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廃ホテルの十一人 ―鬼守の血統―  作者: 猫森満月


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第13話「安らかな死」

「彩花さんが、遅すぎる」


 特別室の重い沈黙の中、美咲が不安げに呟いた。医務室へ行ってから、もう三十分以上が経過している。このホテルでは、その時間は永遠にも等しい。

 悠真も、胸騒ぎを覚えていた。「大丈夫」という言葉が、ここでは死亡フラグにしかならないことを、彼は嫌というほど思い知らされていた。


「見てくる!」


 悠真は懐中電灯を掴み、バリケードの一部をずらして部屋を飛び出した。美咲も無言で後に続く。一人で残る恐怖と、悠真を一人で行かせる恐怖、その二つを天秤にかけた結果だった。


 医務室の扉は、少しだけ開いていた。中から、チカチカと不安定に点滅する蛍光灯の光が漏れている。隙間から漂ってくるのは、消毒液と、そして濃密な血の匂いだった。

 悠真は、扉の隙間から中の様子を窺った。そして、息を呑んだ。


 彩花が、診察用のベッドの上に横たわっていた。

 だが、その様子は明らかに異常だった。彼女は、恍惚とした表情で天井を見つめ、何かをうわごとのように呟いている。


「うん……やっと会えるね、拓也……」


 拓也…?それが、彼女の恋人の名前か。

 悠真は、彼女が正気を失っているのだと悟り、中に踏み込もうとした。

 だが、遅かった。


「見て!高木さん、あれ!」

 美咲が引きつった声を上げた。彼女の指差す先、彩花の傍らに、半透明の人影が立っているのが見えた。若い男の姿だった。その顔は、慈愛に満ちた笑みを浮かべて、ベッドの上の彩花を見下ろしている。

 恋人の霊。

 彼が、彼女を迎えに来たのだ。


 その光景は、恐ろしいと同時に、どこか神聖でさえあった。

 しかし、次の瞬間、その幻想は地獄絵図へと変わる。


「あああああっ……!」


 彩花の体が、ベッドの上で大きく痙攣した。

 彼女は、恍惚とした表情のまま、自分の胸に両手の指を突き立てる。その指先は、まるで鋭いメスのように、いともたやすく皮膚を、肉を、切り裂いていく。


 ゴリ、ゴリ、という鈍い音。肋骨が折れる音だ。

 悠真も美咲も、声も出せず、その場に凍り付いた。


 彩花は、ためらいなく自らの胸に腕を深く差し込んだ。そして、信じられない力で、何かを掴み、引きずり出した。

 それは、まだ微かに拍動している、彼女自身の心臓だった。


「これで……ずっと……一緒……」


 彩花は、血まみれの心臓を、まるで恋人への贈り物を捧げるかのように、目の前の空間に差し出した。

 そして、至福の笑みを浮かべたまま、ゆっくりとベッドの上に崩れ落ちていった。


 悠真たちが部屋に駆け込んだ時、中村彩花は、おびただしい量の血の海の中で、静かに息絶えていた。その胸には大きな穴が空き、抉り出した心臓は、彼女の手の中で黒く変色していた。

 だが、その表情は、驚くほど安らかだった。


 そして、彼女の亡骸のそばの床には。

 彼女自身の血で、はっきりと、一つの名前が書かれていた。


『拓也』


 四人目の犠牲者。

 鬼は、人の最も純粋な想いさえも、最も残酷な死の道具に変えてしまう。

 悠真と美咲は、その場でただ、呆然と立ち尽くすことしかできなかった。

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