第30話「残された遺言」
「くそっ、どっちだ!」
地下への階段を駆け下りた悠真と美咲は、薄暗い踊り場で立ち止まった。さきほど通ったとはいえ、錯乱した状況で記憶は曖昧だ。複数の通路が、まるで嘲笑うかのように暗い口を開けている。
「さっきは…確か、カビと鉄の匂いがした方へ…」
美咲が息を切らしながら言った。
「いや、違う!」
悠真は首を振った。
「あの匂いは影山さんが言ってた。鬼の匂いだ。今は、清一があの匂いを纏ってる」
悠真は目を凝らし、集中した。あの時感じた、奇妙な感覚。自分の中の何かが、あの祭壇に引かれていた。
「こっちだ」
悠真は、何の変哲もない、一番奥まった通路を指差した。
二人は再び走り出す。美咲は捻った足首を引きずり、痛みに顔を歪めていた。
「大丈夫か?」
「ええ、なんとか……でも、高木さん、本当にこれで合ってるの?」
「わからない。でも、あそこに行くしかないんだ」
悠真は、ポケットの中で冷たくなった護符を握りしめた。あれが清一に効いた。だが、あの化け物を倒すほどの力はなかった。あれは時間稼ぎにしかならない。
通路の突き当たり、あの重厚な鉄の扉が再び現れた。 閂は、彼らが先ほど外側からかけたままになっている。
「開けるぞ」
悠真は美咲に目配せし、二人で重い閂を押し上げた。 ギイイィィ……という耳障りな金属音とともに、扉がゆっくりと開く。
中は、静まり返っていた。 先ほどまで暴れていた清一の姿はない。 ただ、祭壇の前に、影山がうつ伏せに倒れていた。
「影山さん!」
美咲が駆け寄ろうとするのを、悠真は手で制した。罠かもしれない。 悠真がゆっくりと近づき、影山の肩に触れる。冷たい。 そっと体を仰向けにすると、その惨状に息を呑んだ。
影山の胸には、彼自身が持っていた護符が突き刺さっていた。そして、その周囲の床には、彼の血で最後の言葉が書きなぐられていた。
『清一は…逃げた…。儀式を…完成させろ…。血を…捧げ……』
「ああ……」
美咲は口元を覆い、その場に崩れ落ちた。影山は、自分を犠B牲にして、清一の動きを一時的に止め、二人を逃がそうとしたのだ。そして、最後の力を振り絞り、メッセージを残した。
「『血を捧げよ』…?」
悠真は、その言葉を反芻した。
「何を……どうすれば…」
その時だった。
「やっと、追いついた」
冷たい、玲奈の声が背後から響いた。 悠真と美咲が振り返ると、通路の入り口に、あの少女が立っていた。その手には、あの不気味な木の人形が握られている。
「清一は、どこへ行った」
悠真は警戒しながら尋ねた。
「外。嵐の中へ逃げていったわ。でも、もうすぐ戻ってくる。あれは、あなたを求めているから」
玲奈はゆっくりと祭壇に近づく。
「影山さんは、わかってなかった」
玲奈は冷ややかに言った。
「儀式は『止める』ものじゃない。『完成』させるものなのよ」
「完成って……どういう意味だ!?」
「さあね」
玲奈は肩をすくめた。
「でも、古文書には書いてあった。二十年前、あなたのおばあちゃんが逃げ出したせいで、器が不在になった。だから、儀式は失敗し、鬼の力は溢れ出して、このホテルごと封印された」
彼女は、血で汚れた祭壇を愛おしそうに撫でた。
「でも、あなたは来た。新しい『器』が。そして、彼女も」
玲奈の視線が、美咲を捉える。
「『血を捧げよ』…。影山さんは、最後にわかったみたいね。この儀式を終わらせる方法を」
「どういうことだ……」
悠真は、自分の喉が渇いていくのを感じた。
玲奈は、薄暗い祭壇の間で、ゆっくりと微笑んだ。
「鬼を鎮めるんじゃない。鬼を、完成させるのよ」
「そのためには……生贄が必要なの。このホテルにいる、最後の二人」
玲奈は美咲を指差した。
「彼女の血は『鍵』。そして、高木さん。あなたの血は、すべてを受け入れる『器』」
「……つまり」
悠真は、最悪の結論にたどり着いた。
「俺が、美咲さんを……」
「そう。あなたが彼女を殺して、その血をこの祭壇で飲めば」
玲奈は、恍惚とした表情で両手を広げた。
「あなたは、完全な『鬼』になれる」




