1話 悪魔の子と犬
「おい、これ食ってみろよ。犬みてぇに」
ボト、と小汚い床にパンが落とされた。断れば殴られるのはわかっているから大人しく這いつくばってパンを口で咥える。
するとガッと音がしたと思えば頭に衝撃が走る。……靴、頭を踏まれている。
「っう、い、いたいっ……」
「ッるせぇ! 犬は黙って食え!」
痛みで涙が出てくる。でも耐えるしかない。周りにいる友達も自分のことなんて助けてはくれない、いつものように哀れんだ目で見てくるだけ。知ってる。みんなも先生も誰も僕を助けてくれないんだ。
「ッチ、きったねぇ……片付けとけよ」
「ねぇ〜邪魔なんだけど、どいて!」
「け、けらないでよ」
「なに!? 悪魔のくせに口答えするの! するの!?」
「っし、しません……」
僕より年下の女の子にでさえ暴力を振るわれる。抵抗したらダメだ、長引くから。
「みんな〜、"それ"は置いといてお部屋で遊びましょうね〜?」
「「「はーい!」」」
先生が友達たちを連れて隣の部屋に移動する。きっと悪魔の子がいる空間に長くいたくないのだろう。
衝撃で頭がくらくらするが何とか立って、無惨な形になったパンと抜け落ちた髪の毛を拾う。
その間にも隣の部屋からは和気あいあいとした子供の声が聞こえてくる。
一つ一つパンくずや髪の毛を拾う。汚かったら怒られるから。怒られなくない、殴られたくない。
……床を濡らしてしまった、拭いておかなければ。
__悪魔の色である黒い髪を持って生まれてきてしまったからなのか、僕は親に捨てられ孤児院に入れられたらしい。
親の顔はおろそか、兄弟がいたかとか自分が何歳かだとかもわからない。多分、12とかだと思う。
いじめられるのは当たり前で、大人も小汚い子供になんて近づきたくないし、得もないのに助けはしない。
けどそれは当然で。だって僕は悪魔の子だから。穢らわしい黒髪と黒目を持って生まれてきてしまったからって先生も友達もみんな言ってる。
……よし、今日の食器洗いも終わった。先生も隣の部屋にいるし少し外に出ても怒られないだろう。
いつもの抜け道を使って孤児院を出て、森に近い道を歩く。
ポッケに入れておいたパンを取り出して手に持ってみた。手のひらよりも小さい。今日の昼ごはんもこれ1個だけでお腹が満たされることはないけど、緑を感じながら食べると少しだけ気分が和らぐ気がするから。
そうしてパンを口に運ぼうとした……けど、いきなり胃がせり上がってきている感じがしてうずくまって吐いてしまう。
まるで地に落ちたパンの味とあの痛みが脳にこびりついているようだった。
気持ちが悪い、でもなんとか呼吸を整えて前を向く。すると目線の先に"何か"を見つけた。
「……? あれ、なんだ……?」
ふらつく足を押さえて"何か"に近づく。
それは両手で抱えられるくらいの大きさのものだった。少し怖いがもう少し近づいてみる。道の端の方にそれはある。これは、この"生物"は……
「いぬ?」
「グルゥゥ……」
犬だ。くすんだ黄色の小さい子犬。歯を剥き出して必死に威嚇している。でも噛みついてこようとはしないし動けないのだろうか。怪我か、それともお腹が空いているのかな。
お腹が減ってるなら辛いだろう。怪我を誰にも治療してもらえないなら苦しいだろうな。
何かこの子に僕ができることはないのか……
「あっ、これ食べる……?」
さっきのパンを渡してみる。少ないけどないよりは良いはずだと思うから。
でもなかなか食べようとしてくれない、グルルと唸って毛を逆立てるだけだ。
怖い。噛まれてしまいそうだけど、怖いのはきっとこの子の方。急に大きなものに近づかれたら誰でも怖がってしまう、だからしゃがんでゆっくり近づいてみる。
「だ、大丈夫だよ。ここに置いておくね、僕は向こう行くからね」
「ガゥゥッ」
そーっと後ずさり、十分に離れたところで近くの草むらに隠れて様子を伺ってみる。食べてくれるかなと期待で胸がそわそわした。なんだかこんな気持ちになったのは久しぶりな気がする。
その犬は警戒するように小さなパンを見つめる。けど食べたくはなさそうだ。お腹が空いているんじゃなかったのかな……食べてくれないか。
やっぱり犬も、悪魔の子からもらった食べ物なんて食べたくないのかもしれない。僕の触ったものは汚くなってしまうらしい、から。
しかしその子は僕の視線に気づくと、ちょっと嫌そうな顔をした後しぶしぶといった顔でパンを口に咥え、食べてくれた。そして
「ガゥゥ」
と、まるで礼を言うように僕に向かって鳴いてくれたのだ。
そのとき僕は、食べてくれた嬉しさよりも、ただ鳴いただけなのかもしれない犬がとても人間らしく見えた驚きに染まっていた。子犬が一瞬、とても大きな身体の頼りになるカッコいい男性のように見えたのだ。
「……! あっ、時間だ」
ゴーンと集まりを知らせる鐘が聞こえる。この子を置いていくのは不安だったけど、時間に間に合わないと怒られてしまう。また見にこよう、そう決めて
「またね」
と言って走り出した。
その犬が僕の後を追いかけてきていたことは、まだこのときは知らなかった。
__そしてこの子……もとい"フェンリル"との出会いが僕の人生を大きく変えるとも、まだ知らない。