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廃ホテルの十一人 ―鬼守の血統―  作者: 猫森満月


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第20話「鬼守の護符」

 地下へと続く階段は、冷たく湿った空気を吐き出し続けていた。一歩足を踏み入れるごとに、カビと埃の匂いが濃くなり、肺を侵食していくようだ。懐中電灯の頼りない光が照らすのは、壁から滲み出す黒い染みと、どこまでも続くかのような石の階段だけだった。


 先頭を行く悠真は、神経を極限まで研ぎ澄ませていた。背後から聞こえる仲間たちの荒い息遣いと、自分の心臓の音だけが、この世の音の全てだった。 時折、闇の奥で何かが動いたような気がして立ち止まるが、そこには何もない。この閉鎖空間では、恐怖そのものが形を持って襲いかかってくる。


「高木さん…」

 すぐ後ろを歩く美咲が、震える声で悠真のジャケットの袖を掴んだ。


「大丈夫だ。俺がついている」

 悠真はそう答えたが、その言葉がどれほど無力か、自分自身が一番よくわかっていた。


 階段は、地下二階分はあっただろうか。やがて一行は、広い踊り場のような場所に出た。そこからは、いくつかの通路が放射状に伸びている。


「どっちへ行けば…」

 啓太が呟いた、その時だった。


 通路の一つから、ふわり、と生温かい風が吹いてきた。 その風に乗って、微かに、鉄の錆びた匂いと、線香のような香りが運ばれてくる。 美咲が言っていた匂いだ。


「こっちだ」

 その匂いを辿るように、影山が静かに歩き出した。彼の確信に満ちた足取りに、他の者たちも無言で続く。


 通路の壁には、所々に奇妙な傷跡が残されていた。まるで、巨大な獣が爪で引き裂いたかのような、深い三本の爪痕。壁だけではない。天井にも、床にも、そのおぞましい痕跡は残っていた。


「二十年前の…鬼が暴れた跡か…」

 悠真は、息を呑んだ。これほどの力を持つ怪物に、人間が太刀打ちできるはずがない。


 やがて一行は、通路の突き当たりにある、一際大きな鉄の扉の前にたどり着いた。扉には、錆び付いた巨大な閂がかけられている。


「祭壇は、この奥だ」

 影山が言った。


 岡田と悠真が力を合わせ、軋む音を立てながら閂を引き上げる。 扉を開けると、そこは広大な空間になっていた。啓太が遺した写真で見た、あの血塗れの祭壇が、部屋の中央に禍々しい存在感を放って鎮座している。 そして、祭壇を取り囲むように、壁一面に無数の何かが貼り付けられていた。


「なんだ…あれは…」

 美咲が、息を呑んだ。


 それは、お札だった。古びて黄ばんだ、無数のお札。経文のようなものが墨で書かれているが、その多くは黒い染み――血痕で汚れて読めなくなっている。


「鬼を…封じるための結界か…」

 悠真は、そのおびただしい数のお札に圧倒された。これほどの呪いをかけてもなお、封じきれないものとは、一体どれほどの存在なのか。


 影山は、祭壇には目もくれず、壁の一角へと向かった。そして、数あるお札の中から、一枚だけ、まだ真新しいものを指差した。


「これは……」


 それは、影山が持っていた護符と、同じものだった。


「俺が、ここに来る前に貼ったものだ」

 彼は、懐からもう一枚の護符を取り出した。


「鬼守の一族にだけ伝わる、鬼の力をわずかに退ける護符だ。気休めにしかならんが、無いよりはマシだろう」


 影山は、その護使を、悠真に向かって差し出した。


「あんたが持て。あんたが、俺たちの中で一番『鬼』に近い存在だからな」


 その言葉に、悠真の心臓が冷たくなる。


(俺が、鬼に、近い…?)


 玲奈に言われた言葉が、脳内でこだまする。 『あなたの番が、近づいてるね』


 悠真は、震える手でその護符を受け取った。紙だというのに、ずしりと重い。まるで、小さな墓石を手にしているかのようだった。


 その時だった。 背後で、カタリ、と小さな物音がした。 全員が、弾かれたように振り返る。


 そこにいたのは、石川清一だった。 彼の顔からは表情が消え、その手には、スーツの内ポケットから取り出したのであろう、銀色に光る小さなナイフが握りしめられていた。 そして、その刃の先端は。


 真っ直ぐに、影山の背中に向けられていた。


「儀式の邪魔は、させん…」

 清一は、うわごとのように呟いた。


「今度こそ……今度こそ、成功させるのだ……」

 彼の目は、正気の色を失っていた。

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