ヒナタノリノカ
ゴールデンウィークが終わる。この時期には珍しい、背中を焼くほどに陽が強い正午のこと。日向が事故にあって死んだと知らせを受けたのも、こんな季節だったと記憶する。
薄手のティーシャツが汗で肌に貼り付くのが不愉快だ。私はアパートの玄関先で檸檬の鉢をじいと見つめていた。
鉢に落ちた影が陽炎のように揺れる。
『これさ、璃の香っていう檸檬なんだって』
ーー私と同じ名前だ。
面倒くさがりな日向に植物を育てられるわけがないと思っていた。靴下を脱げばいつも裏返しだし、使った食器もテーブルに置きっぱなし。私はいつもそんな彼に小言を呟いていたものだった。
『りのかー元気に育つんだぞー』
ーー私に向けて言ってるみたいで恥ずかしいんだけど。
ずぼらな彼ではあったけれど、その愛情深さはよく知っていたし、記念日は必ずお祝いしてくれるマメな優しさがあることも私は知っていた。
すぐに枯れると思っていた檸檬は病気することもなく、健やかに育つ。防寒に防虫対策はばっちり。鉢植えの割にはすくすくと育ち、今では私の目線の高さである。
『璃香! 見て! 花が咲いた!』
ーーほんとだ。日向、すごいじゃん!
果実をつけ始めたのは去年の秋ごろから。収穫を行うのは私一人。一つ、また一つと鋏で茎に刃を入れるたび、日向との思い出まで落ちて消えるよう。
『今年こそは実がつくのかなー。どきどきしてる』
ーーよく頑張ったよね。私も楽しみ。
マーマレード、レモンケーキ、レモンクリーム。蜂蜜レモンも作ったっけ。収穫した檸檬は私の手にかかり様々な姿に変わっていった。
『ーー』
ーー。
元より料理もお菓子作りも得意だった。見目鮮やかに完成したそれらは、私の口には一欠片として入ることなく、友人たちの元へと渡してしまった。
ーー食べる気になれないよ。
食べさせたかった相手は既にこの世にはいなくなってしまったのだから。
残された私と檸檬の木。檸檬の世話をしていたのは日向だったため、私はその面倒も含めて事後処理に右往左往としていた。それこそ、彼の死に向き合い、涙する時間もない程に。
立夏、璃の香の檸檬鉢は収穫の終わりが近付いていた。新しい実をつけることは終わり、未成熟な大きさにも見える小さな果実が一つ。
薄らと緑がかったイエローが目に眩しい。しかしその実はどうか。切るまで中身はわからない。苦味が出ているかもしれないし、果肉がほとんどないかもしれない。
季節がら、これ以上育つことはないのだろう。私は果実を手に取り、鋏で茎を切る。金属が重なる音は重く、耳から頭蓋を揺らした。
その場でナイフに持ち替えて切ってみると、思っていたよりも立派な果肉がついており、断面からは果汁がこぼれ落ちそうになる。
私は思わず、果肉に口をつけてそれを啜り飲んだ。
「ーー日向」
璃の香は酸味がまろやかというが、酷く酸っぱかった。口から出た彼の名前は無意識の内、溢れた涙もまた、無意識に違いなかった。