第31話「生贄の選択」
『あなたが彼女を殺して、その血をこの祭壇で飲めば、あなたは完全な『鬼』になれる』
玲奈の言葉が、冷たい刃のように悠真の鼓膜を突き刺した。 殺せ? 美咲を?
悠真は愕然として、隣にいる美咲を見た。彼女は恐怖に顔を引きつらせ、血の気を失い、ただただ震えている。あの明るい笑顔も、芯の強そうな瞳も、今は絶望に覆い隠されていた。
(俺が……この手で……?)
脳裏に、あの悍ましい感触が蘇る。翔の骨が砕ける音。啓太の首を引きちぎった時の、あの生々しい抵抗。それは紛れもなく、自分の手が行ったことだった。忘れていたのではない。認めたくなかっただけだ。
自分の中に潜む「何か」が、歓喜の声を上げていた。 そうだ、と。 それがお前の本性だ、と。 あの女の血を飲め。あの温かい命を喰らえば、お前は完成する。この悪夢から解放され、絶対的な力を手に入れるのだ、と。
「……っ」
悠真は呻き声を漏らし、頭を抱えた。激しい吐き気がこみ上げてくる。 違う。オレはそんなことを望んでいない。 だが、身体の奥底から湧き上がる渇望が、彼の理性を麻痺させようとしていた。
「高木さん……?」
美咲の声が、霧の向こうから聞こえるようだった。 彼女は悠真を見上げていた。その瞳には、もはや恐怖の色は薄れていた。代わりにあったのは、深い、深い哀しみと……諦念。
「……そう、だったんですね」
美咲は、すべてを理解したかのように小さく呟いた。
「私のお母さんも……あなたのおばあさんも……ずっと昔から、こうなるって決まってたんだ……」
彼女は震えを止めようと、自分の腕を強く抱きしめた。
「あなたが……『器』なんですね」
悠真は言葉を失った。否定したかった。これは何かの間違いだと叫びたかった。 だが、彼の体が真実を告げていた。 全身の血が沸騰するような感覚。目の前の美咲が、ただの「人間」ではなく、渇きを癒す「獲物」として映り始めている。
「逃げろ……」
悠真は、自分の喉から絞り出した声に驚いた。
「佐藤さん……早く、俺から離れろ……!」
「嫌……」
美咲は弱々しく首を振った。だが、その瞳は、逃げることを諦めた者のそれではなく、何か別の決意を秘めていた。
「もし……もし、それがあなたの宿命なら……高木さんが、あの化け物になるしかないのなら……」
彼女は一歩、悠真に近づいた。
「だったら……」
その瞬間、遠くの廊下から、あの忌まわしい地響きが再び聞こえてきた。
ゴゴゴゴゴゴ……!!
清一だった「なりそこない」が、戻ってきたのだ。 悠真の中の獣性が、外敵の接近に反応し、荒々しく咆哮した。
『殺せ。あの女を殺して、力を得ろ。さもなくば、二人とも奴の餌食だ』
悠真は、制御を失いかけた右手を、ゆっくりと美咲の首筋へと伸ばした。 美咲は抵抗しなかった。 ただ静かに目を閉じ、涙を一筋流しながら、悠真を見つめていた。 その瞳には、恐怖も絶望もなく、ただ、深い信頼と、どうしようもない運命への諦観だけが浮かんでいた。




