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廃ホテルの十一人 ―鬼守の血統―  作者: 猫森満月


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第32話「生贄の選択」

 悠真の手が、美咲の首筋に触れようとした、その瞬間。


 ドゴオオオオオン!!


 凄まじい轟音と共に、地下祭壇室の鉄の扉が蝶番から吹き飛んだ。 粉塵と鉄片が舞う中、あの異形の怪物が姿を現す。 石川清一だったもの。その体はさらに膨張し、皮膚は岩のように硬質化し、片目だった黄色い光は、今や両目からぎらぎらとした憎悪を放っていた。


「見つけたぞ……『器』……!!」


 化け物は、もはや悠真しか見ていなかった。その存在が放つ純粋なエネルギーに、獣の本能が引き寄せられている。 悠真の中で荒れ狂っていた殺意の衝動が、目の前の巨大な脅威によって一瞬にして鎮圧された。恐怖が、それを上回る。


「くそっ!」

 悠真は美咲を突き飛ばし、自分も横に転がった。 化け物が振るった剛腕が、さっきまで二人が立っていた石畳を粉砕する。


「高木さん!」

 美咲が叫ぶ。彼女は倒れた衝撃で、さらに足首を痛めたのか、うまく立ち上がれない。


「逃げろ!」

 悠真は叫び返し、影山が落としたナイフを拾い上げる。


(これでどうしろっていうんだ!)

 絶望的な戦力差だ。だが、やらなければ美咲が殺される。


『殺せ』


 再び、あの声が響く。だが今度は、清一を指していた。


『奴も血を喰らった。奴の力を奪え。さすれば、お前は完成する』


「黙れ!」

 悠真は自分自身に叫びながら、化け物に向かって突進した。 狙うは、あのぎらつく黄色い目だ。 化け物は巨大な腕を振り回す。悠真はそれをスライディングでかいくぐり、足元に潜り込んだ。だが、化け物の皮膚は岩のように硬く、ナイフが通らない。


「ぐあああっ!」

 化け物がもう片方の腕で悠真を薙ぎ払い、壁に叩きつけた。肺から空気が押し出され、視界が白む。


(ああ、ここまでか……)


 朦朧とする意識の中、美咲の悲鳴が聞こえた。 化け物が、今度は動けない美咲に向かっていく。


(やめろ……!)


 悠真は立ち上がろうともがいた。だが、体は言うことを聞かない。 その時だった。


「これを使え!!」


 声は、上から聞こえた。 見上げると、瓦礫と化した入り口のあたりに、あの運転手、岡田が立っていた。 彼は片腕をだらりと垂らし、全身血まみれだったが、その手には何かを握りしめている。 彼が投げたものが、金属音を立てて悠真の近くの床に転がった。


 それは、半分に折れた太い鉄パイプだった。先端が鋭く尖っている。


「岡田さん!」

「早くしろ!奴は俺の相棒の仇だ……二十年前の……!」


 岡田はそう叫ぶと、持っていた小さな発炎筒に火をつけ、化け物の背中に向かって投げつけた。


「グオオオオオッ!」


 化け物は熱さに驚き、一瞬だけ悠真たちから注意をそらした。 その一瞬で十分だった。


 悠真は、最後の力を振り絞って鉄パイプを掴み、立ち上がった。 そして、自分の中に響く「声」に向かって、生まれて初めて、心の底からの意志を叫んだ。


(力を寄越せ!!)


 瞬間、全身が灼けつくような熱に包まれた。 視界が赤く染まり、筋肉が悲鳴を上げる。ポケットの中の護符が、まるで心臓のように鼓動を始めた。


「うおおおおおおおおっ!」


 悠真は、人間とは思えない速さで床を蹴った。 化け物はまだ背を向け、発炎筒の煙に戸惑っている。 悠真は、その無防備な背中――その中心にある、一際黒く脈打つ部分――に、研ぎ澄まされた鉄パイプの先端を、全身全霊の力で突き立てた。


 ブスリ、という鈍い音。 化け物の動きが、ぴたりと止まった。


 ゆっくりと、信じられないというように、清一だったものが振り返る。その口から、黒い血が溢れ出した。 「……なぜだ……わしは……ただ……」


 その言葉を最後に、化け物の体は急速にしぼみ始め、崩れ落ちていく。まるで風船から空気が抜けるように、その巨体は元の老人の姿に戻り、そして、動かなくなった。


 シーン……と、静寂が戻る。 残ったのは、荒い息遣いを繰り返す悠真と、呆然と座り込む美咲、そして入り口で全てを見届けた岡田の三人だけだった。


「……終わった、のか……?」

 悠真は、血に濡れた鉄パイプを落とした。 その時、悠真の視界の端に、あの少女、玲奈が立っているのが見えた。 彼女は、静かに拍手をしていた。


「すごい。本当にやっちゃった」


 だが、彼女の笑みはすぐに消え、その顔には深い悲しみが浮かんだ。


「でもね、悠真さん」

 玲奈は、崩れ落ちた清一の骸を指差した。


「あれは『鬼』じゃないわ」

「……なに?」

「あれは、鬼の力に呑まれただけの、ただの人間。……本当の鬼は、まだ目覚めてもいない」


 玲奈は、悠真の目をまっすぐに見つめた。


「本当の鬼は、あなたよ」

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