第19話 翠帝国
南に位置する翠帝国の深い森の中をセナ達一行はゆっくりと進んでいた。
頭上では紅葉の木々の葉が重なり合い、陽光は細く砕けて地面に落ちている。
湿った土の匂いと、遠くで鳴く鳥の声が、旅の長さを否応なく実感させていた。
歩きながら、セナはふと顔を上げる。
「ねぇ、ルソン。明日あたりには、翠帝国の帝都に着きそうね」
隣を歩くルソンは、周囲を警戒するように視線を巡らせながら、穏やかに頷いた。
「そうですね。この森を抜ければ、もう帝都は目と鼻の先でしょう」
その言葉に、少し後ろを歩いていたシウが低く息を吐いた。
「翠帝国の帝都か……」
どこか含みのある声音に、セナは振り返る。
「どうかしたの?」
問いかけられたシウは、一瞬だけ言葉を選ぶように沈黙し、それから慎重に口を開いた。
「いや……帝都の一部で、奴隷売買をしている商人がいるという噂を聞いたことがあってな。表向きは繁栄している国だが、治安が良くない場所もあるらしい」
森の空気が、わずかに張り詰めたように感じられた。
セナは胸の前で手を組み、不安を隠しきれない表情で呟く。
「そうなのね……何かトラブルに巻き込まれないといいけど……」
すると、前を歩いていたセルが軽く振り返り、いつものように余裕のある笑みを浮かべた。
「まあ、もし何かあっても心配いらないよ。俺たちがセナを守るから。だから安心して」
その言葉は、根拠のない強がりではなかった。長い旅路を共にしてきた仲間の背中は、何よりも頼もしく見える。
セナは小さく微笑み、静かに頷いた。
「ええ、わかったわ。ありがとう」
セナ達が歩みを進める前方には、まだ見ぬ翠帝国の帝都が待ち構えている。
翠帝国の森は変わらぬ静けさを保ったまま、セナ達を目的の場所へと導くように道が続いていた。
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その晩。
夜の森は静まり返り、焚き火の残り火だけが淡く揺れている。
空を見上げれば、雲ひとつない夜空に星々が散りばめられ、冷えた空気の中でひときわ鮮やかに瞬いている。
「綺麗な夜空だなぁ……」
ルイアの呟きに、リタが穏やかに頷いた。
「そうですね〜。こんなに星が見える夜も、久しぶりな気がします」
セナ達一行は森の中で野宿をしていた。
旅慣れているとはいえ、夜の森は油断できない。
見張りを交代しつつ、それぞれがテントで身体を休めている。
そのとき、外で見張りをしているルイアとリタの背後で草を踏む小さな足音がした。
二人の後ろにあるテントの布が揺れ、セルが欠伸を噛み殺しながら外へ出てくる。
「セルさん、寝てたんじゃなかったんですか? どうしました?」
リタが声をかけると、セルは肩をすくめて苦笑した。
「いや〜、ちょっとね。シウの寝相があまりにも悪くて、目が覚めちゃってさ」
「マジか。あいつ寝相悪いのか……」
ルイアが半ば呆れたように言うと、セルは即座に頷く。
「大分悪いよ〜。ルイアも今度、一緒に寝てみたら?」
「いやいい。遠慮しとく」
ルイアの返事は即答だった。
そのやり取りに、リタは小さく笑い、夜の森にささやかな和やかさが広がる。
やがて焚き火の火が弱まり、夜明けが近づく頃、ルイアとリタはテントで眠っていたルソンとシウを起こし、見張りの交代をした。
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朝。
木々の隙間から差し込む光が、森を淡い金色に染めていく。
そして鳥のさえずりに背中を押されるように、セナ達は再び歩き出していた。
「この森を抜ければ、翠帝国ね」
前方を見据えながら、セナが静かに言う。
「そうだね。大分、歩いたから、足に疲労を感じるよ〜!」
リクスは大げさに肩を回しながら続けた。
「帝都に着いたら、一泊宿屋に泊まりたいなぁ……」
