第21話 森の中で
北に位置する凛黎帝国の森は、秋の深まりとともに色づいていた。
赤や橙色に染まった木々の葉が、風に揺れては静かに地面へと落ちていく。
そんな地面を踏みしめるたび、柔らかな音が響いた。
「良い天気ね。それに紅葉がとても綺麗だわ」
空を見上げながら、セナは微笑む。
その隣で、ルソンも穏やかに頷いた。
「そうですねぇ」
しばらく静かに歩いていたリクスが、ふと思い出したように口を開く。
「ねえ、セナ。前から気になってたんだけど……セナが持つ天命の力って、どんな力なのか、まだ分かってないよね?」
「ええ、そうなの。まだわかってないわ……」
「なるほどな」
短く相槌を打ったのはシウだった。
そのとき、後方から慌てた声が上がる。
「あー! セルさん、何食べてるんですか!?」
セナが振り返ると、セルが何食わぬ顔で団子を頬張っていた。
「ん? リタの鞄に入ってた団子だけど。これ、めちゃくちゃ美味しいな」
「お前な……いつの間に取ったんだよ」
ルイアは苦笑しながら呆れた声を漏らす。
「はは、セルは相変わらず自由人だな」
「もう、勝手に取っちゃだめだよ」
リクスに注意され、セルは素直に頭を下げた。
「ごめんごめん。反省するから許してくれ、リタ」
「……まあ、いいです。でも次は許しませんからね」
そんなやり取りを眺めながら、シウがぽつりと呟く。
「なんか腹減ってきたな」
「そうだな。もう少し歩いたら昼にしよう」
ルソンの言葉に、セナが思い出したように言った。
「リクスの鞄に、サヤ姫から貰ったおにぎりがあったわよね?」
「うん、あるよ!」
「よし、じゃあもうひと頑張りだな」
こうして一行は、再び森の奥へと歩みを進めた。
昼時、木々の間で休憩を取ることになった。
セナはおにぎりを一口頬張り、思わず声を漏らす。
「ん……美味しいわ」
「姫さま、それは塩しゃけですか?」
「ええ、そうよ」
「少し味見してもいいですか?」
「いいわよ、はい」
セナは自分が食べていたおにぎりを、何の躊躇もなくルソンに渡した。
「ありがとうございます。……ん、美味しいですね」
夢中で食べるルソンに、セナが慌てて声を上げる。
「ちょっと、全部食べないで!」
「分かってますって」
ルソンは、食べかけのおにぎりを何事もなかったかのようにセナへ返した。
その自然すぎる動作に、周囲の空気が一瞬だけ止まる。
――そして、見ていた者たちの視線が一斉に集まった。
「……なあ、ルソン」
最初に口を開いたのはルイアだった。
半ば呆れたような声だ。
「お前、自覚ないのか?」
「無自覚? 何の話だ?」
きょとんと首を傾げるルソンに、シウは深いため息をついた。
「まさか本当に気づいてないとはな……何とも思ってないから平気で出来るのか?」
「いやいや、多分ただ気づいてないだけだと思うよ〜」
セルはのんびりした口調でそう言い、リタも大きく頷く。
「ええ、絶対に気づいてません。間接キスだってこ――」
「リタ、ストーップ!」
リタの言いかけた言葉に慌ててリクスが遮る。
「気づいてないなら、それでいいんじゃないかな!」
「まあ……そうだな」
シウも渋々納得したように頷いた。
その様子を不思議そうに見ていたセナが、眉をひそめる。
「さっきから何をこそこそ話しているの?」
「ん?」
ルソンは一拍置いてから、思い当たったように言った。
「あー……もしかして、俺と姫さまが間接キスしてることについてですか?」
「――えっ!?」
セナの顔が一気に赤くなる。
「あ、あー! ルソン、あなた……私が食べたところを食べたのね!」
「そんなに怒らないでくださいよ〜。小さい頃からの付き合いじゃないですか」
軽く笑いながら言うルソンに、ルイアが肩をすくめる。
「なんだ。無自覚でやってたわけじゃなかったのか」
「自覚ありでやってたってことか。流石だな」
「……そうね。深い意味はないわ!」
少し強めに言い切るセナに、ルソンはにこやかに頷いた。
「そうですよ〜。今はね」
その最後の一言は、ひどく小さな声だった。
会話を聞いていたセルは、こっそりリクスの耳元に顔を寄せる。
「ねえ、リクス。ルソンって、セナのこと好きなの?」
「うーん……どうだろう。そんな話、したことないから分からないな」
「でも、見てる限りだと……何となく好意はありそうですよね」
リタが控えめにそう言った瞬間。
「なーに、こそこそ話してるんだ?」
ルソンの声が飛んできて、三人は一斉に背筋を伸ばした。
「な、なんでもないよ〜!」
「そ、そうですよ〜」
「……そうか?」
