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廃ホテルの十一人 ―鬼守の血統―  作者: 猫森満月


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第3話「田中翔」

「翔くん、やめて!危ないよ!」

 優奈が悲鳴に近い声で制止するが、翔はもう振り返らなかった。


(うるせえな、他の奴ら……)


 こんなことになるはずじゃなかった。本当なら今頃、あの予約が取れないことで有名なグランピングサイトで、優奈と二人、満天の星空を眺めているはずだったのだ。雑誌のライターだか編集者だかの二人組も、カメラマンの男も、きっと同じ場所を目指していたに違いない。それくらい人気の場所だった。なのに、どうしてこんな気味の悪い廃墟で、得体の知れないガキの戯言に怯えなきゃならない。


 優奈は怖がりだ。俺がしっかりしなきゃ、誰がこいつを守るんだ。俺がここに連れてきたんだから。


 翔はロビーの奥、重厚な扉をしつらえた旧式のエレベ-ターへと向かった。


「待て、単独行動は危険だ!」運転手の岡田が声を荒らげる。

「平気だって。幽霊でも鬼でも、出てきたら俺がぶっ飛ばしてやるよ」


 翔は聞く耳を持たず、エレベーターの呼び出しボタンを乱暴に押した。ゴトン、と古びた機械が唸りを上げ、ワイヤーが軋む音が闇の奥から響いてくる。やがて、チーン、という場違いに澄んだ音がして、鈍色の扉がゆっくりと開いた。


「じゃあな、臆病者の皆さん」

 彼はひらひらと手を振り、一人、エレベーターの中へと消えていった。


◇◇◇


 重い扉が閉まり、ぼんやりとした照明とカビ臭い空気が閉じ込められた鉄の箱に、世界から切り離されたような感覚を覚える。強がってはみたものの、翔の背中を冷たい汗が伝った。


(クソ、マジで気味悪いな……)


 行き先ボタンはほとんどが擦り切れていたが、かろうじて最上階である「5」の数字が読み取れた。展望室でもあれば、このクソみたいな状況から抜け出すヒントが見つかるかもしれない。

 ボタンを押すと、エレベーターは大きな振動と共にゆっくりと上昇を始めた。ガコン、ガコン、と規則正しい揺れが続く。壁の鏡に映る自分の顔が、やけに青白く見えた。


 二階を過ぎたあたりだっただろうか。

 急に、空気が変わった。さっきまでの生ぬるい湿気が嘘のように消え、冷凍庫にでも入ったかのような鋭い冷気が肌を刺す。エレベーター内の照明が、ジジ、と音を立てて激しく点滅し始めた。


 なんだ、これは。


 恐怖がじわじわと足元から這い上がってくる。息が白い。明らかに異常だった。早く、早く最上階に。焦りが心臓を鷲掴みにする。

 その瞬間、エレベーターが急停止した。階数を示すランプは「3」と「4」の中間で止まったままだ。


「おい、動けよ、クソが!」


 壁を殴りつけるが、反応はない。開閉ボタンを連打するが、扉は固く閉ざされたままだ。

 閉じ込められた。その事実が、翔の虚勢を完全に剥ぎ取った。


 カリ……カリカリ……。


 外から、何かを引っ掻くような音が聞こえる。壁のすぐ向こう側からだ。獣か?いや、違う。もっと硬質で、無機質な音。

 息を殺し、音のする方に耳を澄ます。


 カリ……ガリ……ゴリ……。


 音は次第に大きくなり、エレベーター全体が細かく震え始める。恐怖で叫び出しそうになるのを、必死でこらえる。

 と、その時。


 目の前の扉の隙間から、どす黒い、血のような液体がツーッと流れ込んできた。鉄の錆びた匂いと、生臭い腐臭が鼻をつく。

 そして、ゆっくりと、本当にゆっくりと、扉が外側からこじ開けられていく。


 ギギギギギ……。


 開いていく隙間の向こうは、光のない闇だった。だが、その闇の中に「何か」がいる。それは人間の形をしていなかった。蜘蛛のようにも、歪んだ木のようにも見える、黒い輪郭。そして、闇の中で爛々と光る、二つの赤い……。


「あ……ああ……」


 声にならない声が漏れる。それと目が合った瞬間、翔の思考は完全に停止した。

 次の瞬間、扉の隙間から黒い影が鞭のようにしなり、翔の右腕を捉えた!


「ぐっ、あああああッ!?」


 凄まじい力だった。まるで万力で締め上げられるような激痛。影は翔の腕を掴んだまま、こじ開けられた扉の隙間へと引きずり込もうとする。


 バキィッ!ゴギギッ!


 嫌な音が響き渡る。自分の腕が、ありえない方向に捻じ曲げられていくのが見えた。皮膚が裂け、肉が潰れ、白く尖った骨がそこから突き出す。まるでホラー映画の残酷シーンを、自分の体で体験しているかのようだ。激痛が思考を焼き尽くす。


「ああああああああああああああああああああッ!!」


 魂そのものが引き裂かれるような、人生最後の絶叫。視界が急速に赤く染まっていく中で、翔は闇の中に引きずり込まれていった。



◇◇◇

 

 エレベーターから響いた絶叫は、悠馬には人間のものとは思えなかった。それは恐怖の限界を超え、断末魔の叫びそのものだった。


 ロビーにいた全員が、凍り付く。優奈が「翔くん!」と悲鳴を上げた。

 叫び声が途切れた後、再び、チーン、という音がロビーに響き渡った。エレベーターが、一階に戻ってきたのだ。


 誰もが固唾をのんで、その扉を見つめる。

 やがて、ゆっくりと扉が開いていく。


 最初に小さく悲鳴を上げたのは、美咲だった。続いて、優奈が「いやあああああああ!」と絶叫し、その場に崩れ落ちた。


 エレベーターの中は、血の海だった。

 壁、床、天井、あらゆる場所に夥しい量の血が塗りたくられている。そして、その中央には、もはや人間だったとは信じがたい、肉塊と骨が散らばっていた。それは、先ほどまで恋人のために部屋を探しに行った、田中翔の成れの果てだった。


 悠真は吐き気をこらえながら、その惨状を直視した。

 そして、気づいてしまった。


 エレベーターの奥の壁。べったりと塗りたくられた血で、巨大な一文字が書かれていた。


『鬼』


 少女の言葉が、脳内でこだまする。

 恐怖が、現実となって牙を剥いた瞬間だった。

日本、世界の名作恐怖小説をオーディオブック化して投稿したりもしています。

画面はスマホサイズで見やすいと思います。

良ければ覗いてください。


https://youtu.be/YPxvLTcWz04?si=HGAmtIVdKSchEue8

よろしくお願いします。

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