「翠帝国の帝都に着いたら、まず宿屋に行きますか。俺も久しぶりに、ちゃんとしたベッドで寝たいなと思ってましたし」
「ああ、そうだな」
ルソンの提案にシウも短く同意する。
「帝都で物資も調達したいな〜」
セルの言葉に、リタが頷いた。
「そうですね。食料や消耗品も減ってきていますし」
「じゃあ、帝都に着いたら手分けして物資調達するか」
ルイアの言葉にセナは明るく微笑み頷き返す。
「そうね、そうしましょう!」
森の出口は、もう遠くない。
この道の先に待つ翠帝国の帝都と新たな出会い、そして予期せぬ出来事をまだ誰も知らないまま、セナ達一行は歩みを進めていった
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森を抜けた先に広がっていたのは、白い石畳と高くそびえる建物群だった。
人の往来も多く、商人の呼び声や馬車の音が絶え間なく響いている。
「着いたわね……」
セナが小さく呟くと隣にいたルソンも頷く。
「そうですね」
ルソンがそう答えるのと同時に、セナ達は人の流れに身を委ねるように歩き出した。
だが――。
「嫌、離して!」
悲鳴にも似た声が、喧騒の中からはっきりと聞こえた。
「暴れるな! 痛い目を見たくなかったら大人しくしろ!」
セナ達が何事かと思い、振り向いた先で、荒々しい男が一人の少女の腕を掴み、ナイフを突きつけているのが見えた。
少女は必死に抵抗しながら、涙混じりの声で叫ぶ。
「嫌……離して……! だ、誰か……助けて……!」
その光景を目にした瞬間、セナの身体は自然と動いていた。
「――っ、姫さま!」
ルソンの制止の声も、リクスの驚きの声も耳に届かない。
セナは人混みをかき分け、少女のもとへと駆け寄った。
「その女の子を離しなさい!」
セナは少女と奴隷商人らしき男の前へと走り寄るなり鋭く言い放つ。
そんなセナの声に、奴隷商人がギロリと睨み返す。
「なんだ、お前? こいつは今から奴隷として売るんだ。邪魔をするな!」
「関係ありません。今すぐ、その女の子を離しなさい!」
セナは護身用に携えていた小型の剣を抜き、ためらいなく男の首元へ突きつけた。
「なっ……!?」
セナから突きつけられた剣の刃が首元に少し掠めたことにより、男の顔色が一気に変わる。
「早く、離しなさい」
迷いのない声音だった。
セナの凛とした声に周囲の視線が集まり始める。そんな中、男は舌打ちを一つして手を離す。
「……っち。わかったよ。ほらよ!」
少女を突き放すと、奴隷商人は人混みに紛れるようにその場から立ち去っていった。
入れ替わるように、ルソンたちがセナの元へと駆け寄って来る。
「姫さま、大丈夫ですか?」
「いきなり走り出すから、びっくりしたよ……」
ルソンとリクスの声にセナは申し訳なさそうに二人を見る。
「そうよね。ごめんなさい」
そう言ってから、セナは少女の方へ向き直る。
少女はまだ震えながらも、セナに深く頭を下げた。
「あの……ありがとうございます。助かりました……!」
「ええ。怪我はありませんか?」
「大丈夫です。あ、私はリノっていいます」
リノは少し安心した表情で続けた。
「あの商人に連れ去られて、この帝都まで来てしまって……。帰りたいんですけど、村までの帰り道がわからなくて……」
「そうだったんですね。よかったら、私たちが送りましょうか?」
「え、いいんですか!?」
驚いたように目を見開くリノに、セルが軽く手を振る。
「全然いいんだよ〜。俺たち、この帝都に長居する予定ないしね」
「とは言っても、一日は宿屋に泊まるけどな」
シウの言葉に、リノは少し申し訳なさそうに微笑んだ。
「そうなんですね……。でも、送っていただけたら、とても心強いです……!」
「じゃあ、まずは一緒に宿屋に行くか?」
ルイアの提案に、セナは頷く。
「そうね。一緒に行きましょう」
「はい!」
こうして、少女リノを迎えたセナ達は、帝都の喧騒の中へと歩き出した。