疑わしげに首を傾げるルソンをよそに、仲間たちはそれ以上何も言わなかった。
けれどその場にいた全員が、同じことを思っていた。
――少なくとも、ルソンの想いは決して護衛だけではないのだと。
王都を出てから三日目の夜。
焚き火のそばで、ルソン、シウ、ルイアは見張りをしていた。
「明日の昼頃には、森を抜けられそうだな」
「そうだな」
沈黙の中、シウが切り出す。
「なあ、ルソン。セナのこと、どう思ってる?」
「……姫さまは、自分の命に代えても守るべき人だ。それ以上は望んじゃいけない」
幼馴染であり、護衛。
その立場が、すべてだった。
「やっぱり、好きなんだな」
「ああ。でも言うつもりはない」
「分かった」
星空を見上げ、ルソンは静かに息を吐いた。
「……綺麗な夜空だな」
✾✾✾
凛黎帝国の王都を出てから四日目の昼過ぎ。
長く続いていた森を抜けたセナ達は、そのまま帝国北部の山へと足を踏み入れていた。
山道は細く、ところどころ岩が露出している。けれど険しすぎることはなく、秋の澄んだ空気が心地いい。
足元で小石が転がるたび、規則正しい足音が山肌に響いていた。
「地図を見る限りだと……村に着くまで、だいたい五日くらいかしらね」
歩きながらそう呟くと、隣にいたルソンが穏やかに頷く。
「そうですね。無理はせず、ゆっくり行きましょう」
「うん、それがいいと思う」
リクスも同意し、少しだけ気を抜いた表情を見せた。
だが、空を見上げていたシウは、どこか気がかりそうに眉を寄せる。
「村に着くまで、雨が降らなきゃいいんだが……」
「あれ? みんな、俺の力知らないのー?」
場の空気を変えるように、セルが明るい声を上げた。
「セルさんの天命の力って、確か……」
リタが思い出すように口にすると、セルは胸を張る。
「自然のあらゆるものを操れる力だよ!」
「……それって、もしかして天候も含まれるのか?」
ルイアの問いに、セルは当然と言わんばかりに頷いた。
「もちろん! っていうかさ、セナたちと出会ってから今まで、実はちょっと天候を調整してたんだよね。ほら、あんまり雨、降らなかったでしょ?」
「……言われてみれば」
私は空を見上げる。
確かに、ここまで不自然なほど晴れの日が続いていた。
「ずっと天気が良かったわね」
「それはすごい力だな」
ルソンが素直に感心すると、リタはすぐに表情を引き締めた。
「でも、セルさん。力の使いすぎは良くありませんよ。身体への負担もありますし、雨が降らないと困る人もいるんですから」
「……ああ、リタの言う通りだ」
シウも頷き、セルは少しだけばつが悪そうに頭をかいた。
「わかったよ〜。気をつける」
軽い口調の裏に、きちんとした理解があることを感じて、セナは小さく息を吐いた。
それぞれが天命の力を持ち、それぞれが違う思いを抱えている。
そんなセナ達は、同じ目的地を目指して、今日も山道を進んでいく。
――この先に待つものが、どんな運命であったとしても。
✾✾✾
山道に夜が降りた。
昼間とは打って変わり、冷たい空気が肌を撫で、虫の音と風に揺れる木々のざわめきだけが辺りを満たしている。
焚き火の小さな炎を背に、セナはルソンと並んで見張りをしていた。
見上げた夜空には、雲一つなく星が瞬いている。
「……綺麗な夜空ね」
「ええ、本当に」
同じ空を見ているはずなのに、どこか胸の奥が落ち着かない。
セナはふと、眠っている仲間たちの方へ視線を向けた。
「みんな……どうしているかしら」
「元気にしてますよ、きっと」
「……そうだといいのだけど」
「城に戻ったら、きっと心配されてますよ。俺と姫さま、何も言わずに出てきたわけですし」
「ええ……戻ったら、こっぴどくリーナに怒られそうね」
思わず苦笑すると、ルソンも小さく笑った。
「それは仕方ないですね。ちゃんと怒られましょう、姫さま」
「……そうね」
短く返した声に、夜風が混じる。
少しの沈黙のあと、ルソンが静かに口を開いた。
「あの、姫さま」
「なに?」
「俺は、どんな時も姫さまの味方です」
真っ直ぐな言葉に、思わず息を呑む。
「もちろん、リクスも、シウたちもいます。だから……大丈夫です」
ルソンは空を見上げたまま、続けた。
「この先、何があったとしても。俺たちは、きっと大丈夫です」
その言葉は、星明かりよりも確かに、セナの胸を照らした。
「……ええ、そうね」
セナはそっとルソンに頷き返す。
冷たい夜の山道で、確かな温もりを感じながら。不安も迷いも、今だけは夜空の奥へと溶けていくような気がした。




