあの日以来、ちょっとだけ。
ああ、もう、本当に困ったさんですねーという気持ちのまま三十五年の月日を過ごして来たのだけれども――。
「最後の、最後に……とんでもない、わがままを……」
強く頭を打って遠退く意識の中、私を見下ろす本当に幽霊になってしまた元〝幽霊姫〟、現〝わがまま姫〟のメイ様はますます楽し気に笑った。
――最後の最後? 何を言っているの、サラ。
――だって、私はまだ百万回、もういいです、結構ですって言ってないもの。
メイ様の言葉に目を丸くし、そのうちにけらけらと笑い出す。と、言ってももう話すのもつらいからけらけらと笑うのは心の中でだけ、だけれども。
「いいですよ、ちゃーんと……約束は、守ります……」
享年五十一才。
私が死んだのは、メイ様が亡くなってから七日後のこと。
「だから、安心……して、ください……むしろ……げんなり、して……く、ださ……」
そう答えるとメイ様は嬉しそうに顔をくしゃくしゃにして、透けるような――というか、今は本当に透けている銀色の髪をふわりと揺らして私を抱きしめた。
約三十五年、毎晩、私がそうしてきたように。
幽霊になった元〝幽霊姫〟との北の離れでの暮らしも、現〝わがまま姫〟のお世話もまだまだ続く。メイ様がもういいです、結構ですーと百万回言う、その日まで。
まだまだ。ずっとずっと――。




